アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

シンガポールの生活

2020年06月15日 | 旅行
夜のカッページはおじさんたちのパラダイス

1994年~1997年
オーチャード通りの中心部高島屋から5分ほど下ると、MRT(地下鉄)のサマーセット駅の向いがわにビルとビルに挟まれて、オープンスペースにテーブルが所狭しと並んでいる。会社の帰りに、近くでマイクロバスを降り、シンガポーリアン、観光客たちが各テーブルで夕食をとっているところを通り抜け、いつものビルに入っていく。ここがカッページプラザ。

エレベータ(シンガポールでは、英国式にリフトと言う。)で3階に上がる。中央部が大きな吹き抜けになっている廊下を右に行くと、突き当たりの角にある店の前で獲物を待っているおばあさんが、日本語で「おかえりなさ~い。」と手を振る。彼女が、シンガポール3大オババと名高い「なにわ」のばーさん。(あとの二人は誰だろう?)

シンガポールで発行されている日本語新聞、星日報(Sin Nichi Ho)に、30代くらいの若くて美しい日本女性が、着物姿で三つ指をつき、「今宵もなにわであなたをお待ちしています。」とかなんとか宣伝していたのにつられて、初めてこの店をのぞいたとき、「あの女性はどこに?」と本気でさがした。

彼女の息子が、近くに新しい店「梅の湯」をオープンしたとき、その話をしたところ店主いわく「私の物心つく前の写真ですよ。」この息子が30歳くらい。実はばーさんもう60歳を越えていた。

なにわで、高い日本食で腹を満たしたあと、2階に下りる。
吹き抜けをはさんで、ちょうど向いがわに、「山彦」の看板が見える。8時ごろオープンと同時に入っていくと、いつも誰も客はおらず、女の子がカウンターの中で準備をしている。「こんばんわ、早いね。」と上手な日本語で迎えてくれる。オーナーのエスターが30代後半、20歳のアン、20代後半の未婚の母(名前が思い出せない~)、皆中国系シンガポーリアン。お客が日本人のため、皆日本語がうまい。

10時ごろからお客が増えてくる。ほとんど日本人。三井造船のSさん、日立のKさん。常連は、日鉱のHさんと三井OSKのMさん。皆単身赴任。

一度、日本から、お中元にうどんを送ってきたので、「こんなもの単身生活で作るのも面倒だし…。」といったところ、エスターが「私が作ってあげるから、今度持ってらっしゃい。」と言う。そこで、皆が集まりやすく、比較的客の少ない土曜日に、うどんパーティーをやることになった。当日は、店にエスターが日本式の電気釜を持ちこんで、これでうどんを炊くと言う。電気釜のうどんは初めて。日鉱のHさんはよく自炊をしているとのことで、自分が作った漬物を持ってきたが、これがなかなかうまい。50代半ばだというのにえらいものだ。

いつも、カラオケはおじさん連中の演歌が中心。日鉱のHさんは、テレサテンの中国語バージョンにトライし、女の子に発音をほめてもらい、得意になっている。
店は狭く、トイレは外の汚い公衆トイレだし、周りに華やかな店がいっぱいあるのに、なぜか常連がこの店にたむろしている。S$38++(++は税、サービスをあらわす。)で、ボトルがあるかぎりカラオケ無料、時間制限無しで単身者の憩いの場になっている。

2階にはこのほかに、日本でも名の知れた日本食堂「二重丸」、地下一階には、たまに接待で行くクラブ「雅」(みやび)、4階には新しく出来たマッサージ店「ピサハウス」と、日本人の夜の生活を全て満たしてくれる。きれいな女性、清潔なパブが望みの人は4階「クジャク」に行けばよい。中国人の「恵子」さんが迎えてくれる。

こうして、シンガポールの夜はふける。

(4階 Kujakuのスタッフ達)

(Hotel New Ohtani の歌姫 ザレハ)

(高島屋前のクリスマス飾り)



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