父娘インタビュー
「世界一の勇気の育て方」
マララさん:スワートにいたころは……
そこの文化では、
教育を受けたとしても、
女性は医者か教師にしか
なれないのです。
さもなければ、
主婦になって子どもを養い、
男性の言うことに従いながら、
四方の壁に囲まれた屋内だけで
人生を
送らなければなりません。
(👩中ごくの文筆家
魯迅が著(あらわ)した
📖『とっかん』のなかで抽象的に描いた、
中ごくの国民の状態とまったく同じだ‼️
四角い鋼鉄で出来た(出られない、逃げられない)、
真っ暗な光のひとすじも射し込まない、
何もない部屋に閉じ込められ、
眠らされた中ごく国民の現状と同じだ‼️)
マララさん:わたしが医者になろうと考えていたのは、
うちのクラスでは
みんなが医者になりたいと言うからです。
でも、
スワートの状況を考えていたら、
政府が措置を講じないでいる(政府がなにもしないでいる)のを見たら、
責任ある人々が何も言わずにいるのを見たら、
そうしたら(私マララは)
そのうちに分かった……
気づいたんです、
医者になっても小さな地域社会を助けられるだけだけど、
政治家になることで
母国全体を助けることができるって。
(私マララは)パキスタンの首相になりたいと思っていますし、
それは本当によいことだと思っています。
だって、政治を通して、
母国全体への奉仕ができるのですから。
国全体を治療する人になれるのですから。
そして、子どもたちに教育を受けさせる手助けができるのですから。
教育の質を向上させることができるのですから。
予算から
多くのお金を教育に
使うことができるのですから。
国連演説
「ペンと本で世界は変わる」
マララさん:そこで私が思い出すのは、
うちの(父の)学校にいた男の子が、
「タリバンはなぜ教育に反対なのでしょう❔」
と、男の子がジャーナリストから質問されたときの答えです。
(男の子は、)自分の本(教科書)を指さし、
「タリバンはこの本の中に何が書いてあるのか知らないんです」
と言ったのです。
彼ら(タリバン)の考えでは、
神は、学校に行ったというだけの理由で
女の子を地獄送り(じごくおくり)にするような、
心のとても狭い存在です。
テロリストたちはイスラムの名を騙(かた)り、
パシュトゥン人を
自分たちの個人的利益のために
利用しているのです。
(👧そうだったんだ‼️分かりやすい‼️
今まで私には、
イスラム教とタリバンの関係は
ちんぷんかんぷんだったから。
世界に通用する教育を受けていないから、
問題は、そんなに難しいことではなかったんだ‼️
マララさんの本を読むと、
教育を受けていないマララさんのおかあさんたちが
家や集会場で指導者が話すラジオの声を聞いて、
すんなり騙(だま)されてしまう成り行きには
あきれるくらいだった。
赤子(赤ちゃん)の手をひねるくらいに簡単に騙されていた。
日本人だったら、このラジオの言葉を信じない。)
マララさん:パキスタンは
平和を愛する民主国家です。
パシュトゥン人は娘や息子に
教育を与えたいと思っています。
そして、イスラムは平和と
慈悲と友愛の宗教です。
イスラムの教えでは、
教育を受けることは
子ども各人の権利というだけでなく、
(教育とは)むしろ(万人の)義務であり、
(👨世界各国と進化の度合いを合わせ、
人間には生まれながらに基本的人権という
光輝く権利があることを(教育の普及により)知り(気付いき)、
共に世界のために活動するために持つべき
最低限の)
責任なのです。
📖『マララ・ユスフザイ
国連演説&
インタビュー集』
電子書籍版付き
ダウンロード方式で提供
対訳📖
生声CD💿️
[収録]
❇️国連演説
「ペンと本で世界は変わる」
❇️銃撃前のインタビュー
「今、声を上げなくては」
❇️(マララさんの)父娘インタビュー
「世界一の勇気の育て方」
朝日出版社
(👨タリバンや、アフガニスタン。
なぜアメリカは、
教育の行き渡っていない国に
武器を渡してしまったのか(怒)‼️
いちばん、武器を持たせてはならない、
智恵のない者たちに。
自分の確立した考えもなく、
騙されやすく、
信じやすく、
すぐに怒りやすく、
すぐに武器をぶっぱなすだけの者たちになぜ❔
武器を持つ彼らに
近付くことすらできないから、
彼らに教育を
受けさせること自体ができないではないか‼️
👩だからアメリカも、
撃たれたら撃ちかえすこと
ばっかりを繰り返していないで、
(それでは未来永劫解決しないから)
中ごくがウイグル人を強制職業訓練所に
入れているのをよくご存知でしょう‼️
あれは全く批判すべきことだけど、
タリバンなどの場合は、
タリバンのおじいさんや
おじさんはもう頭が堅くて
無理かも知れないけれども、
出来れば、タリバンの若者たちは
すぐに殺してしまわずに
ずずーっと引っ張ってきて、
きちんと傷の手当てをしてあげて、
強制教育訓練所、
つまり学校に入れて、
教育を受けさせてあげて
ほしいのです。
彼らは、そう言う風に
育っていないのです。
みんな、上層部の人間が
悪いのです。
きちんとした教育を受ければ
明るく聡明な
世界をしょってたつ
若者たちが育つのに。
👧そうだよね。
👨そうだよね。
解説
📖『吶喊(とっかん)』
魯迅[著]
井上紅梅[訳]
「とっかん」とは、
ときの声をあげる意。
魯迅の場合は、
中ごくの国民に向かって民主化しようという
勇ましい声をあげる事。
『とっかん』は、
中ごくの国民について
最重要な事を書いているのだけれど、
魯迅はじめ昔の文豪の文章は分かりにくい。
一文が長いし、改行しないし、
これで本当に文豪なのか❔
しかし、文章は解りづらくとも、書いている内容は画期的、という場合がある。
それが魯迅だ。
引用始め❗
解り辛さを解消するため
改行を多くして引用します。
👇️👇️👇️👇️
わたしは彼の心持がよくわかった。
彼等はちょうど
「新青年」を経営していたのだが、
その時賛成してくれる人もなければ、
反対してくれる人もないらしい。
思うに
彼等は
(自分の意見がない世の中に)
寂寞を感じているのかもしれない。
「たとえば
一間(ひとま)の鉄部屋があって、
どこにも窓がなく、
どうしても壊すことが出来ないで、
内に(窓もなく出られない鉄の部屋で)
大勢(の人が)熟睡しているとすると、
久しからずして(すぐに)皆悶死するだろうが、
彼等は昏睡から死滅に入って
死の悲哀を感じない。
現在君が
大声あげて喚(よ)び起すと、
目の覚めかかった幾人(か)は
驚き立つであろうが、
この不幸なる少数者は
救い戻しようのない臨終の苦しみを受けるのである。
君はそれでも彼等を起し得たと思うのか」
と、わたしはただこう言ってみた。
すると彼は
「そうして幾人は已(すでに)に起き上った。
君が著手(ちゃくしゅ)しなければ、
この鉄部屋の希望を壊したといわれても
仕方がない」
そうだ。
わたしには
わたしだけの確信がある。
けれど
希望を説く段になると、
彼(それ=確信=希望)を
塗りつぶすことは出来ない、
というのは
希望は将来にあるもので、
決してわたしの
「必ず無い」の証明をもって、
彼(そ)のいわゆる
「あるだろう」を征服することは出来ない。
そこでわたしは
彼(それ=彼)に応じて、
遂に文章を作った。
それがすなわち最初の一篇「狂人日記」である。
一度出してみると引込んでいることが出来なくなり、、それから先きは友達の嘱(たのみ)に応じて
いつも小説のような文章を書き、
積り積って十余篇に及んだ。
(魯迅の📖『とっかん』から
引用終わり。)
わたし自身としては今はもう、痛切に言の必要を感じるわけでもないが、やはりまだあの頃の寂寞の悲哀を忘れることが出来ないのだろう、だから時としてはなお幾声か吶喊(とっかん)の声を上げて、あの寂寞の中に馳かけ廻る猛士を慰め、彼等をして思いのままに前進せしめたい。わたしの喊声(ときのこえ)は勇猛であり、悲哀であり、いやなところも可笑(おか)しいところもあるだろうが、そんなことをいちいち考えている暇はない。しかしまた吶喊と定(き)めた上は、大将の命令を聴くのが当然だから、わたしは往々曲筆を慈めぐんでやらぬことがある。「薬」の瑜兒(ゆじ)の墳墓(はか)の上にわけもなく花環(はなわ)を添えてみたり、また「明日(みょうにち)」の中では、単四嫂子(たんしそうし)は終(つい)に子供の夢を見なかったという工合(ぐあい)には書かなかった。それは時の主将が消極を主張しなかったからである。自分としてはただ、自分の若い時と同じく現在楽しい夢を作る青年達に、あの寂寞の苦しみを伝染させたくないのだ。