明日は秋の天皇賞(東京・芝2000m)。
競馬を知っている方なら一度は聞いたことがあるかと思うけど、サイレンススズカという、1998年の競馬を席巻した衝撃的な逃げ馬がいた。スタート直後からとにかく逃げる。そして、そのまま逃げ切って(しかも後続を引き離して)ゴール。
あんな馬はその時まで見たことなかったし、今もサイレンススズカを超える、快速の逃げ馬はいない。2000mまでなら、たとえディープインパクトであっても、その逃げ足を捕らえられなかったかもしれない、と思えるほど。
天皇賞の前哨戦レースである毎日王冠で、1999年の凱旋門賞2着馬、エルコンドルパサーにその影さえ踏ませなかった。
秋の天皇賞は距離、展開がすべて、この馬の勝つためにあるようなものだった―1998年11月1日、東京11レース1枠1番。単勝1.2倍。
しかし、いつものように先頭をぶっちぎっていたけど、4コーナー手前で突然、鞍上の武豊が手綱をおさえ、馬を止めた―左前脚の骨折。その後、治療しても直る見込みがないと判断され、その日のうちに安楽死…。
自分のスピードに体がついて行かなかったのだ、と多くの人は語っていた。自分もそう思う。
あのとき、自分は大阪にいて、友達の車の中でラジオ実況を聞いていたけど、アナウンサーから『競争中止』とだけ伝えられ、その状態が分からない中「骨折ならまた走れるんじゃないか…」と楽観的に思う自分がいたけど、夜になってスポーツニュースで"予後不良"と聞いた時、その思いを後悔した。
それに、勝っても600円しか戻ってこない単勝に賭けていた。不謹慎って言われるかもしれないけど、その戻ってこない3000円は《香典》として納めたと、本当に思っている。
それ以来毎年、秋の天皇賞を見ていると、東京競馬場の『大ケヤキ』の向こうを過ぎた後、勝負所の4コーナーに差し掛かるたびに、あの日のサイレンススズカを思い出してしまう…思い出さずにはいられないのだ。
もうすぐ、あの日曜日から8年。
競馬を知っている方なら一度は聞いたことがあるかと思うけど、サイレンススズカという、1998年の競馬を席巻した衝撃的な逃げ馬がいた。スタート直後からとにかく逃げる。そして、そのまま逃げ切って(しかも後続を引き離して)ゴール。
あんな馬はその時まで見たことなかったし、今もサイレンススズカを超える、快速の逃げ馬はいない。2000mまでなら、たとえディープインパクトであっても、その逃げ足を捕らえられなかったかもしれない、と思えるほど。
天皇賞の前哨戦レースである毎日王冠で、1999年の凱旋門賞2着馬、エルコンドルパサーにその影さえ踏ませなかった。
秋の天皇賞は距離、展開がすべて、この馬の勝つためにあるようなものだった―1998年11月1日、東京11レース1枠1番。単勝1.2倍。
しかし、いつものように先頭をぶっちぎっていたけど、4コーナー手前で突然、鞍上の武豊が手綱をおさえ、馬を止めた―左前脚の骨折。その後、治療しても直る見込みがないと判断され、その日のうちに安楽死…。
自分のスピードに体がついて行かなかったのだ、と多くの人は語っていた。自分もそう思う。
あのとき、自分は大阪にいて、友達の車の中でラジオ実況を聞いていたけど、アナウンサーから『競争中止』とだけ伝えられ、その状態が分からない中「骨折ならまた走れるんじゃないか…」と楽観的に思う自分がいたけど、夜になってスポーツニュースで"予後不良"と聞いた時、その思いを後悔した。
それに、勝っても600円しか戻ってこない単勝に賭けていた。不謹慎って言われるかもしれないけど、その戻ってこない3000円は《香典》として納めたと、本当に思っている。
それ以来毎年、秋の天皇賞を見ていると、東京競馬場の『大ケヤキ』の向こうを過ぎた後、勝負所の4コーナーに差し掛かるたびに、あの日のサイレンススズカを思い出してしまう…思い出さずにはいられないのだ。
もうすぐ、あの日曜日から8年。
たしかにローレルが出た秋の天皇賞は、明らかに騎手(横典)のミスやったもんなぁ。あの時、馬券取ったんで(1着バブルガムフェロー、2着マヤノトップガンで2000円ついた)、特別、イヤな思いはしなかったけどね
おっさん「サクラローレル」「横典」についていつか本文よろしく!
名前は飽きたら戻します。