事情があって、少しだけ更新が滞っていたのですが…”過去そこがスタジアムだった場所”シリーズを。第2弾は藤井寺球場。「相変わらずおっさんは自由気ままな旅が好きやなぁ」という声が今にも聞こえてきそうですが…構わずやります(笑)。
阿部野橋駅から近鉄南大阪線の準急に乗って15分くらい…だったかな?藤井寺駅南口から線路沿いに大阪方面へ歩いて5分くらいのところ、近鉄バッファローズのホームグラウンドだった藤井寺球場”跡”がある。例によってその歴史やスペック等はWikipediaをご覧下さい。甲子園球場や西武ドームといい、自社鉄道の最寄駅からすぐ歩いていける距離にあるところが、鉄道会社が持っている(た)球団の特徴でもある。
大学時代、この沿線に友人が住んでいたので車窓から見たことはあるんだけど、藤井寺球場に自分は入ったことがないから、ここに対する特別な思いは少ない。鳴り物が禁止されていたり、収容人数の問題で優勝回数の割に日本シリーズは一度しか行われていなかったり、軟式高校野球の”聖地”であったり、照明設備が長きに渡ってなかったから(根源は分からないけど、その意はものすごく理解できたりする)ナイトゲームは日生球場で開催されたり…でもあの野茂英雄が数多くの三振を取り、ラルフ・ブライアントが大きなホームランを何本も打ち、あの【10.19】の翌年に優勝を果たし、今は亡き仰木彬が悲願の胴上げをされたこの場所。
西宮球場に行った後だったからある程度の予想はしていたけど、その通り…面影はほとんどといって残っていなかった。当時のマスコット”バッファくん”と思しき少年がモチーフになったであろう記念モニュメントがあったけど、土台に『藤井寺球場跡』と書かれている。どことなくさみしく見えるその少年の表情は、自分にどこか何かの墓場を思い浮かべさせた。
跡地である広い土地には大きな小学校が立っている。モニュメントを見て隣の小学校に通う子供たちは「ここが野球場だったんだ」って思うんだろうか。そしてモニュメントがあっても時間が経つにつれ―自分たちが覚えているにせよ―次第に忘れ去られていくのではなかろうか…やっぱり、そんな寂しさを覚えた。
学校の後ろに立つマンション。かつて外野席があった場所に建てられている…という触れ込みらしいけど、「あそこにスタンドがあったんだ…」と平面的に感じただけで、あまりに素っ気ない跡地に…何ともやるせない気持ちになりながら、その場を後にした。
そんな思いの中で阿部野橋に戻り、下を向いて歩いていると…方位が丸く地面に描かれていて、その位置からの方向を示すプレート…その中にこんなものが。まだあそこには藤井寺球場がある…ちょっとうれしくなった。少し時間が経ったら、もう一度藤井寺へ行ってみよう。
色んな野球ファンの思いと共に、いつまでもこの場所に。
阿部野橋駅から近鉄南大阪線の準急に乗って15分くらい…だったかな?藤井寺駅南口から線路沿いに大阪方面へ歩いて5分くらいのところ、近鉄バッファローズのホームグラウンドだった藤井寺球場”跡”がある。例によってその歴史やスペック等はWikipediaをご覧下さい。甲子園球場や西武ドームといい、自社鉄道の最寄駅からすぐ歩いていける距離にあるところが、鉄道会社が持っている(た)球団の特徴でもある。
大学時代、この沿線に友人が住んでいたので車窓から見たことはあるんだけど、藤井寺球場に自分は入ったことがないから、ここに対する特別な思いは少ない。鳴り物が禁止されていたり、収容人数の問題で優勝回数の割に日本シリーズは一度しか行われていなかったり、軟式高校野球の”聖地”であったり、照明設備が長きに渡ってなかったから(根源は分からないけど、その意はものすごく理解できたりする)ナイトゲームは日生球場で開催されたり…でもあの野茂英雄が数多くの三振を取り、ラルフ・ブライアントが大きなホームランを何本も打ち、あの【10.19】の翌年に優勝を果たし、今は亡き仰木彬が悲願の胴上げをされたこの場所。
西宮球場に行った後だったからある程度の予想はしていたけど、その通り…面影はほとんどといって残っていなかった。当時のマスコット”バッファくん”と思しき少年がモチーフになったであろう記念モニュメントがあったけど、土台に『藤井寺球場跡』と書かれている。どことなくさみしく見えるその少年の表情は、自分にどこか何かの墓場を思い浮かべさせた。
跡地である広い土地には大きな小学校が立っている。モニュメントを見て隣の小学校に通う子供たちは「ここが野球場だったんだ」って思うんだろうか。そしてモニュメントがあっても時間が経つにつれ―自分たちが覚えているにせよ―次第に忘れ去られていくのではなかろうか…やっぱり、そんな寂しさを覚えた。
学校の後ろに立つマンション。かつて外野席があった場所に建てられている…という触れ込みらしいけど、「あそこにスタンドがあったんだ…」と平面的に感じただけで、あまりに素っ気ない跡地に…何ともやるせない気持ちになりながら、その場を後にした。
そんな思いの中で阿部野橋に戻り、下を向いて歩いていると…方位が丸く地面に描かれていて、その位置からの方向を示すプレート…その中にこんなものが。まだあそこには藤井寺球場がある…ちょっとうれしくなった。少し時間が経ったら、もう一度藤井寺へ行ってみよう。
色んな野球ファンの思いと共に、いつまでもこの場所に。
市民球場もそろそろ閉鎖が近づいてるよね。
ライトスタンドの一部は残されるようだけど、
自分も含めて、その思いは何も変わらず、
むしろ強くなっていくと思います。
アル中先輩
ご無沙汰です。
移った大阪ドームの使用料が近鉄球団の経営を圧迫したんだから、
なんとも皮肉なことです…。
しかもあんな所、私的には球場と認めたくないです。
日生球場ももうないです。
今回は行けなかったけど、時間ができたら跡地訪問を行ってみようと思います。
Boaz兄さん
遺し方…確かに。
ちょっと墓標にしか見えないもんね。
でも跡地に学校…これはすばらしいことだと思います。
あまりに切ないね・・・。
まあ、時代に即した新しい球場で子供たちが新しい思い出を刻んでいくのは悪いことではないと思いますが、、跡地に学校が立っていることはいいことだと思います。
しかし藤井寺をつぶして移った球場が、あんなに無機質で人工的な球場とは、、そっちのほうがなんか悲しいですな。あんな球場に移ってしまえば球団自体もなくなってしまうよなー、、とポツリ。
そういえば日生球場ってまだあるの??
広島市民球場もそのような経過をたどるのだろうか…。