先日の日曜(1月24日)、台東区の東本願寺(浅草本願寺)で浄土双六が遊べる機会があるというので、参加させて頂きました。
会場で遊んだものは、証果増進之図というもので、マス目には現世や地獄、悟りの段階を表す文字が描かれています。
仏教の世界観が反映された双六を区別するうえで、文字のみのものは仏法双六で、絵が有るものは浄土双六という区分けをされることもあります。
今回の証果増進之図は、仏法双六の類いで、元は初学の僧が天台の名目を覚える為に作られたといわれています。
浄土双六の骰子は「南・無・分・身・諸・仏」の骰子を使うのですが、仏法双六の骰の目は「貪・瞋・痴・戒・定・慧」になっています。
文政六年(1823年)に再刻された証果増進之図の遊戯法によると、裏表のある6本の棒状の賽を振って、その表裏の組合せが目数になるようですが、ここでは「貪・瞋・痴・戒・定・慧」の文字が書かれた6面体サイコロを使いました。
浄土双六と仏法双六の盤面は、人間の迷いと悟りを10種類に分けた十界で構成されているといわれます。
仏法双六のマス目は全部で123あり、各マスに出目による行き先が記してあります。
振り出しの位置は、須弥山の四州の内の南贍部洲(なんせんぶしゅう)となっており、ここから開始となっています。
各自の駒は、厚紙やゲームチップに名前を書いて使用しましたが、本来であれば、基本教義が書かれた花巌、天台、真言、倶舎、成実、法相、三輪、律、禅、浄土の10枚から選んで、それに自分の名前を書くそうです。
骰子の目ですが、「戒・定・慧」はよいマスに進み、「貪・瞋・痴」はよくないマス目に進むようになっています。
一旦地獄の世界に堕ちてしまうと、そこから這い上がるのは難しいのですが、悟りの境地に達すると、あとは上がりに向けて進むようになっています。
実際に遊んでみると、たかが賽の目で進むだけの双六といえど非常に面白く、皆で様々な境地を感じながら楽しく遊べました。
また、収束制が悪いと思われがちな飛び双六ですが、大勢で遊ぶと短時間でも明暗がくっきりと分かれ、そこも面白いと思いました。
仏法双六よりマス目が少なく、それぞれの境地が絵で描かれた浄土双六も別の場所で遊んでみましたが、こちらは意外とすぐに上がれたので、それほど収束制は悪くないと思いました。
悟りの境地に至るか、地獄を彷徨うかは骰子の目次第ですが、解脱した人がいる反面、いつまで経っても地獄で苦しんでいる人がいる所も、このゲームの楽しさだと思います。
やはり、双六は皆で楽しく雑談をしながら遊ぶと面白いので、仏法双六も浄土双六も5~6人位で遊ぶのが適正だと思います。
特に、仏法双六に絵を入れ、庶民向けに遊び易くした浄土双六は、色々な境地が図解で解り易くて面白いので、仏法系双六の入門としてはお勧めです。
明治時代の廃仏毀釈で妻帯肉食によって還俗を迫られるまでは、一部を除いて宗派の垣根は殆ど無く、浄土系以外の禅宗や密教、神仏習合の修験道でも浄土双六は遊ばれていたので、今後、宗派に囚われず原点に戻り、各地の寺院などで浄土双六が遊ばれればいいなと思っています。
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