お正月中に、鉄道マニアの兄に連れられ、私と母親と3人で
橿原神宮の森の中に残る廃線跡を見に行ってきました。
大阪電気軌道畝傍(うねび)線の廃線跡が森の隅にひっそり残っていました。
橿原神宮は明治23年に創建されていましたが、周辺の森は皇紀2600年の
記念事業として昭和15年に整備され、それまでは一面たんぼだったようです。
一方、大軌畝傍線は大正12年に開通。廃止は・・・ちょっとわかりません。
細い水路を渡る小さなコンクリートの橋の跡が残っています。
今は近所の家のプランター置き場になっていました。
さて、次の日もまた兄と二人で廃線跡めぐり。
少し南へ下って、五条市にある五新線の遺構を見てきました。
結構有名らしいのですが、私は見たことがなかったのです。
ずらりと並んだこんな立派なアーチ高架に驚き!
高架の終点はこんな具合です。
電車が一度も走ることがなかったとは何ともったいない。。。
撤去費用がないためか、将来の活用を見越してか、もう長いこと
この状態のまま置かれているそうです。
この高架に面した家では、アーチ部分をガレージにしていたり物干し場に
していたり、屋根つきスペースとして重宝しているみたいです。
現在はどこの所有になっているのかはわかりませんが、
この雰囲気を残したまま有効利用する方途を探ってほしいものです。
橿原神宮の森の中に残る廃線跡を見に行ってきました。
大阪電気軌道畝傍(うねび)線の廃線跡が森の隅にひっそり残っていました。
橿原神宮は明治23年に創建されていましたが、周辺の森は皇紀2600年の
記念事業として昭和15年に整備され、それまでは一面たんぼだったようです。
一方、大軌畝傍線は大正12年に開通。廃止は・・・ちょっとわかりません。
細い水路を渡る小さなコンクリートの橋の跡が残っています。
今は近所の家のプランター置き場になっていました。
さて、次の日もまた兄と二人で廃線跡めぐり。
少し南へ下って、五条市にある五新線の遺構を見てきました。
結構有名らしいのですが、私は見たことがなかったのです。
ずらりと並んだこんな立派なアーチ高架に驚き!
高架の終点はこんな具合です。
電車が一度も走ることがなかったとは何ともったいない。。。
撤去費用がないためか、将来の活用を見越してか、もう長いこと
この状態のまま置かれているそうです。
この高架に面した家では、アーチ部分をガレージにしていたり物干し場に
していたり、屋根つきスペースとして重宝しているみたいです。
現在はどこの所有になっているのかはわかりませんが、
この雰囲気を残したまま有効利用する方途を探ってほしいものです。
並行する奈良交通バスは168号線の事情からか、車掌が乗っていて、記念に一枚車内乗車券を買ったことがあります。今はどうでしょうね。因みに母親の従兄弟の息子が、奈良交通バスの車掌をやっていたのですが、広橋峠から偶然乗り合わせたことがあります。
線路部分に太陽電池パネルを敷き詰めたら・・・
近所の電灯代くらいになるのでは??
吉野川も渡っていたのですか、すると写真にある終点の
部分からさらに伸びていたわけですね。へえ~
長さは、そうですね・・・150mくらいでしょうか?
太陽電池パネルを設置というのはいいかもしれませんね。
しかしメンテするためにあそこに上るのはちょっと
恐いかも・・・