エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-XII-3

2024-07-11 10:04:37 | 地獄の生活
「ああ、確かに、仰るとおりです。それは確実に戻って来ない、と言うべきでした。で、そこから私にとっての問題が生じるわけで……貴方がこの大金を私に託してくださるのはひとえに私のためですね? 私自身を始め、世の多くの人にとってひと財産とも言えるこのお金を? もちろんそうですよね……そこでなんです。このような犠牲を貴方にしていただく資格が果たして私にあるのでしょうか? 私はその御親切に報いることが出来るどうか分からないのに……十万フランというお金を私は貴方に返すことが出来るのか?……そう思うわけなんです」
「しかしこの金は貴方がド・ヴァロルセイの懐に飛び込み、信頼を得るために欠かせないものではないですか……」
「確かにそのとおりです。もしこのお金が自分のものであれば、私は躊躇などしないのですが……」
トリゴー男爵は元からパスカルの性格を非常に高く評価していたが、これほどまでの誠実さから来る配慮を見せられ、心を動かされた。大富豪は誰でもそんなものだが、自分の貧乏を恥とせず威厳を持って振る舞う人間を彼は殆ど見たことがなかった。彼の知る貧乏人とは、二十フラン金貨が落ちていれば、それがどぶの中でも、這いつくばってでも喜んで取りに行く人間たちだった。
「いいですか、親愛なるフェライユール君」 と彼ははっきりした口調で言った。「ご安心なさい。私がこの犠牲を払うのは、あなたの為ではありません」
「え?」
「私の名誉を賭けて申し上げる。もし貴方という人がいなくとも、私はどっちみち十万フランをヴァロルセイに貸すでしょう。もし貴方がそれを彼に持って行きたくないと言うのであれば、別の者にやらせるだけですよ……」
このように言われては、これ以上議論するのは気まずくなるだけであろう……。パスカルは差し出された男爵の手をぐっと握りしめ、ただ一言だけを発した。だがその口調にはあらゆる誓いと同じ価値があった。
「感謝します」
男爵の方は礼儀正しく肩をすくめた。こんなことは何でもありませんよ、お礼には及びませんと言う代わりに……。それから、彼のいかつい身体つきによく似合う、ややぶっきらぼうな調子で言った。
「よろしいかな。この金子はいかようにも貴方の好きなように使ってくだされば良いのですぞ。それが貴方のために最上の働きをすれば、それはそのまま私のためにもなる。いつどのようにド・ヴァロルセイ氏の手に渡すかは、貴方の判断に委ねます。一時間後であろうと、一か月後であろうと、一度にであろうと五十回に分割してであろうと、またいかなる条件をつけようと、意のままに……。この十万フランは犬を溺れさせるために首に巻き付ける紐だと思ってください……」
男爵は野卑な親爺風を装いながら、抜け目のない洞察力を隠していた。パスカルはそれを理解し、自分の胸中が見透かされていると感じた。7.11

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