私が自分の権利を行使しない決心をしたと彼に伝えた時、彼は理解が出来ない様子でした。あれほど屈従させられてきた奴隷が反逆するなどとは、彼には考えられないことだったのです。でも私の決心が動かないと知ったとき、彼は怒りに悶絶するのではないかと思うほどでした。
彼の生涯の夢だった莫大な財産が、私の一言で手の届かないものになってしまう、それなのに私にその一言を言わせることが彼には出来ない、それが彼の憤怒に火をつけたのです。
それからというもの彼と私の間の争いは、彼の持ち金が少なくなっていくほど凄惨さを帯びて行きました。でも彼がいくら私を痛めつけようが無駄でした。私は殴られ、命を脅かされるような目に遭い、血まみれで意識を失った状態で髪を掴んで引きずり回された……。でも、自分が復讐を果たしているという思い、私と同じ苦しみを彼にも与えているのだという思いが私の勇気を百倍にし、肉体に与えられる苦痛を感じなくさせていました。
彼の方が先に音を上げたことでしょう。でもあるとき、悪魔の考えが彼に閃いたのです。
妻である私に言うことを聞かせることはできなくとも、母親としての私になら話は別であろう、と。そして自分の怒りの矛先をウィルキー、あなたに向ける、と脅してきたのです。
彼はどんなことでもしてのける男だということが分かっていたので、あなたを救うため、私は気が弱まった振りをしました。そして考える時間を二十四時間くれ、と言いました。彼は承諾しました。
でも次の日の朝、私は家を出ました。もう二度と彼には会わない、と決心して、あなたを腕に抱きかかえ、逃げたのです」
ウィルキー氏の顔は最初蒼ざめていたのが、次第に硬直した形相に変わっていった。何か冷やりとしたものが彼の痩せた背筋を走った。これは母親の苦しみへの同情でも、父親の卑劣な行為を恥ずかしく思う気持ちでもなく、この恐ろしい男がド・シャルースの莫大な財産という獲物を奪いにやって来る図が今まで以上に鮮明に脳裏に浮かび、彼を怯え上がらせたからだった。ド・コラルト氏やド・ヴァロルセイ侯爵の助けを借りたとしても、この男を追い払うことなど出来るものであろうか?
質したい疑問が山のように頭に浮かび、口から出かかった。具体的な事実を知りたくて堪らなかったからである。しかし、マダム・ダルジュレは急いで話の先を続けていた。まるで早くしないと話が終わる前に彼女の力が先に尽きてしまうのではないか、と怖れているかのように。
「そんなわけで、私はあなたと二人きりになったのよ、ウィルキー、所持金と言えばほんの百フランほど、このパリという巨大な街のただ中で……。
最初にすべきことは私たち二人の隠れ場を見つけることでした。私はフォブール・サンマルタン通りに小さくてみすぼらしい部屋を見つけました。通気は悪く、殆ど日も差さないような部屋で、一カ月分十七フランを前金で支払わされたけれど、ついに得た避難場所でした!3.8
彼の生涯の夢だった莫大な財産が、私の一言で手の届かないものになってしまう、それなのに私にその一言を言わせることが彼には出来ない、それが彼の憤怒に火をつけたのです。
それからというもの彼と私の間の争いは、彼の持ち金が少なくなっていくほど凄惨さを帯びて行きました。でも彼がいくら私を痛めつけようが無駄でした。私は殴られ、命を脅かされるような目に遭い、血まみれで意識を失った状態で髪を掴んで引きずり回された……。でも、自分が復讐を果たしているという思い、私と同じ苦しみを彼にも与えているのだという思いが私の勇気を百倍にし、肉体に与えられる苦痛を感じなくさせていました。
彼の方が先に音を上げたことでしょう。でもあるとき、悪魔の考えが彼に閃いたのです。
妻である私に言うことを聞かせることはできなくとも、母親としての私になら話は別であろう、と。そして自分の怒りの矛先をウィルキー、あなたに向ける、と脅してきたのです。
彼はどんなことでもしてのける男だということが分かっていたので、あなたを救うため、私は気が弱まった振りをしました。そして考える時間を二十四時間くれ、と言いました。彼は承諾しました。
でも次の日の朝、私は家を出ました。もう二度と彼には会わない、と決心して、あなたを腕に抱きかかえ、逃げたのです」
ウィルキー氏の顔は最初蒼ざめていたのが、次第に硬直した形相に変わっていった。何か冷やりとしたものが彼の痩せた背筋を走った。これは母親の苦しみへの同情でも、父親の卑劣な行為を恥ずかしく思う気持ちでもなく、この恐ろしい男がド・シャルースの莫大な財産という獲物を奪いにやって来る図が今まで以上に鮮明に脳裏に浮かび、彼を怯え上がらせたからだった。ド・コラルト氏やド・ヴァロルセイ侯爵の助けを借りたとしても、この男を追い払うことなど出来るものであろうか?
質したい疑問が山のように頭に浮かび、口から出かかった。具体的な事実を知りたくて堪らなかったからである。しかし、マダム・ダルジュレは急いで話の先を続けていた。まるで早くしないと話が終わる前に彼女の力が先に尽きてしまうのではないか、と怖れているかのように。
「そんなわけで、私はあなたと二人きりになったのよ、ウィルキー、所持金と言えばほんの百フランほど、このパリという巨大な街のただ中で……。
最初にすべきことは私たち二人の隠れ場を見つけることでした。私はフォブール・サンマルタン通りに小さくてみすぼらしい部屋を見つけました。通気は悪く、殆ど日も差さないような部屋で、一カ月分十七フランを前金で支払わされたけれど、ついに得た避難場所でした!3.8