カウントダウンはまだ

余命8カ月を遥かに超えて

退院後初の受診にて

2012-03-23 08:00:00 | 2007年のできごと

2007年12月26日 退院後初めての受診。

術後のこの普通じゃない酷い痛みの原因を訊ねました。

手術で骨と骨との間の筋肉も切っているので、その部分の神経が圧迫されているのも一つの原因だろうと言う事でした。

結局、痛みは1年以上続きました。徐々にましにはなりましたが。

これには個人差がかなりあるようです。

入院中に、すでに自力で起き上がれたり、咳やくしゃみしても、そんなに痛くない人もいましたから。

 

この日の診察中に、やっと病理検査結果が届きました。

ありゃりゃ、やっぱり見事に残念賞!!

やはり私の癌は、かなり進行した物でした。

右肺上葉にあった一番大きな塊りは原発腺癌で、他の数か所のはそれが転移した腺癌でした。

同一肺葉内転移で、少なくとも3期の進行期にあるらしいです。

下葉の影も癌であれば4期。

私の癌はちょっと珍しいらしく、癌細胞がリンパ液や血液に乗って体を一廻りして、そして肺に戻って来て又そこに巣食うという、肺大好きの癌。

検査では肺の外への転移は、はっきりした診断はついていないものの、体のどこかにまだまだ癌がある可能性大有りで、すぐさま抗癌剤治療を始めないといけません。

一通り外科でその説明を受けました。

 

その後すぐさま内科でもっと詳しく説明を。

やはり抗癌剤治療は手術後あまり間を開けないほうが良いらしいです。

再検査しても、はっきりした癌は見つからないかも知れないが、ミクロの転移があるかも知れない。

それを出来るだけ叩くのは抗癌剤治療。

今の状態が続いて欲しいという期待をして抗癌剤治療をする。

大きくなってからでは遅いので、今の内に治療する。

進行期なので、治療をしても再発の可能性あり。

術後の治療はやらないよりはやったほうが良い。

出来るだけ抑え込む。

以上のような説明でした。

 

あとは、抗癌剤の副作用についての説明があれこれ。

一般的に知られている痺れ、脱毛、吐き気、白血球の減少により感染しやすく発熱、1~3%の死亡率、他色々盛り沢山。

 

一番気になる入院期間は?

今度の入院は4カ月は予定していて下さいと。

お正月は家で過ごしたかったので、年が明けてから再入院することに。

術後の痛みはまだ激しく、こんな状態で更に厳しい治療かあ・・・

私は頑張るのだ~!

 

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ラナンキュラス


手術後~退院

2012-03-22 09:54:00 | 2007年のできごと

 

ICUでは丸一日過ごし、手厚い看護を受けた。

背中のチューブから痛み止めの薬を入れる時に、「薬が体に合わなくて吐き気を訴える人もいます。」との事だったが、

入れた瞬間、「おえ~!吐きそうです!」

実際嘔吐してしまった。お腹の中は空っぽだったけれど。

確かその薬は「アヘン」と聞いたような気がするのだが、意識朦朧中での事だったので、間違っているかも知れない。

その手の薬は私にはNGのようだ。

 

次の日、お昼前に一般病室に移動。

ここは4人部屋で、手術後間もない患者が集まっている。

みんなお仲間♪

昼食のおかゆを半量以上食べれば点滴を外して貰えるというので、全く美味しくない薄いおかゆを頑張って流し込む。

人生は修行の連続。

でもこれで点滴から解放!

あと煩わしいのは胸腔ドレーンのみ。

あ、背中にはチューブが入ったままだが、これは邪魔にならないので。

ドレーンの取扱いは面倒。お手洗いに行く度に本体(バッグ)をベッドの脇に置いてあるスタンドから外し、それを肩に掛けて持ち歩かなくてはならない。

どこも痛く無くて元気な時なら、どうということない動作なのだが、一苦労なのですよ、これが。

何しろ強烈な痛みがずっと続く中、電動ベッドでじわじわと上体を起こし、これ又じわじわと向きを変えてベッドから降り、ここまで10~15分。

次にそろ~としゃがんで、スタンドのロックボタンや消音ボタンを押し、スタンドとの接続部のチューブを回したりやなんやかんやで外し、肩に掛けて立ち上がり・・・

もうあまりの痛さに失神しそう。

でも自分の事は自分でしなくてはね。みんなやっているんですから。

動く方が回復が速いですし。

「退院、退院」と呪文を唱えながら頑張りましたとも。

 


11月30日、 このドレーンとやっとお別れ。抜いた痕をチクチクッと縫ってもらう。身軽になり、洗面台でシャンプーをして貰う。とっても気持良かった♪

12月2日、 背中の痛み止めのチューブを抜く。

12月3日、 シャワー浴開始。手術痕にもドレーン痕にも厳重に防水は施されているが、最初はびくびく。でも久し振りにさっぱりすっきり。

12月7日、 全抜糸。

 

この入院中に友人がお見舞いに来てくれた。

年に一度は必ず会っていた、東京に住む友人。

私は生まれてからずっと関西。

嬉しいより申し訳ない気持ちのほうが大きかった。

心配かけるといけないので病名は伏せていたのだが、夫が白状させられたらしく。

Fさん、あの時は本当にありがとう♪

貴女の優しさと、そして貴女の思いが詰まった綺麗なお花に、どんなに癒されて元気が出たことでしょう。

又おばちゃん二人でディズニー・リゾートに行きましょうね。

 

術後の経過は良好で、2007年12月13日 取り敢えず一旦退院。

病理検査の結果は、この時まだ出ていなかった。

 

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肺癌手術当日

2012-03-18 09:28:00 | 2007年のできごと

 

2007年11月27日 8:50 家族に見送られ手術室へ。

全身麻酔+硬膜外麻酔が施されます。

硬膜外麻酔は背骨の中の脊髄のそばに細いチューブを入れ、そこから麻酔薬を注入します。

手術後もここから麻酔薬や鎮痛薬(麻薬)を入れることができます。

全身麻酔で呼吸は止まるので、管を口から気管の中まで入れます。

この管を通して人口呼吸。

私が眠っている間に手際よく順調に手術は行われたようです。

右上葉切除とリンパ節郭清。

 

手術終了して麻酔から覚めると同時に、「大きく息を吸って下さい。」と主治医の声。

うっ!息が出来ない。苦しい~!と焦る。

手術中は自力で呼吸していなかったので、意識しないと呼吸出来ません。

もう一度医師の声。「はい大きく呼吸して。」

ああ息が出来た。良かった♪ 死ぬかと思ったよ。

喉から管がずるずると抜かれる。

周りで何やら難しい医学用語が飛び交っています。

寒い!冷凍庫の中にいるように寒い。

又主治医の声。「電気毛布被せてあげて。寒がっている。」

なんて頼りになる先生なのでしょう。

すぐに温かい物が被せられた。

でもまだ全身ぶるぶる、歯はガチガチ。

「もう1枚被せて。」と適切な指示。

じわぁっと温かくなって来ました。感謝、感謝。

 

12:45 ICUに移動。

暫くして家族や親戚と面会。3名以内で5~10分以内の制限。

「良かった、良かった。」と口ぐちに言っている声が聞こえました。

お礼の言葉をひとことでも言いたかったけれど、目は開かないし、返事も出来ない。

次に姉が面会に。

姉の話しかける声にやっと頷く事が出来ました。

 

家族は主治医から手術についての説明を受け、切除した物も見せて貰ったそうです。

感想は「レバーみたいやったな。」だそうで・・・

私も一目だけでも見たかったですが、それはすぐに病理検査に回されました。

 

 

ICUでの格好、なんだか笑えますね。

足に装着したこのエアマッサージャーが気持ち良くて気持ち良くて。

後はもう痛くて痛くて・・・

切ったのが肺なので、呼吸する度にとんでも無く痛いのです。

エアマッサージャーだけが生き甲斐(笑)

足の先の方から段々と上に向けて圧迫して来て、一番上まで達するとパッ弛緩して、又圧迫が始まっての繰り返し。

一生着けていたいと思いました。

退院の折りにはお持ち帰りしたかったです。

 

取り敢えず、手術はこうして無事終了しました。

 

 

今回もコメント欄は閉じています。

 

 


手術までに

2012-03-15 15:09:00 | 2007年のできごと

《手術前日までに》

主治医から、手術についての詳しい説明を受け、手術承諾書と輸血承諾書を提出。(結局、輸血は受けなくて済んだ。)

麻酔科医師から、麻酔と痛みどめについての説明を受ける。

手術室看護師から、手術室での流れについて説明を受ける。

病室看護師より、検査や手術前後の流れに関して、そして揃えておくべき物品について説明を受ける。

手術後に備えて腹式呼吸の方法、痰の出し方の指導を受ける。(術後、腹式呼吸の大切さを思い知る。)

手術中の血栓防止ストッキングを受け取る。


《手術前日》

緊急連絡先の再確認。

21時以降は絶飲食。下剤を服用。

就寝前に眠剤を服用。(薬嫌いの私はこれは断った。)


《手術当日の朝》

7時浣腸。用を足した後、出た○○○を看護師に確認して貰う。(顔から火が出るほど恥ずかしかった。)

手術30分前に着替える。パンツに血栓防止ストッキングに寝巻き。(この格好で手術室まで歩いて行った。)

 

  

入院前のバタバタの中、もしもの事態を考えて、一応自宅の自分の部屋の片付けをした。

残しておいたら具合悪い(格好悪い?)かなというような物を色々と処分。

あんな物(?)やこんな物(?)。笑。 

後から思うに、どれも大した物じゃ無かったけれど。

断捨離には入院はちょうど良い機会になるかな。

 

手術前日、何の緊張感も無く普段通りに過ごせた。

でも家族は心配でいっぱいだった事だろう。

代われるものなら代わってやりたいと涙を流した、当時はまだ初期認知症だった母。

次の日には、すっかり忘れ去っていたようだが。

初めて認知症に感謝したものだ。

心配かけるのと、心配するほう、どっちがより辛いのか?

う~~~ん・・・

 

 

今回もコメント欄は閉じています。

現在進行形の出来ごとを書いた時のみ開けようかと思います。

ご了承下さいね。

皆様の応援は、ちゃんと心に届いております。どうもありがとうございます。

はやく現在に追いつくようにサクサクっと過去の出来事を書いてしまわなくては。

 

 

 

ラッパ水仙  先日病院にて

 


手術前の説明

2012-03-13 13:30:00 | 2007年のできごと

 

入院前、そして入院してからも、手術の日まで何回か主治医から説明を受けました。

もう4年以上も前のことで、忘れてしまっている事柄も多いのですが、思い出しながら記録しておきます。

 

肺は右が上葉、中葉、下葉、そして左が上葉と下葉に分かれています。

私の右の肺上葉に大きい濃い影と多数の怪しげな薄い影、そして右下葉にも幾つかの小さな薄い影が見つかりました。

どうやら酷い咳の原因は、気管のすぐそばで癌が大きく成長していた為だったようです。

場所が違っていて咳が出ていなければ、発見はもっと遅れていて大変な事態になっていたでしょう。

早期発見でなくて残念ではありましたが、まだまだ運の良いほうだったのでしょう。

 

さて、この上葉と下葉の複数の薄い影が無ければ、1期。

これらが転移した癌細胞であれば、3期後半から4期になるらしいです。

後者だとすると手術は不可に。

しかし、肺癌患者で50代はまだまだ若く、3期後半よりも進んだ癌とみなして手術を諦めるのは勿体無い。

最も楽観的な考え方をすると、

一番大きな影は原発癌で、その周りは転移したものではなくて多発の1期の癌。

何度も何度もこの「最も楽観的に考えると・・・」という前置きを聞かされました。

可能性としては、かなり低い確率なんだなと受け取りました。

この病院では、一人ひとりの入院患者につき、内科と外科の医師でグループを作り、その中で治療方針が話し合われ決定されます。

勿論、最終決定は患者本人です。

何人もの経験のある医師が知恵を出し合い決めて下さった手術。

手術自体の難易度は、その病院で行われている手術の中では中程度よりやや低めに位置するそうです。

幸いにも私のその時の主治医は経験豊富な外科部長。

私は迷い無く手術を受ける事にしました。

「50代は若い。」と繰り返し言われ、気を良くして・・・というわけでは決してありませんよ。

恐らく癌の進行度は1期ではないだろうとは思っていましたけれど。

しっかり現実と向き合わなくては。

 

今回、コメント欄は閉じています。

 

 

 

菜の花   先日病院にて