まねき猫舎

今朝の新聞から


昨日は新聞を読むタイミングを外したので、今朝、2日分の新聞に目を通しました。
熊本市長選の見出しに「鋭い!」と思い、数年ぶりに隅々まで目を通している西日本新聞です。

我が家は、父の仕事の関係上、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日経新聞に加え、西日本新聞、佐賀新聞と、毎朝6紙が届いていました。
その6紙に目を通す事からスタートしていた父の朝。
昭和40年代後半のこと。
そんな中で生活していたので、新聞は身近な存在でした。

が、これがまた読まないんだな(笑)
小学生の時は図書館の本はほぼ読んだというぐらいに本好きだったのですが、なぜか新聞は父のモノというのがあったのか、大学で家を出るまで新聞を読んだ記憶はゼロ(笑)
そんな私が新聞を読むようになったのは就職活動中でした。
当時の日本は、まだまだバブルの恩恵があり、会社説明会に行けば、往復交通費や宿泊費はもちろん手土産までいただけていた頃。
父の命で参加した西日本新聞社のセミナーで楽しそうに仕事の話をする佐藤さんという女性記者に出会い、「これだ!」と新聞記者になると思ったのです(笑)
新聞記者が何たるかもよくわからずに(笑) 直感で動くのは今も昔も同じです(笑)
その足で、スチュワーデスを志願していた幼馴染みのとこに行き、「私、新聞記者になるわ!」と宣言したら、かえって来た言葉が「新聞記者? 新聞読んだことある? フジコが新聞記者になったら新聞の世界が変わるわ(笑)(笑)(笑)」と大笑いされました。

結局、書くという仕事にはつけましたが、新聞記者は幼馴染みの預言通り、論文はA判定をもらっても一般常識の無さで途中敗退…。

そんな思い出がある新聞ですが、社会人になり半世紀以上生きていると、自分の引き出しを埋めるに新聞は最高のツールとなりました。

で、今朝、二日分の新聞に目を通していたら、懐かしい名前を見つけました。

熊本大学名助教諭徳野貞雄さん

三十後半から四十前半にかけて、地域社会学を教えていらした徳野先生のセミナーを受けに月に数回福岡に通っていたのです。
独特の観点で地域を紐解いてゆく徳野先生の話は、毒舌満載でしたが人間味と人情がありグングンひかれていったのを覚えています。

そんな徳野先生の事が八段ぶちぬきで紹介されていました。
限界集落と言われた熊本県多良木町槻木地区の話しでした。
集落存続を目指し、住民と役場と研究者とマスコミが共同して行った社会実験。
動き出し良い風が起こり始めた頃、政治の影響で急遽打ち切りになり、移り住んだ一家は地区を去ることに…。
ただ、それが行政批判や失敗談としてではなく、じゃ、それを糧に今後どう高齢者がより良く暮らせるようにするか…という方向へもっていかれていました。
そして、徳野先生の言葉として、
人口が減少しても、安心して暮らしていけるシステムをどうつくるかが大事
と締めくくられていました。
これから人口減は当然のことの認識から出発しないと、地域を前に進めていく政策は生まれないのではないか。
と書かれていました。

時々、定住移住などに関して意見や考えを求められることがあります。
そのたびに、『むやみやたらに人を増やすんじゃなくて、そこに住んでいる人たちが住んでいる人たちでどうしたら生活を持続していけるかを考えるのが先なんじゃないのかな?』と言ってきていました。

記された徳野先生の言葉に、取材された記者の方の言葉ではないですが、私もストンと腑に落ちました。

人口減は避けられないこと。ならば、そこからの発想で、人が減っても住んでいる人が生活しやすい環境を作りだす。
人というコマを、人口が多い都会から人口が少ない田舎にチェスのコマように動かすのではなく、少ないところは少ないを前提に、どうしたら住みよくなるか考える。
住民、移住者、研究者、行政、マスコミ…色々な立ち位置の人がチームとなり、そこで生きることに真摯に向き合いチャレンジする。

記事を読みながら、久しぶりに徳野先生の毒舌と人間味ある話を聞きたくなりました(笑)

と同時に、地域観光学という部分の私の中には、九ムライズムと同時に徳野イズムも少なからず影響していると思った今朝の新聞でした。
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