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地中海の『美の島』コルシカ島 34 < アジャクシゥ 4 > コルシカ島全体の首都を徹底解剖

2021-11-08 00:39:59 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : アジャクシゥの旧港とシタデル

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



コルシカは島国である以上やはり港抜きでは語れない

Map by ⒸGoogle Map

地図の一番下の出っ張り部分が「シタデル(城塞型旧市街)」で
そのまま北側に「旧港」と繋がっている
そこは今では漁港と小型プレジャーボートの専用になっている

その上の点線が出ているところ(航路)が大型船

一番北側が新港で大小プレジャーボートが使っている

『Vieux Port d'Ajaccio (旧港)』

岸壁に並ぶ建物の左端に「シタデル」の石垣が見えており
中ほどの建物のないところは「フォッシュ広場」


この写真の方が「シタデル」が分かりやすい


前の写真の位置を正面桟橋の一つから見る
右端が「フォッシュ広場」



ほぼ同じ角度


岸壁から逆向きで

北側に隣接する航路の大型船用の波止場を見ると


中型クルーズ船もいれば


超大型クルーズ船もいるし



フェリーも当然いる
そして新港も一目見てみよう

『Nouveau Port d'Ajaccio』




その旧港に連なるように街の最南端の張り出しに「シタデル」がある
星型に城壁の石垣で囲まれている
陸側は空堀で囲まれ海側はそのものズバリ海がお堀となる形


『Citadelle d'Ajaccio』


城壁の真下のわずかな浜辺は夏の間は格好の海水浴の場となる





堀を渡る橋は二つ


アーチひとつの橋と




アーチふたつの橋


アーチふたつの橋の方が中央の入り口になっている





ただしバスティアのシタデルのように中が「旧市街」というわけではなく
軍の施設になっている
したがって中には入れない




そのシタデルから西へ海岸道路が「アジャクシオ湾」の北岸の西端まで続く


ちょうど「シャルル・ド・ゴール広場」の前あたりの海岸


ナポレオンの騎馬像を背にするコチラグァの階段を降りた通りの向かって左側あたりに
カジノがある


『Casino municipal d'Ajaccio』




「アジャクシオ市営カジノ」はコルシカ全島で唯一のカジノ
フランスは市街地にカジノを設営することは許されていらず
リゾートに限定されている
「アジャクシゥ」は都会だがコルシカ全体がリゾート立国の土地なので
中心の町にカジノが置かれた


上の写真よりもう少し西側まで進んだ位置から振り返る
一番右端の先端が「シタデル」の位置
画面のど真ん中で白い雲の切れ目のあたりが「シャルル・ド・ゴール広場」
ちょうど広場の横あたりにカジノがある


反対向きだとこう見える
さらにもうしばらく西進して


この辺りまで来ると
海岸道路は海からほんの少し内側に入って海面は途切れ途切れにしか見えなくなる
そのうち



なぜか礼拝堂が並んでいると思ったら
墓地だった
コルシカの海の民の墓石はとにかく大きい
それぞれが大きさの差こそあれ一軒の礼拝堂のような作りとなっている


門まで付いている


木立の奥まったところにも



道路に面して3棟並んだ霊廟も


『Entrée de la Cimetière d'Ajaccio』

墓地の中央エントランス
その他にも別に二カ所のゲートがある



敷地内は例によって戸建のような霊廟がずらりと並ぶ



しかし敷地内の霊廟の方は道路沿いにあるものより小ぶりだ
道路沿いに有力家系が個別に立てていた大規模な霊廟の集まる辺りに
後から墓地を作ったのか
有力家系が墓地の外の道路沿いに敢えて大規模な霊廟を立てたのかは
浅学にして分からない



道路沿いの敷地は壮観
とにかくコルシカの墓標は大きい
ちなみのこの道路は「墓の道」という通称で呼ばれている

やがて道路左側の家並みが途切れてまた湾が見えてくると
オレンジ色の鮮やかな礼拝堂が見えてくる
『ギリシア人の礼拝堂』

『Chapelle des Grècs』

その昔
ペロポネソス半島のある街からジェノヴァに渡って来ていたギリシア人たちの一部が
その後コルシカ島にもやってきて
アジャクシゥとその北の港町「カルゲーゼ」に入植した
そのギリシア人入植者たちの「東方教会」の礼拝堂


正面入り口の扉の上に銘板がある



1632年建立とある銘板



背後は垂直の崖ですぐ海


東方教会は正十字型で交差部には円蓋が乗るが
これは単に礼拝堂なので単純に長方形で立てられており
後陣も四角


左側面の壁面の上部にもも銘板がある


ナポレオンの兄ジョゼフの回想録の一節が記されており
彼が弟ナポレオンとしばしばこのあたりまで散歩に来て
時間とともに天候によっても刻々知変わる海の色合いの美しさを愛でたことが
書かれている

このまま西に向かって進むと湾の最西端「サンギネール諸島」に向き合う
『パラタ岬』に通じている


Map by ⒸGoogle Map


パラタ岬からサンギネール諸島を望む




岬の先端は浸食の具合がもう少し違っていれば島になっていただろう地形で
細い砂州で辛うじて繋がっている




岬の最先端は小山になっていて頂上にジェノヴァ時代の塔がある
その小山の方から岬の駐車場を振り返るとこう見える



最上部の張り出した水平狭間(石落とし)の部分は欠落の具合が一定ではないので
見る角度によって形が異なって見える


「サンギネール諸島」は二つの小島と一つの岩礁と一つの島とで成り立っている



左から「ポーリ島」
その右に小さく「イソロット(岩礁島)」
その向こうに「サンギネール本島」
「カラ・ダルガ岩礁」はわかりにくいが本当の左端


本島には手前の山の上に灯台があり中ほどの山の上に塔がある


岬の塔と本島の灯台と小さく本島の塔が撮っている




=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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地中海の『美の島』コルシカ島 33 < アジャクシゥ 3 > ナポレオンの軌跡 3

2021-11-05 00:33:27 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : ボナパルト家の菩提寺「帝室礼拝堂」

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



今回は再度アジャクシゥの大聖堂から始めよう


母親「レティシア」が産気づいた場所
ナポレオン・ボナパルトが洗礼を受けた場所
「セント・ヘレナ島」から無言の帰還を果たしたナポレオンへの追悼のミサを行った場所
『被昇天の聖母大聖堂』




『Cathédrale Santa Maria Assunta / Cathédrale Sainte-Marie de l'Assomption』

着工が1583年で完成に10年を費やした「反宗教改革様式(ジェジュイット様式)」
内装はバロック



正面の小さな広場はやや低いので
ここから見ると左後方にある鐘楼はほぼ見えない



身廊と翼廊との交差部(十字架型の中心)は明かり取りの小塔が乗った大円蓋
鐘楼の頂点も明かり取りの小さな丸窓が並ぶ円蓋の上にさらに小塔



中央のポルタイユ(扉口)は単純な長方形で
上部に建立に至る年度や建設に尽力した人物名などが書かれた銘板がある



中は外から見て想像するよりかなり広大に感じる



交差する天井の天蓋から明るい光が差し込んでくる







一番奥の主祭壇とその上のネジ柱を持つルターブル(祭壇衝立)は
女性ながらルッカ大公となったナポレオンの妹エリザが寄進した
もともとはルッカの廃止された教会にあったもの
ちなみに彼女は「トスカーナ大公」でもあった



振り返ると
ポルタイユを入った上に定石通りにパイプ・オルガンがあるが
支え方がかなりユニーク





飛行機の両側にジェットエンジンが突き出ているように
主催団のある内陣と同じ東向きで翼廊にもそれぞれ祭壇がある
北の翼廊に二つ南に一つ


北側の翼廊最初の礼拝堂


北側翼廊二番目の礼拝堂「ピアント礼拝堂」『Chapelle Santa Maria del Pianto』

北側の「ピアントの礼拝堂」の祭壇画は
ドラクロワの『信仰の勝利 または 聖心の乙女』


『Triomphe de la Religion ou Vierge au Sacré Coeur』Dracroix(1822)

その部分の天井の細工は素晴らしい



反対側の南の翼廊の礼拝堂「ロザリオ礼拝堂」は装飾は控えめ


『Chapelle du Rosaire』

この礼拝堂は
後述する「帝室礼拝堂」が「フェスチ宮殿」に建設されるまで
ボナパルト家の墓所であった

もう一つ北側の翼廊の先端に四番目の祭壇「慈悲の聖母礼拝所」があって
その祭壇上部に街の守護聖人である「慈悲の聖母」像が
外からの光を巧みに利用して神々しく安置されている


『Chaelle Latérale de Vièrge de la Misericorde』


 『Notre-Dame de Misericorde (慈悲の聖母)』

内部が暗い時には



こう見える

ところで大切なものがもう一つ
「洗礼盤」


『Les Fonts baptismaux(洗礼水盤)』

この見事な細工の青銅製の大きな蓋のついた白大理石の洗礼盤で
「ナポレオン・ボナパルト」は
1771年7月21日2歳の時に洗礼を受けた


洗礼水盤の蓋の部分

教会の十字形交差部の柱に
ナポレオンの「辞世の言葉」を記したローズピンクの大理石板が嵌めてある



『もし私がパリから拒否されるなら 
私は
私という人間が拒否されたということを受けて
私の屍は
アジャクシオのカテドラルに
私の先祖たちが眠るすぐそばに葬って欲しい』

ちなみに
彼が生きている頃にはまだ
叔父のフェッシュ枢機卿の宮殿に「皇室礼拝堂」はなかった

実際は
『私は
できることなら私が大好きだったセーヌ川の見えるところに
葬られたい』
という辞世の言葉の前半にそって
パリのセーヌ河沿いの「アンヴァリッド」に
『フランスの皇帝ナポレオン1世』
として葬られている


『Tombeau de Napoléon 1er Empéreur des Français』

パリ「アンヴァリッド」にて撮影

ちなみにこの「サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂」では
重要な儀式が執り行われる
『ア=マドンヌッチア』


『Statut de Notre-Dame de Misericode (慈悲の聖母像)』

毎年3月18日アジャクシゥで行われる「時hの聖母マリア」のお祭り
は17世紀半ばにさかのぼる
ペストの大流行に悩んでいたイタリアでジェノヴァ共和国の町であったアジャクシオも
被害から免れなかった
1世紀ほど前の1530年代に
イタリアのヴォーネでペストの流行への保護を願ったある農夫の前に現れたマリアが
町をペスト禍から救い
『アヴォーネの慈悲のマリア』として敬われていた
その「慈悲に聖母」をアジャクシアの町の守護聖人にいただくことを決めた
1656年11月16日から「慈悲の聖母像」を半年かけて準備し
翌年3月18日にそのマリア像を讃えるお祭りをすることになったのが
『A Madonuccia』


大聖堂のロザリオ礼拝堂から出る「慈悲のマリア像」

前日17日21時に前夜祭として大聖堂からフォッシュ広場までの行進が行われ
18日10時からの記念礼拝
その様子は「バチカン・テレビ」で世界中に中継される



18時からいよいよ夜間大行倖が始まる
年にもよるが
バチカンから20名ほどの枢機卿も参加し「慈悲の聖母」が
町を練り歩く





カテドラルを出た「マドンナ」は


大勢のアジャクシオっ子を引き連れて


旧市街を練り歩き



途中
『Eglise Saint-Roch 聖ロック教会』で荘厳なるミサを執り行う


そのまま「フォッシュ広場」下された「マドンナ」は
特製の厨子に安置され
広場中にあふれる人々に囲まれて夜のミサ








そして夜遅くに大聖堂にご帰還になる



『バチカン聖務院(宗教法務省)』の直々のお墨付きの
公式行事なのです


では場所を変えて
ナポレオン所縁の場所の最後に『フェッシュ宮殿/帝室礼拝堂』に行ってみよう


『Palais Fesch』Photo by ⒸGoogle Map

『フェッシュ宮』は
革命政府が仏国内の教会財産を競売に付したことで
ローマ教皇から破門されていたフランスを
ナポレオンの謝罪で破門を説いた『レオン7世』が枢機卿に任命した
ナポレオンの母方の叔父「ジョゼフ・フェッシュ」大司教
のアジャクシゥの枢機卿宮殿


『Palais Fesch』


フェッシュ枢機卿








右側の部分が「帝室礼拝堂」



『Chapelle Impériale』

この「帝室礼拝堂」は
ナポレオンの甥「ルイ=ナポレオン」が2月革命の後大統領に選ばれて第三次共和制をしき
その後クーデターで議会を廃止して皇帝となり第二帝政を敷いた「ナポレオン3世」が
1857年に建設した

この礼拝堂には写真右端の先にある通りからも入れる



通りに面した扉口




内部の地上階は礼拝堂





祭壇の上の磔刑のキリスト像はコプト教徒のもので
エジプトから贈られた



平面図はギリシア正十字(たてよこ同じ長さの十字架)型で
交差部の天井は大天蓋になっている



このクーポラ(円蓋)のレリーフ群は「トロンプ・ロイユ(だまし絵)」



ステンド・グラスはフェッシュ枢機卿の紋章



交差部の床の中央に鋳鉄細工のまる蓋があり



透かし彫りの鉄の蓋の下のクリプト(地下祭室)が
ボナパルト家の霊廟(墓所)



クリプト
暗色の大理石の一つ一つが墓石で



左が「シャルル=マリー・ボナパルト」(父親)
右は「マリー=レティシア・ロマリーノ=ボナパルト」(母親)






礼拝堂(地上階)と墓所(地階)とを結ぶ階段

ところで
この「フェッシュ宮」はアジャクシゥ私立美術館として使われている
基本的には「フェッシュ枢機卿」のコレクションの遺贈が元となって造られた


『Musée des beaux Arts de la Ville d'Ajaccio』




絵画彫刻などが主な展示だがボナパルト家に関するコレクションもある


ナポレオンの家族の彫像の部屋

ナポレオンの胸像


妹ポーリーヌの胸像


レティシアの肖像


戴冠式の装束のナポレオン






一般のコレクションも素晴らしい


ボッティチェルリ『聖母子と聖ヨハネ』


ベリーニ『聖母子像』


ヴァザーリ『聖ヒエロニムス』


ニコラ・プッサン『パクトール川水源でのミダス王』


ジェゼフ=トマ・ショタール『サフォー』

フェッシュ枢機卿の書庫もすごい量と質の高いもので
現在はアジャクシゥ市立図書館扱いになっている



「アジャクシゥ」の項 続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
皆様のご意見ご要望とご感想を是非送ってください
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地中海の『美の島』コルシカ島 32 < アジャクシオ 2 > 島の首都を徹底解剖してみる

2021-11-03 00:25:27 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 『シャルル・ド・ゴール広場』の4兄弟に囲まれた皇帝ナポレオン騎馬像

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた



今回も「ナポレオンの奇跡」をたどりましょう
「アジャクシゥ」にはナポレオンを顕彰する像が三箇所あります
「フォッシュ広場」
「シャルル・ド・ゴール広場」
「オーステルリッツ広場(グロット・ナポレオン」
それぞれスタイルが異なるのです


Photo by ⒸGoogle Map

「アジャクシゥ」の街中に
西のやや高くなった位置から東の「旧港」にむかって一直線の空間がある
両端に二つどちらも長細い広場があって
西端の「オーステルリッツ広場(グロット・ナポレオン」)」から
東端「フォッシュ広場」まで
まっすぐ道路で繋がって抜けているのです
東端の「フォッシュ広場」のやや西側には「シャルル・ド・ゴール広場」がぶら下がる

まず『フォッシュ広場』を見てみよう


『Place Foch : Fontaine de 4 Lions avec le Statut du Premier Consul 
フォッシュ広場/4頭のライオンの噴水と第一執政像』


この広場には「執政ナポレオン・ボナパルト」の大理石像の噴水がある
『四頭のライオンの噴水』という名が付いている





この写真の彼の後ろの空間が「オーステルリッツ広場」まで一直線に抜けていて



オーステルリッツ広場の「グロット」と呼ばれる岩場に
皇帝ナポレオンの軍服姿の銅像が建っているのです


後ろ姿

「グロット・ナポレオン」の位置からは大変距離があるがこの様に見えるはず
港がすぐ近くなので



彼の頭にはカモメが頻繁にとまっている

古代ローマ共和国の末期
「カエサル」「ポンペイウス」「クラッスス」で実権を握り
さらにカエサル亡き後
「オクタビアヌス」「アントニウス」「レピドゥス」で三頭政治を行ったのち
「オクタビアヌス」が権力を掌握して共和制から皇帝制度に移行した
その三頭政治の時代になぞらえて
「ボナパルト」「カンバセレス」「ルブラン」
で革命政府に三執政政府を作った
その「第一執政ナポレオン・ボナパルト」が「共和制ローマ三頭政治」時代の執政の衣装で
この像が作られた

また
この広場では春から秋までのシーズンは毎日午前中市が立つ


『Marché principale d'Ajaccio アジャクシゥ中央市場』




海の国コルシカの海産物は種類が豊富



そして山の国コルシカの名物生ハムとドライ・ソーセージの種類は非常に多い




山に放牧されている羊と山羊の乳で作るコルシカのチーズは絶品



この「フォッシュ広場の市場」が旧来から町の日常の食品流通の要だったが
数十年前に建屋の中央公設市場も近くに作られ
さらに最近は町の中心部に近代的な2500m2ほどもある大型の中央市場が作られた
小売の業者はそちらに移動して他の場所の市場の業者と統合し
広場の青空市場は近郊農家の直販専用として残されるという

さらに
ヴァカンスのシーズンは毎日
オフシーズンは毎木曜日午後19時に
共和国革命軍(ナポレオン軍)の制服に身をまとった出演者たちによるアトラクションも
繰り広げられる









銃器大砲は空砲を放ち
観衆は耳を押さえて大騒ぎ
ある種の「衛兵交代式」のような感じになる


この「第一執政の衣装のナポレオン・ボナパルト像」は
ナポレオンの叔父「フェッシュ枢機卿」によって
1802年から03年にかけてアジャクシゥ市に寄贈された


『Cardinal Fecsh フェッシュ枢機卿』






では次に
ほど近い「シャルル・ド・ゴール広場」に移ろう


『Place Charles-De-Gaulle : Statut de Napolèon avec ses 4 Frères』

この広場は町の美観に貢献しているとは到底思えないが広さだけは十分
というかなり無粋な場所なのですが
第一執政のボナパルト像のある「フォッシュ広場」から西に伸びる
「プルミエ・コンシュル(第一執政)大通り」のつながりの
「アヴェニュー・ド・パリ(パリ大通り)」を北辺に
南の海岸通りまでの変形の四角い広場で



その広場の海岸通りに寄った辺りに「ローマ皇帝」の衣装のナポレオン騎馬像が
彼の四人の兄弟たちの像に四方を守られて立っている





「ナポレオン・ボナパルト」は8人兄弟
4人の兄弟と3人の姉妹がいた

長男が『ジョゼフ』
のちのナポリ王「ジョゼッぺ1世」 スペイン王「ホセ1世」となる


『Joséph』

ナポレオンを挟んで三男が『リュシアン』
イタリア「カニーノ公」


『Lucien』

長女を挟んで四男は『ルイ』
ホラント(オランダ)王「ローデウェィク=ナポレオン1世」 フランス「サン・ルー公爵」


『Louis』

二女三女を挟んで五男が『ジェローム』
ヴエストファーレン王「イエローメ1世」 フランス「モンフォール伯爵」


『Jérôme』

これらの兄弟に四方を守られて『皇帝ナポレオン1世』が


『Empereur Napolèon 1er』

ローマ皇帝の象徴である月桂冠をかぶり馬上豊かに威風堂々と置かれている
ちなみに古代ローマ時代には乗馬の際の「あぶみ」はなかった



花壇越しに



このすぐ左下は海岸通り
おりて右に行くとカジノがある

話はそれるがこの広場にはブーゲンビリアの花トンネルがある





この広場はコルシカがフランス全土で一番最初に
独伊枢軸独裁国の占領から解放された1943年から70周年の2013年に
コルシカ解放をドゴール将軍がロンドンから来島して祝福したことを記念して
『シャルル・ド・ゴール広場』』
と改名されコルシカ解放の記念碑が置かれた





では三番目の広場『オーステルリッツ広場』に行ってみよう

「フォッシュ広場」から西にまっすぐ伸びる一直線の道路は徐々に上り坂になってゆく
広場自体は通常は何もない長細い長方形の広場だが突き当りが小高い岩山になっていて
「グロット(洞窟)」と呼ばれ
その斜面に高いピラミッド型の造作のてっぺんに
巨大な「軍服姿のナポレオン」が居る



この斜面はこの写真で見るよりずっと高いのです
一番下の左右に
生年と没年が刻まれた「皇帝の鷲」が守りを固めている




 
今年はナポレオン没200周年

この石の斜面には
彼が生涯に戦った戦場の地名が書き記され
その次に
彼が国家にもたらした功績が各記してある



「民法の制定」
「(近代的)大学制度の確立」
「フランス銀行(中央銀行)設立」
「レジオン・ドヌール(叙勲と顕彰制度)設立」
「国家会計検査院の設立」
「ローマ法王との和解」
「国務院の設立(憲法裁判所兼国務諮問会)」

そしてここには書かれていないが最も大きな功績のひとつが
「メートル法の制定」だろう



彼の功績を記した下に「月桂冠」が彫り込まれている




最上部には名前と皇帝の鷲



石の斜面の急な階段以外に裏側からも上り下りできる
世紀の齢を重ねた大樹と



大岩の折り重なったところがあって
「グロット(洞窟)」と呼ばれる所以となっている



階段の途中で振り返ると
「オーステルリッツ広場」の全容と「フォッシュ広場」の先の港の位置まで
見通せる



彼はその光景を見下ろしている



広場自体の入り口はシッカリしたゲートがあって
その壁の一部に青銅板がはめてある



生年月日と没年月日
イニシアル『N』を囲む月桂冠というナポレオンの紋章の左右には
左側には剣や大砲
右側には民法典とその他の法規
が絵が描かれている



階段は150段くらいあるので
この斜面の急さ加減と
ナポレオンの像の巨大さがお分かりいただけるだろう









「アジャクシゥ」の項はまだ続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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地中海の『美の島』コルシカ島 31 < アジャクシオ 1 > 島の首都を総解剖してみる

2021-11-01 00:48:21 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 革命政府第一執政ナポレオンの像の立つフォッシュ広場

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残るゆえに「美の島」と呼ばれてきた


山里を訪れてきたが
いよいよ島の首都『アジャクシオ』を目指して下って行こう

ほぼ真っ直ぐ北上していた国道196号線が
先回訪れた「サンタ・マリア・シッシェ」に向かう県道83号線との分岐点から
西に曲がって高地を海に向かって下り始める


『Golfe d'Ajacciu / Golfe d'Ajaccio』

湾の北側から海が見え始めるとすでに「アジャクシゥ」は眼下に
分岐点から25kmほどで『アジャクシゥ(アジャクシオ)』に至る

「Corse du Sud (南コルシカ県)」の県庁所在市は「アジャクシゥ」
そしてコルシカ島全体の首都も『アジャクシゥ/アジャクシオ』なのです

「アジャクシオ」に達すると
並木が防風林のように海風に吹かれ続けて傾いてならんでいる



「アジャクシオ」湾の一番奥から北岸の全域を
西の先端の「パラタ岬」と「サンギネール諸島」までを占める

Map by ⒸGoogle Map

地樹上で赤線で囲ってあるのが「アジャクシゥ」の市域
しかし何と言ってもこの町の売りは「ナポレオンの生誕地」だということだろう

オーステルリッツ広場のナポレオン像

ナポレオン所縁の場所は何箇所かある
像の立つ「フォッシュ広場」「シャルル・ド・ゴール広場」「オーステルリッツ広場」
生家である「ボナパルト家の屋敷」
洗礼を受けた「サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂」
一族の墓所である『帝室礼拝堂』のある「フェッチ宮」

まず彼の誕生から彼の足跡を追って行こう


『Cathédrale Santa Maria Assunta』

時は1769年8月15日
母親レティシア・ボナパルトはこの「被昇天の聖母大聖堂」で
日曜日のミサに臨んでいて陣痛が始まった
彼女は家族に支えられながらころびつまろびつヨロヨロと屋敷へ向かう
カテドラルに向き合って左横の小道を進み



一本横道を横切ってそのままさらにまっすぐ進むと
左側にある小さな庭園に向き合う右側が「ボナパルト家」の屋敷

逆向きに見る屋敷の前の通り

上二枚の写真はいずれも逆向きにカテドラルの方向を向いている


玄関口のすぐ上の壁面に
「1769年8月15日 ナポレオンがこの家で生まれた」
と記した大理石の銘板がはめてある



玄関を入るとすぐの階段を二階に登った母親レティシアは
自分の寝室を目指したが手前の控えの間で動けなくなりそのままそこで出産した


ナポレオンの誕生した部屋



その次がレティシアの寝室


レティシア・ボナパルト=ポラリーノの寝室



彼の姓名は『ナビオーロ・ブゥオナパルテ』という
「ナビオーロ」をフランス風に言うと「ナポレオン」

「ブゥオナパルテ家」は
コルシカ島では「パオリ家」「オルシーニ家」「コロンナ家」などと並んで
有力な家柄ではあった
ジェノヴァ支配時代から500年続いた独立運動の指導的役割を果たしてきた

父親は「シャルル=マリー」


『Carlo=Maria di Buonaparte』

母親は「レティシア」


『Letizia Romarono』

「シャルル=マリー」は非常に温厚な男性だったらしいが
「レティシア」が女丈夫だった
ピサ統治100年とジェノヴァ統治500年の間常に独立運動が続いたコルシカだったが
レティシアは臨月に抜き身の剣を頭上にかざして馬でジェノヴァの守備隊に切り込んだ
という逸話の持ち主だ

ナポレオンは二人の間の九人の子供達の2番目の子供で次男として生を受ける
レティシアとシャルルの像の間にナポレオンの洗礼証明書が飾ってある


ナポレオンの洗礼証明書



レティシアのサロン

ギャラリー

「ナビオーロ(ナポレオン)」は9歳までこの家で育った

ナポレオンの寝台

コルシカ独立運動の指導者格の家柄だった父「カルロ=マリー」は
フランスに吸収された後は
それまでの様にピサやジェノヴァなど外国民族に隷属させられるわけではなく
「フランス人」として扱われることを良しとして独立運動から離れ
「親フランス」に舵を切り
一番出来の良い息子だった「ナビオーロ」にフランス本土で英才教育をを受けさせる

『コルシカの部屋』

島の当時の地図が飾られているのでこの名が付いている部屋
暖炉の上に父「シャルル=マリー」の肖像


西が上向き担っているが壁のサイズに合わせてあるのだろう
しかし昔は地図は必ず北が上を向くわけでもなかったようだ

一部の18世紀の家具は素晴らしいものがある

上二つはいずれもルイ16世様式

摂政様式の用箪笥

母「レティシア」の手袋

9歳でフランス本土アルプスの麓「ブリエンヌ」の陸軍幼年学校に入学
全国から集まった選りすぐった大貴族の子弟である学友たちに馴染めず
ラシーヌの悲劇など文学にのめり込み
名前もフランス風に「ナポレオン」と改めた

ブリエンヌでの5年間を過ごした後
王室奨学金を獲得してパリの「王立陸軍士官学校」に15歳で入学
通常2年かかるところを
数学が常に満点であったナポレオンは1年で卒業した
その後の出世譚は別の機会に譲ろう

ただ
皇帝になってからは「ボナパルト」がなくなります

王族や皇族には「姓」がないのです
エリザベス2世英国女王でありフェリペ6世西国王でありナルヒト天皇なのです
宮家の呼称はタイトルであって姓ではない

革命政府の執政時代までは『ナポレオン・ボナパルト』
皇帝になってからは『ナポレオン1世』

皇帝のシンボルの鷲の旗印

ナポレオンの戴冠式の月桂冠

最終的に英国主導の澳独露に夜「対仏大連合」に敗れて2度失脚し
2度目に大西洋の孤島「セント・ヘレナ島」に流され
1821年5月5日51歳で亡くなった
「セント・ヘレナ」での6年間の幽閉時代に食事に常に微量のヒ素を混ぜられたことによる
中毒死であったことがわかっている

「デスマスク」1

デスマスク 2

幼少期のナポレオンの髪

幼少期の胸像


息子「ナポレオン2世」の幼少期の髪


17世紀のボナパルト家の屋敷の模型

1850年頃の屋敷



外壁の角の2階の高さに屋敷の前の広場の名前を記したプレートが嵌め込まれている


「レティシア広場」

屋敷に向き合う小さな庭園のような「レティシア広場」に
息子「ナポレオン2世」の胸像がある


若い青年将校の頃追いかけ回して口説き落とした
年上の未亡人だった恋女房『ジゼフィーヌ」との間に子供ができず離婚
オーストリアのハプスブルク家から後添いとして迎えた
「マリー=アントワネット」の姪『マリア・ルイサ』との間にできた一子
『シャルル・レオン』



屋敷は角になっていて横に曲がった方に「奥向き」の作業場などがある

門衛が入る一人用の小屋が置かれていた

オリーブを砕いた碾き臼

「アジャクシゥ」の項続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
ご意見ご感想をお寄せください
旅行の具体化に興味がある方は次のサイトにもどうぞ
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地中海の『美の島』コルシカ島 30 < 山間の村々 続き > ヴァランコ湾周辺 から 島の首都アアジャクシオ へのルート 4

2021-10-29 00:14:24 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : ウルバラコヌ村の聖ミカエル教会と司祭館

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた



先回の「コノッコーリ・モンティエッキ」から国道の方へ(東側へ)戻った辺りに
『ウルバラコヌ』というまた小さな村

『Urbalacònu / Urbalacone』

教会はユニークな二つで一つみたいに見える


実は鐘楼のある方が「司祭館」



手前が「聖ミカエル教会」で破風の上に小さな十字架があるだけで鐘楼はない
起源は12世紀だが完全に作り変えられてしまっている


しかし
奥には後陣が張り出している


もともと小さな集落なので民家の数も限られ
全てが「ヴィエイユ・ピエール(古い石)」の群れ


古い(ヴィエイユ)だが外壁は完璧に修復されている




山肌にあるので集落内も上下の高度差はかなりある



この家は廃屋かと思ったが窓が開いており中に住人がいることがわかる
現役の家のようだ



こちらは現役ではなさそう
露出した大岩が基礎と外壁の一部に使われている


フォンテーヌ(水場)もちゃんと現役



さすがに共同パン焼き窯はすでに現役ではないようだ



村の墓地の敷地に外れに古い礼拝堂がある
『聖洗礼者ヨハネ礼拝堂』

『Cappela San Giovanni Batista』

正面ファサード

後部の外陣



外陣を内部側から見ると当然祭壇のある後陣となる





「洗礼者聖ヨハネ」

これまでにご紹介してきた村々にも3〜4階建くらいの背の高い四角い建物があったが
それは敵襲の際に村人が逃げ込んで防御できるための主要な施設で
「メゾン・フォルト(防御屋敷)」と呼ばれる

Maison Forte

最上部には
足元まで攻め寄せた的に上から石弾などを投げ落として反撃するための
「石落とし(水平狭間)」が備わっている



コルシカ南部の山間部には温泉が結構あるが
ここ「ウルバラクゥ」も小規模な温泉がある


とっても素朴な露天風呂

20世紀になって最南端「ボニファッチュ」と島首都「アジャクシオ」間に
国道が整備された時の「ウルバラコン温泉場」という標識板が
入口の壁に残っていた


「アジャクシオ」ままで40kmとの表示がある


 ※  ※

「ウルバラクゥ」から真北に2kmほどに『アルビトレッチア』という集落



『Albitreccia』

道路の村の入口の部分に小さな祠があり
木製の十字架が立っている



これまで記述していなかったが
この地方の山間部の村々にはどこかに「十字架」が建てられている
木製だったり鉄製だったりする



『Eglise Sainte-Catherine d'Albitreccia』

『聖カタリナ教会』は村の規模に比べると大き目



固有名詞ではなく「教会」と呼ばれている



ヴィエイユ・ピエールも情緒たっぷり
フォンテーヌもしっかり残っている




※  ※

上で見てきた「アルビトレッチア」から国道を挟んだ東側には
『カルド・トルジア』の集落
先回ご紹介した「ジッリアーラ」のすぐ北です


『Cardu è Turghjà / Cardo-Torgia』

この写真の左端の四角い建物がこの集落の「メゾン・フォルト」のようだ





右の壁面の上奥の角に「石落とし」が見られる

この集落にも教会はあるが
むしろ外れにある礼拝堂が重要『豊かさの礼拝堂』



『Capella Fructueux』



国の重文の対象としての保護指示が出されている




そして海岸ではないにもかかわらずジェノヴァ時代の塔もあるのです



この塔はレストラン経営者に有効活用されていて
店のシンボルになっている


この村の周囲は山また山

※  ※

さらに2kmほど北側に「タラヴォ川」の源流の一部の渓谷に沿っていくつか
興味深い村々がある
まず中心となる『サンタ・マリア・シッシェ』を訪れてみよう


『Santa Maria Siché』

これまでの村よりは開けているが写真で見ても空間的にも理解できる
村の名前になった教会『サンタ・マリア』も大きく新しい


『Ghjesgia di Santa Maria / Eglise Sante-Marie de l'Assomption』





しかし
実は同名のもっと古い教会があった


『Capella Santa Lucia / Chapelle Sante-Lucie』

『サント・リュシー礼拝堂』という名で呼ばれるこの半分廃墟の礼拝堂が
かつては「サンタ・マリア・アッスンタ教会」だったのです


鐘楼が薄い馬蹄形の壁のようで本体部の屋根はなくなっている



この形の鐘楼はこの辺りの他の村の教会にも見られるが
鐘を固定した鉄の棒が左右に固定されて3段くらいあったものと思われる
この村は人口もそこそこ多く規模も広いので
礼拝堂は15くらいある



「Fontaine」

フォンテーヌ(水場)も作り変えられてまっさら
それより
この村は「(シッシェの)サンタ・マリア」つまり「聖母」という名前なので
見晴らしのいいところに人口の洞窟様のもにおが作られており
聖母像が安置されていて「マドンナ」と名付けられている



この他にも街中にもう一体の別の「マドンナ」もいらっしゃる




※  ※

この「サンタ・マリア・シッシェ」の村の北側に隣接して
『カンポ』という村がある



『Campu / Campo』

この村に『聖ラレンズ教会』があって特徴ある屋根の鐘楼がある
フランス語で言うと「サン・ローラン教会」となる



『Ghjesgia San Larenzu / Eglise Saint-Laurent』





村の中の様子はというと



通り抜ける県道の様子はコルシカ中どこも全く同じで
山側に家並みがあり谷側は空間
幹線道路の裏道は



こんなだったり



こんなだったりして



「ヴィエイユ・ピエール(
古い石=古民家の家並み)」だらけで



この村のフォンテーヌはこんな感じ



では
いよいよ次回からは県道は
島全体の主邑『アジャクシオ』に向かって山国から海へと下って行きます
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【お願い】
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地中海の『美の島』コルシカ島 29 < ジッリアーラの新旧の教会と コノッコーリのゴーストタウン > ヴァランコ湾周辺 から 島の首都アアジャクシオ へのルート 3

2021-10-27 00:26:19 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : ジッリアーラの『新教会』

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた



先回ご紹介した「マカ・クローセ」の北に4kmほどで
「ジッリアーラ」という村がある

『Zigliara』

コルシカの何処にいってもある有り触れた山村
村の高い位置から周囲を見回すと



周り中山また山
こんな光景しか目に入らない山国

そんな村に「新旧」二つの教会がある
まず新しい方から見ていこう
その名も「新しい聖堂」と味も素っ気もない

『Chjesa Nova』


誰が見ても


何処から見ても


何時見ても


どうもても廃墟


なぜなら
島がジェノヴァの支配から離れてフランスに帰属し革命も終わって落ち着いた頃に
島で教会を立て直すラッシュがあった19世紀半ば


この村でもその動きに負けじと1864年に新教会の建設に着工したが



様々の理由で工事が遅れ
今日に至る迄ついに完成を見ないままになっている
だから
完成した際に特定の聖人に捧げる「献堂式」を行っていないので
「聖ペトロ教会」でも「聖フランシス教会」でも「聖母教会」でもなく
名前はない
ただ「新しい教会」と呼ばれる廃墟



地元の村人たちは未だに完成を夢見ているようで
「コルシカのサグラダ・ファミリア」だと自虐的に呼んでいる

次に古い方の教会
『ジッリアーラの教区教会』

『Eglise Paroissiale de Zigliara』


右側に張り出した南の翼廊の外壁に
「1678年5月16日」と建立の日時が刻まれている


こちらの教会はかねてより
他のどこの教会とも同じように村の中心的存在であるがゆえに

立派な鐘楼もあって



結構遠くからでもいろんな角度から見える


しかしこれも
特定の名前で呼ばれているわけではなく
以前はちゃんと守護聖人の名前が付いていたはずだが
いつしか「村の(教区)教会」と呼ばれるようになって今日に至っている

主祭壇

内部は天井が白い漆喰で壁がベージュのオーカーが塗られている

祭壇から扉口を振り返る

扉口に向かって右の角にあるとんがり覆いのついた洗礼水盤がいい感じ


覆いが素朴ながら素敵な意匠だ

翼廊の礼拝用祭壇上部


祭壇

さらに別の礼拝祭壇もあって


祭壇中央に片膝をついた子供の天使像が愛らしい

聖櫃

典礼で使われる「聖パン」を収める金張りの櫃が
鄙にも稀な見事さだった

「新しい教会」は中断して放置された廃墟だが
古い方の「村の教会」は国の文化財に指定されている

小さな村とはいえ
中心部は歩くほどにタイムスリップした感覚に襲われる
「ヴィエイユ・ピエール(古い石)」
の家並みが実に良い











しかし周辺は実のにのどかな田舎の雰囲気





 ※  ※

「ジッリアーラ」から国道を挟んだ西側に直線距離で5kmほどのところにある村が興味深い
『コノッコーリ・モンティエッキ』
「コノッコーリ」村は三つの村の合併でできた村で
それに加えて
さらに「モンティエッキ」という廃村の部分が一緒になって命名されている

『Cognocoli-Monticchi』中心部遠景

村の中は「ヴィエイユ・ピエール(古い石)」と呼ばれる家並みが情緒たっぷり







そして「Fontaine(水場)」がいくつも残る

Fontaine 1

同 ディテール

Fontaine 2

同 ディテール


Fontaine 3

教会もご紹介しておこう
『聖ニコラ教会』

  『Ghjesgia San Niculà』


同 外陣

そして件の「ゴースト・タウン」である「旧モンティエッキ集落跡」だが


廃村になった旧モンティエッキ村の入り口



実は数十年前初めてコルシカ島を訪れた時
山間を抜けて走る県道で村を抜けるとやがて道路の山側にも谷側にも
石造りの結構立派な家が1km起きくらいに現れて
全部廃屋だったことに驚いた経験がある

今は日本も限界集落などが話題となり廃村は珍しくないようだが
当時の私にはショックだった


後に雑誌の記事を見つけたのだが
集落を離れると一軒家では水道設備がなく
(何しろ山間の一軒家なので電気が来ていない家も結構あったとか)
背後の山の中の水のある場所まで毎日汲みに行かねばならず
人口の老化と共に生活が困難となって生まれ育った家を捨てて去る住人が
多くいるのだとか









実は教会もあった



外観は綺麗なままだが

内部は廃墟

そして一軒だけ人が住んでいるらしき家があった



右の家は廃墟だが
左の家は白く綺麗に塗られているし窓にはガラスも嵌っている


「Village abandonné 打ち捨てられた村」の番人なのだろうか

間道沿いに点在する一軒家の廃屋は珍しくないが
集落ごと全部が廃村になってしまっているのはそれほど頻繁にあるものではない

このルートの項は続きます
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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地中海の『美の島』コルシカ島 28 < 古刹で名高い ファヴァレッロ と マカ・クローチ > ヴァランコ湾周辺 から 島の首都アアジャクシオ へのルート 2

2021-10-25 00:48:14 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : ファヴァレッロの「昇天の聖母教会」のフレスコの一部

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた



先回の「フィリトーザ遺跡」から『タラヴォー川』を挟んで西側に
『ファヴァレッロ』という小村があり


Map by ⒸCorsica-geographic_map-fr


『Favallelo』

その村にロマネスク時代の古刹がある
『被昇天の聖母教会』

『Capella Santa Maria Assunta / Chapelle Sainte-Marie de l'Assomption』

正面


南側側面


後陣

西側正面扉口

南側側面扉口


祭壇奥の後陣部のフレスコと
左奥にある礼拝堂のフレスコが国の重文
祭壇右に側面の扉口が開いている


祭壇前から振り返ると正面扉口


この教会のフレスコは15世紀のもの
コルシカには山里の小さな教会にこの種のフレスコが多々残っている





『聖ヤコブ』

『聖ペテロ』


『聖シモン』

『聖フィリッポス』


左右に『聖マタイと聖ヨハネ』を従えた「全能の神イエス」



『聖マルコ』

『聖ヨハネ』










村は山の斜面にへばりついて上下の高度差が結構ある



中心部は結構開けた感じもあるが


古の「フォンテーヌ(水場)」もしっかり残っている

※  ※

ではいよいよ「アジャクシオ」に向かって北上しよう
ヴァランコ湾の「プロプリアーノ」から島都「アジャクシオ」まで
山中を畝る国道196号線で65kmほど

その途中22km地点で国道を東側へ降りて山中の間道をうねうね進むと
『モセ・エ・クローチ』という村がありチャーミングな古刹がある

『Macà è Croci / Moca-Croce』

この村名は旧来あった「マカ村」と「クローチ村」が合併したことからきている


遠目にも教会の鐘楼が見える

『Santa Maria Assunta / Sainte-Marie de l'Assomption』

この村の教区教会『サンタ・マリア・アッスンタ(被昇天の聖母教会)』
村の一番高いところから村全体を見守っている





内部は天井や壁の部分的に描かれたフレスコで飾られているが
かなり傷んでいるのが残念なところ

後陣種祭壇を望む

主祭壇と四分の1円蓋


円蓋

身廊の天井



天井中央部の「聖母昇天図」



しかし上に記述した「チャーミング」な古い教会とはこれのことではない
もっと小さな礼拝堂『サンタ・マリア、言う所のアッバディア礼拝堂』の事

『Oratoire Santa-Maria Assunta di Cruscaglia / Ste-Marie de l'Assomption dite Abbadia』

10世紀後半に村近郊の字「アッバディア」に建てられた礼拝堂で
12世紀に今の位置に2km移設された
自然の中に立つ奥行き12mほどの小さな規模


正面ファサード

南側側面

鐘楼は前後から見ると塔に見えるが
側面から見ると平たい壁の様な造りになっている


外陣

外陣 真後ろより

鐘楼の下部が躯体の重量を支える控え壁の構造になっている




北側側面
こちら側の側面に予備の扉口がある


西側正面扉口

内部は白い

身廊より後陣の祭壇を望む


祭壇が置かれる後陣の半円形の突出部の上部の切妻壁に十字架の形の開口部がある

祭壇の位置から西側正面の方向を見る

扉口の左右に四角い小さな窓がある


壁の厚みの分だけ「壁龕」の様になっていて小物が置かれていた
石積みの壁全体を漆喰で白く固めてあるのは
創建期の10から12世紀という
形式上ヴィザンチン帝国に領有されていた時代的影響か

この「モカ・クローチェ」村にはもう一つ古い教会がある
『聖アンドレ教会』

『Eglise Saint-André』



村自体は実にのどかで時計が止まっているかのようだ

『Fontaine』

水場な現役で清水をたたえている
そして
家々も






フランス人達が好んで使う言葉「Vieilles pierres (英: Old stones 古い石)」とは
このような数世紀を経てきた石の家やその周りの石畳の小径などを指すのですが
まさに
実に美しい「古い石」であります

村を別の角度で外から見ると



こんな風なのどかな光景になる
この辺りには今回一番最初に記述した「タラヴォー川」が流れており
古くからの橋も架かっている



村を一歩出るとはるか山々が連なり



背後のてっぺんに村の名前の一部「クローチ(十字架)」が立っています

####
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地中海の『美の島』コルシカ島 27 < フィリトーザ遺跡 > ヴァランコ湾周辺 から 島の首都アアジャクシオ へのルート 1

2021-10-22 00:45:02 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 『フィリトーザ』遺跡の彫刻されたメンヒル

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた



「プロプリアーノ」と「ヴァランコ湾」
を離れて島の首都『アジャクシオ』へと北上しよう
国道196号線自体が曲がりくねった山国を縫ってゆくが
時折国道を降りて
もっと曲がるくねった細い間道を入って見ながら

まず
国道に入らず「プロプリアーノ」から北東へ5kmほど行くと
石器時代の石柱の経つ遺跡がある
『先史時代遺跡フィリトーザ』

Map by ⒸCorsica-geographic_map-fr

時は8000年前新石器時代
青銅器時代の遺跡が多いコルシカにあってこの種の遺跡として最も古いもので
彫刻の施されたメンヒルが立ち並ぶ
その集中度においてその時代としては世界的にも貴重なサイトとして知られている


このサイトの特徴は
彫刻メンヒルと風化されて露出する岩盤の作り出す奇岩との組み合わせ


そして


さらに既出の青銅器時代「トーレ人」の城塞型集合住居との
複合遺跡のサイトであること

サイトの入り口は結構チャラい感じがするが


中に「トーレ人武装集合住居群」跡からの発掘品が多少並んでいる



敷地に入るとすぐ振り返ると


入場券売り場兼展示場の屋根が見えて
向き直ると
自然の大岩の上に三体の小さめのメンヒルが並べてある


さらに石棺らしきものとメンヒルが石畳の通路上に置かれている




その先には枝葉の茂った古木の足元を過酷ように石が並んでいる



その後は広い敷地内を自由に歩き回って見て回る






































「カステッデュウ」(武装集合住居群)の一角にはたくさんのメンヒルが
無造作に並べられている




全景の遠望











自然な巨岩の露出も独特の光景









恐竜岩(勝手に命名)



このサイトは非常に広く且つ高低差が大きい



高い位置から周囲を見晴らすと
この土地の有り様が良く把握できる





アジャクシオへのルートは次回に続きます
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地中海の『美の島』コルシカ島 26 < ヴァランコ湾 の 素敵なホテル >

2021-10-20 00:35:21 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 : ヴァランコ湾岸のホテル「マリンカ」のテラス

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた



「プロプリアーノ」を発つ前に「ヴァランコ湾岸」のホテルをご紹介しておきます
「プロプリアーノ」の北西に隣接する『オルメト村』の『オテル・マリンカ』


上から階段を降りて玄関に至る


レセプションとロビーは広々として光が溢れる開放感
それもそのはず


そのまま海を見下ろすテラスにつながっているのです



ウッドデッキのテラス


そしてこのテラスのもう一段下にレストランがある
このテラス自体の下部にあるのはこんな感じで


その外側に開閉式の屋根で囲われたテラスがあり



この写真は開閉部を全部閉めた状態
写真上部の白い三つのなだらかなアーチは
ロビーの横につながるバーラ・ウンジのウッドデッキの部分


「バー・ラウンジ」内部からオープンテラスと海を見下ろす


レストランを半開の状態でロビーのウッドデッキから見るとこう見える
全開にすると
さらに外側のオープンエアーのテラス席につながってゆく


可動式壁と屋根を全開に
外にやや低くなってオープンエアーのテラス席が見える



レストランのガラス張りテラスの覆いを一箇所だけ開けた状態
外のオープンエアー・テラスの右側はバー・ラウンジのテラス



レストランのオープンエアーのテラス席の下にも客室がある
上から海岸までのk方どさは結構大きくて
空間を有効に使った作りとなっている


レストランとその下の客室のある建物から更に下ると
プールが三つある


二つの変形プールの上にある方
これの下側に隣接してもう一つ



それを横から見る


その下側の変形プールの脇にはエステ施術用の東屋


この東屋にいたる手前に


休息スペースも


海岸線まで下る所に「レストラン・ド・プラージュ」
ビーチ・レストランがある
二種類の棟に分かれて






お料理の例も挙げておこう




ここまで全てデザートではなくお料理です










ここからがデザート











エステのサービスも完璧です

エステのレセプション

ウエイティング・コーナー

施術室


タラソ・テラピー(海水セラピー)の「アイス・ルーム」

ハマム

プール

休息コーナー

ここのスパで使われているのは「クラランス」の製品でした

最後に客室もご紹介
まず「ペントハウス・スイート」という一番上にある客室から

ベッド・ルーム

バス・ルーム


サロン



ジャクジー付きのプライヴェート・サンデッキ

その他の客室

エギュゼクティヴ・ルーム

シック・ルーム

エギュゼクティヴ・ルームより
ベッドルームとテラスとの間のリヴング・スペースがやや小さい






リヴィング・スペースがもっと小さいタイプ


こんなバスルームがついたお部屋もあります

プライヴェート・ビーチはというと




^

「ビーチ・レストラン」ではこんなことも可能です




このホテルのある海岸は『オルメト』という村に属していて
集落自体は後背地の山腹にへばりついている

『Ulmetu / Olmeto』

角度を変えてみると



古の修道院の廃墟もあり

『Ancien Couvent Saint-Antoine』

後期青銅器時代の武装集合住居の遺跡もあり

『Castuddu di Cuntorba』

海はあくまで美しく


ジェノヴァ時代の塔も
先回ご紹介した「カランカの塔」も含めて三つある

『Torra di Calanca』

『Torra di Micalona』


『Torra di Monacia』

では次回からは「ヴァランコ湾」を離れて北上してゆくことにしよう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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地中海の『美の島』コルシカ島 25 < プロプリアーノ と ヴァランコ湾周辺 >

2021-10-18 00:55:21 | 素晴らしき世界/フランス
巻頭写真 : ジェノヴァ時代の塔を背景に『ヴァランコ湾』の一部

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた


山国「アルタ・ロッカ」地方から降りてまた海のコルシカに戻ろう
「サルテンヌ」から北北東の10km あまりで『プロプリアーノ』という海辺の町に至る
そこは『Golfe de Valinco ヴァランコ湾』の一番奥に当たる
広い湾はどこも際立った美しい海とあって風光明媚な海岸が点在する


『Golfe de Valinco』 Map by ⒸGoogle Map

地図の右下の黄色い道路がぐるぐるうねっているところが「サルテンヌ」
矢印が『プロプリアーノ』

『Port de Propriano』

海岸沿いの町の典型で港が中心


そして背後の街並みに教会の尖塔が見える

旧市街

港の後背地が高くなるので旧市街は必然的に階段も多くなる


旧市街の上の外れから教会前に出る階段がありそれを登る


教会前に出てすぐローアングルで撮すと後陣野川にある鐘楼は見えない


少し右に角度を変えるとちゃんと見えてくる


内部はあまりにもカラフルで眩暈がしそうなほど
実は1860年までここ「プロプリアーノ」は小さな小さな集落に過ぎなかった
島南端の「ボニファチゥ」から「サルテ(サルテンヌ」経由で
島全体の中心の町「アジャクシオ」につながる道路が開通し人口が増えてゆく
小さな集落の小さな教会では住民を収容しきれなくなって
1864年から新しい教会を立てることになった
だからわずか150年ほどしか経っていないのです
納得

19世紀後半とはいえ
イタリアの教会文化の影響下にあった島の伝統で
17世紀イタリアの教会のような雰囲気で建立されている


奥の祭壇の背後の壁の天蓋の細工が見事


そして
有りましたよやっぱり
サルテでご紹介した「U Catenaccio (贖罪の十字架の道行き)」のための
十字架と鉄鎖


しかしこの教会では別のお祭りが必見です
『A Madonuccia (慈悲の聖母の行幸)』
この教会には聖母像が二体あって
そのうちの一体はリボンで飾られて教会前の広場にお出ましになる


もう一体はたくさんのお花に囲まれて山車に乗って
旧市街を練り歩くのです



実はこれ
島全体の首都「アジャクシオ」の聖守護聖人「事後の聖母」に献堂された
「アジャクシオの慈悲の聖母教会」で
毎年3月18日に行われるお祭りで
同く「慈悲の聖母教会」を持つコルシカの他の町でも行われるようになった


スペインでも
特にアンダルシアを中心に夫々の町の教会が持つ聖母像を
着飾らせて町を練り歩くお祭りが在るのですが
それは「聖週間の金曜日」
イエスの受難の日と決まっています
ちなみに聖週間(復活祭までの一週間)は移動祝日で
月齢により計算されるので毎年日にちは固定されていません
ところでこの教会は
「サン・サルヴァドール(聖救世主)」像に向き合って建立されているので
教会を出ると


この光景となり
救世主像の方から教会を見ると


こうなる
ついでに後陣もお見せしておきましょう



ではもう一度旧市街を港の方へ下っていくことにしよう






実はこの港にも大型船が寄港できるのです





そしてこの「ヴァランコ湾」一帯の海岸線の美しさときたら


プロプリアーノの町自体ですら港を少し離れたらすでにこの様なビーチがあり
かつ湾全体に
北岸も南岸も素晴らしいビーチが多々点在して
砂浜と岩場と海の美しさを堪能できます














手を浸すと真っ青に染まってしまいそうな沖合の濃い紺ぺきの部分から
陸に近づいた辺りのトルコ石のブルー
そして岸辺の透き通った透明な水の美しさ



海岸線には美しい奇岩や洞窟もあり
湾内クルーズの遊覧船が湾岸何箇所かの港から出ています


奇岩の露出した岩礁近くを走ったり


フランスのカフェで夏場によく注文する「マンタ・ロー」という飲み物があって
ミント・シロップを水で割るだけの単純な夏の飲み物なのですが
それと同じような色の海を走ったり





大絶壁の岩壁に近寄ったり




小さな洞窟に近寄ったり


左右の柱状節理はそれぞれ違う火山から流れ出た溶岩で出来たにちがいない
色の違い(鉱物の違い)がくっきり現れている断層だったり


岩場のトンネルをくぐり抜けたり






海面の上に浮かぶような錯覚を覚えるように透明な青い海だったり



そして
人気のない綺麗な砂浜で止まってくれたりもする


30分間ほどの休憩の間に水と戯れたり
1時間半おきくらいに出ているので一旦降りて次の船に乗って帰れば
ここで2時間以上日光浴が楽しめたりする
ちなみにこの船は船底がガラス張りなので
岸壁や岩礁の近くや洞窟などの場所では甲板に乗って楽しみ
途中あまり見るものがない単調なところを走るときは船底に降りて
海底を観察しながら走ることもできる




上の休憩地点はこのビーチ

そしてこの湾岸にはあちこちの岬の先端や海岸線の高台に
ジェノヴァ時代に建てられた物見の塔が
いくつも残っている

『La Tour de Campomoro』

中でもこの辺りでは一番名高いのが『カンポモーロの塔』











次に人気が高いのが『カランカの塔』

『La Tour de Calanca』








さらには『カンパネーラの塔』も

『La Tour de Canpanella』

「プロプリアーノ」の町と
「ヴァランカ湾」は
コルシカではこれまでご紹介してきた場所より庶民的で気軽に休暇を過ごせる場所として
うってつけです




=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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地中海の『美の島』 コルシカ島 24 < アルタ・ロッカ に分け入る 2 > サルテンヌ から バヴェッラ峠 にかけての山里

2021-10-01 00:17:45 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 : 『カステッデュ・ディ・キュキュリュズュ』の「カプゥラのサイト」

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた



前回に引き続き「アルタ・ロッカ」の山岳地帯をめぐることにしよう
「サント・リュシー・ド・タランヌ/サンタ・ルチア・ディ・タラ」から
直線距離で5kmほど北に青銅器時代の防壁集落跡がある
『カステッデュ・ディ・キュキュリュッズュ』

『Casteddu di Cucuruzzu / Castello de Cucuruzzu』塔

この「コルシカ島シリーズ」の最初の頃にご案内した
「ポルト・ヴェッキオ」近くの「カステッデュ・アラッギュウ」と同類の
南コルシカに20数箇所確認されている
青銅器時代の「トーレ人」の城塞型集合住居遺跡の一つ

上の写真は「塔」と呼ばれる部分で
外部から侵入できない石積み防塁壁の唯一の入り口を兼ねた穀物貯蔵倉だっただろう
と推測されている
遺跡は山の頂付近の数箇所に点在し
中心部「キュキュリュッジュ」のサイトと「カプゥラ」のサイトが主で
全体を「キュキュリュッジュ」とよぶ










Photo by ⒸA.Padovani-CTC

この「キュキュリュッジュ遺跡」のサイトは
紀元前2300年〜紀元前900年頃の後期青銅器時代の城塞集合住居だろうと
推定されている

遺物が数箇所に分散しており全部訪れると3kmほどの山道を歩くことになる


遺跡間の道

遺跡全体の名称となった「キュキュリュッジュ」のサイトと並んで重要なサイトが
『カプゥラ』と呼ばれる


『Casteddu di Cucuruddu-Capula』







Photo by ⒸA. Padovani-CTC

今回訪れている「アルタ・ロッカ」の「サント・リュシー・ド・タラーノ」の周辺には
渓谷遡行「キャニヨニング」と岩山登り「ロック・クライミング」の
コルシカにおけるメッカの一つともなっている

「キャニヨニング」の拠点は二箇所
まず『コルス・モンターニュ』と名付けられた山岳渓谷地帯






この地域には子供達が岩登りと渓谷遡行に慣れ感覚を覚えて親しめるような遊び場も
作られている










キャニヨニングの拠点をもう一箇所
『キャニヨン・デュ・ビュッチ』

この項の写真はすべて ⒸCanyon Corse














フランス各地で(特に南仏に多い)キャニヨニングが普通のレジャーとして定着しているが
いずれの場所でも
国家資格を有するプロのインストラクターがしっかりとサポートするので
初心者でも安心して楽しめるようになっている

それから
ピサ統治時代の美しい礼拝堂をもう二箇所あげておこう

カルビニ村に一つ「聖洗礼者ヨハネ礼拝堂」

『Chapelle San Ghjuvan Battisu di Carbini』


正面及び側面の軒下の刳り型の連続は完璧な「ピサ・ロマネスク」の様式そのもの


 外陣から見ると非常に高い鐘楼がくっついているようにも見えるが
実はこの鐘楼は1世紀以上後に付け加えられて
しかも実際は本体との間に結構距離がある


こんなに離れているのです
撮る角度の目くらましは面白い



刳り型模様のディテールを幾つか挙げておこう


正面扉口上部










正面ファサードの角


外陣の屋根から瓦も石板であることがわかる


もう一つ「サンタ・マリア・フィガニエーラ」礼拝堂

『Santa-Martia-Figaniella』


正面扉口上の半円形の窓も軒下の蛇腹刳り型も前掲の「カルビの洗礼者ヨハネ礼拝堂」と
ほぼ同じつくりの12世紀ピサ様式
ただこちらは鐘楼が本体と一体に造られている



正面ファサードのディテール

アプシッド(後陣)のディテール


カルビニの「洗礼者ヨハネ」と違ってフィガネッリの「聖マリア」は側面の刳り方が一列だけ


幾何学模様も蛇もあるが


人面が多いのが特徴



この「アルタ・ロッカ」の項の最後にユニークなホテルを一軒ご紹介しておく
『オテル・コクーン・ヴィラージュ』

『Cocoon Village』

切り立つ岩山の岸壁にへばり付くように白い球体が三つ見えるだろうか
それらが客室の一部
高山の岸壁にぶら下がる空中浮遊ホテルなのです



球体が寝室
右側の離れた部分がリヴィング

リヴィングから見た寝室

リヴィング

この球体タイプは三つあるのでリヴィングの形もそれぞfれに異なっている


もちろん朝食はこれらのリヴィングで



寝室

別のタイプもある


こちらのタイプは寝室から空が見える


窓の覆いを外側に倒せば周り中が窓になる


リヴィングは頂上感満載

さらに別のタイプも


このタイプはリヴィングが半分ほど壁に囲まれていて
その上に寝室が半球体で乗っており
その周りはテラスになっている


上下180度左右360度の開放感!
落ち着かなければ電動で外側に覆いをかぶせることができるが
ほとんど使う人はいないそうです


夕刻になるとこうなります

では次回からはまた下界に降りて行きましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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地中海の『美の島』 コルシカ島 23 < アルタ・ロッカ に分け入る 1 > サルテンヌ から バヴェッラ峠 にかけての山里

2021-09-29 00:27:09 | 素晴らしき世界/コルシカ島
巻頭写真 : 「聖ジゥヴァン・バッチステュ・ディ・ポッジオ礼拝堂」

地中海からいきなりそびえ立つ高山「コルシカ島」は
海の国で山の国
地球創生期の野生の自然が多く残る故に「美の島」と呼ばれてきた



「サルテンヌ」から北北西に10kmでヴァランコ湾奥の港町「プロプリアーノ」に至り
「サルテンヌ」から北東に入るとリッザネーゼ川とその支流のい渓流に沿って
『アルタ・ロッカ(高地の城塞)』と呼ばれる
コルシカ巡りの初期にご紹介した「バヴェーラ峠」に至る山里がある

バヴェーラ峠から主峰「バヴェーラ針峰」を望む



この地図では中央下部に「サルテンヌ」
国道196号線(T40)で北北西に行くと「プロプリアーノ」で
北東に飛びる間道(白線)を行くと
『アルタ・ロッカ』の主邑 『サント・リュシー・ド・タラーノ』

『Alta Rocca』地方の峰々

「サルテンヌ」から6km ばかり北上すると『リッツァネーゼ』川に至り
程なく「ジェノヴァ」統治時代13世紀の美しい橋『スピンナ・カヴァリュ』がある

『Spin'a Cavallu』




まず「アルタ・ロッカ」南部の中心集落「サント・シュリー・ド・タラーノ」を
訪れてみよう

『Santa Lucia di Tallà / Sainte-Lucie-de-Tallano』



黄色に塗られている範囲が「サント・リュシー」自体の自治体範囲で
その中に「サン・タンドレ」「ポッジオ」「キウザ・ロンガ」「キウザ・デイ・フラーテ」
などの「あざ」があり
さらに周辺部にも「サント・リュシー」の下に
「オルミチア」「サン・バスティアーノ」「ペラテッラ」「アラージュ」「コスティオーロ」
その他の準自治体がある

この集落自体はコルシカ島内いたるところに見られる典型的な山里だが
村の入り口辺り「Chiusa Longa」地区にかつての女子修道院の建物がある


『Ancien couvent de Saint-François 旧聖フランシスコ女子修道院』

Photo by Ⓒalta-rocca-tourisme

Photo by Ⓒalta)rocca-tourisme






一棟だけ残る回廊部分に向き合って




修道院聖堂がある
この建物は現在は村の文化センター

修道院聖堂内部


入り口近くの壁に
十字を切る際に右手指を湿らす聖水を入れる大理石製の「聖水盤」が壁に架かっているが
人の手で支えているような意匠で作られているのが大変ユニーク


こういう角度で見ると地形がうあ間合いであることがよく分かる
そして
当然ながら村の周りはオリーブの木々

オリーブの枝越しに見る村の全景

そういえば村の縁取りもオリーブの木々



ということで
ここからもう少し離れたところ「Chiusa dei Frate」地区に
かつての「Molino de Aceite(オリーブ搾油所)」が残っていて博物館になっている

『Molino de Aceite Eco-Museum』

コルシカ語の「Molino モリーノ」はフランス語の「Moulin ムゥラン」で
英語「Mill ミル」つまり風車や水車のことで
より正確には挽く機械のこと
コルシカ語の「Acete アセト」はスペイン語と同じでオリーブ油


すぐ横はオリーブ畑


地上スレスレに収穫用のネットが張ってあった
この搾油所の中がオリーブオイル博物館



オリーヴの実はこの「弾み車」のついた機械ですりつぶし



荒い麻の繊維の座布団のようなシートに広げ
それを何枚も重ねて
圧搾機で絞る



昔は素焼きの甕に保存した

村自体はバラ色でとってもチャーミングだ


この写真の右上に時計が写っているのが
この村の教会『聖リュシー教会』



自治体としての「サント・リュシー」の面積は25km2 もあるが
人口は500人もいない
しかも標高が60m台から850mを超えるので大きな高低差があり
道は綴れ折り
その一角の古からの共同パン焼き窯が残っている


前に回って正面から見ると



横の木に妙な彫刻が施してあるのが残念だが
未だに現役らしくススが付いているし
少し離れてみると



蒔も積んである



水道などなかった頃は必需品だった共同の水場も


共同洗濯場も残されている

非常に愛らしい礼拝堂もある
『聖ロカ礼拝堂』

『Chapelle Saint-Roc』





「サンタ・ルチア・ディ・タラーノ」のすぐ北側「ポッッジオ地区」の北側山間に
12世紀「ピサ」統治時代(ロマネスク時代)の名刹がある
『サン・ジャン・バティスト・ド・ポッジオ・ド・タラーノ』

『Chapelle Saint-Jean-Baptiste de Poggio de Tallano / 
San Ghjuva Batissa di Poghju di Tallà』



この写真は広角レンズの魔法で
実物はこんなに大きくはない




軒下の刳り型模様は典型的なロマネスク時代のピサの教会建築の特徴です




非常に小さな礼拝堂だが礼拝堂内部の床の修道僧の墓の発掘その他
現在鋭意復元作業が続いている


とりあえず床の修道僧たちの墓は血うさが終わって埋め戻され
壁も修復が終わり
痛んでいた天井は張り替えられた


「サンタ・ルチア・ディ・タラーノ」から南に直線よりで10km
渓流沿いの山道なので迂回が続くから実質的距離は倍くらいになるが
「リッツァネーゼ川」の上流支流「フィウミッチコーリ川」の流域に温泉がある
『Source de Caldane カルダンヌ温泉源』

『Bains de Caldane』

なんと露天風呂


普通の住宅地の道路沿いにゲートがある
「カルダンヌ温泉」
「スポーツ・ジム」「ミニ・ゴルフ」「トレーニング・サーキット」「マッサージ」
「レストラン」
という表示があって一応「スポーツ健康ランド」のようなタイプで私企業の経営

上の写真のゲートを入ってくるとここに着く




更衣室兼ロッカールームが7部屋


浴槽プールは大小五つ
更衣室の前に横長いプールと
それに直角になる二つ


この写真は現地の案内ポスターの写真を写したもの

扇型の小さくて深いものは湯温が高い


普通ヨーロッパで温泉というと
鉱泉水のプールに入り
それを飲み
理学療養を受けるタイプがほとんどだが
この温泉はヨーロッパでは珍しく湯温が38度以上あるのです
純粋に「お風呂」を楽しめる


見知らぬ同士も同じ湯に浸かればお友達
混浴ですが当然水着着用です

夏季は夜間も営業




とはいえ
夜はレストランで食事するお客がほとんどです


コルシカの島の形のボードに
「さあ皆さん楽しくお湯の浸かりましょう」
みたいな宣伝文句が掲示されておりました

この項続く
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地中海の『美の島』コルシカ島 22 < サルテンヌ周辺 6 ムルトーリの楽園 5 最終回 >

2021-09-27 00:31:11 | 素晴らしき世界/コルシカ島/レストラン
巻頭写真 : 「ラ・ターブル・ド・ラ・グロット」

海から切り立った山『コルシカ島』は
地球の原初の姿を多く残していて「Ile de la Beauté 美の島」と呼ばれる



地上に楽園『Domaine de Murtori』シリーズ最終回
残りの2軒のレストランを訪れよう

その2軒は「山のレストラン」と「海のレストラン」
まず山の方から
『ラ・ターブル・ド・ラ・グロット(岩の洞窟)』

『La Table de la Grotte』

この類い稀なるレストランは
大岩の露出する山中の岩室と巌岩の周辺にへばりつく奇異なるロケーションを誇っている





入り口


同 夜景



中は階段だらけ


客席間の標高差も半端ない





ほぼ頂上に岩室の外の席のための飲み物を出すバーがある





スタッフの運動量も半端ないことになる
























たまには貸切のパーティーも


食事は薪で煮炊きする伝統料理が多い





勿論繊細な創作料理も沢山あります


最後の最後に「海のレストラン」に行ってみましょう
『Table de la Plage(海辺の)』

『La Table de la Plage』

この「レストラン(!)」の型破りなところは
プライヴェート・ビーチの「好きなところ」(ある程度)に
席が作ってもらえるところ


茂みの中にアクセスの道が作ってある


そこを歩いてくると


こんな感じで出入り口があり



「海の家」のような場所に出る


海の家と書いたが
リネンの類は最高級品です


一応メインとなる場所にはバーカウンターもあり
かわぞ杯で乾燥させた木の枝を組み合わせて
屋根とともに大小のテーブルが設置されている


予約に応じて「パヴィヨン」の名前の入ったプレートが置かれる



茂みの中より水辺で食べたい人たちもいるので
あちこちに席が作られる






最終的にはこんなテーブルも出来上がる


本来は食前酒ヤコーフィーのためのローテーブルとソファーで食べる人もいる


料理は当然海の幸が多いのだが


テーブルの人数に合わせた前菜盛り合わせみたいなものもある


「フェルム」「グロット」「プラージュ」
3店ともに「ワンプレート・ランチ」もある


ドライフルーツやナッツとブリオッシュの健康的なランチプレートも
ちなみにプレートはコルク樫の皮を剥いだ「コルク」そのもの


マグロの炙りと切り落としのシャーロット仕立て

アサリのスパゲッティ

タコのカルパッチオ

蟹の爪のサラダ

きゅうりとマグロ

お魚と夏野菜

お魚とイノブタ(コルシカ名物)のスープ煮込み マキ風味

オーヴンで焼いたリゾット

エビと貝類

エビと貝類とタコ

トマトとパプリカとエビとベビー野菜

蟹のパスタ

シーフードのスパゲッティ

カサゴ

「本日のお魚はこれらでございます」

昼食が済むと浜辺でお昼寝タイム






お昼だけではありません



ディナーを水辺で鳥田いう人たちのためのライティング



そして「パーティー」を頼むと
こうなります




どう考えても
『Domaine de Murtoli ドメーヌ・ド・ムルトーリ』
地上の楽園と呼ぶに異論はないですよね

では次回からは「サルテンヌ」を発って先に進みましょう
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地中海の『美の島』コルシカ島 21 < サルテンヌ周辺 5 ムルトーリの楽園 4 >

2021-09-24 00:14:27 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 : Domaine de Murtoli " L'Hôtel de la Ferme "

海から切り立った山『コルシカ島』は
地球の原初の姿を多く残していて「Ile de la Beauté 美の島」と呼ばれる


引き続き「ムルトーリの楽園」シリーズ
『l'Hôtel de la ferme ロテル・ド・ラ・フェルム』2

『Suite Toia』





地上階 60m2 ロフト付き 2名
向かって右はやや窪んでプライヴェート・テラスに成っている


ここに座って前を眺めると中庭の光景になる


この中庭の右の建物はレストランで
ワインセラーが見えている











『Suite Vadinella』


前の「Toia」の向かって左隣
屋根窓が二つある部分で二階建て 60m2  2名


大きなガラス窓の真ん中が入り口のドア





地上階のサロンの奥の角に暖炉がある


サロン(リヴィング)の部分は吹き抜け








「スイート」以外の客室は
3室の「Chambre Prémium プレミアム・ルーム」と
1室の「Chambre ルーム」がある

『Chambre Prémium Sardella』



50m2 2名
スイートの最初にご紹介した「Suite Murtoli」の
入り口のある低い方の建物の地上階部分


左の奥の壁際にこげ茶に塗られたセントラルヒーティングのラジエターが見えるが
右の壁際には赤く塗られたストーブが可愛い










『Chambre Prémium Tozza』


50m2 2名
スイートで最初にご紹介した「スイート・ムルトーリ」の中庭側の地上階真ん中



内部は上の「プレミアム・サルデッラ」とほとんど同じ
蒔きストーブの色が違う







『Chambre Prémium Ferrola』


550m2 2名
「スイート・ムルトーリ」の中庭側の二つのバルコニーの左側の下
地上階の左端


先のプレミアム二部屋と全く同じ作り
ストーヴの位置が左に移動して色は最初のと同じグレー






『Chambre Petra Nera』

一番狭いからかプレミアムのつかない客室が一室
40m2 2名


中庭に入って右にある建物が今までのお部屋
今度は逆に左側にある屋根の低い部分


今までで一番「それっぽくない」お部屋です



以上3回にもわたって「ドメーヌ・ド・ムルトーリ」の宿泊施設を見てきたので
最後にレストランをご紹介しよう
この「ドメーヌ」にはレストランが3軒ある

まずホテルにある『ラ・ターブル・ド・ラ・フェルム』
堂々の一つ星です

『La Table de la Ferme』

ここは
「オテル・ド・ラ・フェルム」のレストランであり
「ドメーヌ・ド・ラ・フェルム」のメイン・レストランです


最初の建物の手前半分の窓で二階建てがわかる部分は
レストランのバー・ラウンジ兼ホテルのロビーのようになっている



例によって自分たちのせきに通される前に
ここで食前酒を前にメニューを検討したりするお客も多い


したがって暖炉の反対側はバー・カウンター






ちなみにバーはもう一箇所ある

一部は二階建てになっている


上階はくつろぎの場所でソファーが多く置かれ
チェス・ボードなどもある



この二階のラウンジで朝食が取れる


下のラウンジでも朝食をとることができる



そのまま建物の続きで窓の大きな部分
「ダイニング・ルーム」につながっている



大きな山小屋のような農家のような素朴な建物に
上品で豪華な内装のレストランがあることのギャップが素晴らしい






星付きのレストランだが大人数のグループも問題ない


外のテラスも人気






真横のゴルフ場から古い一のアーチの小橋をわたってすぐ


そんなゴルファーなどのために昼食には前菜のビュッフェも用意されている

















あと2軒のレストランを次回にご紹介して
この項は次回で終わります
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皆様のご感想ご意見をお待ちしています
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地中海の『美の島』コルシカ島 20 < サルテンヌ周辺 4 ムルトーリの楽園 3 >

2021-09-22 00:11:44 | 素晴らしき世界/コルシカ島/ホテル
巻頭写真 : ドメーヌ・ド・:ムルトーリ『ロテル・ド・ラ・フェルム』

海から切り立った山『コルシカ島』は
地球の原初の姿を多く残していて「Ile de la Beauté 美の島」と呼ばれる


引き続き「ムルトーリ」の楽園探訪
パヴィヨンの残りとホテル及びレストランをご紹介しよう

『A Muredda(l'Immortelle 不滅花/ヘリクリサム)』


45m2 2BED 4名




















『A Pila (仏語/日本名 不詳)』


60m2 2名+子供1名
















最後のパヴィヨンが
『Le hameau Rosumarinu (Hameau de rosemarie ローズマリーの集落)』



3棟のベルジュリー(羊飼い小屋)からなる小集落
屋内総面積300m2 16名



1棟目

2棟目


3棟目


一番大きな棟の中に「ダイニング・キッチン」や「サロン」がある





手前はベッドではなく足を伸ばして座れるカウチ
下の写真参照





二人用子供部屋の例



右下のヨシズの屋根の下がサマー・ダイニングキッチン
そのまま
サンデッキ兼サロン







以上19戸のパヴィヨン(戸建コンドミニアム)は
すべて冷暖房完備で温水プール付き
屋内と屋外のキッチンがあり
朝食や食事は予約しておけばパヴィヨンまで運んでくれる
出張シェフも頼める
宿泊者専用道路で車で海岸まで降りられる

※  ※

次に「ホテル」をご紹介しよう

この『ホテル・ド・ラ・フェルム』はスイート5部屋とゲストルーム4部屋からなる

『l'Hôtel de la Ferme du Domaine de Murtoli』

すぐ横はゴルフ場



反対側

プールの方向




ホテルの建物の反対側(この写真を撮った方向の後ろ)にはプールハウス



中庭


中庭を取り囲む建物の一棟はレストランで残りの建物の外側と中庭側に
スイートと客室とが並んでいる

では先ずスイートを見てみよう


『Suite Murtoli』

135m2 ダブルベッドの寝室二部屋



右の背の低い部分の屋根の中と
その左の窓二つ分の二階部分の外側と内側の全部












 ※

『Suite Aquedda』

85m2


外側上階




上階にもかかわらずプライヴェート・プールがある



プールサイドでディナーのサーヴィスを受けられる


『Suite Catarella』

60m2 DBL 2名


中庭側上階窓2つ分






寝室とリヴィングとが壁で分けられておらず
ベッドの置かれたアルコーヴ部分は紗のカーテンで仕切られるようになっている






この項続きます
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