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浜田省吾の曲についての一言コメント

われらが浜省の歌は なぜにこんなに心に染み入るのか・・・ 私 浜省やっぱ好きなんです^^

19のままさ

2007-06-29 00:52:14 | Weblog
実は私 この歌あまり聴かないです
というか 聴けないです
なんだか照れくさくなってしまうのです

私も曲を描きますが
きっとこんな曲は描けないでしょう

そうですね~・・・
一言で言うなら「あおくさい」のですよ

   いつまでも忘れない
   今でも目をこうして閉じれば19のままさ

このあたりがなんか受け入れがたいフレーズなのです
私は四十をまわっていますが
今でも「気持ち」は若いつもりでいます
けど やはり四十男であることは認識していますし
いつまでも「俺の気持ちは25歳さ!」などというつもりは
さらさら無いし そんなこと言っているやつらを「かっこ悪い」と
感じることだってあります

人はその「歳相応」のかっこよさは絶対あるし
「あの頃」に気持ちを残しながら今を生きるなんて
真っ平なのです
私だって人間ですし「ノスタルジー」だってもっています

けどこの曲はどうしても
「今」を否定・・とまでは言いませんが
「あの頃」に「今」はかなわない
といっているように聴こえてしまってしょうがないのです

  今もあの娘 長い髪のままかな?
  僕はほら ネクタイ締めて僕が僕じゃないみたい

なぜネクタイ締めると「自分じゃなくなる」のでしょうか・・・
表現の問題なのかもしれませんが
あのフレーズは「サラリーマン」に失礼ですよ・・・
みんながんばって生きてるのにな~

私は子供の頃から
 大人は汚く 子供は美しい
という価値観が大嫌いでした

だって美しいも汚いもすべて個人の問題であり
大人だとか子供だとかは関係ないはずです

どうもこの歌は
そんな「妙な」図式を感じてしまうのです・・・

浜省はもちろん大好きですし
彼の想いにヘンテコな公式はないのでしょうが
私はこの歌は苦手です

今日はこの辺で失礼します
  

もうひとつの土曜日

2007-06-23 21:29:31 | Weblog
最初にお断りさせていただきますが
私はこの曲も好きです

さてこの曲出てくる男
シャイなようでも実は心臓に毛が生えているようです

昨日まで眠れないほど「彼」のことを待ち続け泣いていた女性に
いきなり「もう彼のことは忘れてしまえよ」と言い放ちます
~昨日まで 彼と過ごすわずかな時間だけが
生きがいのようだった彼女です
そんな簡単には忘れられない!~
と突っ込まれそうです
もっと他に言い様はなかったのでしょうかね~

しかも
「その頬の涙 乾かせる誰かがこの街のどこかに
君のことを待ち続けている」
と言っておりますが
実はそれは「自分だ」と暗に言っていたもようです
その理由は曲のラストでわかります

落ち込んでいた彼女をなんとか元気付けようと
ドライブに誘ったのはいいですが
そのとき
「この週末は俺にくれないか?
たとえ最初で最後の夜でも・・・」
と言っています

つまりこれは普通に解釈すると
「後のことはいいから せめて
今夜だけは俺といっしょにいないか」
という意味だと思います

けどこの男はちゃっかり「指輪」を用意していましたよ!
「そして受け取ってほしい」
と言いました
ありゃりゃ~・・・
いったいいつ準備したのでしょう?
彼女は昨日まで他の男のことで頭はいっぱいだったのですよ
そんな中でもこの男はよほど自分に自信があったのでしょうか?
指輪を買っていたのですね
というか このタイミングでプロポーズをしますかね~

彼女と彼がうまくいかなくなった頃合を見計らって
指輪を準備していたとしたら
かなり「計算」をしての行動ですよね
まるでこのときを待っていたかのような・・・

そう考えるとこの男
やさしいのか利己的なのか どうなのでしょうね~?

それよりもこのタイミングのプロポーズで
彼女は指輪を受け取ったのでしょうか?
そちらが気になります

今日はちょっとうがった見方で歌詞を見てみました
ジョークですからね~ あしからず!(笑)

  子供のころ君が夢見てたもの
  叶えることなどできないかもしれない
  ただいつもそばにいて手を貸してあげよう

グッと来るフレーズですね

曲の背景とのミスマッチかな~(笑)







LONELY  ~愛という約束事~

2007-06-23 00:00:17 | Weblog
1+1は2・・・

    ひとりはひとり
    出会った頃も そして今でも・・・

「あなたと私は一心同体」
人は繋がってひとつになれる・・・

それは「幻影(ゆめ)」なのだよ
ひとつとひとつは
ふたつにはなれるけどけしてひとつではない

そう言われているような気がします

愛とはなんでしょう?
ひとつになること?
ひとつになるってなんでしょう?
同化すること?
同化って何?
この3次元世界では不可能です

では3次元に「愛はない」のか?
そんなことはありません
愛はそんな「ひとつになる」なんて観念を
遥かに超えたものなのだと思います

それを「ひとつになる」「同化する」という中に
押し込めようとすると
窮屈になり破裂してしまうのではないでしょうか?

   これは「愛」なの? と
   俺に尋ねるのはやめてくれ・・・
   
   心と身体・・・
   求め合うわけはただ・・・LONELY・・・

寂しいから慰めを求める
それでは体裁がよくないから
「愛」という約束事でコーティングして
「純」な生き方をしていると繕う・・・

けど心にうそはつけません

愛でないつながりは所詮愛ではないのです
いずれそれを認めざるえないときがくる
傷を負いながら・・・

人は「弱い」のでしょうか?
そうは思いたくないな~・・・


RICHMAN’S GIRL

2007-06-20 00:25:47 | Weblog
浜省の世界ではもうおなじみのキャラ
  ちょっとスカしてるんだけれど
  本当はイノセントな寂しがりやの女の子
が主役です

その彼女を想う これまたおなじみの
ちょっとシャイな男の子の視線で歌われています

彼女 教室でもキャンパスでも大の人気者みたいです
でも彼女は「お金」のある男しか相手にしないみたいです

彼女は言ってのけます
  「やっぱりお金よ!愛なんてアテにならないもの」
そのお気持ちはわかります!

けどやっぱり本音ではわかっていますね
   「望みはすべて手に入れたのに
    なんで寂しさは消えないの・・・?」

やがて彼女は丘の上から駆け下りてくるのでしょう
そう この彼女は「丘の上の愛」の彼女だった?のです

一方 男は彼女をずっと見守っています
本当の彼女を知っている彼は
今の彼女をなんとか目覚めさせてげたくて仕方ありません
もちろん彼女を大好きです
そしてこう言います
   「君がお金で動いてくれるっていうなら
    僕が君を買い占めたいよ・・・
    いくらだい?
    君の愛は・・・」

ある意味 「彼女を本当に幸せにできるのは自分なのだ」
と言っているようにも思えます

その自信何処から来るのかはわかりませんが
とっても大切だと思います

お金と愛・・・
いつも比較され「どちらをとるの?」
と言われがちですが
どちらも大切です
お金がなくては愛は育ちづらいし
お金があれば愛は潤います
けどお金がなくても愛があれば幸せは感じられます
お金・・・
それは愛の潤滑剤
そう思います
むやみに否定しなくていい
愛とお金は絶対共存すべきです

この歌の彼女は
物欲にとらわれてしまったことが「失敗」でした
だから「寂しい」
お金が「目的」になってしまったから・・・

「目的」は「愛を生きること」であって
そのためのツールとしての「お金」
それをわかっていたら
彼女は十分幸せを感じていたはず

それにしても私も
もっと「経済的に自由」でいたいですな~

    

晩夏の鐘

2007-06-17 07:44:14 | Weblog
   夕日に浮かんでるシルエット  
   白い帆の行方を見てる
   ワインのさわやかな酔いに
   潮風を肩に感じて
   A LATE SUMMER
   過ぎた日々・・・
   セピア色の想い出
   さざ波のように消えてゆく
   微笑み寄り添って浜辺を歩く老夫婦(ふたり)
   黄昏の中溶けてゆく
   静かに鳴り響く晩夏の鐘の音に導かれて
   鐘の音に導かれて・・・

アルバムではインストロメンタルですが
12インチシングルでは歌になっていますので
取り上げました

この歌 静かに素朴に風景写真のように
しっとり簡潔に歌いこまれています

この歌を聴いたとき
胸の奥にやさしい温かい
けれど涼しげな風を感じたことを覚えています

自分たちも 
子供の成長を見届け
夫婦ふたりの時間になったときは
この歌の中で歌われているような
男と女でありたいと思っています