1960同級会

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久しぶりですよね?

2008-01-29 07:43:21 | Weblog
72年以来のセンバツ出場が決まった成章(愛知県田原市)は3年連続の21世紀枠候補だっただけに、「3度目の正直」の朗報に学校は大きな喜びに包まれた。

 野球部の歴史は102年。私立の強豪校がひしめく愛知県で、文武両立を掲げる県立の実力校として着実に力を付けてきた。

 グラウンドで部員たちに胴上げされた糟谷寛文監督(56)は目を潤ませて「生徒がめげずに、一人もやめることなく頑張ってきたことがこの日につながった」と歓喜をかみしめた。同校OBでもある糟谷監督には、40年前の「あの一球」から解放された瞬間だった。

 2年生だった68年秋。捕手として守備の要だった。東邦、中京(現中京大中京)、名電工(現愛工大名電)などの強豪を次々と破り県大会初優勝、中部地区大会(現東海地区大会)に出場した。初戦の岐阜南(岐阜)戦は九回表まで3-1でリード。当時の愛知県勢は中部大会で1勝すればセンバツ出場しており、「甲子園を意識した」と言う。

 ところが九回裏。外野飛球が風に流される不運もあり、1点を返されて無死満塁。迎えた4番打者はそれまでの3打席をカーブで打ち取った。この打席もカウント2-1と追い込み、糟谷捕手は勝負球にカーブを選んだ。しかし、それを強打され、右翼線への逆転サヨナラ二塁打。「あの打球の軌跡が今も夢に出る」。翌年のセンバツは補欠校だった。

 あれから40年。糟谷監督は「監督になった理由の一つが、あの試合。当時のチームメートからも、監督のうちに甲子園に一緒に行きたいと言われていました」と話し、晴れ晴れとした表情を見せた。