ねうねう句日記

いつか秀句をはきたいと、ねうねうとうち鳴きながら、より所なげに春の夜を・・・
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叔父さんとお別れ。夜光斎場から谷原のお寺

2012-05-23 18:22:50 | 日記

(川崎市南部斎苑吹き抜け)

五月十九日、静岡市臨済寺の今川忌を見て帰路につく。二時半の新幹線はいっぱいで驚いた。駅構内でまたまた車中の楽しみを買い込んで乗り込む。静岡のものはなんでもおいしい。安倍川もち、黒はんぺん、わさび漬け、この三点セットに何かあたらしく登場したものを加えるのが最近のお土産セットである。おにぎりやはんぺんを食べてうとうとしていると携帯が鳴る。見れば「N麦病院」!叔父の入院先だ。

従姉に連絡がつかず、第二連絡者の私にかけたという。叔父が危篤なので一刻も早くかけつけるように、という。叔父さんもうちょっと持ってください!!実は某所で書類の受け渡しがあり、それがすんでからでなくては駆けつけることができないのだ。

従姉とようやく連絡がとれ、彼女は三時半にN麦で叔父さんに対面できたという。病院紹介の葬儀屋さんの車で鶴見の葬儀ホールに叔父は安置されるからそちらへ来るようにという指示だった。

鶴見は総本山総持寺や鶴見大学で有名なところですね。一度は訪れたいところだが、亡くなった叔父との対面地になろうとは思わなかった。

鶴見駅に降り立つと天気は一転、雨が降り出していた。きれいなホール祭壇に叔父の棺が横たえられていた。戸塚からもう一人の従妹も。亡くなった夜に三人顔を合わせられるとは思わなかったが、良かった。やつれてもいず安らかな良い顔であった。葬儀屋さんといろいろ相談。火葬のこと、納骨のこと。ここでは叔父生前の希望であった「海にまいてくれ」問題を協議。葬儀屋さんに海に散骨のいろんな実態をきく。とっても大変、なので叔父さんの願いと言えども却下!でも田舎のお寺はぜ~ったい入りたくない、と言っていたので、叔母さんの位牌ともども何とかならぬか・・。

そこは葬儀屋さん、懇意にしているお寺に聞いてくれることとなった。

翌日従姉はもう一度鶴見のホールに出向いて詳細決定。環八の谷原交差点近くの著名なお寺の合祀永代供養塔に入れることになったという。谷原なら私の家からも近く、交通の便も良い。費用もおじさんの残したお金で間に合う。よかった~。しかし、これから叔父さんは浄土真宗で永代お祭りされることになる。本人は日蓮宗系無宗教だから特に拒む必要もない。

さて22日は葬儀の日である。朝から大雨の中、9時に鶴見のホールへ。従妹は渋滞でぎりぎりになるという。はじめて見る初老の男性が来ていた。叔父と従弟になるAさん。かなりしっかりした人だ。

川崎南部斎苑へと出発。最近できたばかりの火葬・葬祭の設備である。住所の夜光というのもなんだか不思議な名前である。近代的なのに驚いた。列席者は6人。お骨になるまでの間Aさんや従妹の旦那たちといろいろ話した。二人で組になりお骨を拾う。係りの方が主だった骨の説明をしてくれた。頭の骨の湾曲が父の頭を思い出させる。

それから一路高速に入って練馬に向かう。谷原のお寺には一時間少しでついた。ご住職は穏やかな雰囲気でほっとする。滋賀高田双林寺のご住職を思い出す。長いお経をあげてくださり、法話もしてくださった。私たちの縁戚は日蓮宗、曹洞宗が多く、浄土真宗の法要は初めてである。

49日に合祀供養塔に骨を納めるということで、もう一度はこちらに参集しようということになった。長い長い一日だった。雨は小やみになり、帰りに練馬区役所の展望レストランで軽食をとって解散。

かといって川崎市環境保険課との戦いはまだ終わっていない。3月までの保障費や療養費をまだ払ってくれていないのだ。無事に49日を迎えたいものである。

 

 

 

 


五月晴れの静岡・今川忌

2012-05-23 16:43:09 | 日記

(清水港・漁船)

叔父の転院先もやっと決まり、従姉も私もつかの間それぞれのスケジュールにもどることができた。

私は前から予定していた静岡臨済寺今川忌と友人の新居訪問へ行ってきた。ごたぶんにもれず出かけるまでの手配が大変だ。母をお守りしてもらう弟に快適に任務を全うしてもらうべく、掃除、布団干し、枕にうるさいので2,3個、パジャマも揃え、夕食朝食のメニューを書き、ステーキ肉解凍、野菜・ビール・お菓子を買って、パソコンができるようメモを残し、いったい何様に留守を頼んでいるのだあ? 

それでも当日はすばらしい五月晴れで浮かれきって家をでる。ややぎりぎりの時間なので新幹線は東京駅からではなく品川から乗ることにする。品川駅で当日券売り場に駆け込んだが勢い余って二三歩並び位置を過ぎてしまったら、もう二人に並ばれてしまった・・・切符を買ってまだ時間があると踏んで駅なかへお土産を買いに走る。まあ、目新しい動物クッキーがあるじゃないの、友人宅の可愛いお嫁さんにあげるのにぴったりだわ。店員がもたもた過剰包装するのジッと絶えて御代を払う。新幹線下りホームに飛び込んで発車時刻版をみると9時22分発岡山行きひかりがない!のぞみ。のぞみ、のぞみばかりだ!東京駅発9時3分、品川22分。・・・19分もかかるわけがない・・。なんのことはない、同行する友人が新横浜発9時22分だったのを、品川22分と取り違えていただけである。あ~あ。さっそく知らせると、「じゃー先に行ってるねー」と明るいお返事。次のこだまでいこうとは言ってくれなかった・・・。みんな大人になってるなー。「みやげ先に買っとかないからよ、バーカ」と耳元で声がする。

静岡駅北口は改修が終わり、広くきれいになっていた。少年のころの家康「竹千代君像」までありました。こぶりで感じの良い銅像だった。一般送迎レーンがすごく良い。南の新幹線口もこんなふうになればいいのに。

友人の新居はほんとに素敵になっていた。装飾も控えめでシンプル、合理的、快適この上ない。今夜のお泊りがホント楽しみ。荷物を置いてみんなででかけた先は清水港にある海鮮市場とレストラン。名物の大盛りのまぐろ丼をランチでいただきました。筆舌につくしがたい。苦痛に近いほどの大盛りで、ついに分厚い二きれを涙ながらに残してしまった。(次の写真は日本平・デジタル放送電波塔)

市場で晩の食材とお土産の干物を買って、そのあとのドライブコースは日本平・東照宮である。海に向かうケーブルカーは絶景だ。久しぶりに見る青い海。

超モダンな新居で夜中の二時ごろまで話し込み、就寝。でも私は本棚の手塚「ブッダ」を6巻読破いたしました。

翌日は今川義元の菩提寺臨済寺で今川忌である。普段非公開の寺なのでまたとないチャンスだ。山の中腹にある茶室はいったいどうしてこんなところに?と思うほど長く急な階段を上っていかなくてはならない。何か意味があるのではないかなー。

30名もの僧侶が行う法要は見ごたえ聞きごたえがあった。お経の唱和は声明にも劣らない音楽性があると思う。来年も来て、もっと詳しく記録したいものである。 

 (臨済寺特別公開・門前で出迎える僧侶二人、カッコいい!)