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ぽんぽこタヌキの独り言 Solilokui dari Rakun Pompoko

日本を見て、アジアを見て、世界を見て、徒然なるままに書き記す、取るに足らない心の呟き

「うるる」「うるるん」「うるうる」「うるだ」

2012年04月13日 07時25分41秒 | Weblog
最初の言葉「うるる」について、これを単独で眺めていても、特に何のイメージも湧いてこないけれど、たまさか日本の大手空調メーカーが新製品に「ウルルとサララ」というキャッチコピーを採用して、テレビのコマーシャルなどに流れるようになると、その言葉が「空調機器」のイメージに忽ちフィットして、「ウルル」には「潤んで湿った空気のイメージ」が湧き「サララ」には「サラッと乾いた空気のイメージ」が生まれるから不思議である。ただ、オーストラリアの原住民「アボリジニ」の人々があのコマーシャルを観たらどう感じるのだろうとふと考えたりする。なぜなら、あの有名な「アボリジニ」の人々が「聖地」と考えている「エアーズロック」を「ウルル」=‘Ururu'と呼んでいるからである。次の「うるるん」であるが、あるテレビ局の人気テレビ番組に「世界ウルルン滞在記」という番組がある。その番組では、若手俳優とか若手女優が世界の奥地に足を踏み入れ、その地の家族と生活を共にし、その生活体験のVTRを元にトークとクイズを織り交ぜて構成される紀行ドキュメンタリー番組である。1995年にスタートしたこの番組は度々のリニューアルを経て現在まで至っている。この番組では、若手男優や若手女優が現地での厳しい体験や現地家族との心温まる触れ合いを経験して、その別れ際に流す涙が非常に印象的である。そんなわけで、この番組の「ウルルン」は「涙ぐむ」をイメージした「うるるん」とばかり思っていたら、実は、この番組のコンセプトである『“出会、泊ま、見、体験(タイケ)』の送り仮名を単純に並べたものであったのである。ということで、「うるるん」と「涙ぐむ」が番組の流れの中で幸運にもフィットしたもののようである。ところで、日本と韓国の間の領土問題に「竹島」(獨島)の領有問題があって、ここの争いは、そもそも日本の鎌倉時代まで遡り、日本の海賊「倭寇」が活躍していた頃に、朝鮮側(当時高句麗)がここを緩衝地として「空島」にしたことに始まり、そこに日本の対馬あたりの漁民が入り込んできて、それに対して朝鮮側が日本の鎌倉幕府に抗議をしたとかしないとかというエピソードがあるようである。日本の幕府は当時、米子の「村川家」と「大谷家」に正式に渡海を公認していたようであり、一方の朝鮮側は「渡航を禁止」していたという事実もあるようだ。先般、日本の国会議員連中が「竹島」視察に足を運んだ時に、そのそばの「ウルルン島」(鬱陵島)で入島(入国)を拒絶されたという問題があったけれど、この「ウルルン島」というのが「世界ウルルン滞在記」の命名に何かしらの関係があるのかという疑念が一瞬生じたけれど、これはどうやら関係ないようである。次の「うるうる」であるが、これを切り離して「うる」とすれば、日本語では「売る」とか「得る」という動詞にはなるが、そこに「潤い」を想起させるニュアンスは出て来ない。ところが、2つ重ねて「うるうる」になると、最初の「うるる」のところで述べたように「潤んだ」というイメージを想起させる言葉の元となる擬態語になるのである。これを広辞苑で見てみると「うる‐うる」=「うるおっているさま。特に目がうるんでいるさま。」であり、まさに「潤うこと」「潤むこと」あるいはその様子を示す表現となるのである。そして最後の「うるだ」であるが、実はこれは韓国語で「泣く」という意味の言葉であり、これもまた「目を潤ませること」である。「うるうる」という擬態語が「潤むことをを示す擬態語」として現に日本語として存在していることを考えると、そこにはやはり、古来、奈良、飛鳥、平安の昔から渡来人として活躍した中国人や朝鮮人が多数いたことから、彼らが日本語の成り立ちの中に何らかの影響を与えたということは当然考えられるわけであり、そこに日本と韓国との緊密な連関を強く認識せざるを得ないと思うのである。

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