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ぽんぽこタヌキの独り言 Solilokui dari Rakun Pompoko

日本を見て、アジアを見て、世界を見て、徒然なるままに書き記す、取るに足らない心の呟き

「処女」と「童貞」

2014年08月20日 06時57分33秒 | Weblog

日本語で、標記の2つの言葉を見ると、日本人なら「ピン」ときて「にやり」って感じで、瞬時に「性体験のない無垢な女性」と「性体験のない無垢な少年」と理解するはずである。下衆な言い方をすれば、「男を知らない女」と「女を知らない男」である。

ところで、この「処女」と「童貞」の2つの言葉の「汎用性」ということに目をつけて比較してみると、「処女」の場合は、「処女性」「とか「処女作」というような言い方が存在する。「処女性」という言葉の意味は、①「女性が処女であること」であり、②「処女であるという性質・概念であり」また、③『何事に関しても「初めてのこと」を抽象的に扱う場合に用いられる言い方』である。また、「処女作」というのは、作家とか芸術家などが、世の中に売り出した「初めての作品」のことを言うのである。「童貞作」とか「童貞性」とかいう言い方はない。

歴史的に見れば、「処女」という言葉は「中国」から来訪した言葉であり、一方の「童貞」は、日本で作られた「国字」なのである。従って、中国語には「処女」という言葉はあるが、「童貞」という言葉はないのである。中国語的に見ると、「処女」というのは、日本の解釈と非常に似ており、「性体験のない無垢な女性」を意味し、「処女性」とか「処女作」ということも同じように使用される。そして、更に「性体験のない男性」のことも「処女」というのである。

さて、教会での結婚式では、新郎新婦が赤い絨毯の上を歩いて、教会の牧師さんの前まで行くけれど、その「赤い絨毯」のことを「ヴァージン・ロード」=’Virgin Road' というけれど、この「ヴァージン」=’Virgin'という言葉が、英語における「処女」という意味である。ただ、英語で「童貞」を英訳しても、「ヴァージン」=’Virgin'となるようで、この点は「中国語」と同じである。他の言語は知らないけれど、「処女」と「童貞」を区別しているのは、日本だけなのだろうか。そして、これは「英語」の「俗語」らしいが、「童貞」君のことを「チェリー・ボーイ」=’Cherry Boy' と言うようで、このことは日本人の中でも、結構、広範な方々の知るところとなっている。そもそも、この「チェリー・ボーイ」=’Cherry Boy' の「チェリー」=’Cherry' という単語に、「俗語」では「処女」とか「処女膜」とかいう意味があって、それは「処女を失った時に出る血の色」を「さくらんぼ」の色に見立てたものと考えられているようである。アメリカでも、日本と同様、「チェリー」=’Cherry'=「処女」という意味から派生し、「童貞」や「初心者」という意味で使用されるらしい。用法としては、この「チェリー」=’Cherry' も「ヴァージン」=’Virgin'と同様、「女性」にも「男性」にも使用されるのである。先に述べたように、「チェリー・ボーイ」=’Cherry Boy'=「童貞」ということは、かなり日本人の中に浸透しているが、「チェリー」=’Cherry'に「処女」という意味があることは、日本人の中ではあまり知られてないのではないかと思う。

男女の関係における「処女」や「童貞」は、かなり希少なものになっているのではないかと思うけれど、世界的に見ると、女性の「処女性」が「神聖なもの」「穢れなきもの」「清純なもの」としてみなされているようだ。例えば、インドネシアの「神の島」とも呼ばれている「バリ島」には、様々な神聖な踊りが存在するけれど、その踊りを踊る「女性の踊り子」は「処女」でなければならないとされている。また、「フランス」や「イタリア」などで「ワイン」を作るときに、摘み取った「葡萄の実」を足で踏んで潰す工程があるけれど、その「葡萄の実」を潰すのは「処女の女性」の足でなければならないとされている。また、古代ローマの「ウェスタ」=’Vestalis’ の「巫女」や「シスター」などは、「処女でなければならない」とする規則があったようである。

ただ、インドネシアでは、「一晩の愛」とか「結婚前にできちゃった」ことを歌にした「まず妊娠」とかいう題名の「ダンドゥット」=’Dangdut' (歌謡曲)が流行っている現状を見るに、果たしてバリ島の「女性の踊り子」は本当に皆んな「処女」なのかどうかは疑わしい限りである。最近、食後に嗜むようにになった「赤ワイン」であるが、これについても、果たして「処女の足踏み」で作られているのだろうか。消費者としては、「足踏み」する女性が、「処女だろうがなかろうが」味に大きな違いがなければ、どうでもいいことであるし、バリの踊りについても、「女性の踊り子」が「処女であろうがなかろうが」踊りを観る側としては、「踊りがうまければいい」訳なんだけれど、「どうみても処女ではない」と思えるような「おばちゃん」が踊るのは、観たくはないし、「処女であろとかうがなかろうが」やはり「可愛らしい若いお嬢さん」の踊りが観たいというのが正直なところである。とはいえ、依然、現在も「処女性」が保たれているのであれば、それは、是非、今後とも「死守」して欲しいと思うのである。

 

 

 


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