6月25日(水)マッシモ・ザネッティ指揮 NHK交響楽団
《6月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1.モーツァルト/歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」序曲
2.モーツァルト/アリア「だれが知っているでしょう、私のいとしい人の苦しみを」K.582
3.モーツァルト/アリア「私は行ってしまう、でもどこへ」K.583
4.モーツァルト/アリア「大いなる魂と高貴な心は」K.578
5.R. シュトラウス/歌曲集 作品17から「セレナード」
6.R. シュトラウス/歌曲集 作品56から「東から来た3人の王」
7.R. シュトラウス/歌曲集 作品27から「あすの朝」
【アンコール】
R. シュトラウス/献呈 Op.10-1
以上ソプラノ独唱:リサ・ラルソン
8.R. シュトラウス/交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」作品30
今夜のN響定期の聴きは前半のリサ・ラルソンのソプラノ。その前に幕開けとして演奏された「コジ・ファン・トゥッテ」序曲は青山さんの色っぽいオーボエの導入に始まり、軽快な中にも「妖しげな男女の駆け引き」を感じる官能的な遊び心の響きが聴こえた。
さて、それからはラルソンの一人舞台だ。初めて聴くこの歌い手、ステージに現れたときのチャーミングな容姿とたおやかな振る舞いからすでに聴衆を魅了した。そして発した第一声で完全に聴き手の心をつかんだ。清らかで高貴で柔かな美声。音楽の流れにさりげなく乗った自然な息遣いと歌いまわし、言葉が持つ表情を、とりたてて飾り立てることなく伝える「話術」… 全てのものがあるべき場所から理想的な姿でこちらに向かって囁き、語りかけ、あるときは訴えかけてくる。
余計なことは何もしなくてもその音楽の魅力を自然に伝えてしまうようなモーツァルト(実はこれは本当に難しいことのはずだが)も、一瞬だけ気持ちを溜めてそこに魅惑的な世界を凝縮し、聴き手の心をくすぐるシュトラウスも、ラルソンはそれぞれの曲の素材の味を最高に引き出すためのレシピを、持って生まれた嗅覚のような感覚で手に入れ、それを極上の料理として提供する技を持っている…
「ラルソンの一人舞台」と書いたが、オーケストラも実に敏感に音楽のエッセンスを捉え、繊細で生き生きとしたタッチと豊かな色彩で歌と語り合い、或いは和合して、モーツァルトとシュトラウスの歌世界をつくりあげた。ザネッティは合わせるのがうまいなと思った。アンコールで「献呈」を聴けたのも嬉しい。次はラルソンをオペラの舞台かリサイタルで聴きたい!
後半の曲目は言っちゃあ悪いが僕にとっては付録のようなもの。そもそもシュトラウスの意味深長で大がかりな部類の交響詩は肌に合わないところがある… でも以前(03年)シナイスキー指揮のN響で同じ曲を聴いた時は、有機的な音のつながりと豊潤な響きに感じ入った記憶もあるし、何か収穫はあるかもと思って聴いていたが、取り立てて上げるところは見つからなかった。印象に残ったことと言えば、ザネッティが終演後に管楽器やパーカッション奏者を一人ずつ立たせていたのにオルガニストを立たせるのを忘れていたみたいで、堀さんが気を利かせてザネッティに耳打ちしてオルガニストも無事に喝采を浴びたシーンぐらい…
《6月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1.モーツァルト/歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」序曲
2.モーツァルト/アリア「だれが知っているでしょう、私のいとしい人の苦しみを」K.582
3.モーツァルト/アリア「私は行ってしまう、でもどこへ」K.583
4.モーツァルト/アリア「大いなる魂と高貴な心は」K.578
5.R. シュトラウス/歌曲集 作品17から「セレナード」
6.R. シュトラウス/歌曲集 作品56から「東から来た3人の王」
7.R. シュトラウス/歌曲集 作品27から「あすの朝」
【アンコール】
R. シュトラウス/献呈 Op.10-1
以上ソプラノ独唱:リサ・ラルソン
8.R. シュトラウス/交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」作品30
今夜のN響定期の聴きは前半のリサ・ラルソンのソプラノ。その前に幕開けとして演奏された「コジ・ファン・トゥッテ」序曲は青山さんの色っぽいオーボエの導入に始まり、軽快な中にも「妖しげな男女の駆け引き」を感じる官能的な遊び心の響きが聴こえた。
さて、それからはラルソンの一人舞台だ。初めて聴くこの歌い手、ステージに現れたときのチャーミングな容姿とたおやかな振る舞いからすでに聴衆を魅了した。そして発した第一声で完全に聴き手の心をつかんだ。清らかで高貴で柔かな美声。音楽の流れにさりげなく乗った自然な息遣いと歌いまわし、言葉が持つ表情を、とりたてて飾り立てることなく伝える「話術」… 全てのものがあるべき場所から理想的な姿でこちらに向かって囁き、語りかけ、あるときは訴えかけてくる。
余計なことは何もしなくてもその音楽の魅力を自然に伝えてしまうようなモーツァルト(実はこれは本当に難しいことのはずだが)も、一瞬だけ気持ちを溜めてそこに魅惑的な世界を凝縮し、聴き手の心をくすぐるシュトラウスも、ラルソンはそれぞれの曲の素材の味を最高に引き出すためのレシピを、持って生まれた嗅覚のような感覚で手に入れ、それを極上の料理として提供する技を持っている…
「ラルソンの一人舞台」と書いたが、オーケストラも実に敏感に音楽のエッセンスを捉え、繊細で生き生きとしたタッチと豊かな色彩で歌と語り合い、或いは和合して、モーツァルトとシュトラウスの歌世界をつくりあげた。ザネッティは合わせるのがうまいなと思った。アンコールで「献呈」を聴けたのも嬉しい。次はラルソンをオペラの舞台かリサイタルで聴きたい!
後半の曲目は言っちゃあ悪いが僕にとっては付録のようなもの。そもそもシュトラウスの意味深長で大がかりな部類の交響詩は肌に合わないところがある… でも以前(03年)シナイスキー指揮のN響で同じ曲を聴いた時は、有機的な音のつながりと豊潤な響きに感じ入った記憶もあるし、何か収穫はあるかもと思って聴いていたが、取り立てて上げるところは見つからなかった。印象に残ったことと言えば、ザネッティが終演後に管楽器やパーカッション奏者を一人ずつ立たせていたのにオルガニストを立たせるのを忘れていたみたいで、堀さんが気を利かせてザネッティに耳打ちしてオルガニストも無事に喝采を浴びたシーンぐらい…
私事ですが今日は私の結婚記念日(で少し酔っ払っているのでゴメンナサイ)。当時、友人からの贈り物はモーツアルトの(ベームの)交響曲全集でした。それと披露宴のバックグランドミュージックを、こんな機会ニ度とないと思って自分で選曲したんです。カセットテープに吹き込んでこの順番でかけて下さいねと係りの人に頼みました。こんな曲を使いました。カノン(パツフェルベル)、フルートとハープのための協奏(モーツアルト)、ジークフリート牧歌(ワーグナ)、それから全員で知床旅情を唄って、弦楽セレナーデ(チャイコ)でお開き。アダージョ(マーラ-)を使いたかったのですが、前日の夜に会場で音が流れるかリハーサルをやってみたんです。あんまり暗くて家内から却下されました。そのとき部屋で一人で聞く曲と祝典でウケル曲とは違うんだな~って気がつきました。でも私が死んだときにはシュトラウスの4っの最後の歌を流してもらうように遺言しておこっうと。
バッハ/クリスマスオラトリオ第2部~シンフォニア
バッハ/クリスマスオラトリオ第3部~冒頭合唱
モーツァルト/フィガロの結婚~間奏の音楽(ダンスの場面だったかな…)
メンデルスゾーン/おなじみ結婚行進曲
マスネ/タイスの瞑想曲(弟のヴァイオリンと私の伴奏によるデュオ)
それに、自作の曲をいくつか入れました。
有名なワーグナーの結婚行進曲はあのオペラの破局的なストーリーを思い出すのでやめました。マーラーのアダージョ、あれはやっぱり映画の「ベニスに死す」が思い浮かびますねー、奥さんのお気持ちわかります。