11月16日(土)イェルク=ペーター・ヴァイグレ指揮 紀尾井シンフォニエッタ東京
レーゼル シューマンの詩情を弾く ~第92回定期演奏会~
紀尾井ホール
【曲目】
1.メンデルスゾーン/弦楽のためのシンフォニア第7番 ニ短調
2.シューマン/ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54
【アンコール】
シューマン/トロイメライ
Pf:ペーター・レーゼル
3.シューベルト/交響曲第5番 変ロ長調 D485
今月の紀尾井シンフォニエッタのプログラムはぼく好み、指揮者は知らないけれど、ピアノは一昨年までベートーベンのソナタ全曲演奏会で素晴らしい演奏を聴かせてくれたペーター・レーゼルという期待大のコンサート。
まずはメンデルスゾーンがまだ少年時代に書いた弦楽オーケストラのためのシンフォニー。今日のコンマスはゲストで、ロシア人のバラホフスキー。チューニング開始ですっくと立ち上がり、aの音を弾く姿がスマートでとてもサマになっていたが、弦楽合奏もとてもスマートで颯爽とした演奏。曲は係留音を多用した味わい深い第1楽章から対位法を駆使して勢いのある終楽章に至るまで、「習作」の域を越え、メンデルスゾーンの早熟ぶりを如実に物語った秀作。演奏もデリケートでかつ瑞々しく、ワクワクする好演で幸先いいスタート。
次はレーゼルをソリストに迎えた期待のシューマン。2年ぶりに聴くレーゼルのピアノは変わらず無理なく豊かに響く。音楽から美味しいエッセンスを引き出し、それにくっきりとしたコントラストを与え、聴き手の心にビーンと共鳴させる巧さは、ベートーベンのソナタのときと同様に職人的な技の冴えを感じさせる。そうした意味でこのシューマンはとても雄弁で明快な演奏に終始した。オーケストラもパートの色分けが明瞭で鮮やかで生き生きしていた。
けれど、溢れる詩情とか、切なさとか、はにかむ表情といった、僕にとってはシューマンの音楽に欠かせない要素があまり伝わってこない。アンコールで弾いたトロイメライもそうだが、レーゼルの誠実で明瞭なアプローチは「よこしま」なシューマンの音楽には似合わない気がした。
後半のシューベルト、これもメンデルスゾーンのときと同様、デリケートに歌を紡ぎ、活き活きとリズムを刻み、メリハリの効いた好演。しかしそれだけで終わってしまった、という印象が大きい。きれいに仕上がったあと、最後に効かせるスパイスがほしい。指揮者には失礼な言い方になってしまうが、この程度の演奏であれば、腕の立つ演奏集団である紀尾井シンフォニエッタなら、指揮者なしでもできてしまう気がした。指揮者がその上に魂を入れて最後の仕上げをする役目を果たしてこそ、非凡な演奏として聴き手の心に刻むことができるのだろう。
レーゼル シューマンの詩情を弾く ~第92回定期演奏会~
紀尾井ホール
【曲目】
1.メンデルスゾーン/弦楽のためのシンフォニア第7番 ニ短調
2.シューマン/ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54
【アンコール】
シューマン/トロイメライ
Pf:ペーター・レーゼル
3.シューベルト/交響曲第5番 変ロ長調 D485
今月の紀尾井シンフォニエッタのプログラムはぼく好み、指揮者は知らないけれど、ピアノは一昨年までベートーベンのソナタ全曲演奏会で素晴らしい演奏を聴かせてくれたペーター・レーゼルという期待大のコンサート。
まずはメンデルスゾーンがまだ少年時代に書いた弦楽オーケストラのためのシンフォニー。今日のコンマスはゲストで、ロシア人のバラホフスキー。チューニング開始ですっくと立ち上がり、aの音を弾く姿がスマートでとてもサマになっていたが、弦楽合奏もとてもスマートで颯爽とした演奏。曲は係留音を多用した味わい深い第1楽章から対位法を駆使して勢いのある終楽章に至るまで、「習作」の域を越え、メンデルスゾーンの早熟ぶりを如実に物語った秀作。演奏もデリケートでかつ瑞々しく、ワクワクする好演で幸先いいスタート。
次はレーゼルをソリストに迎えた期待のシューマン。2年ぶりに聴くレーゼルのピアノは変わらず無理なく豊かに響く。音楽から美味しいエッセンスを引き出し、それにくっきりとしたコントラストを与え、聴き手の心にビーンと共鳴させる巧さは、ベートーベンのソナタのときと同様に職人的な技の冴えを感じさせる。そうした意味でこのシューマンはとても雄弁で明快な演奏に終始した。オーケストラもパートの色分けが明瞭で鮮やかで生き生きしていた。
けれど、溢れる詩情とか、切なさとか、はにかむ表情といった、僕にとってはシューマンの音楽に欠かせない要素があまり伝わってこない。アンコールで弾いたトロイメライもそうだが、レーゼルの誠実で明瞭なアプローチは「よこしま」なシューマンの音楽には似合わない気がした。
後半のシューベルト、これもメンデルスゾーンのときと同様、デリケートに歌を紡ぎ、活き活きとリズムを刻み、メリハリの効いた好演。しかしそれだけで終わってしまった、という印象が大きい。きれいに仕上がったあと、最後に効かせるスパイスがほしい。指揮者には失礼な言い方になってしまうが、この程度の演奏であれば、腕の立つ演奏集団である紀尾井シンフォニエッタなら、指揮者なしでもできてしまう気がした。指揮者がその上に魂を入れて最後の仕上げをする役目を果たしてこそ、非凡な演奏として聴き手の心に刻むことができるのだろう。