2008年11月4日(火) フルネの訃報 バルトリのキャンセルの通知がきて不機嫌になっていたところへ、夕刊(毎日新聞)に小室哲哉の事件の記事の片隅にジャン・フルネ氏死去を伝える記事を見つけてバルトリのことなんか吹き飛んだ。 ジャン・フルネは僕の中では最も大切な指揮者だ。演奏会に通うようになり始めた初期の頃に初めて会員になったオーケストラが都響。その会員になった年の1980年の9月にフルネが都響を指揮したのを聴いた。モーツァルトの39番、内田光子との共演でシューマンのビアノコンチェルト、それにラヴェルのラ・ヴァルスというプログラム。 この演奏会は僕にとってはひとつの事件と言えるほどに衝撃的だった。それまで聴いていた都響が悪いというわけではないが、それまでの音とは全然違い、エレガントで芳香に溢れ、それに何か神がかり的なものを感じる高いテンション。フルネの指揮棒が魔法のステッキのように見えた。 それからもフルネは度々都響に客演し、その度に尋常でないほどの、魔法にかけられたような超名演を重ね、僕のフルネへの思いや次への期待は特別なものになっていった。書き綴ってきた演奏会の感想をめくっていると次々とフルネの名演が甦る。82年に簡易保険ホールで聴いた「幻想交響曲」、83年の都響定期で聴いたフォーレの「レクィエム」やシュトラウスの「薔薇の騎士」組曲… これらの演奏を聴いてもう四半世紀以上も経ってしまったが、「幻想」でも「フォーレク」でも「薔薇の騎士」でも、その後の誰のどんな演奏に接してもこの時の目眩がするほどの、或いは天にも昇るような名演にはその後出会うことはない。最初に味わった感動というのは特別な感情も含まれるかも知れないが、これらの「出来事」、特にこれらの曲に関してはその後の演奏会に臨むときの一つの指標にさえなってしまっている。 その後もフルネの客演にはいつもワクワクして臨んだ。都響の会員をやめたあとも、フルネが都響を振るときはできるだけ聴くようにした。N響や新日フィルに客演したときも聴きに行った。 どの演奏も素敵ではあった。期待をほぼ100%満たしてくれるような演奏も度々あった。けれど、あの最初の頃のような期待を120%も上回るような演奏にはなかなか出逢えなかった。120%の演奏というのはどんなに気合いを入れてもそういつもできるものではない、と思うしかないのだが、やっぱりまたあの感動を体験したいという思いとそれへの期待がいつでもあった。 そんな中で2004年に都響に客演したフォーレの「レクィエム」は、82年の名演とはまた違った「死」と対峙したような差し迫った演奏に心を奪われ、そしてあの都響とのラストコンサートがもう一つの素敵な忘れられないクライマックスとなった。それまでに、かけがえのない名演をたくさんプレゼントしてくれたうえに演奏活動の最後の最後で再び大輪を咲かせてくれたフルネ、そしてフルネとは切っても切れない関係を築いた都響にあらためて感謝した。 フルネさん、本当にありがとうございました。届けてくださった数々の名演は僕にとって永遠の宝物であり続けることでしょう… |
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私もフルネの訃報は衝撃をもって受け止めましたので、トラックバックさせていただきました。
私がフルネの実演を聴き始めたのは1990年代半ば。pocknさんの記事を拝見して、1980年代まだ目も耳も健康だったマエストロのマジックに接したかったなと、叶わぬ思いにかられました。
せめてこれを機に、放送録音やフォンテックのディスクがさらにリリースされて、氏の音楽を振り返る機会が得られればと思っています。