神奈川中央交通の厚木営業所には薪ガス発生装置を搭載した石油代用燃料使用装置設置自動車つまり、代燃車のバスが保存されている。その名を三太号という。代燃車とは戦中戦後、燃料統制により入手難となったガソリンの代わりに薪を燃やし、発生したガスを用いてエンジンを起動する自動車のことである。
既に稼働中の発生装置に近づくと薪を燃やす匂いが辺りに漂っていた。一定量のガスを発生させるため、薪には材料や大きさに基準が設けられていた。その材料は堅木(楢、クヌギ、栗、桜、モミ、白樺など)である。当日はどの材料だったのだろうか?何か懐かしさを感じる匂いが漂っていた。また、自動車をガスで動かすというと、現代においては珍しいと思う方もおられるだろうが、ガスで動く自動車は現代でも珍しいものではない。
今でも世の中の法人タクシーのほとんどの車両はガスで動いている。薪とプロパンの違いはあるが、この代燃車と同様、ガソリンエンジンをベースとしたガス自動車である。そのタクシー達のほとんどは4気筒エンジンを搭載した排気量2リッターの車両だが、この代燃車 三太号は6気筒OHVエンジンを搭載していた。全長7メートル少々のバスを動かすそのエンジンは、掲示してある資料によると排気量3.8リッター、定員が40名で平坦路において時速57キロのスペックだったようだ。
先述したように戦中戦後は燃料の入手難により多くのバスは代燃装置を取り付けられていた。鉄道車両においてもガソリンカーは代燃装置を取り付けられ走っていたそうだ。そんな戦中戦後を代表する代燃車だが、このバスはその時代に使われていたバスの生き残りではない。レプリカである。ベースの車両は1950年製のトヨタトラック。昭和25年、戦後生まれのトラックだ。そのエンジンルーム内のプレートにはトヨタ号と記されていた。
そしてこのバス、元の姿は驚くことに真っ赤に塗られた消防車だった。トラックの構造は今時の乗用車とは違いシャシーにボディーを架装したものなので、その消防車のボディーを下ろして新たに製作したバスボディーを架装したのがこの神奈中 三太号である。今から20年位前に作られたこのバスはあちらこちらと回っては展示公開されていた。その頃は製作途中の写真も展示されていて、元の真っ赤な消防車時代の写真も展示されていた覚えがある。更には戦中戦後を思わせる車掌の制服を纏った女性も同行し回っていた。ワタクシは20年くらい昔、平塚市総合公園に来ていたこの三太号に偶然遭遇し、車掌さんと共に記念写真を撮ったはずだが、あの写真はどこへいったのだろう・・・・・。
以前は自走して各地に赴いたこの代燃車 三太号も、自動車排出ガス規制により今では公道走行ができない状態にあるようだ。薪を燃やす懐かしい匂いを漂わせ、エンジンも快調に稼動するのに残念である。昨今においては甦ったSLが煙を吐きながら走る姿が増えた中、代燃車も薪の匂いと共に公道を走る姿を見ることができる日を!と想い已まないワタクシである。
なぁ~んだ、だったらワタクシも道路交通法上は運転出来るじゃん!
実走可能な薪ガス発生装置バスがある、とは知らなかったです。
内燃機関に詳しいわけではないのですが、
開発期の内燃機関(主に定置式)の燃料は
石油等の液体燃料より、ガス燃料の方が優勢だったと聞いてます。
欧州では液燃が優勢になった以後もたまにガス燃料の気動車とかが作られたようです。
https://lh3.googleusercontent.com/-9N9_s3mX2V0/Tigc5SvFAqI/AAAAAAAAKUQ/pWHrICO4L4o/s800/img843.jpg
↑例えば1935年、リトアニアでは狭軌用では立派な木炭ガス燃料の新車が作られてます。
ガス発生機は高さ6ft. 直径2ft. の円筒と書かれてますが、詳細不明です。
発生機そのものの写真が無いので、中途半端な投稿になってしまいました。すいません。