*** Plaisir de voyager ***

非日常的な旅で遭遇する色々な体験のお話です。Various enconters in unusual travels.

ル・ピュイ巡礼で出会った人々(4)Les hommes que j'ai vu sur le chemin du Puy (4) 

2014-05-24 | ル・ピュイの道 Chemin du Puy en Velay

ル・ソヴァージュでの夕食のひととき

  

巡礼で出会った人々 Les hommes que j’ai rencontre durant mon pelerinage

4)その他の出会い Autres Rencontres

 1.  ツールーズから来たフランス人、ブリジット

  ブリジットと出会ったのは、第1日目の巡礼を終えて泊まったサン・プリヴァ・ダリエのホテルでした。夕食時、私の友人ルネと一緒に、ホテルのレストランでテーブルをご一緒することになったのがきっかけです。彼女は、南西フランスのツールーズ住んでいる、50-60歳くらいと思われるご婦人でした。

  私がテーブルに出された料理に殆ど手をつかないのを見て、家族同様に気にかけてくれました。“明日もまた歩くのだから、しっかり食事をしないと体力が持ちませんよ”と心配してくれたのです。

  “恐らく私の食欲がないのは、重いリュックを背負って1日中山道を歩いたために、過労状態になったのだろう”と説明しました。するとブリジットは、“出発地のジットからその日の目的地のジットまで、荷物を運んでくれる宅配サービスがありますよ。私はそれを利用していますが、とても便利ですよ!”と教えてくれました。

  彼女は続けて、その宅配サービスの会社は、Transbagagesと言う会社です。明日の朝8時頃にこのホテルにピックアップに来てくれることになっていますから、準備をしておいてください。”と言ってくれました。その言葉にしたがって、私は翌朝ブリジットに立ち会ってもらって、その宅配サービスを利用することにしました。お蔭で、翌日以降の巡礼は、軽量のナップサックだけを携行して歩くことができるようになり、とても助かりました。

 ロシュギュドに向かうブリジットの後ろ姿

  ブリジットとは、翌日の巡礼をご一緒しましたが、アリエ川を見晴らすマドレーヌ礼拝堂で一緒にお昼の休憩をした後は、“自分はもっとゆっくりしたペースで歩きたい”とのことだったので、そこで別れることにしました。

 

2.ノルウエイ牧師夫妻

  第2日目、ロシュギュドの遺跡に着いた時、私に日本語で話しかけて来たヘンな外国人がいました。その人はノルウエイの牧師さんですが、宣教師として大阪の教会に赴任し、数年住んでいたとのこと。その時に日本語を習得したらしく、とても流暢でした。また、奥様も日本語の日常会話達者でした。今は、ノルウエイに住んでいるが、日本を懐かしがっていました。

 ノルウエイ牧師夫妻(中央が私)

  この牧師さん夫妻とは、その後2-3度お会いする機会がありましたが、第7日目の昼頃エスタンのロット川の畔でお会いしたのが最後でした。

 

3.カナダ人の若者

  休暇シーズンでもないのに、9月下旬に巡礼の旅をしている若者は殆どおりません。彼は、その数少ない若者で、アロンと言う名前でした。カナダに住んでいるが、親戚がロンドンにいるので、ロンドン経由でル・ピュイにやって来て、巡礼を始めたとのこと。

  最初の出会いは2日目、ソーギュへ向かう道中でした。彼は、ナント70kgのリュックを背負っていました。その上に大瓶のスコッチ・ウイスキーが2本入った手提げを抱えていました。体格はお相撲さんの様な大男でしたが、巡礼道を歩くには、無謀としか言いようがありません。案の定、荷物の重さに耐えきれず、数日後にはリュックの重さは30kgに減らしたと言っていました。

 オーブラック山地で休憩するアロン君

  アロン君には、もうひとつの問題点がありました。彼は全くフランス語ができないのです。カナダと言っても、非フランス語圏の出身とのこと。しかし、フランスの巡礼道を歩く人は、7割がフランコフォン(フランス語を話す国の人)、2割がドイツなど非フランス語圏から来ているがある程度のフランス語ができる人、残りの1割は全くフランス語ができない人です。

  一方、巡礼者の中には英語を話せる人も3割くらいいますが、通常はお互いにフランス語で会話をしているので、彼は食事の席でも、団欒に加わることができず一人ぼっちでした。

  彼の目的地は、聖地サンティアゴ・デ・コンポステラですから、フランスを約1か月、スペインも約1か月歩くことになります。スペインに入ると、英語を話す人が5割くらいに増えますので、アロン君もほっとするでしょう。

 

4. オーリヤックから来たフランス人技師

  第2日目の夜は、ソー-ギュで2人部屋のジットを予約していましたが、誰が同室のパートナーとなるか不安でした。ところが、ル・ピュイ大聖堂を出発時に顔見知りとなったジャックさんが同室であることが分り、ほっとしたことを覚えています。

  彼は、このル・ピュイ巡礼路の出発地に近い、オーベルニュ地方の中堅都市オーリヤックから来た人でした。 最近まで、土木技師として働いていましたが、今は年金生活を送っています。英語は余り得意ではなかったので、私の下手なフランス語で会話をすることになりましたが、とてもまじめで正義正しい人でした。

  巡礼第6日目の事ですが、彼は巡礼仲間が話した日本の俳句に関心を持ち、俳句の事で頭が一杯になり、眠れぬ夜を過したと、私に語ってくれました。そこで、私は次の句を作りました。

  “秋の夜 眠れず過ごした ジャックかな”

  これを、フランス語に訳して説明すると、ジャックさんはとても喜んでくれました。また、彼自身も頭をひねって、フランス語で俳句を詠みました。それを、日本語に訳すと次の通りです。

 “秋風が 巡礼の背を押す サンテイアゴへ” 

 雨の中をコンクに向かうジャックさん 

  私は、今回の巡礼ではフィジャックが目的地でした。そのフィジャックから4kmほど手前の村に、ジャックさんのお子さんが住んでいるとのことで、そこでお別れすることになりました。村の入り口には、お子さんとお孫さんが車で出迎えに来ていました。

 お孫さん達を抱きかかえるジャックさん 

  ここで、可愛らしい二人のお孫さんとハグをしてから、ジャックさんのご家族とお別れしました。

 

 

    

 


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