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アートコラム ユトリロとヴァラドン 母と子の物語展

2022-06-30 11:02:00 | アートコラム



「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語 展」の感想  2015年6月
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

パリの風景を丹念に描いたユトリロと母親ヴァラドンの絵画展を、新宿の高層ビルの最上階の美術館で観るというのも、この展覧会に更なる筆の一色を加える様な妙があると思います。

ユトリロは精神的にも家庭生活にも幸福ではなかったのですが、そのリハビリのために街並みを描くことで当初の白の時代の傑作群を残します。確かにその時期の彼の描く街並みの壁は重い重い精神性の絵の具に塗りこめられ街ゆく人々は皆、作者の人間関係を表すように遠くに陰鬱な衣をまとって不安の肖像(諸星大二郎)の様に佇んでいます。




展示は時系列で後記色彩の時代の作品を続けて提示することにより、絵画や彼の不器用ながら築き上げた人間関係によりユトリロが救済されていった様子を見せてくれます。何よりも変わったのは画中の人々で服装も体型も明るく丸みを帯びて不安の対象からコミュニケーション可能な対象として存在するようになります。僕らは苦しむ芸術家が救われる様子を見てホッとする反面、絵としての物足りなさを感じ観覧順路をまた以前の病んだ絵の前に立ち戻り、奇妙な満足感を抱くことになってしまいます。アートとは不思議なモノでありますね。




さてこのようなユトリロ君の葛藤の作品群の中に、なんというかプリミテイブで迫力と自信に満ちた絵が代わる代わる掲げられています。力強い輪郭線でモデルと真正面から対峙して迷いの無い色使いでオラオラアッと描かれた絵。これがユトリロ坊やの母親ヴァラドンの絵です。




とても親子とは思えない絵との距離感:先ほど文に出た、遠くからしか人物を描けなかった白の時代の息子の絵が隣に並んでいます。この対比だけでこの親子の関係や人付き合い、暮らしぶりが解るようになってるのです。
自分の気持ちに嘘はつかないわっ。的な愛情相関図を展開する芸術家の母親、その近くで淋しく、やはり芸術に縋るしかない息子。不幸なわけではないけれども、何とも言いようのない孤独。一番つながりあいたい対象にとって自分がいちばんではない淋しさ。そんなどこかで見てきたような一篇の映画を見たような気にさせてくれる、巧い展覧会です。





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