村上春樹さんの『職業としての小説家』を読みました。
作家・村上春樹がいかにして誕生したか、
いかにして小説を書いているか、
というようなことが書かれています。
いつも思うことですが、
村上春樹にはブレがない。
その思考をたどっていくと、
きちんと着地させてくれるところがありがたい。
結論が明らかとか、論理が鮮明とかいうのではなく
ストンと心に落ちる、という感覚です。
だから、村上春樹のエッセイは、
読む喜びがあるのだと思います。
12の文章で構成されていて、
どれも面白いですが、
第十二回の「物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出」で
物語について語られているところに
興味を惹かれました。
村上春樹は河合先生と、「物語というコンセプト」を共有していた
と村上春樹さんは語ります。
~物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです。
人の魂の奥底にあるべきものです。
それは魂のいちばん深いところにあるからこそ、
人と人とを根元でつなぎ合わせられるものなのです。
僕は小説を書くことによって、日常的にその場所に降りていくことになります。
河合先生は臨床家としてクライアントと向き合うことによって、
日常的にそこに降りていくことになります。
あるいは降りていかなくてはなりません。
河合先生と僕とはたぶんそのことを「臨床的に」理解しあっていた
──そういう気がするんです。
ここで村上春樹さんのいう物語について、余計な説明をくわえるのは
やめておこうと思います。
おぼろげながらイメージはあるけれど、
人によって受け取り方も、理解する基準点も違うでしょうから
余計なお世話になりそう。
でも、読者も著者が書き表したテキスト(物語)を読むことで
物語を共有することができるということですよね。
なんにしても、読み応えのあるエッセイ集、あるいは思想本でした。
村上春樹さんが六十代にならんとする辺りから出版されたエッセイ集は
★『走ることについて語るときに僕が語ること』
★『小澤征爾さんと、音楽についての話をする』
いずれも深い考察と、
それと併走するように見え隠れする村上春樹さんの活動が
リズムよく語られ、
読むことで、とても高い領域に連れていってもらえる気がします。
生きていることに嬉しさがともなうような、
そういう読中・読後感があるのが、
とてもいいなと思います。
今度は『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』が読みたくなりました。