ぼくぽてちん忘備録

a chainless soul
ずーっと夏休み

距離と線引き

2012-03-28 18:41:24 | 日記
「被災国の物理的な被災が極めて少ない被災国民東京人」の誇りを顧みる必要があるかもしれませんね。

大好きなアーティストだからではなく、近くて他人な東京人が遠いところの活動家さんに励まされてる構図。

被災は揺れた日だけでなく今も続いているんだなーとか考える。

動くほど余裕と根性のない自分は、日常に感けて忙殺されず、日に一回は祈る、想う、思い出す。

これだけは続けてみる。


http://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=263910197028947&id=248957501857550
以下転載
エスペランサ東日本大震災について語る。(*長文ですが、最後までお読み頂けたらと思います。)
Q.「あなたの新作はちょうど東日本大震災の1周年にあたる頃にリリースされますが、ここに収められた曲は聴き手に癒しをもたらすと思いますか?」
ぜひ、そうあることを願っているわ。そうあることを望んでいる。どうかしら。それに、人を癒して高揚させられる音楽の力を私は信じたいし、実際に信じているの。……それを信じたいし、信じているし、より基本的なサービスを伴ってこそそれは可能になる。音楽もサービスであり、アートもサービスなんだけど、ほかの基本的なニーズが満たされていなければ、音楽を受け止める余裕が生まれないと思う。そういう基本的なサービスを伴った時に、私が作る音楽が助けになったり、元気を与えられるのだとしたら、素晴らしいことだわ。それに、大勢のニューヨークのジャズ・ミュージシャンたちが曲を作ったりコンサートを企画して、まさにそういう基本的なニーズに充てるための資金を集めたのよね(笑)。私が思うに多分、ミュージシャンが音楽を作ると、他人を助けたり寄付をしたり、助けを必要としている人に手を差し伸べるよう、人々をインスパイアできるという考えに基付いているのよ。そのほかにも、誰かが私の音楽にポジティヴな要素を見つけ出してくれたらと、もちろん願っているわ。なぜってあの事件は私たちの心の中にあったから。みんな意識していたし、実感していたし、私たちなりに同情して……“同情”ではなくて、日本の人たちと共に痛みを感じていた。だからアルバムには想いが含まれているのよ。レコーディングの前に起きたことだから。……何て言えばいいかしら? でも、『Democracy Now!』(注:米国のラジオやテレビで放映されているリベラル志向のニュース番組)のインタヴューでハイチ人の男性が言っていたことが思い出されるわ。彼は、「我々を憐れまないで。我々はちゃんと立ち直るから。我々は強くて、自分たちの国を愛していて、お互いを愛していて、道を見出すから。助けて欲しいけど、憐れみはいらない」と語っていた。日本からもそういう想いが伝わってくるの。あんな悲劇から建設的な形で、そして癒しを伴って立ち直れる国があるとしたら、それは日本だけだと思うから。世界のほかの国よりもあなたたちはたくさんの希望を必要としているのかもしれないけど、私たちにも希望を与えてくれるのよ。絶対に立ち直れっこないと思うようなことが起きて、みんなが絶望感にひしがれている時は、前に進むために希望を必要とするから。そして、日本の人たちがこの悲劇と向き合う様を見ている私たちが、そこに希望を見出しているという事実は、日本の文化を如実に物語っていると思う。だからあなたたちはお互いに助け合っているだけじゃなくて、こういう状況とどう向き合えばいいか、ポジティヴなお手本を世界中に伝えているのよ。
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