永田智子の VIVA!ARTS&TOKYO LIFE♪

素人音楽ライターの桂木嶺(永田智子 チコ )が、クラシック音楽にまつわる楽しい妄想のお話をします。

正直に、私の悩みを書きますね。パーヴォとわたしの不思議な関係。

2018-12-10 00:49:44 | 日記
このブログをお読みのみなさまは、不思議に思われていると思います。
「あれれ?チコは、パーヴォのことを、あんなにカンカンに怒ってたのに、すっかりパーヴォのコンサートの案内をしたり感想を書いたりしているなぁ?でも、オットのはるちんのことも、なんだかとても愛しているようだけど?結局、チコはどっちがすきなの?」
・・・無理もありません。
この1~2週間で、あまりにも生活が激変したので、私も正直、パーヴォとのこと、はるちんとのこと、どう考えていいのか、よくわからないのです。
オットは、「しばらくは入籍はしないよ」と申します。「離婚したとき、僕も相当傷ついたし、キミがパーヴォを選んだので、正直かなりショックだったからね。チコちゃんの気持ちがどういう形でおちつくのかを見定めて、それから入籍、ということになるのかな。ちょっと時間がほしいな」と申します。
でも、はるちんの意見は、無理からぬことなので、私もそれは了解しています。
徐々に、はるちんの気持ちが穏やかになってくれればいいなと思います。
 
で、パーヴォです。
パーヴォは、正直私のことをどう思っているのか、よくわかりません。
ただ、私はとてもパーヴォのことが好きでしたし、真剣に愛情ももっていたことは確かです。
(パーヴォ、ごめんなさい。私、正直すぎますね)
でも、やっぱり彼は世界的な指揮者ですし・・・。
私、彼にお会いしたはじめのころ、そのことがあんまりよくわかってなかったんですよね。

※2017年6月30日。初めてお会いして2回目のとき、パーヴォが「きょうの君はすごくゴージャスだから、
一緒に写真を撮ろう」といって撮ってくださった写真です。
すごく大切な宝物で、やっぱりデータを消すことはできませんでした。
そのくらい、この日の「ザ・グレート」は素晴らしい思い出だったのでした!
 
でも、彼のことを知れば知るほど、正直「大変なことになってしまった!」と焦りまくることばかりで。
だって、エストニアではもうほんとに「国民的英雄」で、長嶋茂雄さんみたいな存在だし、
アメリカでもグラミー賞はとってるし、ベルリンに行けば完全にスター指揮者だし、
ほかのヨーロッパでも彼は完全に「スーパースター」だったからです。
 
それなのに、パーヴォは、私に対して音楽療法をしてくださったり、
ツイッターをfollowしてくださったり、
エストニアで打ち上げパーティ―に呼んでくださったり、
サインや写真のおみやげまで用意してくださったり、
BBCのラジオで、私のことを「大事な女性」と話してくれたり、
私のささやかなグチなどもちゃんと聴いてくださったりするので、
なんだかユメみたいで、信じられない気分でいたことは確かなのですね。
 
なんで、(いくら私が一応音楽評論をなりわいにしていて、NHK交響楽団の定期会員だとはいえ)
一介の日本人のふとっちょのおばさんのために、
彼がこんなに尽くしてくれるのか
正直わからなかったです。
 
でも、ちょっとあまい夢を私がみていたことは確かだとおもいます。
だから、パーヴォをかえって傷つけてしまって申し訳なかったなと、最近は思います。
 
だって、おとといの横浜のコンサート・・・正直いいますと、
パーヴォ、あんまり元気がなかったからです。
いつも一番前にすわってみているので、なんとなく、パーヴォがいまどういうコンディションなのか、
私もそれなりにわかるようになりました。
コンサートでは、元気にふるまっていましたが、
サイン会では、正直いって、「しょげて」ました。
コンサートの舞台では大きく見えるパーヴォが、
サイン会で私に逢った時には、とても小さくなっていました。
パーヴォの状態は、もう私には手に取るようにわかります。
 
私が最初このブログですごく怒ってしまったので、
パーヴォがすごく、傷ついてしまったんだな・・・と心配になりました。
すくなくとも、パーヴォは、このブログも、前のブログ(TERE!Maestro Paavo)も
ずっと読んでくれていたことは確かで、
すごく、私に対して気を使ってくださっていることは確かなので、
私が感情をむきだしにして怒ってしまったことは、ほんとに詫びなくてはならないんです。
 
だから、パーヴォにこの場をおかりしてお伝えしたいんです。
もう、全然怒っていません、と。
パーヴォのことが大好きなことには変わりないし、
私の人生と運命を変えてくれた、すばらしい人だと思っているのです。
 
パーヴォの、N響の首席指揮者としての生活、
ドイツカンマーフィルブレーメンの芸術監督としての生活、
トーンハレの首席指揮者としての生活、
エストニア祝祭管弦楽団の主催者としての生活は、
信じられないほど激務そのものです。
それを頭では理解できても、ハートが理解できるようになるまで
すごく時間がかかったのです。
 
でも、いまは、すべて理解できるようになりました。
エストニアでは、分刻みのスケジュールをひたすらこなしているパーヴォの姿をみて、
なんだかかわいそうになりました。
きっとパーヴォはろくに夜もねてないんじゃないのかな。というくらい、忙しいのだと思います。
 
それをちゃんと私がわかってあげなくちゃいけなかったんだな、とも思います。
そして、いわゆる、「クラシック界のスーパースター」としてのパーヴォの立場を。
もう、彼はそういう存在なんだな、と思った次第です。
この1年半の間にも、パーヴォを取り巻く状況がものすごく変化してるんだなということを感じます。
 
私は、フツーのおばさんで、歌舞伎の評論家のタマゴですけど、
彼は、「トップ・オブ・トップ」のスター指揮者さん。
全然住んでる世界も、付き合う人たちも、違うんだなと思う次第でした。
 
でも、それでも、ふたりが心を通い合わせることになった奇蹟は、
ほんとうに神様に感謝したいです。
そして、音楽評論というすばらしい道筋を、
パーヴォが私のためにつけてくださったことに
心から感謝したいです。
 
これからは、ふたりがどうなっていくのか、わからないけれど、
パーヴォの負担にならない範囲で、ちゃんと支えてあげたいと思うんです。
別に、結婚とか同居とかそういう形をとらなくてもいいから、
きちんと、愛情を注いで、彼の芸術の最大の理解者でありたいです。
パーヴォがわたしがいることで、心強くおもってくれて、
心安らぐ存在になれればいいなと、わたしはおもっています。
 
そのためにも、音楽のこと、音楽業界のこと、しゃにむになって勉強したいし、
多少、いろいろな人に嫌味をいわれても、気にしないでニコニコしていられる
強い心を持ちたいです。
ネットでわぁわぁ言う人がいても、知らん顔できるように堂々としていたいし、
パーヴォを尊敬し、愛する女性として、はずかしくない人生を送れるようにしたいと思っています。
 
世間は勝手なことをいろいろいいます。
でも、パーヴォと国内外でのコンサートでかわした、
信じられないほど幸せな、音楽を通じての、
すばらしい愛情の交流は、
ほかの誰も体験していないものですよね!
 
主治医の先生も、おとといのみなとみらいホールでの、
パーヴォと私の様子をみてびっくりしていました。
私の、診察で話すパーヴォの話が、まったく嘘でなかったことを、
主治医の先生もわかってくれたのでした。
 
パーヴォが、なぜ私を選んでくださったのかわかりませんが、
彼の負担にならないように、そして、なによりも大切なのは、
彼の演奏がいつも最高のコンディションで、すばらしい感動を呼ぶものになるように、
私がすこしでもお手伝いしたいですし、
そのために、私の文章の才能が生かせるのなら、
真摯に、それを彼のために役立てたい、と思うようになりました。
 
無償の愛、というべきなんでしょうね。
私が笑顔ですごしていることで、
パーヴォを少しでも安心させてあげたいし、
おだやかな優しい気持ちにしてあげたいです。
 
そのことを、オットのはるちんもわかってくれているようなのです。
彼にしてみたら、つらいと思います。
でも、私は、はるちんのことも大事な存在なのです。
だから、彼がすこしでも傷つかないように、
やはり、私が笑顔で、元気で過ごすことが大事なのだなと思います。
 
みなさまに、わたしとパーヴォとはるちんのことを、
わかってもらえなくても、かまいません。
 
でも、パーヴォとはるちん、どっちも私は大切。
ふたりがいつもやさしい気持ちで、毎日をすごせるように、
私は、自分をもっと鍛えて、成長させていきたいです。
 
心は少女のままの、チコでした!
コメント
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