いや~、とうとうこの時がきました!
って何が?と思いになる方。
私は2007年8月から2008年12月まで、フランスのモンペリエという南フランスで過ごしました。
その間は、つかぬまの学生に戻り、モンペリエ大学、通称ポールバレリー大学付属の語学学校で
フランス語を学んでいました。
1年4ヶ月を過ごしたモンペリエは私のフランス滞在の中で、もっとも思い出深い地となりました。
このブログの中でも、今まで旅した観光名所を載せていますが、
モンペリエについては、ほとんど触れていないことにお気づきの方もいらっしゃるかと思います。
さらっと簡単に紹介できないほど、私の中でのモンペリエはとってもきらきらした青春の想い出でであり、
その想い出たちをブログに載せるのは、すごいエネルギーが必要だと思っていました。
でも、ようやくあの1年4ヶ月の想い出を少しずつ残していこうと思いました。
今日は、その1回目。 あら、何回まで続くかですって?
そんなの知らないわ、私も。話が尽きるまでね。 って感じです。
今日の写真は、私が渡仏した月、つまり8月と翌月から抜粋しました。
当時の私にとっては、モンペリエで見るのはすべて初めてのもの。
そんな視点が残る写真です。
モンペリエは南フランスで地中海に面している、フランスで8番目に大きな都市です。
夏になると、バカンスをモンペリエで過ごす人たちがたくさんやってきます。
カフェでビールを飲む人、買い物をする人、海へ行く人、ガイドブックを持っている人、などなど、
街がとっても賑やかです。
街の中心に行くには、ゆるい坂を上る感じで、ちょっとした高台?に中心地のコメディー広場はあります。
私は当時、中心地から徒歩20分くらいのところでフランス人のおばあちゃんと一緒に住んでいました。
街へ行くには、徒歩かトラム(路面電車)、自転車を使いました。
節約していたこともあり、私はトラムはほとんど使いませんでした。だはは。
家から街へ散歩です。
炎天下の中歩くのは、最初の意気込んでいる時だけです。
日差しが穏やかになる、18時頃にようやくスーパーに行こう。
そんなことを学んだのは渡仏して意外とすぐでした。そのくらい、日差しが強いのです。

モンペリヘは2つのトラム(路面電車)があります。
青の地に白のツバメ?模様のトラムと、このお花模様のトラム。
街の北側は青トラム。南は赤と黄色の花トラムが走っています。
トラムの線路は電車が来ない時は、自由に横断できます。
私が自転車に乗る時は、トラムの線路の上を走っていました(普通の道路よりも走りやすいので)。
電車が追ってきたら、端にづれるって感じです。
このトラム、近づいてきても、音が静かなので、一度接触しそうになったことがありました。
私がモンペリエにいた時は、トラムに轢かれて亡くなった人もいました。
可愛い車体ですが、とても危険でもあります。

街を歩いていると警察官がよくパトロールをしているのを見かけます。
街の中は細い道が張り巡らされているので、そういう道は車はなかなか通れません。
自転者やローラースケート姿のポリスをよく見かけましたが、
この時は、コメディー広場では馬に乗ってパトロールするポリスを見ました。
後にも先にも、私がみた乗馬ポリスこの1回だけでした。笑
それにしても、日本とは規模が違うね。

コメディ広場から少し歩くと、2つ目の噴水が見えてきます。(一つ目は広場にどどん!とあるやつね)
2つ目の噴水から奥は、立派なプラタナスが両脇に植わっていて、ベンチの上に日陰を作っています。
そこでは、よく献血車が止まっています。車の車体には「あなたの血をください。」と。
大学の正門でもよく止まっていました。
初めて見たときは、「sang」が「血」と知らずに、何の車か知りませんでした。

フランスに来たことがある人なら、一度は行ったことがあるのではないでしょうか?マルシェ。
みずみずしい野菜や果物、見たことないようなチーズたちに心がときめきません?笑
モンペリエに来た時は、どこの地区にどんなマルシェが立って
(アラブ人街マルシェ、BIOマルシェ、普通のマルシェとか、いくつもあります。)、、、
ということは知らないので、散歩をしながら見つけると、とてもわくわくしていました。
ここのマルシェは水道橋のたもとのBIOマルシェです。
野菜、チーズ、アクセサリー、石鹸、洋服、いろんなものがありました。
私は、渡仏して1週間経ったくらいに、ここを知りました。
このマルシェに初めて立ち寄りましたが、その時にマルシェの人ととちょっとしたことがあり、
それ以来、2度とここのマルシェは近づきませんでした。
気になる?何があったの?ですって?
マルシェを冷やかしながら歩いていた私に声をかけてきた人がいました。
「すみません、日本人ですか?」と日本人の女性が。
ちょっと立ち話を始めたら、あそこに兄がお店を出しているので、もしよかったら紹介しますよ、と。
兄って言ってたから、日本人と思いきや50代くらいのフランス人。私の頭は「義理兄」と変換。
話を聞いていると、どうも義理兄でもない、ただの他人のようだ。
話していると、兄は私に、「自分の家はここから80キロのところにある。
とってもいいところだから、今日でも君を招待したい。」と
「君は、パソコンは得意かい?今ホームページを作っているのだけど、僕はパソコンに詳しくないから、
君に家にきてもらって、ホームページの続きを作ってもらいたい。」と。
私の頭は、何か怪しい匂いがすると警告サイン。
そこで、私は「今日は予定があるので無理ですが、あなた方がまたお店を出す時に遊びにきますね。
学校のお友達を一緒に連れて来ても構いませんか?」と。
そしたら、そのお兄さんは「いいよ。でも、友達でも男性はだめね。女性でも日本人だけならいいよ」と。
かなり怪しいその返答。ということで、メールアドレスを交換して(しちゃいましたよ!)、
またマルシェに遊びに行くからと約束して、あれから二度とそのマルシェには行っていません。
あの日本人女性は一体なんだったんでしょう。
きっと、今でもお兄さんとマルシェでお店をだしていると思います。
そして、あのお兄さんからは今でもたまにメールがきます。

当時、一緒に住んでいたマダムのマンションから、スーパーへ行く途中に見つけた看板。
フランスって柔道強いよね?競技人口は日本より多いはず。
モンペリエの住宅街に柔道クラブがあるって、嬉しいですね。

なんで、私がこの写真を撮ったのかは不明ですが(憶えていません)、清掃車がベンツのマーク?
がついていたからカックイーー!って思って撮ったのかもしれません。ははは!
モンペリヘは街の清掃にとても力を入れていると聞いたことがあります。
通常の清掃経費+1億円増しで。
街は美しく、夏には街のあちこちでプランターに植えられた花が置かれます。

環境や生活に慣れてしまうと、初めて見た時の感動が薄れ、色々なことに気付くこともなくなっていきます。
今日は、モンペリエで「私が初めて見た新鮮なもの」を載せました。
次回は? もちろんありますよ。
って何が?と思いになる方。
私は2007年8月から2008年12月まで、フランスのモンペリエという南フランスで過ごしました。
その間は、つかぬまの学生に戻り、モンペリエ大学、通称ポールバレリー大学付属の語学学校で
フランス語を学んでいました。
1年4ヶ月を過ごしたモンペリエは私のフランス滞在の中で、もっとも思い出深い地となりました。
このブログの中でも、今まで旅した観光名所を載せていますが、
モンペリエについては、ほとんど触れていないことにお気づきの方もいらっしゃるかと思います。
さらっと簡単に紹介できないほど、私の中でのモンペリエはとってもきらきらした青春の想い出でであり、
その想い出たちをブログに載せるのは、すごいエネルギーが必要だと思っていました。
でも、ようやくあの1年4ヶ月の想い出を少しずつ残していこうと思いました。
今日は、その1回目。 あら、何回まで続くかですって?
そんなの知らないわ、私も。話が尽きるまでね。 って感じです。
今日の写真は、私が渡仏した月、つまり8月と翌月から抜粋しました。
当時の私にとっては、モンペリエで見るのはすべて初めてのもの。
そんな視点が残る写真です。
モンペリエは南フランスで地中海に面している、フランスで8番目に大きな都市です。
夏になると、バカンスをモンペリエで過ごす人たちがたくさんやってきます。
カフェでビールを飲む人、買い物をする人、海へ行く人、ガイドブックを持っている人、などなど、
街がとっても賑やかです。
街の中心に行くには、ゆるい坂を上る感じで、ちょっとした高台?に中心地のコメディー広場はあります。
私は当時、中心地から徒歩20分くらいのところでフランス人のおばあちゃんと一緒に住んでいました。
街へ行くには、徒歩かトラム(路面電車)、自転車を使いました。
節約していたこともあり、私はトラムはほとんど使いませんでした。だはは。
家から街へ散歩です。
炎天下の中歩くのは、最初の意気込んでいる時だけです。
日差しが穏やかになる、18時頃にようやくスーパーに行こう。
そんなことを学んだのは渡仏して意外とすぐでした。そのくらい、日差しが強いのです。

モンペリヘは2つのトラム(路面電車)があります。
青の地に白のツバメ?模様のトラムと、このお花模様のトラム。
街の北側は青トラム。南は赤と黄色の花トラムが走っています。
トラムの線路は電車が来ない時は、自由に横断できます。
私が自転車に乗る時は、トラムの線路の上を走っていました(普通の道路よりも走りやすいので)。
電車が追ってきたら、端にづれるって感じです。
このトラム、近づいてきても、音が静かなので、一度接触しそうになったことがありました。
私がモンペリエにいた時は、トラムに轢かれて亡くなった人もいました。
可愛い車体ですが、とても危険でもあります。

街を歩いていると警察官がよくパトロールをしているのを見かけます。
街の中は細い道が張り巡らされているので、そういう道は車はなかなか通れません。
自転者やローラースケート姿のポリスをよく見かけましたが、
この時は、コメディー広場では馬に乗ってパトロールするポリスを見ました。
後にも先にも、私がみた乗馬ポリスこの1回だけでした。笑
それにしても、日本とは規模が違うね。

コメディ広場から少し歩くと、2つ目の噴水が見えてきます。(一つ目は広場にどどん!とあるやつね)
2つ目の噴水から奥は、立派なプラタナスが両脇に植わっていて、ベンチの上に日陰を作っています。
そこでは、よく献血車が止まっています。車の車体には「あなたの血をください。」と。
大学の正門でもよく止まっていました。
初めて見たときは、「sang」が「血」と知らずに、何の車か知りませんでした。

フランスに来たことがある人なら、一度は行ったことがあるのではないでしょうか?マルシェ。
みずみずしい野菜や果物、見たことないようなチーズたちに心がときめきません?笑
モンペリエに来た時は、どこの地区にどんなマルシェが立って
(アラブ人街マルシェ、BIOマルシェ、普通のマルシェとか、いくつもあります。)、、、
ということは知らないので、散歩をしながら見つけると、とてもわくわくしていました。
ここのマルシェは水道橋のたもとのBIOマルシェです。
野菜、チーズ、アクセサリー、石鹸、洋服、いろんなものがありました。
私は、渡仏して1週間経ったくらいに、ここを知りました。
このマルシェに初めて立ち寄りましたが、その時にマルシェの人ととちょっとしたことがあり、
それ以来、2度とここのマルシェは近づきませんでした。
気になる?何があったの?ですって?
マルシェを冷やかしながら歩いていた私に声をかけてきた人がいました。
「すみません、日本人ですか?」と日本人の女性が。
ちょっと立ち話を始めたら、あそこに兄がお店を出しているので、もしよかったら紹介しますよ、と。
兄って言ってたから、日本人と思いきや50代くらいのフランス人。私の頭は「義理兄」と変換。
話を聞いていると、どうも義理兄でもない、ただの他人のようだ。
話していると、兄は私に、「自分の家はここから80キロのところにある。
とってもいいところだから、今日でも君を招待したい。」と
「君は、パソコンは得意かい?今ホームページを作っているのだけど、僕はパソコンに詳しくないから、
君に家にきてもらって、ホームページの続きを作ってもらいたい。」と。
私の頭は、何か怪しい匂いがすると警告サイン。
そこで、私は「今日は予定があるので無理ですが、あなた方がまたお店を出す時に遊びにきますね。
学校のお友達を一緒に連れて来ても構いませんか?」と。
そしたら、そのお兄さんは「いいよ。でも、友達でも男性はだめね。女性でも日本人だけならいいよ」と。
かなり怪しいその返答。ということで、メールアドレスを交換して(しちゃいましたよ!)、
またマルシェに遊びに行くからと約束して、あれから二度とそのマルシェには行っていません。
あの日本人女性は一体なんだったんでしょう。
きっと、今でもお兄さんとマルシェでお店をだしていると思います。
そして、あのお兄さんからは今でもたまにメールがきます。

当時、一緒に住んでいたマダムのマンションから、スーパーへ行く途中に見つけた看板。
フランスって柔道強いよね?競技人口は日本より多いはず。
モンペリエの住宅街に柔道クラブがあるって、嬉しいですね。

なんで、私がこの写真を撮ったのかは不明ですが(憶えていません)、清掃車がベンツのマーク?
がついていたからカックイーー!って思って撮ったのかもしれません。ははは!
モンペリヘは街の清掃にとても力を入れていると聞いたことがあります。
通常の清掃経費+1億円増しで。
街は美しく、夏には街のあちこちでプランターに植えられた花が置かれます。

環境や生活に慣れてしまうと、初めて見た時の感動が薄れ、色々なことに気付くこともなくなっていきます。
今日は、モンペリエで「私が初めて見た新鮮なもの」を載せました。
次回は? もちろんありますよ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます