パリの日記 パティシエ卵の話

フランスでの留学生活・パティシエ生活・画家生活を綴ります。夫(アゼルバイジャン人)と息子も登場します。

夏のソルド開始~

2013-06-27 16:51:40 | パリの生活2013年

昨日から、夏のソルド(バーゲン)が始まりました。
早速、目当てのものを探しに行きましたが、、、気に入ったものがみつからず、、、。

ソルドに、スケッチ道具も持って行ったので以前から気になっているサンルイ島まで行ってスケッチしました。





以前もここで絵を描いていた人がいました。同じ場所ですが、こちらのマダムは建物を描いていました。白衣が格好いいよね!私も白衣着てスケッチしようかな。





というわけで、今日もソルドへ、、、と思っていましたが、朝から雨です。肌寒いのに雨とは、、、。

La fete de voisin

2013-06-20 18:39:58 | パリの生活2013年

6月のこの時期は毎年「La fete de voisin」こと「ご近所さんフェット(パーティー)」があります。
お顔見知りになる程度でもよし、どんな住人が住んでいるのか観察するのもよし、さらに親睦を深めてもよし。というような感じのフェット(パーティー)です。
うちのアパートでも毎年あるのですが、今年は初めてアゼルバイジャン人と参加してきました。

うちのアパートは8棟あるのですが、日ごろからそんなに人が住んでいる気配も感じず、、、一体どのくらいの人が住んでいるのかということは、個人的にかなり以前から気になってはいたのですが。出入り口は1つなのに、人とあまりすれ違わないし。


張り紙には、19時からと書いてありました。平日だったので、みな仕事が終わってからでも参加できるようにということでした。でも結局人が集まって始まったのは20時前でした。
日中は雨が降っていましたが、20時ごろには晴れ間も見えきました。でも、とても寒かったですよ。





食べ物は持ち寄りで、私は例の「極小お稲荷さん」を持っていきました。今回はヒジキや人参、ごまも入れました。フランス人にお稲荷さんはウケていましたよ。油揚げの部分を不思議そうに見てから食べていました。
フランス人はどんな料理を持ってくるのか、とても興味がありましたが、みなさん、ちゃんと料理しているのですね(あら失礼)
、凝った前菜や豆のサラダなど、日ごろの食卓が垣間見えた気がしました。


フェットの後半に写真を撮ったので、お料理は残っていませんでした、、、。




アパート全体では70名弱が住んでいることがわかりました。
今回その3分の1くらいが参加していました。それにしても、みなさんアパートの所有者がほとんどでした。うちのように部屋を借りている人はほとんどいませんでした。アゼルバイジャン人は、仕事場以外でフランス人と交流を持ちたいと思い、今回フェットに参加したのですが、同い年くらいの人はほとんどおらず、ずっとしゃべっていたのが最年長だと思われる80歳の男性でした。

ちなみに、その80歳のおじいちゃんによると、8棟あるアパートのうち、私たちが住んでいる棟が最も古く、、、なんと1700年代に造られたものということが判明しました!
修繕作業の時にアパートの壁から18世紀の釘と何か(なんて言ったのか聞き取れなかった)がでてきたと言っていました。
うちの部屋はstudioの割に家賃は高いのですが、歴史的建造物に住んでいると思えば、気分はとても良いです。

この界隈の歴史などもおじいちゃんやおばさんから話を聞けたり、フェットのおかげで発見をした日でした。



トルコ旅行 その9(ウスパルタからアンタルヤへ)最終日

2013-06-18 16:56:06 | トルコ旅行

長かった~。ようやくトルコ旅行の最終日まできましたよ~。ここまで読んで頂いた方、どうもありがとうございました~。



プロフェッサーに別れを告げ、午後1時半にウスパルタを後にしました。
バスはとても快適で、アテンダントの方はお茶だとかお菓子だとかを配っていましたよ。
(ウスパルターアンタルヤ のバス運賃 一人20TL 所要時間2時間)

バスがアンタルヤのオトガル(バス停留所)に到着し、そのまま街中へ向かう市内バスへ乗りこみました。
最終日に泊まるところはカレイチという旧市街です。街並みが昔のまま残っているのだとか。


ハドリアヌス門





トラム(路面電車)に沿って、お店がたくさん並んでいます。




カレイチ(old town)。車も入れますが、なんと言っても通路が細い!!車が通るたびに、通りに面しているお店に入らないと引かれてしまうくらい道幅が狭いです。
でも、雰囲気はばっちりでした。





カレイチの一角にある時計台。






アンタルヤ観光をし始めたのが、夕方17時ごろ。そして、翌日の9時には空港へ向かわなくてはならなかったので、観光時間はほとんどありませんでした。
そんな中でも、できるだけ街を観たい!ということで、頑張って歩きまわりましたよ!


今回の旅行で壊れてしまった13年物のポシェット。その代わりを探したり、スーパーで買い物したり、、、などなど。短い時間でしたが無駄にはしませんでした。


その結果、、疲れてしまったアゼルバイジャン人、、。
「なんでこんなところに銅像を置いているんだ、、」と機嫌も斜め。





やらせではありません。





お腹も減ったので、トルコ最後の晩餐です。
といっても、レストランを探す気力も、、、。そんな中、地元の人が結構入っていた食堂へ。
この通りにありました。







スープ、ワンプレート、飲み物で7,5TL(4ユーロくらい)でした。
自分の食べたいおかずを指でさして、お皿にどんどんのっけてもらいます。私は肉はもう食べれなくて、、野菜料理とピラフを頼みました。


夕食の後は、プロフェッサーが連れて行ってくれた崖の上のレストランへ行きました。
この前は昼間でしたが、ここからの夜景も綺麗です。





プロフェッサーを思い出し?トルコ旅行の締めくくりで、お茶をすすります。





いや~、楽しかったね!トルコ!
宗教色の濃いイスタンブールはエキゾチックだったし、刺激的だった!!。スィデでは海をおもいっきり堪能して、古代遺跡も見られた!!街が観光客用に造られていたのは残念だったけどね。それ以外は本当に良かったわ!!最初はどうしようか迷っていたウスパルタも1泊しかしなかったわりには、充実していたしこれはプロフェッサーのおかげにつきるね!!本当に感謝だわ!!
トルコのことは何も知らずに行ったけれど、トルコ人は勤勉だし、まじめ、そしてなんといっても親切で、明るい!!
それを知れただけでもトルコへ行って良かったわ!!そしてまた行きたい!!


さよなら、アンタルヤ~。さよならトルコ~。





食い倒れて、買い物に走る!!という目標だったわけですが、、
プロフェッサーのおかげで食い倒れは達成。しかし、パリに戻ってからが大変でした。というのも、食べすぎで胃が大きくなってしまい、食べてもすぐにお腹がすくのです!!それは現在も継続中、、、。思いもよらぬ食い倒れの副作用でした、、。
買い物は、、、イスタンブールの時点で物価が大して安くないことを知り買い物意欲は減退しましたが、スーパーが楽しくて、色々買い物できました。アイラン(飲むヨーグルトの塩味)は毎回欠かさず購入して、味比べしていました。





ウスパルタでバラを見てからは、何かバラ製品をおみやげに買おう!と思っていましたが、
プロフェッサーが大学を案内してくれた時に、学部長の部屋にも案内してくれたのですが、その時に学部長は私たちにおみやげを用意していてくれたのです。
それが、このバラ製品のセット。
香水、オーデコロン、ボディクリーム、顔用クリームのセット!大学ブランドの製品だとか。




夫には、バラのコロンやとオーデコロン。



そして、かなり前から気になっていた「ブルグル」。
よくケバブの付け合わせでててきて、最初はお米のピラフかと思っていたのですが、アゼルバイジャン人に聞いたら「小麦粉」なのだそう。
今回トルコへ行ったら、これは買ってみたかったのです。
本当にお米みたいでしょ。引き割り小麦粉で作っているのだとか。




ブルグルのピラフを作りました。
野菜(細かく切ったパプリカ、ピーマン、玉ねぎ、じゃがいも)を油でいためて、ブルグルを投入。
ブルグルの量の1,5倍のお湯を入れて、ケチャップを適量加える。中火で10分。その後は火をとめて10分放置。
最後に塩で味を付けてできあがりです。ジャガイモ入れると美味しいですよ!






こんな感じで、トルコ旅行記終わりです。
長々と、お付き合いありがとうございました!!
毎回?生活感丸出しの旅行記ですが、これがこれからトルコヘ行く方の役に立っていただけば幸いです。



トルコ旅行 その9(ウスパルタ2)

2013-06-17 20:28:59 | トルコ旅行
はいどうもー!
今日は写真が多いです。ブログに写真を取り込むだけで2時間もかかりましたよ、、、。


ということで、ウスパルタ2日目です。
前日の「深夜のカフェ偵察」でアパートに戻り寝たのが深夜の1時でしたが、翌日は7時に起きてプロフェッサーが計画しているスケージュールについていきました。


まずはプロフェッサーが勤めているウスパルタの大学「Suleyman Demirel University」へ。朝の見学です。
総合大学で、大学病院から美術学部まで全ての学部が揃っていました。


私が絵を描いていることを知っているので、美術学部へ連れて行ってくれました。フロアーに展示中の作品。
絵画だけでなく、服飾もありました。





美術学部の先生や学生たちが作ったものを売っているコーナーがありました。




陶器?でできたハイヒール。
私たちは、大学のロゴが入ったマグカップを買いました。





そして、軽食がとれるテラス併設の食堂へ。
プロフェッサーがみずから注文して、朝からがっつり頂きました。





周りの学生を見ていると、パン1つにコーヒーや紅茶が多かったです。





朝食を食べた後、大学見学はもう終わり??なのか、プロフェッサーとともに向かった先は、、、

バラの畑でした!!





大学のロゴにもバラのイラストが描かれていたし、ウスパルタの街には、大きなバラのモチーフがあったり、市内バスの側面にはバラの写真がプリントされていたりと、当初から、「この街のシンボルはバラ?なのかしら」と思っていました。

世界のバラの精油の30%をここトルコのウスパルタが生産しているようです。世界一の生産量だそう。





車を降りると、本当にいい香り!!香りがとても強いです。
もともとは、ブルガリアのバラがウスパルタに輸入され、栽培が始まったそうです。その時は、ブルガリアがバラの生産量が世界一だったそう。そしていつの間にか、ウスパルタがブルガリアを追い越したそうな。

プロフェッサーとともに写真撮影をしていると、、、。くわを持った男性が登場、、、。勝手に畑で写真撮影していたから、怒られるのかしら??と思っていたら、、、。

プロフェッサーと話し始めましたよ。
そういえば、プロフェッサーは農学部の教授でしたね。何を話しをしているのでしょうか。









このおじいさんは畑の所有者で、バラを摘んでくれました。
貴重なバラなのに!!たくさん摘んでくれました。





花を摘むのは早朝だそうです。4トンの花からできる精油はたったの1KG。そして摘む時は、このように茎のふくらみの下から摘むそうです。これよりも上から摘むと良い精油ができないとか。なので、ここでできる精油は品質がとても高いようです。




みなさん、アンタルヤに来たら、是非ウスパルタまでそしてバラ畑まで来てね!!






こうして、バラ畑を堪能した後は、、、プロフェッサーの計画通り、、、湖へ向かいました。
松の木が生い茂る道路を進むと、国立公園の湖です。





青春だ~!!





気持ちいいです!!




透明度が高い!!





湖は50分で1周できるそうな。
街からこの湖までのハイキング3時間コースもあるそうです。





週末はピクニックに来る人がたくさんいるとか。
プロフェッサーは毎回違う彼女を連れてくるとか(冗談です)と言っていました。





他にも美しい湖があるとのことでしたが、「今回は時間がなく連れていけなかった。」とプロフェッサーが。
いや、この湖でも十分美しいです!





そして、帰り道に松ぼっくりがたくさん落ちていたので車を止めてもらいました。松ぼっくりコレクターのわたくし、、、、発見したら、とりあえず近寄らないわけにはいきません!!プロフェッサーの綿密な計画にはなかったのですが、松ぼっくりを拾う時間を頂きました。スコちゃん、2種類拾ってきましたよ!!



道の至る所に、サクランボの木がありました。畑っぽいのもありますが、明らかに野生っぽいのもあったり。
車を停車して、味見をしました。美味しい。





その後は、再び大学へ戻りました。
先ほどは行かなかった農水学部へ。





この大学は、1992年創設の新しい大学です。
広大な敷地にはこれからもいろいろな建物が立つ予定だそう。
まだ日本人、中国人、韓国人などの学生は一人もいないということ!
なので、私は結構ジロジロ見られましたよ。中国人か?とプロフェッサーが聞かれてました。
ちなみに、授業料は年間でおよそ200ユーロくらいだそうな。





プロフェッサーの部屋。





どうやったら貫禄ある教授に見えるかな?と言っていました。
こうやって、遊んでいたら学生がやってきました。
そしたら、今までとは全然違う真面目な雰囲気で対応していましたよ。





お昼時間になり(といっても全然お腹が空いていませんでしたが)、プロフェッサーの計画のもと食堂へ行きました。





食堂とはいっても、日本の大学の食堂とは雰囲気が違います。お給仕してくれます。





アゼルバイジャン人とお腹がはちきれんばかり頂きました。
そして、時間も時間。プロフェッサーがたくさん用意してくれた計画も滞ることなく遂行し、オトガル(バス停留所)まで送ってくれました。アンタルヤに戻るためです。

オトガルにはバラ製品を売るたくさんのお店がありました。店頭がどれもピンクです!




こうして、あっという間のウスパルタ滞在が終わりました。
滞在時間が短かったのですが、プロフェッサーの綿密な計画のもと、とても充実した時間を過ごすことができました。本当に感謝です!!そして、プロフェッサーに早くいい人が見つかればいいなと心から思いました。


オトガルにて。ウスパスタ最後の写真。
バスに乗りこむ時、プロフェッサーはとても寂しそうでした。





私たちはバスに2時間揺られて、トルコ最後の日を過ごすアンタルヤへ戻ったのでした。

トルコ旅行 その8(ウスパルタ2)

2013-06-14 06:44:13 | トルコ旅行

プロフェッサーのアパートで休憩し、テレビなど見てまったりしました。
フランスのテレビも見れるようになっていて、毎日少なくとも30分はフランス語放送を見るようにしていのだとか。さすがプロフェッサーです。このプロフェッサーは大学の教授ですが、海外から留学生の受け入れにも関わっているようで、毎年200人のウスパスタ大学の生徒を海外に送り込んでいるとか。フランスからの留学生もいるようです。
なるほど、道理でプロフェッサーは面倒見がいいというか、色々な配慮があるというか。アゼルバイジャン人が「優しくて良い人」というのがよくわかります。でも私はそれ以上に「サンパ」(楽しい、感じが良い)な印象を受けました。


アパートで休憩した後は、早速夕飯に繰り出します。っていうか、16時過ぎまでお昼ごはんを食べていたので、20時になっても、そんなにおなかがすいていませんでしたが、、、。そんなことはプロフェッサーには言えません!アゼルバイジャン人と一緒について行くのみです!


プロフェッサーが計画していた夕飯は、、というと、山の上のレストランでのお食事でした。
実は、プロフェッサーは同僚一人と、学部長も呼んでいたのです。
うちのアゼルバイジャン人、この同僚と学部長とは実は面識ありまして。

というのも、プロフェッサー、同僚、学部長の3名が「パリの農業展覧会」に来た時に、うちのアゼルバイジャン人が街を案内し、そして、3人がトルコに飛び立つ最後の日に我が家へ招いたということだったのです。トルコに帰る飛行機が朝5時だったようで、ホテルに泊まらず、時間が来るまで我が家でお茶とおしゃべりという感じで過ごしたらしいのです。確かに飛行機が5時なら、空港へ向かうのは夜2時くらい。それならホテルに泊まらず、どこかで、、、というのもうなずけます。(その時は、私は日本にいたので話しだけ聞いていたのですが。)
こうして、うちのアゼルバイジャン人の「ちょっとしたおもてなし」のお礼も兼ねて、プロフェッサーがウスパルタへ案内してくれた、、、といういきさつがあったのでした。

「トルコ人のおもてなしは」すごいらしい、とは噂には聞いていましたが、、、。プロフェッサーを見ていると歓迎の心いきをとても感じました。途中からアゼルバイジャン人と恐縮したほどですよ。




標高1000Mの街から、さらに車で山を目指します。
こんなところに、本当にレストランなんてあるのかしら?と思っていると。おしゃれそうな建物が、、、。

中に入ると、テラス席と屋内席がありました。とりあえず、肌寒かったので屋内席に。
写真はテラス席。眺めが良いですね~。





途中から同僚の女性も合流しました。彼女も教授で農業の流通が分野だとか。彼女はフランス語はほとんど話せないので、とりあえず英語で話しが進みました。2人とも教授だけあって、さすが英語がぺらぺらです。うちのアゼルバイジャン人もかなり話せていましたよ。私は英語は聞くのが少しできるだけで、もう話すことはほとんどできません、、、フランス語をやり始めてからの英語の衰えは本当に激しいものです。と言い訳です、、、汗





一度食べてみたかったラマジュン。彼女は「ピザよ!ピザ!」と言っていましたが、確かにピザでした、、、。
これで一人前。




そのほか、私のためにと、ピラフまで取ってくれました。お腹がはちきれんばかりに食べました。
ラマジュンはかなり苦しかったのですが、全部食べましたよ。隣のアゼルバイジャン人を見たら、2切れ残していましたけど。
そして、デザートです。左のライスプリンが美味しかったです。右のはムチムチ系です。





そして、お茶。
あ~、くるひぃ。胃がはちきれそうでした。


陽も沈み、夜景がとても綺麗でした。





お茶をしていると、ようやく農業学部長が到着です。
ご飯はご自宅で済まされたようで、炭酸水を注文していました。
おんとし60歳くらい?大きな体格に眼鏡をかけていました。うむ。知的そうです。
ここからはもうトルコ語でしたよ。テラス席に移動して、再びお茶を注文。
学部長とアゼルバイジャン人が経済の話しを熱心にしています。その合間、合間で、学部長はプロフェッサーに「なぜ、君ちたちは独身なんだ」とチャチャをいれています。同僚の女性も独身だそうで、この二人がくっつことを学部長は望んでいるようです。
が、プロフェッサーいわく、「彼女はあくまで友人です!」だそうな。
プロフェッサーは結婚願望はかなりあるらしのですが、なかなか出会いが、、ないようなのです。

時間も時間、23時ごろにお開きになりました。
みなそれぞれの車で下に降りていきました。

このままアパートへ帰るのかと思いきや、、プロフェッサーが
「明日はあまり時間がないと思うので、今から街の中を散策しようと思います。たくさん食べたし、体もちょっとは動かさないとね!」
ということで、ガイドについていくことになりました。

23時の街はやっているバーやカフェも多く、学生の街だけあって若者がたくさんいました。
そして、ちょうどその時期は大学生の試験期間中でもありました。プロフェッサーが
「こんな時間に自分の学生が外で遊んでないか、チェックしないとな!」と笑いながら、学生が集まるカフェへ偵察に行きました。これは、まるで夜の街で生徒を探す金八先生みたいだわ。

偵察2件目には、洒落たバーに入りました。学生がたくさんいましたが、プロフェッサーの学生ではなかったようです。
と思ったら、
「じゃ、ここでお茶でもしていこう!」と元気なプロフェッサー。

ホント、もうお茶一滴も入りません。状態のわたくしとアゼルバイジャン人。二人で顔を見合わせてしまいましたよ。
でもここはガイドの計画?通り、指示に従います!

私とアゼルバイジャン人は、かろうじて飲めるお茶を。
そして、プロフェッサーはというと、、、




アゼルバイジャン人と一緒に「キター!!」と言ってしましましたよ。
生クリームとチョコレートソースのハーモニーに満足そうでした。プロフェッサーは、よく食べよく飲みます!!100キロは超えているとのこと。

途中でカフェのオーナーのマダムもおしゃべりに参加して、プロフェッサーは大満足でした。






こうして、カフェの偵察も終わりアパートへもどったのでした。


アゼルバイジャン人いわく、「プロフェッサーの性格は全然年をとらない。人は年齢とともに、落ち着いたり性格の変化があるにも関わらず、彼は知り合った当時から全く変わず、いつも若くエネルギーがある。僕はああいう人が大好きだ。」


そして、プロフェッサーは、
「僕は、国を移動して生きる人が大好きだ。君たちはもちろん、あのカフェのマダムもロシア人だけど、育ちはトゥルクメニスタン、そしてトルコへ移住してきた。」


どういう理由で好きなのかは言っていませんでしたが、それがなんとなくわかる気がしました。