プロフェッサーのアパートで休憩し、テレビなど見てまったりしました。
フランスのテレビも見れるようになっていて、毎日少なくとも30分はフランス語放送を見るようにしていのだとか。さすがプロフェッサーです。このプロフェッサーは大学の教授ですが、海外から留学生の受け入れにも関わっているようで、毎年200人のウスパスタ大学の生徒を海外に送り込んでいるとか。フランスからの留学生もいるようです。
なるほど、道理でプロフェッサーは面倒見がいいというか、色々な配慮があるというか。アゼルバイジャン人が「優しくて良い人」というのがよくわかります。でも私はそれ以上に「サンパ」(楽しい、感じが良い)な印象を受けました。
アパートで休憩した後は、早速夕飯に繰り出します。っていうか、16時過ぎまでお昼ごはんを食べていたので、20時になっても、そんなにおなかがすいていませんでしたが、、、。そんなことはプロフェッサーには言えません!アゼルバイジャン人と一緒について行くのみです!
プロフェッサーが計画していた夕飯は、、というと、山の上のレストランでのお食事でした。
実は、プロフェッサーは同僚一人と、学部長も呼んでいたのです。
うちのアゼルバイジャン人、この同僚と学部長とは実は面識ありまして。
というのも、プロフェッサー、同僚、学部長の3名が「パリの農業展覧会」に来た時に、うちのアゼルバイジャン人が街を案内し、そして、3人がトルコに飛び立つ最後の日に我が家へ招いたということだったのです。トルコに帰る飛行機が朝5時だったようで、ホテルに泊まらず、時間が来るまで我が家でお茶とおしゃべりという感じで過ごしたらしいのです。確かに飛行機が5時なら、空港へ向かうのは夜2時くらい。それならホテルに泊まらず、どこかで、、、というのもうなずけます。(その時は、私は日本にいたので話しだけ聞いていたのですが。)
こうして、うちのアゼルバイジャン人の「ちょっとしたおもてなし」のお礼も兼ねて、プロフェッサーがウスパルタへ案内してくれた、、、といういきさつがあったのでした。
「トルコ人のおもてなしは」すごいらしい、とは噂には聞いていましたが、、、。プロフェッサーを見ていると歓迎の心いきをとても感じました。途中からアゼルバイジャン人と恐縮したほどですよ。
標高1000Mの街から、さらに車で山を目指します。
こんなところに、本当にレストランなんてあるのかしら?と思っていると。おしゃれそうな建物が、、、。
中に入ると、テラス席と屋内席がありました。とりあえず、肌寒かったので屋内席に。
写真はテラス席。眺めが良いですね~。
途中から同僚の女性も合流しました。彼女も教授で農業の流通が分野だとか。彼女はフランス語はほとんど話せないので、とりあえず英語で話しが進みました。2人とも教授だけあって、さすが英語がぺらぺらです。うちのアゼルバイジャン人もかなり話せていましたよ。私は英語は聞くのが少しできるだけで、もう話すことはほとんどできません、、、フランス語をやり始めてからの英語の衰えは本当に激しいものです。と言い訳です、、、汗
一度食べてみたかったラマジュン。彼女は「ピザよ!ピザ!」と言っていましたが、確かにピザでした、、、。
これで一人前。
そのほか、私のためにと、ピラフまで取ってくれました。お腹がはちきれんばかりに食べました。
ラマジュンはかなり苦しかったのですが、全部食べましたよ。隣のアゼルバイジャン人を見たら、2切れ残していましたけど。
そして、デザートです。左のライスプリンが美味しかったです。右のはムチムチ系です。
そして、お茶。
あ~、くるひぃ。胃がはちきれそうでした。
陽も沈み、夜景がとても綺麗でした。
お茶をしていると、ようやく農業学部長が到着です。
ご飯はご自宅で済まされたようで、炭酸水を注文していました。
おんとし60歳くらい?大きな体格に眼鏡をかけていました。うむ。知的そうです。
ここからはもうトルコ語でしたよ。テラス席に移動して、再びお茶を注文。
学部長とアゼルバイジャン人が経済の話しを熱心にしています。その合間、合間で、学部長はプロフェッサーに「なぜ、君ちたちは独身なんだ」とチャチャをいれています。同僚の女性も独身だそうで、この二人がくっつことを学部長は望んでいるようです。
が、プロフェッサーいわく、「彼女はあくまで友人です!」だそうな。
プロフェッサーは結婚願望はかなりあるらしのですが、なかなか出会いが、、ないようなのです。
時間も時間、23時ごろにお開きになりました。
みなそれぞれの車で下に降りていきました。
このままアパートへ帰るのかと思いきや、、プロフェッサーが
「明日はあまり時間がないと思うので、今から街の中を散策しようと思います。たくさん食べたし、体もちょっとは動かさないとね!」
ということで、ガイドについていくことになりました。
23時の街はやっているバーやカフェも多く、学生の街だけあって若者がたくさんいました。
そして、ちょうどその時期は大学生の試験期間中でもありました。プロフェッサーが
「こんな時間に自分の学生が外で遊んでないか、チェックしないとな!」と笑いながら、学生が集まるカフェへ偵察に行きました。これは、まるで夜の街で生徒を探す金八先生みたいだわ。
偵察2件目には、洒落たバーに入りました。学生がたくさんいましたが、プロフェッサーの学生ではなかったようです。
と思ったら、
「じゃ、ここでお茶でもしていこう!」と元気なプロフェッサー。
ホント、もうお茶一滴も入りません。状態のわたくしとアゼルバイジャン人。二人で顔を見合わせてしまいましたよ。
でもここはガイドの計画?通り、指示に従います!
私とアゼルバイジャン人は、かろうじて飲めるお茶を。
そして、プロフェッサーはというと、、、
アゼルバイジャン人と一緒に「キター!!」と言ってしましましたよ。
生クリームとチョコレートソースのハーモニーに満足そうでした。プロフェッサーは、よく食べよく飲みます!!100キロは超えているとのこと。
途中でカフェのオーナーのマダムもおしゃべりに参加して、プロフェッサーは大満足でした。
こうして、カフェの偵察も終わりアパートへもどったのでした。
アゼルバイジャン人いわく、「プロフェッサーの性格は全然年をとらない。人は年齢とともに、落ち着いたり性格の変化があるにも関わらず、彼は知り合った当時から全く変わず、いつも若くエネルギーがある。僕はああいう人が大好きだ。」
そして、プロフェッサーは、
「僕は、国を移動して生きる人が大好きだ。君たちはもちろん、あのカフェのマダムもロシア人だけど、育ちはトゥルクメニスタン、そしてトルコへ移住してきた。」
どういう理由で好きなのかは言っていませんでしたが、それがなんとなくわかる気がしました。