今年もよろしくお願いします!
いや~シアターガイド
気合入ってましたね!
作者読みの現場にまで潜入してのレポでした!
セットの写真もあって、想像が膨らみます~。
唐さん、蜷川さん、宮沢さん、藤原くん、西島くんのインタも読み応えありました。
この藤原くんの衣装・・・TVナビの山本くんとの対談と一緒ですね。
同じ日に取材受けたんでしょうね。
「ロジックから外れた詩情と激情に心身ともに感応する能力は、昔から藤原竜也の財産だ」
おお~!
なんてナイスな表現!
ライターさんの言語化能力に感心しました。
「唐作品は、自分の神経と細胞に合う」という藤原くん。
合うだろうな~とこっちも思います。
なぜかというと、シアターガイドのライターさんもあげている「身毒丸」
いわずと知れた彼のデビュー作ですが、ここから現在に至る道のりを振り返り見れば
「下谷万年町」が合わない方がおかしいと思えるくらいです。
芸事って「守・破・離」だとよく言われるじゃないですか。
調べてみると、こんな解説がありました。
きれいにまとまっていたので、一部を引用させて頂きます。
「 守破離(しゅはり)」の言葉をはじめて使ったのは、室町の三代将軍足利義満の時代に、
「能」を育て上げた観阿弥、世阿弥親子だったとのことです。
現在は能だけでなく、歌舞伎や狂言といった日本の伝統芸能、剣道や居合道、空手など
武道の世界でも守破離という言葉が広く使われているそうです。
どの道においても、同じようない意味合いで使われています。
その道を極める為の成長段階を示した言葉で、道を極める成長段階は、文字通り守・破・離の三つの段階に分けられます。
守…ひたすら教えを守り、学ぶ
破…教えの言葉から抜け出し、真意を会得する
離…型に一切とらわれず、自在の境地に入ること
守。この段階は、ひたすら師の教えを守っていきます。
多くの話を聞き、師の行動を見習って、師の行動を自分のものへとします。
全てを習得できたと感じるまで、師の指導を繰り返します。
そのうち師から「疑問を感じたら、私に頼ることなく自分自身で解決するんだ」などと言われるようになります。
こうなると守の段階は終了、次の段階へと進む事になります。
破。この段階は言葉通り、既存の概念を破る事です。
疑問解決の為に、師の教えを守るだけではなく独自の工夫を重ね、師の教えにはなかった方法などを試していきます。
意識的に師の教えを崩し、次第に発展し…独自の方法を築き上げていく事になります。
最後、離の段階。この境地まで達すると、師のもとを離れていきます。
破と違うのは、「一切のこだわりを捨て、自由に、思うままに考え、自然に身を置いて行えば、
言わば合理の極致としておのずから至芸の境地に至る」事ではないかと思います。
離はいわば理想の段階ですが、その「道」を学ぶ者ならば、離の段階に入っていかねばならないのです。
美術の授業だったと思うのですが、私も先生から聞きました。
守というのは、ひたすら真似る、美術では「模写」です。
守が完成したら破、自分独自のものを見つけていく。
離は自由自在。
と、私の記憶ではなっています。
私は、藤原くんはこの段階を上っていっていると思っているんです。
蜷川さんが意識して、そう育てたのかもしれませんが。
10代から20代前半「ハムレット」・・・いや「オレステス」までは「守」だったのではないかなと。
そして、20代からは「破」の段階へ突入。その証拠に、野田秀樹、栗山民也、三谷幸喜など、他の演出家とのタッグも増え、
それまでに経験したことのない分野での挑戦が目立ちました。
どのインタか忘れましたが、「脱・表現」を求められたと、本人も言っていました。
でも「脱」ということは、その前の段階があるから「脱」なんですよね。
あのインタを読んで、藤原くんは「守破離」で育てられているんだということを確信しましたね。
で、今は「破」の途中にあると、私は感じているんです。
「守」の段階は過ぎたと見ていいかなと。
それは、「遺恨あり」の監督の言葉からそう感じました。
放送文化基金賞のHPに、監督と審査員との対談が載ってまして、
その中で、制作エピソードが語られています。
監督は「新しいことはしなくていい、今までの貯金を使え」と
藤原くんに言ったそうです。
つまり、「守」の段階で培ったものを出せということだと思うんですが、
それが、あの演技ですよ。
「守」の段階で、「ハムレット」や「遺恨あり」、「身毒丸」「近代能楽集」を生み出したのですから
これから「破」が完成して、「離」まで到達したら、一体どんなことになるのか
まさに、先が楽しみな俳優ナンバーワンです。
今年も、作品との出会いと成長が楽しみです。
目前の「下谷万年町」、蜷川演出で「破」が見られるのではないかとわくわくしてるんですが。
見たいな~。
それと、話題は変わりますが
シアターガイドの企画で、「フィギュアスケート」は演劇だ!という記事が
ありまして、
激しく共感です!!
台詞はないですけど、「演じる」という点、共通してると思います。
この企画は連載のようなので、楽しみです。
芸術家肌スケーターとして、高橋大輔くんの名前があがっています。
「ぼくらの時代」での共演は、芸術肌どうしの必然の出会いだったのかしらね。
いや~シアターガイド
気合入ってましたね!
作者読みの現場にまで潜入してのレポでした!
セットの写真もあって、想像が膨らみます~。
唐さん、蜷川さん、宮沢さん、藤原くん、西島くんのインタも読み応えありました。
この藤原くんの衣装・・・TVナビの山本くんとの対談と一緒ですね。
同じ日に取材受けたんでしょうね。
「ロジックから外れた詩情と激情に心身ともに感応する能力は、昔から藤原竜也の財産だ」
おお~!
なんてナイスな表現!
ライターさんの言語化能力に感心しました。
「唐作品は、自分の神経と細胞に合う」という藤原くん。
合うだろうな~とこっちも思います。
なぜかというと、シアターガイドのライターさんもあげている「身毒丸」
いわずと知れた彼のデビュー作ですが、ここから現在に至る道のりを振り返り見れば
「下谷万年町」が合わない方がおかしいと思えるくらいです。
芸事って「守・破・離」だとよく言われるじゃないですか。
調べてみると、こんな解説がありました。
きれいにまとまっていたので、一部を引用させて頂きます。
「 守破離(しゅはり)」の言葉をはじめて使ったのは、室町の三代将軍足利義満の時代に、
「能」を育て上げた観阿弥、世阿弥親子だったとのことです。
現在は能だけでなく、歌舞伎や狂言といった日本の伝統芸能、剣道や居合道、空手など
武道の世界でも守破離という言葉が広く使われているそうです。
どの道においても、同じようない意味合いで使われています。
その道を極める為の成長段階を示した言葉で、道を極める成長段階は、文字通り守・破・離の三つの段階に分けられます。
守…ひたすら教えを守り、学ぶ
破…教えの言葉から抜け出し、真意を会得する
離…型に一切とらわれず、自在の境地に入ること
守。この段階は、ひたすら師の教えを守っていきます。
多くの話を聞き、師の行動を見習って、師の行動を自分のものへとします。
全てを習得できたと感じるまで、師の指導を繰り返します。
そのうち師から「疑問を感じたら、私に頼ることなく自分自身で解決するんだ」などと言われるようになります。
こうなると守の段階は終了、次の段階へと進む事になります。
破。この段階は言葉通り、既存の概念を破る事です。
疑問解決の為に、師の教えを守るだけではなく独自の工夫を重ね、師の教えにはなかった方法などを試していきます。
意識的に師の教えを崩し、次第に発展し…独自の方法を築き上げていく事になります。
最後、離の段階。この境地まで達すると、師のもとを離れていきます。
破と違うのは、「一切のこだわりを捨て、自由に、思うままに考え、自然に身を置いて行えば、
言わば合理の極致としておのずから至芸の境地に至る」事ではないかと思います。
離はいわば理想の段階ですが、その「道」を学ぶ者ならば、離の段階に入っていかねばならないのです。
美術の授業だったと思うのですが、私も先生から聞きました。
守というのは、ひたすら真似る、美術では「模写」です。
守が完成したら破、自分独自のものを見つけていく。
離は自由自在。
と、私の記憶ではなっています。
私は、藤原くんはこの段階を上っていっていると思っているんです。
蜷川さんが意識して、そう育てたのかもしれませんが。
10代から20代前半「ハムレット」・・・いや「オレステス」までは「守」だったのではないかなと。
そして、20代からは「破」の段階へ突入。その証拠に、野田秀樹、栗山民也、三谷幸喜など、他の演出家とのタッグも増え、
それまでに経験したことのない分野での挑戦が目立ちました。
どのインタか忘れましたが、「脱・表現」を求められたと、本人も言っていました。
でも「脱」ということは、その前の段階があるから「脱」なんですよね。
あのインタを読んで、藤原くんは「守破離」で育てられているんだということを確信しましたね。
で、今は「破」の途中にあると、私は感じているんです。
「守」の段階は過ぎたと見ていいかなと。
それは、「遺恨あり」の監督の言葉からそう感じました。
放送文化基金賞のHPに、監督と審査員との対談が載ってまして、
その中で、制作エピソードが語られています。
監督は「新しいことはしなくていい、今までの貯金を使え」と
藤原くんに言ったそうです。
つまり、「守」の段階で培ったものを出せということだと思うんですが、
それが、あの演技ですよ。
「守」の段階で、「ハムレット」や「遺恨あり」、「身毒丸」「近代能楽集」を生み出したのですから
これから「破」が完成して、「離」まで到達したら、一体どんなことになるのか
まさに、先が楽しみな俳優ナンバーワンです。
今年も、作品との出会いと成長が楽しみです。
目前の「下谷万年町」、蜷川演出で「破」が見られるのではないかとわくわくしてるんですが。
見たいな~。
それと、話題は変わりますが
シアターガイドの企画で、「フィギュアスケート」は演劇だ!という記事が
ありまして、
激しく共感です!!
台詞はないですけど、「演じる」という点、共通してると思います。
この企画は連載のようなので、楽しみです。
芸術家肌スケーターとして、高橋大輔くんの名前があがっています。
「ぼくらの時代」での共演は、芸術肌どうしの必然の出会いだったのかしらね。