柴田淳とは何か ~しばじゅん日記blog version

「一太郎による柴田淳の研究」内「一太郎のしばじゅん日記」ver3.01。ブログ・ヴァージョン。

今日のdiaryは前向きで結構!

2007年07月23日 | Weblog
・・・とにかく、あの“ボロボロ”なんて言い方はやめてくれ。
しばじゅんがその時「ボロボロの格好」なんかしてなかったのは・・・
他の人はどうでも、ぼくにはちゃ~んと分かってるのです。

度が過ぎた自己卑下なぞ、百害あって一利なしなのです。

diary (2)

2007年07月20日 | Weblog
自分の収入の範囲で少々贅沢したとしても
ああだから・こうなので、と言い訳がましくする必要はこれっぽっちもない。

女のひとがおしゃれしたいということ自体、
当然の欲求です。
むしろ身を飾ることを楽しむ方がずっと良い。

が、

> でもって、ボロボロの洋服とボロボロの靴で買い物に行ったから、とても恥ずかしかった。

> 試着してた時、脱いだボロボロの靴を見られたのが一番恥ずかしかったな。
> 脱いだ洋服で隠しておけばよかった。


この卑屈さがよくない。
これでは、柴田淳は他人をもそういう目で見ている、ということになる。
その裏返し、ということになる。自覚していなければ、かなり由々しき問題。

世間並みの収入の人は、そんなに贅沢できません。
こどもや年老いた親御さんでもいれば、なおさら。
そういう人に引け目を覚えさせるような言葉です。
そういう言葉を選ぶこと自体が、
言葉に対する無頓着、無神経、を示しています。

「あたしは、・・・恥ずかしいんだ。みっともないんだ。」

なんて他人に感じさせ、悲しませる可能性のある言葉を
あえて使うのは恥ずかしいことです。
人前に出る時着飾りたいなら、そうするのもいいのだが、
でもこういう考えで・・・つまり妙な虚栄心のために
それをするのなら、買わないで済む顰蹙を、あえて
買うことになる。
人の気持ちが離れていってしまう心配がある。

なので良くない。

おんなの人がこんな発言をしたとき、大抵の常識人は、
それを謙虚、照れ隠しとは思いません。
嫌な気持ちになるか、ちいさなことに汲々とするひとである
と、軽蔑すると思います。軽く見られる。

それと、今回のdiaryへの反応で感じたけれど、しばじゅんの
ファンも、人の心を気遣えないところがあるのじゃないか
という気がする。

やさしい音楽

2007年07月16日 | Weblog
ぼくがしばじゅんに教えたい
やさしい音楽は

斉藤和義のアルバム「紅盤」に入っている
「ベリーベリーストロング」
「ウエディング・ソング」など、です。
ジョン・レノンの「ジェラス・ガイ」の
日本語訳ヴァージョンも良いので
ぜひ聴いてみて。

「削除」の一件

2007年07月11日 | Weblog
なるほど、そういうことだったか。

結構、信頼出来るお医者さんというのは
貴重な存在だったりしますよね。これは確か。
医療の技術や知識、というのもさることながら
人間性とか、精神面とか、そういったことでも
診断・治療の結果は違ってきます。
「医は仁術」と謂いますからね。
かかりつけの先生がきちんとしたアドバイスを
してくれて良かった、良かった。


そうそう、ぼくもしばじゅんに医者行けと言いながら
自分も治療が必要な症状を少々かかえています。
今年中にある程度カタをつけてしまおうと思います。

しばじゅんも忙しいでしょうけど、これからもっと
忙しくなるかも、しれませんよ?

そうなった時に、不安なく活動できるように
いまのうちに健康問題は解決してしまいましょう。