ことほぎ日記

ことほぎ【寿・言寿・言祝】ことほぐこと。ことばによる祝福。ことぶき。ことほがい。そんな日記になればなあ、と思っています。

おんなじことばっかし

2010-02-28 | 食事とか生活のこと

「やっぱり、掃除すると気持ちがいいね」
「こんなのもあった!って新しい発見があるし、すがすがしいね!」
「いつもキレイなのがいいね」

しょっちゅうおんなじことばかり言っていて、
しかも毎回感動しながらよく言えるね、と家族に笑われる。


でも、毎回感動し、その感動は徐々に薄れ、そしてまた部屋は汚れる・・・。


今日は午後から晴れてすがすがしい陽気だったけれど、
家にこもり、あれやこれや掃除をする。

机の上がとんでもない状況だったのが、だいぶきれいになった。
過去の医療費の領収書を処分した。

茶封筒にしまいっぱなしになっていた書類を整理してもらったり、
捨てるものは捨て、必要なものはファイリングし、
それぞれの居場所を作り、7割方掃除は終わった。


来月から、仕事の時間を少しだけ増やすことにした。
来週末には試験も受ける。
TOEICを勉強する時間も確保する。

そのためには、やっぱりこざっぱりした部屋が必要。
必要なものだけがある空間で、すっきりさっぱり暮らす。


夫も私も実家は地方なので、それなりに広く、
我が家に帰ってくると「狭いなぁ」と思う。
でも、この狭い空間さえ管理できないものが
どうして広い空間に住めるものか!と自分を叱咤する。

天使(エンジェル)は清しき家に舞い降りる」という本もある。
これは家をキレイに、というよりも、ナチュラルクリーニングに関する本だけれど、
人だって、天使だって、福の神だって、
汚くて混沌として澱んだ空気の家よりは、
キレイで整理されていてすがすがしい空気の家に行きたいはず。

たくさんの人たちよ、天使よ、エンジェルよ、福の神よ、やって来い!と願いながら
部屋の掃除の続きをすることにする。


お父さんとお母さんに捧ぐ

2010-02-28 | 家族のこと

今日は父と母の結婚記念日。
生前、父とまだ会話が出来た頃、電話で話をしたことが思い出深く、
ちょうど製薬会社が行っていたエッセイコンテストがあったので
応募してみた。その時のものがこれ。

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父から「お前の声が聞きたくて」と電話が来た。
私は二つのフライパンの前にいた。
1つはにんにくが香ばしい香りを出していて、
もう1つのフライパンはパスタをゆで始めたところ。
今までの私だったら「お父さん、ちょっと待って。今夕飯作ってるから。
食べ終わってからまた電話するね」と言ったことだろう。

でも、今は違う。

にんにくがどんどん焦げるので、コンロから外す。
麺をゆでるタイマーが鳴りそう。
父に気付かれないように、タイマーが鳴る前に切る。
電話で会話をしながら、こちらがパスタを茹でていることなど悟られないように、
茹で上がったパスタをそおっとザルに受ける。

成功!

電話の相手は父から母に変わる。
今までだったら「パスタがのびちゃう」と、母との会話も上の空だっただろう。

でも、今は違う。

今、少し遠くで電話の受話器を持っているのは母。
隣には父もいる。

母は昨年、大きな手術をした。
母の手術から1年経った、と思ったら今度は父が、
母に勝るとも劣らない病気であることが分かった。

「お父さんとお母さん、本当に仲がいいんだな。
おんなじ病気でおんなじ先生にかかるなんて」 父が言う。

父から「お前の声が聞きたい」なんて言われるとうれしいけれど、
病気のせいで気弱になったのかな、とも思う。

母と世間話をしていると、「じゃ、お父さんに変わるわね」とまた父が出た。

父が言う。
「今、この世でな、世界一大変なのは、お母さんだ。
自分だって術後1年しか経ってないのに、お父さんがこんな病気になっちゃって。
お父さんはな、お母さんには本当に感謝してるんだ。
食欲もな、全然ないんだけど、お母さんが盛ってくれたご飯は
食欲なくても、一生懸命食べるんだ。
夫婦ってそういうもんなんだ」と。

一時は自暴自棄になっていた父だけれど、
「お父さんもお母さんもがんばってるぞ。お前たちもがんばれ」
と言って電話を切った。

父の声に元気があった。
病気が分かった当初は泣きながら「何も心配するな」というのが定番で
図らずももらい泣きしたけれど、時間が経過して父の気持ちにも
変化が現れたのだろう。

すがすがしい気持ちで電話を切ることが出来た。
ああ、大丈夫。
今日は、よく眠れそうだ。

病気は、教えてくれた。
パスタの茹で加減よりも大切なものがあるってことを。
私にとって、両親がこれほどまでに大切な存在である、ということを。


スコーン、焼いた

2010-02-27 | 食事とか生活のこと
今日は、午前中に用事があり出掛け、
午後は家で豆乳ゼリーを作り、スコーンを焼いた。

栗原はるみさんのレシピを見て作ったのだけれど、
本当に簡単で、とーってもおいしい。

以前、新聞か雑誌か何かで栗原はるみさんのインタビュー記事を見た時に
「料理の先生にもついてなかったし、料理の学校も出ていなかったから
辛い経験もいろいろとありました」のようなことが書いてあった。

でも、料理の先生にもつかず、学校にも出ていないからこそ、
自由な発想で、簡単かつおいしい料理やお菓子を数多く生み出しているのだと思う。

手をかけたり、お金をかけたりすれば誰だってそれなりのものが作れると思う。
でも、栗原さんのレシピはびっくりするくらい単純で分かりやすく、
材料も近所のスーパーで売っているものや、冷蔵庫にあるものがほとんど。

ご自分が子育てをしながら、家にあるものでおやつを作っていた、というのを
どこかで読んだので、手早く、ぱっぱと作れるものが自然と身に付いた、ということか。

そう考えてみると、栗原はるみさんにとって料理の先生に師事していないことも
料理学校を出ていないことも、結果としてプラスに働いたような気がする。
近い距離で見ると「失敗だった」「ああしておけば」と思うようなことも、
長い距離、広い視野から見れば「あの時のあのおかげで・・・」と思えるようになるかも知れない。

栗原はるみさんの簡単かつおいしいレシピに感謝しつつ、
土曜の午後、夫と「食べすぎだよね」と言いつつ、
洋梨のジャム(頂き物)をつけ、焼きたてのスコーンを頬張った。

まだ、道明寺と桜餅も私たちを待っている・・・。

失われ、奪い返す10年

2010-02-27 | 食事とか生活のこと

夫も私も仕事をしつつも、新たな道を模索しているところ。
お互いに転職サイトを見ながら、「あんなのあったよ」「こんなところがあった!」と
教えあったり、報告したりしている。

私は先日のブログでTOEICを受けることを心に決めたことを書いたけれど、
夫もそのようで早速、英語教材をイヤホンで聞き始めていた。

夫と私と英語教材、あれがいいよ、これも面白いよ、などと話をしていて
「でもさ、これって10年前や15年前にやっておいてもよかったことだよね!」と話する。
私は前向きかと思いつつ、実は後ろ向きな人間なので、
「ああ、私の失われた10年、戻って来~い」と遠い目になる。

でも、どこまでも前向きな夫はこう言った。
「僕たち、10年若くなっちゃえばいいじゃない。
そして、健康で10年長生きすればいいじゃない」と。


確かにそうかも知れない。

私は、30代も半ばを迎え、何かと年齢が気になる。
外見の問題も気になるし、年齢によって制限されることも今までよりは少し増えた。


それは、世間とか世の中が人を年齢という数字で区切っている、というのもあるけれど、
半分以上、いやほぼすべては自分が決め付けているんだなー、と思った。

「年齢というのは単なる数字です」とか「年齢は背番号です」という話もよく聞く。
私もそういうものかなと思いつつも、
「年齢ばかり重ねて、出来ないことばかり・・・」と途方に暮れたり
「あの時間にこれをしておけば・・・」なんて過去に思いを馳せたり・・・。


夫と結婚する前は、そうやって2日や3日はどうにもならないことに思いを馳せていたけれど、
夫は
「人と比べてもしょうがない。人は人、自分は自分。
自分の努力が足りなくて得られない結果なら仕方ない。もっと努力をすればいいだけ。
どの親のもとに生まれた、とか生まれつきのこととか、
自分でどうにも出来ないことに悩むのは時間の無駄。
だったら、手や体を動かせば?」という考え方。

昨日も、涙ながらに自分の不幸を訴えた私は夫に一喝された・・・(汗)。


ご縁ってあるのだなあ、と思う。

不思議なご縁から出会った夫と私。
私に足りないものを夫はたくさん持っていて、学ぶことがとても多い。
きっといろいろな自分に足りないものを学ぶために夫に出会ったんだなあ、
ありがとう、夫に出会わせてくれた神様、と思う。


英語も10年も15年も前から勉強し、TOEICでもいい点数を取っておけばよかったけれど、
夫がいうように、過去を嘆くより、今から出来ることをさっさと始めた方がいい。
これから先の10年、20年を明るく楽しく過ごすために、今出来ることを探し、
さっさと手を動かし始める。

私はもりもりと履歴書を書く。
TOEICを申し込む。TOEICの勉強を始める。
もりもり歩き、体重も落とす。


夫と出会った事で失われた10年は何倍にもなって返って来そう・・・。
パソコンでオットと打ったら「良人」と出てきた。
文字通り、本当に「良い人」と出会ったなあ、と思う。


憎まず、休まず、あきらめず

2010-02-26 | 好きな人のこと

好きな人がいる。
従兄の奥さんで血のつながりはないのだけれど、常に
「お姉さんならどうするだろう?」
「お姉さんならどう考えるだろう?」と考える。

随分と遠いところに住んでいらして(日本国内だけれど)
年に1度会うか、会わないかという程度。
でも、心はいつも寄せているし、寄せてもらっている・・・。

そのお姉さんから、こんなメールが来た。
「憎まず、休まず、あきらめず、でがんばりましょう」と。

このところ、いろいろ心がもやもやすることが
続いたのを察知されたかのような「憎まず」、
怠惰な私のことを見透かされたかのような「休まず」
そして、仕事のことに関して半ばあきらめかけていた私に対しての「あきらめず」

お姉さん、どこかで私のこと見てる?
何も言ってないはずなのに・・・。

でも、冷静に考えてみると、憎むこと、休むこと、あきらめることというのは
みんないろいろなものを浪費していることだな、と思いつく。

夫がいうように人生は時間が限られていて、
その限られた時間に人を憎んだり、嫌いな人のことを考えるよりは
好きな人のことを考え、人を大切に思い、ふわりと幸せな気分になった方がいい。

私自身はしょっちゅう何かと理由をつけては、いろいろなことを休みがちだけれど、
休むよりも続けたほうがいいことがいっぱいあるし、
停車していてエンジンをかけるところから始めるより、
動き始めた車を加速する方がずっとラク。
あきらめることも、最初こそ簡単かも知れないけれど
のちのち取り返しが付かないところになって、あきらめたことを後悔したりして。

憎まず、休まず、あきらめず。

お姉さん、いい言葉をありがとう。
時間やいろいろなパワーを無駄にせず、前に進みます。
一歩、一歩踏み出します。


敗北宣言

2010-02-25 | 家族のこと

負けた、と思うことがよくある。

夫とけんかをする。私が悪かったり、彼に非があったりいろいろだろうけど、
私は一旦感情に火が付くと、消火活動に手間取り、
火はどんどん燃え上がる。

一方、放火したり、されたりした夫はすぐニュートラルな状態に戻る。

こちらが「なにそれ?」と呆気に取られるほど、すぐニュートラルに戻るので
聞いてみたことがある。
「どうしてそう早く気分を転換できるの?」と。

彼の答えはこう。
「人生は短いからさ。嫌な気分、ずっと引きずっていたくないもん」と。


恐れ入りました。確かにそうです。
私、そんなこと、ブログでたくさん書いてます・・・。


昨日、かなり腹立たしいことがあり、涙ながらに夫に愚痴る。
意地悪な思い、いやらしい考え方を述べる。

夫は「オノ・ヨーコさんも言ってたじゃない。その人を祝福してあげて。
その人に対する憎しみであなたの心を汚くしないで」と言っていた。

あ、そのオノ・ヨーコさんのことも私が夫に読んで聞かせてあげた。
そして、ブログにも書いた。

な~に、やってるんだろう私・・・。

ありふれて、言い古されたコトバかも知れないけれど、
夫の考えを聞いて、やはり人の幸、不幸というのはその環境じゃない、
頭や心が作るのだ、と再度確信する。

いつも前を向き、自分のためにも人のためにも笑顔を絶やさず、
頭や心の中はいつも真っ白できれい。
たとえ周りの環境がどうであっても、彼自身は決して何色にも染まらない。
真っ白いまま・・・。


いろいろなご縁があり、彼と出会ったんだもの。
きっとそこに意味があるはず。
これからも、たくさん、たくさん学ばせてもらおう。


フタ、ハズレル

2010-02-24 | 職場や仕事のこと
私の中の何かのフタが外れた。

「出来ないよ」
「やったことないよ」
「経歴ないよ」
「TOEIC受けたことないよ」

今までそういった言葉で自分自身のいろいろなものにフタをし、
ぬるま湯でのほほんとくつろいでいた自分がいた。

父のことが少し落ち着き、夫も私も春めいてきた。
まるで「冬ごもりの虫がはい出てくる」という啓蟄のよう。
啓蟄というのは太陽暦で3月6日頃を指すそうだから、当たらずも遠からず。


夫に「転職サイトにあんなのもこんなのもあったよ」と教えてもらう。
どこを見ても大体TOEIC何点以上、と書いてある。

今まで一度も受けたことないけれど、英語はもともと好きだった。
もっと上手になりたい、とずっと思っていた。
だったら、今がチャンスかも。
願ったり、かなったり。

5月30日(日)のTOEICのテストは受け付けている。
それまで丸3ヶ月ある。時間はある!


以前から映像の字幕翻訳をしてみたい、とずっと思っていたら、
今月末に応募が締め切りのところも発見した。


韓国語を生かす仕事がしたい。
字幕翻訳をやってみたい。

ずっとずっと思っていたけれど、
「日本でアルバイトや契約社員の経験しかない私は無理なんだ」と
自分にずっとフタをしていた。


「願えばかなう」とか「思いは実現する」ってよく耳にするし、好きな言葉でもある。
でも、家の中にばかりいて「出会いがない」と嘆いている人のように
願っても、思っても、行動に移さなくては何も始まらない(と最近やっと気づく)。

願い、思い、行動する。

TOEIC、受けてみる。
履歴書、あちこち送ってみる。

以前、結婚して就職活動をしていた頃は落とされてばかりで凹み、
自信も失ったけれど、今ならなんとなく大丈夫。

落とされたのは「あなたはもっと別の仕事がふさわしい」って意味かも知れないし、
「韓国語だけじゃなくて、プラスアルファをつけなくちゃ」という意味かも知れない。


TOEIC受けてみてもだめだったら、簿記もやってみればいいじゃない?

今まで漬物石みたいに重いフタを頭に乗せていたから
そろそろおいしく漬けあがり、売り出す時が来たのかも(能天気)。



熟成期間だけは人一倍(苦笑)。

人を感動させる、ということ

2010-02-23 | 好きな人のこと

最近、この「ことほぎ日記」を書籍化しよう、と1人あちこちでふれ回っている。
友達に「出版社や編集者の知り合いはいない?」などとあちこちにメールを送っている。

先日、大学時代の友人にも「そうだ!」と思い、メールを送ってみた。
すると、5分も経たないうちに返信があり

「知り合いがいるわけではないけれど、企画書や仮の原稿があれば
送ってください。可能性はあります」とあり、
「連絡ありがとう。またね」と結ばれていた。

返信が早いこともさることながら、
企画書や仮の原稿があれば送って、と言われたのも初めてだったので
うれしかったし、メールの最後が「連絡ありがとう」で結ばれていたことにも感動した。

テレビをつければ「泣きメンタリー」とでも言いたくなるような、
ドキュメンタリーがたくさんあって、確かに闘病している様子や
困難や障がいを克服されている様子を見ると、
気が引き締まる思いがするし、感動もする。

そういう大そうな装置がないと、人は感動できないものだとばっかり思っていたけれど、
友人からの簡潔なメールに、私は心から感動した。

何度も何度も思うけれど、やはり仕事が出来る人はさっさとぱっぱと処理をする。
私もお皿洗いや洗濯物を畳むこと、小さなことからでいいから、
さっさとぱっぱと思った時にすぐやってしまおう。


かわいいコトバ

2010-02-22 | 家族のこと
先日、実家に行った時のこと。
実家には、弟がいる。
母がいろいろ頼むのだけれど、すぐにやってくれなかったり
「後でね」の後がなかなかやってこなかったり、
何度も頼むのも、母もなんだか気詰まりだったり・・・。

それで、母が「悪いんだけど・・・」と私の夫にいくつか仕事を頼んだ。
それほど大変なことではないけれど、はしごをかけての高い場所の作業だったり、
家にはない接着剤での作業だったり。

夫はすぐ、はしごをかけ、1つの作業を終え、家にない接着剤を買いに出かけた。

弟が二人もいるのに、いろいろやってもらったので申し訳ない気持ちもあり、
いつもより、心を込めて夫に「ありがとう」という。

夫は「お母さんに頼られてるようで、なんだかうれしいんだ」と言った。
少女マンガだったら、「うれしいんだ」の後にハートが付くような言い方だった。

わが夫ながら驚く。
なんてかわいらしい考え方なのだろう。
なんて素敵な考え方なのだろう。

そういういいところは真似するのよ、と不出来な弟に早速教えてあげた。

今がその時

2010-02-21 | 好きな人のこと
鳩山総理の奥様である、鳩山幸さんが気になる。
突き抜けたような明るさで、華やかなところ。
鳩山総理が総理になってから、というものあちこちの雑誌に
対談などが掲載されていて、拝読する機会があった。

突き抜けた明るさがあり、ポジティブで、前向きで、
堂々としていて、素敵な方だった。

先日、ラジオを聴いていたら、ラジオに出演されていて
そこで好きな言葉を色紙にこう書いていたそうだ。

「今がその時」と。

私は去年、おととしと怒涛のようにいろいろなことがあって、
実家のことが中心になってしまい、頭も心もそこに占領されて、
自分のことなどほとんど何も考えられなかった。

自分のことを考えず、行動も起こさないのだから結果は目に見えている。
何も変わらない。

実家のことも一段落つき、
今年こそは自分や私たち夫婦のことをもっと考え、行動に移したい。

このことほぎ日記を本という形にまとめ、出版したい。
本にする価値があるものなのか、ということはひとまず置いといて。
せっかく昨年ハングル検定1級を取ったんだから、
それを生かした仕事を再開したい。

いつまでも、指をくわえて「いいな」「やってみたいな」
「ああいう風になりたいな」と言ってるだけでなく
自分が考え、行動に移さなくては何も変わらないし、
考えたくないけれど、人生にはいつか終幕が降りる。

いつか、幕が下りる時に「ああもしたかった」という人生は嫌だ。
人のせいにするのも嫌だ。
そう考えたら、やっぱり人に頼らず、甘えず、
考え、行動するしかないのだと思う。

「今がその時」だと思う。

明るく、光る

2010-02-20 | 日々、思うこと
特にこれといった理由があるわけではないけれど
(反対に理由も探せばキリはないけれど)
昨日は1日沈んだ気持ちでどんより過ごす。

元気がいい時には「あれとこれが重なったのはたまたま」と思えるのに、
どんよりしていると「あれにこれ、そしてこれまで!」と
悪いことのカウントばかりする。

していいことは何もないし、いいことでも悪いことでも
そこにフォーカスすればするほど、膨らんでいくっていうのは
あっちこっちで見聞きしていることなのに・・・。

自分の頭や心の中を暗闇が占領してしまう時は
自分の頭や心の中に明るさや光が一つもない時だ、と考え反省する。

誰にだっていいことも悪いことも、与えられたり、降って来たりする。
悪いことはそそくさと忘れ、小さくまとめて捨てて、
いいことにベーキングパウダー入れたり、発酵させたりして、
むくむくさせて、もとの倍くらいの大きさにして
おいしく食べてしまおう。

私は弱いし、頼りないし、だからこのことほぎ日記を見ていても、
同じようなことを何べんも書いたり、何度も落ち込んでいたりする。
そのたびに恥ずかしく思ったり、「またですか?!」と自分自身に対して思う。

それでも、紙1枚くらい自分が成長していけばいいな、と思う。
こうしてみなさまに自分の恥ずかしいことを暴露しながら
おんなじことばかり、つらつら綴りながらも
それでも、明るく光って心の暗闇を照らそう、と思う。

よりみちパン!セ

2010-02-19 | ことほぎインデックス
理論社、という出版社から出ている「よりみちパン!セ」のシリーズが好き。
図書館に行くと、児童書のコーナーに置かれていて、ちょっと行くのをためらってしまうけれど
それでも、読む。シリーズ制覇を目指して、どんどん読む。

最初の出会いは玉袋筋太郎さんの「男子のための人生のルール」。
それをきっかけに、よりみちパン!セのシリーズを制覇しよう、と
せっせ、せっせと読んでいる。

一番最近読んだのが、この徳永進さんの「死ぬのは、こわい?」という本。

自分の身近な人に死が迫っていたので、何かしら救いを求めて
この本を読んでみた。

結局、ひとつも救われないし、本を読んでたくさん泣いてしまったけれど、
いい本に出会えた気がした。

よりみちパン!セのシリーズは「中学生以上のすべての人に」とうたわれている。
私はれっきとした中学生以上だけれど、理解が難しい本もあるし、
「これ、中学生が読んで分かるかな?」という本もある。
でも、こういう本たちを中学生の頃から読んでいたら素晴らしいなあ、と思いを馳せる。

今のところ、シリーズの中のどれを読んでもはずれがない。
今まで知らなかったことや、知っているつもりでなんとなく生きてきたこと、
沖縄の基地のこと、日本が海外と交わした条約のこと、
食べ物を食べる、ということ、死ぬ、ということ、生きる、ということ、
たくさんのことをこのシリーズは教えてくれる。

もし、書店や本屋さんで出会ったら、是非手に取ってみてください。

湧く、湧く

2010-02-19 | ことほぎインデックス
死ぬのは、こわい?」という徳永進さんの本を読んだ。
そこにいい言葉が載っていたので、ご紹介。

「大事なことがある。それはね、湧くってこと。
嘘の夢は長続きしない。
先生や親から命令されたり、押し付けられた夢は、いずれほころびる。
自分の中で湧いたものは長続きするし、育っていく可能性があると思う。
夢でもそうだけど、夢でなくても湧くってことが、一番大切なことだと思う。
命っていうのはね、どういきようかって頭で考えていようがいまいが、
とにかく拍動してるもんでね、
そこに命の泉みたいなものがあって、そこで湧いてる限り、命は在るよ。
ダ液だって湧く、ムラムラとした気持ちだって湧く。
あの人に会ってみたい、あの山に登ってみたい、
海にもぐってみたい、旅に出てみたい、何でもいい、
湧けばどれだって、すごい命だよ。
だって湧かなくなるんだ、誰でも。
人でなくても動物でも植物でも。
命って、湧くっていうこと、
死って、湧かないってこと、だよ、違う?」

あれをしたい、これを食べたい、という気持ちが湧くことで
わくわくした気持ちになるのかな、とひとり言葉遊びを考える。

この本を読んで、たくさん泣いた。

最後は谷川俊太郎さんの詩で結ばれていた。

長いので、最後の最後のところだけご紹介。


「ぼくは誰にも
さよならは言わなかった
だってきっとまた会えるんだもの
もうコトバの要らないところで」


この詩を読みながら、詩をここに書き写しながら、ぼろぼろ泣いた。
いろんなことを思い出して、また泣いた。

でも、泣けるほど大切な存在でよかったな、と思い
また、泣いた。

おいしいパンが焼けました

2010-02-18 | 食事とか生活のこと
おいしいパンが焼けた。

強力粉、イースト、塩、砂糖、卵、バターをフードプロセッサーで混ぜ、
フードプロセッサーのモーターの熱でそのまま発酵させ
1次発酵が終わったら、その生地を伸ばす。
そこに、今回はツナとみじん切りのたまねぎ、
コショウとクミンシードを混ぜたものを伸ばし、海苔巻きのように巻く。

巻いたらかんぴょう巻きやかっぱ巻きのように断面を上にして、
パウンド型に入れ、2次発酵。

2度目の発酵がすんだら、スライスしたたまねぎをマヨネーズで和えたものと
チーズを乗せる。オーブンで30分焼く。

強力粉300グラムでパウンド型に2つ出来るのだけれど、
出来てすぐにもう半分以上食べてしまった。

私って天才!と一人
食べたり、叫んだり、写真を撮ったり、忙しかった。

本では、ハムを混ぜていたのだけれど、ハムがなかったのでツナ。
そして勝手に混ぜてみたクミンシードが、
食べた人をちょっと遠いところに連れて行ってくれる。

ツナだけだったらお子様風な味なのが、ちょっとエキゾチックなパンになった。
今日は家から1歩も出なかったけれど、飛行機にさえ乗ったような気分になれた。

ほんとうのともだち、ということ

2010-02-18 | 好きな人のこと
昨日、父の友達から電話が来た。

父の思い出話を話し、父の友達であるおじ様とその奥様、
またおじ様という感じで、いろいろな思い出話をし、
涙も流し、おじ様ご夫婦と一緒に過ごした時の話などをし、
私は、父が亡くなってからお知らせしたことを詫びた。

父の意向もあって、父の兄くらいにしか知らせていなかったのだ。

おじ様や奥様はこう仰ってくださった。

「家にはみんな事情があるからね」
「お父さんがそう思ってたんだもの、
それを尊重してあげたんだから立派ですよ」と。

なんだか涙が出てきた。
ほんとうのともだちってそういうことか、と思った。

「どうして知らせてくれなかったの!」と
まだ傷が癒えていない私たち家族を言葉や態度で傷つける人や
いろいろなことで傷ついたり、悔しい思いをしたりもした。

それでも、父にはほんとうのともだちがいた、ということ。
そのおじ様ご夫婦の温かな言葉に、心を羽毛でなでられているような気がした。

私もいつか、そんな言葉を発することが出来ますように。
そっと、人の心に寄り添うことが出来ますように。