ぺるちえ覚書

兎追いしかの山… 懐かしい古里の思い出や家族のこと、日々の感想を、和文と仏文で綴ります。

子供時代の思い出 その3

2021-01-30 00:30:02 | 思い出
岩本町

母方の実家は神田川沿いの岩本町にありました。今はもう現代的なビルに建て替えられてしまいましたが、当時はこじんまりとした屋上のある二階建てのビルで、確か下が会社の倉庫と車庫、2階が会社の事務所と祖父母の住居になっていました。おもてから会社のシャッターの横にある小さな扉を入って急勾配の細い階段をトントンと登って行くと踊り場に出ます。踊り場の右手には事務所に入るドアがあり、左奥には祖父母の家の玄関がありました。ビルの中はいつも会社独特の紙とインクと機械油の混ざった匂いが漂っていました。 

祖父母は本宅が湘南にあったのですが、母方の家族はみな東京住まいでしたし、祖母は季節ごとのお芝居や文楽を何よりも楽しみにしていて、歌舞伎座や国立劇場に行くのにも便利な岩本町の家に祖父と共に居ることがほとんどでした。ちなみに祖母は七代目菊五郎さんの大ファンでした。

どちらかと言うと湘南の家の方が別荘のようでした。湘南には私達もよくお休みの時に遊びに行きました。そんな時は母も祖母たちと共に潮風の香る家でゆっくりと休暇を楽しみ過ごしていたようです。海岸沿いをぶらぶら江ノ島まで散歩したり、建て替わる前の昭和のサザエさん水族館や、マリンパークに連れて行ってもらってオットセイに一皿10円のイワシの餌をやるのが楽しみでした。真夜中、湘南の家で眠っているとマリンパークのオットセイの鳴き声が海風に乗ってコダマして「オイ、オイ、オイ」と布団の中まで聞こえて来ました。

母の実家の祖父母はなかなかのお洒落で新しいもの好きの大正モボとモガだったそうです。祖父は大学では大会に出場する乗馬部の選手、祖母は学生時代は水泳が得意で確か江ノ島沖?の遠泳に選手として参加もしたそうです。祖母はおばあちゃんっ子だった私に、乗馬服姿で馬にまたがり颯爽と障害を越える若い祖父の写真や、祖父と二人で白いテニスウエアに身を包みコートでラケットを手にした写真を見せてくれたり、学友達との遠泳の思い出話しなどを面白おかしくしてくれました。また祖父は動物が大好きだったそうで、秋田犬やコリーなどの大型犬を飼って犬の品評会に出場したり、一時期は小さなお猿まで飼っていたそうです。 

祖母は源氏物語や枕草子をこよなく愛する元・文学少女でもありました。前にもお話ししましたが祖母は一族きってのストーリーテイラーで、子供時代の思い出から、私たち孫も含めた晩年の家族の思い出まで、その時々のさまざまな思い出を書き綴って残してくれました。それが素人の筆ながら気取らず、時には真摯に想いを綴り、時にはコミカルに軽妙なリズムで、なかなかどうして引き込まれてしまう文体なのです。子供の頃の思い出など、少女だった祖母の目を通した当時の様子が活き活きと描かれており、読むとまるで映画でも観るように幼い祖母や祖母の家族の姿が心に思い浮かび動き出します。

とても信心深くご先祖さまを大切にしていた祖母。祖母が書き残してくれた文章には彩り深い日本文化のDNAが流れています。遠い異国で暮らすおばあちゃんっ子だった孫の私にはひとしおの嬉しさです。私や息子の中にも祖父母から受け継いだ日本文化のDNAのカケラがきっとキラキラと流れているんだ!と。

そんな祖母は小さい頃から私の一番近くにいる憧れの女性でもありました。武家育ちの江戸っ子で気前よく、お洒落でカッコイイ祖母でした。孫達にはともかく優しくて、いつもお小遣いを用意して待っていてくれました 笑。私はたまに祖母の元にお泊りに行くのが本当に楽しみでした。そのような祖母の、孫達を目に入れても痛くない様子を見て母はよく「私にはとても厳しいお母さんだったのよお~」と、ちょっと厳しい目で遠くを見ながら私に言ったものでした… 汗。祖母は幼い頃、ご実家にいらした大叔母様から大変厳しく躾けられたそうなのですが(祖母の本による)、母も祖母から同じように厳しく躾けられたのだと思います。祖母はよく母のことを「とても我慢強い子だったのよ」と私に言っていました。身長約140cmと小柄な母は兄と二人兄妹のしっかり者。若い頃、母の兄の友人達からは「小粒でピリリと辛い!」と評されながら、皆の妹のようにとても可愛いがられていたそうです。そんな母は昔から天性のお転婆ジャジャ馬な私にも、いつもとってもピリリと辛口でした~  

岩本町の家はビルの中にくねくねと迷路のように作られた感がありました。玄関を上がって廊下に出ると、正面に洗面所とお風呂場のドア。廊下を左に行くとお茶の間と台所があり、そこを越えてさらに奥に行くと、茶室とおじの部屋だった和室があって向かいのビルの見える縁側も付いていました。玄関から廊下を右に行くと、コンクリートに黒石を嵌め込んだ三和土のような土間があり、そこには地下の倉庫に続いているという重々しい扉と屋上に上がる階段がありました。三和土には小さな手洗い用の洗面台が付いていて、その横には神田川を下に覗ける小さな細長い引窓もありました。この小さな引窓から黒々とした神田川の川面に向かって食べ残しのご飯粒を投げて、フナのような魚たちが水面を割ってたくさん寄ってくるのを祖母と一緒に眺めた記憶があります。

三和土を越えて右手の廊下をさらに進むと、会社側と繋がった応接間の扉がすぐにあり、廊下をさらに進んで行くと一番奥は祖父母の寝室でお仏壇と大きな神棚のある日本間と祖父の書斎の和室が二部屋続きでありました。大きな神棚には大黒さまがお祭りされていて、私が泊りに行く時はいつも大きな幕が引かれていました。孫たちは大黒さまの神棚の前では静かにするようにと教えられていました。騒ぐと母から叱られたものです。 

祖母は美しい木像の観音さまも大切にお祀りしていました。この観音さまは祖母がお嫁入りの時にご実家から頂いて来たものだそうで、いちど祖母の夢に出て来て「足が痛い」と訴えられたことがあり、確かめると木像の観音さまのお御足が痛々しく虫に喰われていたそうです。祖母から聞いた不思議話のひとつです~  

祖母の好きな花は梅雨に咲く紫陽花で、好きな色は紫色、藤色でした。そう言えば湘南の家には見事な藤棚もありました。そして好きな数字は13、十と三で「とみ」だからと教えてくれました。だから私もラッキー7や末広がりの8と並んで13が大好きな数字になりました。キリスト教文化圏では「13日の金曜日」で一見あまり印象の良くない数字ですが、こちらでも「ラッキーな日」という解釈もあるようで、この日に宝くじを沢山買う人もいるそうです。  

祖父は30年ほど前に、そして大好きだった祖母も2003年に他界しました。私め、オバケは怖くて大嫌いなのですが(私は見たことありませんが、祖母は霊感があったらしく、幽霊を見た話や不思議な話をよく聞かせてくれました)、でもご先祖さま方はあちら側から私たちのことをずっと見守って下さっていると、かなり本気で信じています。 

ちょっと不思議な後日談をひとつ。

5年ほど前の夏休み、東京の実家に帰省していた折のこと。 その頃まだ今よりずいぶん元気だった母が当時小6だった息子を預かってくれるというので、ひとりサクッと新幹線に乗って一泊二日のプチ旅行へ。大好きなお伊勢さんにお参りに行ったことがありました。

八朔参り当日(8月1日)の夕方に伊勢市に到着。参拝は明朝と決めて、その日は散歩がてら夕涼みの似合う浴衣姿の参拝客で賑わう外宮までぷらぷら歩き、参道から神さまへのご挨拶を簡単に済ませて伊勢名物「豚捨」へ。夕食にひとり牛丼した後は、ホテルへ帰って早寝。翌日、早朝の爽やかな澄んだ空気を吸い込みながら参道をテクテク歩き、昨晩の賑わいとは打って変わった静けさの外宮でまずはお参り。それから巡回バスに乗って内宮へ。内宮参拝の後、せっかく伊勢まで来ることが出来たのだから御神楽を奉納させて頂こう!と思い立ち、神楽殿の社務所で申し込みを済ませて待合所へ入りました。


内宮の神楽殿の待合室はずいぶん広くて何セットものテーブルと椅子が並んでいます。100人くらいは簡単に入れるでしょうか。おそらく八朔参りの昨日はこの待合室も朝から満杯だったはず。それが今朝はしーんと静まり返っていて、私ひとりなのです


まさか一人?とやけに広い待合室に居場所なくオロオロしていると、後ろから先ほど受け付けて下さった社務所の女性が「先ほどお渡しするのを忘れました!」と色の付いた紙でできた案内カードを持ってきて下さいました。混んでいるときは案内カードの色ごとにグループになって、毎回数組が一緒に神楽殿で神さまにお取り次ぎ頂くわけです。 


手渡されたカードは薄い紫色。一番上に「御神楽案内カード」その下に「※藤色でご案内をします」と書かれており、真ん中には藤の花の絵と丸の中に「藤」の字、そして一番下には「◎ご案内まで待合所でお待ちください     No. 13     1名 」と書かれているではないですか! 


そこに示されている、色も、数字も、実は「藤」という字さえも、すべてが祖母を表していました。ただの偶然かも知れませんが(アリエナイ~!)、私はそのとき大好きな祖母がすぐそばに居ることを確信しました。もしかしたら祖母だけでなく、その他のご先祖さまたちも多勢一緒にいらしてるのかも~ と。笑 


ひろーい神楽殿の畳の上にひとりポツンと座った私だけのために、御神前の舞台の上では六人ほどの楽師さんが奏でる雅楽の調べに乗って、二人の巫女さんが舞って下さり、禰宜さまが神さまにお取り次ぎ下さいました。ただただ勿体なくて、言葉に出来ない感動で涙が溢れて止まりませんでした。。。神楽殿で私はひとりでしたが、ひとりではありませんでした。


皆さま、どうぞご自愛下さい。



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