元来、戦いに臨みて、味方の態度を決するに、
相容れざる二つの行き方(汪兆銘)、
逝き方(蒋介石)がある。
一つは打算的(汪兆銘)のものであり、
一つは精神的(蒋介石)のものである。
前者(汪兆銘)は、予め彼我の勢力を打算し、
勝算なしと見極めた時は戦わずして敵に降伏する算盤主義である。
一時の損害は免れても、
国民的精神なき国家がその独立を維持することは出来ない。
対し、後者(蒋介石)は、戦争は単に勝敗ではなく、
国家として、又、人間としても、
時と場合によっては戦わねばならぬ、又、
戦わねばならぬ必要に迫られることがある。
勝敗を度外視して戦う、
戦うことにより、国民を団結し、士気を鼓舞し、
敗れて、一時の損失は受けるも国家の基礎を確立する。
是が即ち立国の根本精神でなければならぬ。
中国古代史にても、
志操堅固に気節凛烈として、死すとも敵に屈せざる忠臣烈士が現われて居る。
( 蒋介石と汪兆銘 斎藤隆夫 )
A級戦犯として極刑に処せられた7人のうちの一人であった、
陸軍中将、武藤章(あきら)は日米開戦の翌正月に友人と酒を呑んだ。
そのとき、議論になり、勝算がないのになぜ開戦に踏み切ったのか、
という質問に、
「戦うべき時に戦わなかった国家は、相手国の屈辱に甘んじる結果、
国民は志操を失い、領土や資源の多くを奪われる」と答えた。
負けるとしても武器を持つものは戦うべきであり、
恥に生きるより義に死ぬべきである、という武将の論理である。
(一夢庵風流日記 http://plaza.rakuten.co.jp/inasedane/diary/200712150000/ より)
戦うも亡国。
戦わずも亡国だが魂までも喪失する永久の亡国である。
(永野修身軍令部総長)