五里夢中於札幌菊水 

野戦病院へ出向予定。
医療崩壊に対して国民全てと共闘を夢想。
北海道の医療崩壊をなんとか防ぎたい。

アイスホッケーと私

2006-12-25 15:56:52 | アイスホッケー
 大学アイスホッケー部の部誌への寄稿

 平成8年の3月、受験も終わり実家でごろごろしていました。卒業式前日の飲酒事件でなんとか停学を免れたものの卒業式には二日酔いで出席できず、はるばる帯広から函館に来ていた母親は泣いておりました。そんなこともあってか実家にいてもなんとなく居心地が悪く、かといって3年間つながりのほとんど無い故郷には友人といえる友人もいず外の空気を吸いに行くということもできませんでした。父親からは現役は無理だなとボソッと言われ、重たい空気はますます重たくなる中、○○医大の合格発表ののった道新がやってきました。数学は1問も解けなかったはずなのですが、自分の名前はそこにありました。と同時に部活勧誘の電話がじゃんじゃんなり始めました。母校出身を名乗るスケート部の先輩からの電話攻勢に負け、万年体育は3の僕でしたが、少し集団競技を頑張ってみようと思いスケートを履こうと決めました。小さい頃スピードスケートを少しかじったことがあるのですが、現在でも症例のプレゼンテーション中度々失語症に陥る私ですが当時はさらに言語障害がひどく、いつのまにか経験者という間違った印象を諸先輩方に植え付けてしまい今でも話のネタにされてしまいます。
 4月1日に学生寮に入寮した私はたちまちのうちに酒びたりとなり、今思うとアルコール臭の漂う私をよく諸先輩方は練習に連れていってくれたもんだと感謝しております。とにかく集中力の無い私は、寮生活と大学生活と部活の生活他etc.境界を引くのが苦手で試合前に泥酔して使いものにならなかったり、酒が残ってハイテンションのまま朝のリンク練に突入したり、出席がみるみる足りなくなったりとあっという間に学業も部活動も落ちこぼれていきました。人にはあまり普段は見せませんが短気な僕は酔っ払うと手がつけられなく、同期と先輩には数々迷惑をかけました。もともと集団スポーツのクラブに所属したことがなく、みんなで勝ち取る喜びとかいうものが全く体に染み付いておらずどんどん部活がつまらなくなっていきました。3年目の夏休みインドへ旅行に行った私は2週間過ぎても熱などでる気配は無く、調子に乗り生ものに手を出し始めました。みるみるうちにひどい下痢に陥り、一旦は回復し帰国。そのまま夏合宿に突入しましたが原因不明の高熱にやられ棒に振ってしまいました。この年は1年生がたくさん入り、様々な物語もあり、東医体では主管という部活全体においては輝かしい年ではあったのですが、僕自身はなんとなく沈滞した年でした。小さい頃悩んだことのなかった僕はそのつけかもしれませんが、20歳にしてなんだか急に悩みこむようになり、今思い出してみると鬱だったのでしょう、何事にも気力が沸かなくなりそこにいるのが精一杯になってしまいました。続く4年目は出席が足りなく留年してしまいました。もう何もかも駄目だという季節をなんとかやり過ごし、5年目、私はお酒の量を少しコントロールするようになりました。そうすると少し体が軽くなったような気がしました。もう先輩は引退しており、同期と後輩しかいないはずなのですが後輩はいつのまにか成長しており、2セット目のウイングのレギュラーをとるのは困難でした。たしかこの頃もう引退すると騒いだと思いますがなんとかまわりになだめられ続けていればいいこともあるかもしれないなどと思いとどまった記憶があります。そのうち、たまにでる試合でぽこっとポイントを取れるようになるとなんだが急にうれしくなります。この年は登山に興じはじめ、これもまた周囲に迷惑をかけたのですが、今の好景気みたいなものでしょうか?なんとなく明るい兆しが見え始めていました。
 6年目、最後の○医体、残念ながら優勝は逃し、最後に山梨医大戦。勝敗で微妙に順位が変わるかもしれないという試合だったと思います。足の遅い私でしたがよく走ったと思います。何回かチャンスはありましたがポイントには至りませんでした。チームは大勝利をおさめこの年は何とか3位。青春は終わりました。特にたいした活躍があったわけではないのですがあついものがこみあげてき止りませんでした。
 あれから4年以上がたちました。苫小牧で働いていたときは近くに白鳥アリーナもあったせいか、月に一回程度リンクにのっていましたが残念ながら現在ではスケートを履ける機会はなかなかないようです。どうせ使わないのであればと、かみさんにもスケート一式をどこかに封印されてしまいました。記憶は少し輪郭がぼやけてきましたが、部活の思い出を糧に今も頑張り続けています。途中で投げ出したらきっと今の自分はいないと思います。投げ出したらもっといい自分はいただろうか?noだと思います。末筆ではありますが、私を投げ出さなかった部活関係者皆様に御礼申し上げます。

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