風に吹かれて マメタロウ

途中下車した看護師のつれづれです。癌治療の後遺症と付き合ってきた母の介護を中心に書いてあります。

再発してなくても、癌後遺症の辛さ・・・尿路

2010年05月21日 | 母の癌治療の後遺症と介護
今日はそうでもないなー足のむくみ。
足背に圧窩が残るくらいだから。

ひどい時は下肢全体にパンパンになる。特にみぎあし。

今の主治医の先生に聞くと
骨盤内の手術の影響だろうという。私もそう思う。


癌は再発していないが、その後遺症に苦しんできた母。
「手術するだけが治療じゃない、こうなると解ってたら受けなかったよ」と
怒ったように言っていたな。患者や医師に伝えたいとも言っていた。
同じようなことで苦しんでいる方がいらっしゃるかもしれないし、
母が伝えたかったことと、看護師でもある私が書けることを
少しずつ書いておきたい。


母は、昭和63年に乳がんで左の拡大術をした。創の経過が悪く骨まで見えていた。
1年以上かけて治し仕事に復帰した。

その後
平成4年、極度の貧血で受診、緊急入院。
直腸、子宮、仙骨、リンパ節。大きく拡大して取れるだけとった。
その後の放射線治療。最大量かけたといわれた。
当時の癌研究会病院ではスタンダードな治療だったのかもしれない。

5年経ったら、もう治ったから来なくていいといわれた。
「再発無、治癒」のデーターが取れたらもう要らない、といわんばかりの対応。
余り思い出したくないネガティブな経験だけど、
今の自分には振り返ることが必要かもしれない(また今度ね)。

そのおかげで癌の再発はなく、本人曰く「生き永らえている」。
だけど、後遺症に悩まされて、「死んじゃったほうがいいよ」とよくいってた。

母が一番悩んでいた尿路の後遺症と経過をまとめておこう。

神経因性膀胱で失禁・・・H4年の術後は自尿が回復していたが、放射線治療で漏れはじめた。母は、医師に訴えても取り合ってもらえず、ナプキンを大量に買って対処したという。癌研の売店の人が不審に思って尿パットを勧めてくれたらしい。
その後18年間オムツがはずせない。自己導尿をする時期も有ったが、残尿が少なく失禁のみとなった。障害についていくら説明しても「お漏らしを治したい」気持ちが消えず、ナヤミ続けてた。

放射線性膀胱炎・・・放射線治療をして、16年後になり血尿がはじまった。とにかくひどい。入院してかん流治療をするしかない。出血点が定まらないので、膀胱鏡をしても止めようが無い。H20,21年は血尿の年だった。入院は3回だけど、自宅でもずっと続いた。せん妄になるから、よっぽどじゃないと入院させられなかった。オムツをチェックして膀胱タンポナーデになっていないかを気にする日々。母も不安だったみたい、トマトジュースどころじゃなかったから。
認知がおかしい日は、82歳にして「なんか生理になっちゃった」と爆弾発言があったのを思い出すww
その間に右尿管の瘢痕化による水腎がわかり、腎瘻を作った。

病名は「直腸がん」だったけど、後遺症としては尿路に大きく影響した。