風に吹かれて マメタロウ

途中下車した看護師のつれづれです。癌治療の後遺症と付き合ってきた母の介護を中心に書いてあります。

二回目の手術へ( 入院まで)

2010年06月21日 | 母の癌治療の後遺症と介護
母が直腸ガンで、当時大塚にあった癌研病院に入院したのは平成四年。18年前の事。下の子が産まれて、子育てを手伝ってもらうのに同居をはじめた頃だった。普段は休むことなく動いている人なのに、昼夜なく横になっていることが多く、旅行疲れかなと思っていた。でも、あまりに様子がおかしくて、結膜を見たら真っ白で何かあったかを聞くと、この前の旅行で実はトイレで大出血をしたという。
乳ガンでフォロー中だった病院に電話し、主治医に無理矢理つないでもらい、状況を話す。緊急性を伝える私に、面倒そうに「じゃあ、一応、入院できる支度をして、外来にかかってみれば」と。

「あ、ホントだ」
Hb6mg/dl正常の半分の値。輸血の適応になる。直腸癌だった。即入院。その時の言葉の軽さに驚いた。だから緊急だと言ってるのにと、もどかしく感じた。母は乳ガンの後、欠かさず定期受診に通い、検査を受けていた。血液データーや便潜血など兆候はあったが、見落とされていた。
何か言い訳の言葉と、「実は僕は腸が専門なんだよ、不幸中の幸いというか、だからよかったよ」と言っていたのを覚えている。

今回の入院では、倫理的な問題を、多く感じることになる。「倫理的問題」と表現したが、当時はそんな概念は薄く、パターナリズムが色濃く残っていた時代だと思う。看護婦として働き始めていた私にとっても、悔やまれることが多い入院になった。