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決定的に欠けてるように見える

2020-03-19 21:47:30 | 日記
身障者の施設で大量殺戮をした男と、自分の子供を折檻のうちに殺した男に、似たものを感じました。二人とも憐憫の情が見えないということ。で、二人ともおびえていると言うこと。

「憐憫の情が見えない」のは、欠損してるのか、断ち切っているのか、「他人にはそれを使わないでいい」としているのか、酷く他者に冷徹。しかし自分の主張には機会を大いに与え、ともすれば涙を流して不憫であると泣ける。

自らの利益にだけ極端な突出した憐憫がある。
自分の利益や主張を失うことには極端な怯えが見え隠れする。
気持ち悪いほどの偏りが、当人には普通だとしている。

大人の姿勢としては失格なのだ。彼らにあやめられた人たちの方がはるかに人らしく、生きることへの渇望が深く、切実だった。それだけに被害者に予感されたであろう絶望の大きさ、苦しさ、救われなさが、尋常でない。

裁判からうかがい知るには、犯人はただ「自分は正しい」だけが砦の、みすぼらしい主人だった、という立ち居地だ。
その主張を守るためだけの殺人だった。全く引き合わない。

犯人の彼らには、命の重さが不恰好に「自分の意見」のもとに、絶対視させろと主張して終わっている。粗野で卑怯でガサツな上に、矯正の余地がない絶望に、周りの社会が畏怖している。


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