goo blog サービス終了のお知らせ 

おっさんノングラータ

会社帰りに至福を求めて

“文学少女”と死にたがりの道化

2007年12月27日 | 読書2007


その昔、文学少女に恋したおっさんがここに
『“文学少女”と死にたがりの道化』(野村美月/ファミ通文庫)

ついにラノベに手を出してしまった。通勤電車で主要な読書時間を過ごす身には、挿絵が辛い

かつて「覆面天才美少女作家」だった主人公と、文字通り本を食べる妖怪先輩、もとい文学少女を中心とする学園ミステリーで、文学作品がガジェットになっている。本編とネタ本との絡ませ方が絶妙で、時折挿入される手記が誰のものかわかりにくくするなどの細工も上々。今回のテーマは太宰治。『人間失格』しか読んだことがなくても、読後には一くさり太宰論を語れそうになるのが素敵だ。

いやいや、先輩の迫力に圧倒されて、太宰作品を猛烈に読みたくなるというのが正直なところ。

文学少女と言えば20年ほど前、北村薫の作品にハマって以来、付き合うなら読書好きの女の子と、と固く心に誓ったものです。が、結婚するとなると話は別で、月々の本代は倍かかるわ、客間が書庫と化すわ、引越業者に特別料金を請求されるわで、ロクなことはない。先輩のようにポール・ギャリコの良さを理解してくれる女性に出会えば、結局は全面降伏するしかないのだが。

と、与太話はさておき、ラノベ特有の文体に照れることもあるが、面白いのは間違いない。シリーズで何冊か出ているそうなので、一気に読んでしまおう。

”文学少女”と飢え渇く幽霊 (ファミ通文庫)
“文学少女”と繋がれた愚者 (ファミ通文庫)
“文学少女”と穢名の天使 (ファミ通文庫 の 2-6-4)
“文学少女”と慟哭の巡礼者 (ファミ通文庫 の 2-6-5)
“文学少女”と月花を孕く水妖 (ファミ通文庫 の 2-6-6)

アイ・アム・レジェンド(80点)

2007年12月26日 | 読書2007


「伝説」の本当の意味を知りたい人はこちらへ
『アイ・アム・レジェンド』(リチャード・マシスン/ハヤカワ文庫)

本書は以前『吸血鬼』(または『地球最後の男/人類SOS』)の新訳版であり、もちろん映画公開に合わせて出版された。

映画は、無人のニュー・ヨークが描かれる前半こそ興味深いものの、それ以外に見るべきものはなく愕然とさせられる。が、原作は古さを全く感じさせない秀逸なSFホラーであり、映画では無視されたあらゆる要素が面白くて仕方がない。

決定的に違うのは、ヴァンパイアに2種類いること。生きたまま感染した者と、復活した死者とである。前者は、原始的ではあるがコミュニティをつくり、知性も回復の兆しを見せる。映画では何となく描かれただけで、放っておかれたエピソードである。彼らにとってはロバート・ネヴィルこそが忌むべき存在であり、伝説的な恐怖の対象であった。

孤独で辛いサバイバルを切り抜けた後、終盤でネヴィルに突きつけられるこの現実は、読者に対しての問いかけでもある。

訳者も良い仕事をしており、映画に興味があってもなくても、読んでおいて損はしない一冊だ。

(評価は100点満点です)
にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ


コーンウォールの聖杯

2007年12月17日 | 読書2007
それは聖杯探求から始まった
『コーンウォールの聖杯』(スーザン・クーパー/学習研究社)

いよいよ今週公開の『光の六つのしるし』。以前書いたように本国での評価は散々ですが、実際に観てみるまではわかりません。期待せずに行ったら儲けもの……かも知れませんし。

『光の~』は全4作のシリーズですが、実際にはその前に書かれた『コーンウォールの聖杯』を含めて全5作とするのが正しいらしい。そんなわけで『図説アーサー王物語』を読んで基礎知識を学んでから、『コーンウォール~』を先に読む。


休暇で訪れたコーンウォール。滞在した「グレイ・ハウス」をくまなく探検した3人兄弟は偶然、古文書を発見する。その古文書には光と闇の戦いの物語、そしてアーサー王が実在したことを証明する聖杯の隠し場所が記されていた。3人は「メリィおじさん」の協力を仰ぎつつ、また闇の勢力の妨害をかわしつつ、かつ子供らしく聖杯を探求する。

アーサー王の物語を全く知らなくても読めるよう、親切にも訳注がつけられていますが、もちろん知っていたほうが楽しめます。謎めいたメリィおじさんの正体はもしかして……やっぱりと最後に種明かしされまして、そこは訳注を気にしないで済むに越したことはありません。

児童文学ではありますが、緻密な描写はイギリス文学の伝統と威厳を感じさせ、また翻訳文(武内孝夫)も格調があって丁寧。そんなわけで、子供はもちろん、大人も感情移入しながら読むことができます。

ただし、物語に登場するいくつかの謎は解明されません。謎は謎のままにで全く不都合はないのですが、気になる方は「闇との戦い」シリーズをどうぞ、というわけです。


ならば、本作から映画化すれば良さそうなものですが、魔法もなければ空想上の生き物も登場しないので、今のマーケット・トレンドからは外れているわけです。じゃあ『光の六つのしるし』がそうかと言えば、無理矢理そうしたという感じなんですが。

その代わり、本作は1969年に「ジャカノーリ(BBCの児童向け番組で、俳優が古今の童話を読み聞かせる、という内容)」で扱われています。ストーリー・テラーはデヴィッド・ウッド。昔は贅沢な番組があったんですね。

「南京大虐殺」に終止符!(70点)

2007年12月14日 | 読書2007
「間をとって」では妥協できない問題
WiLL12月号緊急増刊「南京大虐殺」に終止符!(ワック・マガジンズ)

「南京大虐殺」については、昔からなかった派。漠然と、というのではなく、一つは軍事の原理原則に当てはめてあり得ないことだから。また30万人(昔はもっと少なかったけれど)を組織的に殺すために必要なインフラストラクチャーを短期間に整えられるだけのリソースを、日本陸軍が持っていなかったから、という考えに基づく。

もう一つ、これは南京大虐殺に関することではなく、中国共産党がいかに写真を加工してプロパガンダを展開してきたのか、という本を読んで、あの国における写真及びそれに付されたキャプションがいかに当てにならないか、を痛感したことも影響している。合成、トリミング、事実を歪曲させるキャプション何でもありなので、検証もなしに写真を何かの証拠にするのは危険すぎる。

★★★


本書は月刊WiLLの関連記事をまとめたもので、巻頭の「緊急特別対談/「大虐殺」捏造を生んだもの」「参戦勇士9人が語る「南京事件」の真実」が初出。「特別対談」はわかりやすくこの問題を解説しており、なかった説が論理的に裏づけされている。

一番興味を惹かれたのは「「百人斬り」野田元少尉銃殺までの獄中日記」で、これはさすがに胸を打たれた。

それからジョン・ラーベに関して。「南京のシンドラー」として、死の商人を聖人に仕立てる映画の撮影が始まったらしいが、ドイツ、中国とも利害が一致する話だから、強烈なプロパガンダ臭のする内容なのだろう。それにしても南京関連の映画、何本作れば気が済むのだろう。

★★★


この「緊急増刊」は、映画『南京の真実』試写会に合わせてのもの。試写会そのものは1月にずれ込んだが、今日(14日)には撮影完了報告大会が開かれるという

大資本を背景に、しかも政治的な支援も受け、続々とあった派の映画が作られる中、募金と手弁当によるなかった派の映画がどう立ち向かうのかが注目される。

★★★


しかしまあ、この問題は非常にセンシティブで、「なかった」と言えば「ネット右翼」のレッテルを貼られるし、「あった」と言えば「自虐史観」と決めつけられかねないし。とは言え、信念を持たない人間など生きている価値はないわけで、その信念が他人に否定されるようなら、戦って守ろうとするのもまた自然なことだ。

一番恐いのは歴史に無自覚、無知でいることで、会社にもいるわけですよ。頭空っぽなままで中国へ行き、大変な接待を受けた上で日本は過去に中国にひどい仕打ちをした、けれど我々は寛大だし、貴方を友人として迎え入れる。ついては……と、簡単に取り込まれてしまう人が。延長されたとは言え国会会期中に訪中した民主党議員団にくっついて行った人が会社の上のほうにいたりするのだ。

本書が真実を物語っているかどうかはわからないけれど(もちろん、「獄中日記」は真実)、「昭和の日本」をあらためて考える端緒にはなる。考えようよ。

(評価は100点満点です)


図説アーサー王物語(95点)

2007年12月12日 | 読書2007
入門者に最適
『図説アーサー王物語』(アンドレア・ホプキンズ/原書房)

何度か書いたが、映画『光の六つのしるし』の予習として小説『光の六つのしるし』を読むための準備として本書を読んだ。ややこしいね。これでようやくアーサー王伝説の触りが頭に入った。

もともと、「アーサー王物語はこれだ」という一冊の本があるわけでなく、5~6世紀頃の不完全な記録をベースに、イギリスやらフランスやらドイツやらイタリアの吟遊詩人や作家が語ったり書いたりしたもので構成された世界。卑近な例では、『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメ作品が中心にあって、外伝的な関連作品(『鋼鉄のガールフレンド』とか)があって、同人誌(エロいのじゃないよ)が謎を補完して、また新しい映画で世界に広がりを持たせて……みたいなものか。違う?

ともあれ、アンドレア・ホプキンズの著作では、物語として比較的整合性を持った説をベースにアーサー王伝説の様々なエピソードを紹介しており、加えてコラムで異説について語られ、図版もふんだんに使って、立体的に解説してくれる。そんな高い本でもないので、入門者には最適だろう。

さて、いよいよ『光の六つのしるし』を読むべきステージに立ったわけだが、スーザン・クーパーはその前に同じくアーサー王伝説に絡む『コーンウォールの聖杯』を書いている。これがあって『光の~』があるわけだから、まずは『~聖杯』を読むのが礼儀というものだろう。映画公開までに予習は間に合うのだろうか。

(評価は100点満点です)



以下、個人的な備忘録。適宜更新。

●アーサー王
 コーンウォールのゴロワ公とその妻イグレーヌがウーゼル王の宴に呼ばれる。
  ↓
 ウーゼル王、イグレーヌに惚れる。ゴロワ公と戦争。
  ↓
 ゴロワ公はイグレーヌを難攻不落のティンタジェル城に匿う。
 ウーゼル王、マーリンに頼んで魔法を使って夜這いをかける。
  ↓
 合体。その頃、ゴロワ公戦死。
  ↓
 一発必中(『スターダスト』もそうだったなあ)でアーサー誕生。
 マーリンが育てる。
  ↓
 ウーゼル王死亡。
 マーリンの呼びかけで「石に刺さった剣を抜いた者が国王に」。※エクスカリバーと誤解されやすい。
 アーサー、王となる。
  ↓
 が、快く思わない王たちと戦争。
 湖の姫から「斬鉄剣」エクスカリバー進呈される。
 実は鞘のほうが価値があり、これを身に着けていると不死身(知らなかった)。
  ↓
 敵対者を征伐。アーサー、グウィネヴィアに惚れる。
 「やめとけ」とマーリン(大いなる伏線)。
 円卓の騎士団結成。

センセイの鞄(90点)

2007年12月11日 | 読書2007
真面目な恋愛小説
『センセイの鞄』(川上弘美/文春文庫)

『センセイの鞄』はおっさん向けの『恋空』みたいなものやろか?

何かの書評を読んで、妻がそう言った。『センセイの鞄』を既読だったら、物も言わずスリーパー・ホールドを決めたところだが、「何年か前に『この恋愛小説がすごい!』で評判が良かった小説で、いつか読もうと思っていたけれど機会に恵まれなかった」ので、その通りを伝えるに留まった。

妻は「ふーん、ほな買ってみるわ」と言った翌日には一気に読み終え、「美しい文体で読みやすく、そして面白かった」と感想を述べた。

その日の夕食は、鱈と春菊が入った湯豆腐だった。

★★★★


37歳の独身女性ツキコさんが、一杯飲み屋で高校時代の国語教師と出会う。最初はセンセイの顔さえ思い出すことができなかったが、センセイはツキコさんのことを覚えていた。

飲み屋で会って、食事をして、酒を飲むだけ。注意していないと気づかないような微かな風がお互いの心を揺らして、そうしてできた小さな波紋がごく自然に一つに解け合う。

気に入った一文を引用しようと思ったけれど、短いので是非、読んでください。気に入る文章の一つや二つ、すぐに見つかる筈だから。

★★★★


妻が読んだという書評は、どういう経緯を経てそこへたどり着いたのかは知らないが、『週刊朝日』掲載のもの。曰く、「しばらく小説から離れていたオヤジたちが、読んで、感動の涙を流す」のが、『センセイの鞄』なのだそうだ。

いかにも悪意を持った書き方だが、件の書評はことさらにリアリティの欠如をあげつらって本作を批判する。批判のための批判であるのが、いかにも朝日らしい。

ツキコさんの仕事が明確になっていなかったり、ツキコさんと会っている時以外のセンセイの私生活が描かれていなかったり、小説の地理的、時間的背景の設定が不明だったりすることがリアリティに欠けている、というのであれば、そういうことになる。しかし、それらを描くのが主目的でないことは明白である。大事なのは二人の恋情がいかに描かれているかで、その点では大いにリアリティを伴っていると言える。

「センセイ」とわたしは呼びかけてみた。
「なんですか、ツキコさん」
「センセイ、好き」
「ワタクシも、ツキコさんが好きです」
 真面目に言い合った。わたしたちは、いつでも真面目だった。ふざけているときだって、真面目だった。(略)生きとし生けるものはおおかたのものが真面目である。


結局、引用してしまった。『センセイの鞄』は、大人の真面目な恋愛小説なのである。その描き方に現実性が感じられるかどうかは、読む側の恋愛経験や価値観に基づくのだ。

★★★★


さて冒頭の問いかけだが、話題の『恋空』はとても最後まで読めなかったし、映画を観る気にもならなかった。Amazonのレビュー騒動も知っているし、意地悪く縦読みレビューを楽しんだりもした。

それでも、あえて言うならば、相応の読者を得たということは、ワタクシが『センセイの鞄』の真摯さに感心したように、ある世代は『恋空』の何かに感心したのだろう。だからと言って『恋空』を読み、その何かを知りたいとは思わないが。

両者の間には越えられない壁があると、言わざるを得ない。

(評価は100点満点です)


双頭の鷲(90点)

2007年11月30日 | 読書2007
いつか映画化してよ
『双頭の鷲』佐藤賢一/新潮文庫

オーストリア=ハンガリーの話だとばかり思っていたら、百年戦争前半の話。「双頭の鷲」とは、軍事の天才ベルトラン・デュ・ゲクランと、彼の才能を見出した、やはり政治の天才シャルル5世を指す。二人の活躍によってイングランドの優位が覆り、フランスの地はフランス人の手に取り戻された。

Wikipediaにあるように、ベルトランはなかなか興味深い人物。これを佐藤賢一は「永遠の子供」として描く。子供は遊びの天才であり、ベルトランにとっての遊びは戦争だった。「やあやあ我こそは」と、騎士道を重んじる当時の戦場にあって、ベルトランは合理的な考え方を発揮し、今では当たり前の陽動作戦や奇襲を行う。非道と言ってはそれまでだが、何となく戦っている凡庸な将軍と違い、戦いの目的を正確に見定め、その目的を遂行するために作戦を立案するのだから、やはりものが違う。

田舎騎士のベルトランはパリでシャルル5世と運命的な出会いをする。不遇を囲っていたシャルル5世もまた、ベルトランとの出会いに運命を感じ、主導権を取って国政を執り行うように。かくしてフランス最強デュオが完成した。

佐藤賢一の作品はよく言われるように司馬遼太郎の時代小説に似ており、登場人物がいきいきと描かれ、その行動によって大胆に、かつ鮮やかに歴史を語る。本作でもその手腕は遺憾なく発揮され、同じ百年戦争(後半)を扱った『傭兵ピエール』に比べて人物造形は緻密であり、歴史絵巻としてのスケールも大きく圧倒される。『傭兵ピエール』は、ジャンヌ・ダルク救出というわかりやすい話でもあり、漫画化されたのも頷ける。ならば本作は、内容にふさわしい相応の予算をかけて映画化すれば、面白い作品に仕上がると思うのだが。

(評価は100点満点です)



映画の予習でスーザン・クーパーの『光の六つのしるし』を読んでいる。ファンタジー小説として日本でも高く評価されているが、どうもノリが悪い。アーサー王伝説がベースにあるので、先にそちらを勉強すべきなのだろうか。幸い、妻の本棚の一角が関連書籍で占められているので、お薦めを借りることにしよう。

映画は12月22日から、最寄りの映画館MOVIX堺で公開されるので観に行こうと思うが、IMDbのレーティングは4.7と振るわない。ついでに日本版公式サイトの使い勝手が悪くて、腹立たしいことこの上ない。何だよ「六つのしるしを探せ」って。こちらは作品情報を知りたいだけなのに。

IMDbには原作ファンの手厳しいレビューが多いが、中には「原作を読んだことがあれば映画を観る必要なし。原作を読んだことがなくても映画を観る必要なし」という声も。アメリカのライトなファンタジー・ファンのため、原作が持つ奥深い世界観を丸ごと無視して、上辺だけをすくい取って映画にしました、という印象を受ける。今の僕の原作理解度で映画を撮ったようなものだ。そりゃあつまらないはずだ。garretsr氏などは、「『ハリー・ポッター』と『フィフス・エレメント』と原作から美味しそうなシーンを摘んで脚本家がごった煮にしただけ」と酷評している。

その悪夢のような脚本を手がけたのはジョン・ホッジ。『シャロウ・グレイブ』や『トレイン・スポッティング』では良い仕事をしたんだけれど。

『マイティ・ハート-愛と絆-』のための予習

2007年11月15日 | 読書2007
知りすぎた男(俺は知らなすぎた男)
『誰がダニエル・パールを殺したか?』(ベルナール=アンリ・レヴィ/NHK出版)

アメリカ人記者のダニエル・パールがパキスタンで誘拐・殺害された事件は知っていても、誰が、何の目的で事件を起こしたのかは知らなかった。パールがユダヤ人でウォールストリート・ジャーナルの記者だったから、各方面への当てつけかなあ、という程度。それが『マイティ・ハート-愛と絆-』の予告を見て、興味を持った次第である。本来なら未亡人が書いた原作本を読むべきだろうが、潮出版の出版物が自宅の本棚に並ぶのに抵抗があったため(Amazonの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」のリストが香ばしすぎる。ユーザー・レビューもが溢れている)、調査報告小説の体裁を取った『誰がダニエル・パールを殺したか?』を買った。

本書は5部で構成されており、まず誘拐から殺害に至るまで、ダニエル・パールの最期の日々が綴られ、続いて当初、主犯格と見られていたオマル・ジェイクの足跡が語られる。第3部では舞台となったパキスタンについて、第4部では背後に蠢くアルカイダについて解説し、第5部で筆者なりの見解(誰が、何のため)をまとめている。パキスタン情勢に詳しい人なら下巻の第5部だけ読むだけで十分かも知れないが、そうでないなら上下巻通して読むことで事件の詳細から歴史的・政治的背景、そして事件に直接/間接に影響する国際情勢を理解できる。もちろん小説なので、著者のフィルターがかかっていることを忘れてはいけない。

さて、映画である。平和な生活がテロルによって突如、破壊される。しかしパールの妻マリアンヌ(アンジェリーナ・ジョリー)は悲しみを乗り越え、ジャーナリストとして事件を追及する、という内容のようだ。予告だけで判断すると、勝手に追加された邦題の「愛と絆」に重きが置かれているように見えるが、それだと「9.11」を扱った他の作品(『ユナイテッド93』や『ワールド・トレード・センター』)と似たような印象にならないだろうか。そしてそれらは、映画としては高く評価されていない作品である。

本書の要点をまとめれば、
●パールは知りすぎたために殺された。
●事件の黒幕はアルカイダとパキスタンの情報機関ISI
●ムシャラフは糞

ということになる。

では、パールは何を知ってしまったのだろうか。著者の推測によると、
●アメリカ国内のおけるアルカイダ関連組織の存在
●パキスタンにおける核兵器の存在とその拡散
●ムシャラフは糞

である。

読者としては最も興味のある、パールが何を調べていたのかということについては、わずかに最後の2章で、しかも駆け足気味に紹介されているのが残念だ。残念ではあるが、例えばアメリカCIAとアルカイダの関係については第3部のパキスタンの歴史でも触れられており、読者は想像で補うことができる。

ダニエル・パール事件が我々の胸を打つのは、ジャーナリストがテロリストに殺害されたからでも、出産を間近に控えた奥さんを残して死んだからでも、その奥さんがジャーナリスト魂を燃やして事件に挑んだからでもない。「文明間戦争を唱えるあらゆる教条主義者に激怒した、ダニエル・パールの大きな闘い」に共感し、闘い半ばで彼が斃れてしまったことを悲しむが故である。今年公開された「キングダム」や「グッド・シェパード」は、その点でアメリカの自己批判的な映画だった。果たして『マイティ・ハート』はどう描かれているだろうか? あと5時間ほどで始まる試写会で確認したい。

当ブログの映画用インデックスはこちら

サムライ・ノングラータ(60点)

2007年11月14日 | 読書2007
ソフトバンクが映画化したら携帯買い換える
『サムライ・ノングラータ』(矢作俊彦・司城志朗/ソフトバンク・クリエイティヴ)

もともとカドカワノベルズから出版されていた『海から来たサムライ』を大幅に改稿したもの。SB文庫版の解説によると、矢作は映画を作りたくて作りたくて仕方がなかったが、おいそれと制作費を集めることができなかったので多数のシナリオを書いた。しかし、それでも映画化のお声がかからない。面白いシナリオがそのまま埋没するのはもったいないと、司城志朗が冒険小説に仕上げたのが『暗闇にノーサイド』『ブロードウェイの戦車』、そして本作というわけである。

矢作俊彦が監督した映画は『アゲイン』と『ザ・ギャンブラー』の2作だが、どちらも悪くはない。往年の日活ファンなら涙なしに『アゲイン』を観ることはできないだろう。一刻も早いDVD化を望む。

『サムライ・ノングラータ』は史実と虚構をない交ぜにした話で、アメリカ合衆国によって実質的な支配が完成されようとするハワイから友邦国である日本にSOSが届く。しかし日本は清に全力を傾けているところであり、軍が表立って行動するのは国際社会の非難を浴びることになる。そこでやんごとなきお方から命を受けた「剃刀大臣」陸奥宗光、後に日本海海戦で勝利を収めることになる東郷平八郎の主導の下、「七人のサムライ」が密偵としてハワイへ送り込まれることとなった。

指揮官は鹿島丈太郎。シンガポール沖で消息不明となった(これは史実)〈畝傍〉の元乗員で、乗り遅れたために生き延びた男。出鱈目なところはあるが剣術に優れ、英語、フランス語に堪能。副官は海軍士官の典型のような堅物、篠宮剛志。これに清水の次郎長の二十九人衆から二人が加わったり、白虎隊の生き残りや伊賀の忍者も顔を見せるなど、どこまでがネタなのか判断に苦しむところ。孫文支援のためにハワイへ向かう南方熊楠まで登場する。

客船〈ヴェルマ・ヴァレント〉号の船内パーティーの描写など、カメラワークを意識させるような描写もある。一方で文章にするとまどろっこしく、映像で処理すればもっと簡潔に表現できるのに、という箇所もあった。面白い話ではあったが、それだけに矢作節で読んでみたい、というのが正直な感想である。

19世紀末、ハワイが置かれていた状況、国際社会における明治日本の立場、アメリカの野心といったものは史実通りだし、マハンの海軍戦略といったマニア受けするネタも扱われる。〈畝傍〉消失の謎も示唆に富むものであり、意外な形で物語に織り込まれている。もっとも、一番インパクトがあるのが「七人のサムライ」の正体なのだが。

最後はハワイでサムライとカウボーイが決闘する。そこに至るまでの過程も、歴史的なメタファーが盛り込まれていてニヤリとさせられる。

80年代、90年代は難しかったかも知れないが、今なら「日本人とは何か?」を問うている本作、映画化すればそれなりに興味を持ってもらえるのではないだろうか。活劇としてもよくできており、エンターテインメントとして評価を受けるのはもちろん、映画を通じて近代史を再考させるきっかけになるかも知れない。

それはそうと、矢作俊彦原作・谷口ジロー作画のコミック『サムライ・ノングラータ』の立場はどうなってしまうんだろう?

マンハッタン・オプI(80点)

2007年11月10日 | 読書2007
ハードボイルドだど
『マンハッタン・オプI』(矢作俊彦/ソフトバンク文庫)

かつてFM東京で放送されたラジオ・ドラマの台本をベースにしたハードボイルド短編小説集の復刻版。自分が矢作俊彦を知った時には、既に入手が困難になっており、古本屋で1冊買えただけだった。やるじゃん、ソフトバンク。

マンハッタンをテリトリーとする名無しの私立探偵の話が17篇収録されている。いずれも分量は少ないが鮮烈な印象を残す話であり、生のウイスキーを飲んで喉を焼くかのごとき読後感がある。また無駄のないスタイリッシュな文体のお陰で、読み始めるや意識はマンハッタンへと飛ぶ(行ったことはないけれど)。

 熱波がきていた。
 もうこれで四日間、マンハッタンの上空に腰を据え、街をオーブン・レンジに変えている。
 たとえばロックフェラー・センターに立ち、まっすぐ空を見上げてみたまえ。どこにもまっすぐなんてものはありはしない。景色に直角なんてものはない。熱波のニューヨークは子供をダースでこしらえた女の皺っ腹みたいな曲線に支配されている。パーク・アヴェニューのアスファルトが、喜望峰航路のように波打ち、それを往く車のタイアは、熱を吸って歪んでいる。


と、こんな具合だ。いやあ、痺れる。いや、本当に痺れるのは締めのセンテンスにあるので、じっくり味わってもらいたい。

タイトルからもわかるように、本作はダシール・ハメットの『コンチネンタル・オプ』へのオマージュである。『スズキさんの休息と遍歴―またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』に見られる矢作流ハードボイルドとは少し趣きが異なるが、ハメットやチャンドラーが好きな人なら大いに楽しめるはずだ。時代が近いのと、日本人が日本人のために日本語で書いているので、チャンドラーの短編集よりずっと身近に感じられる。

嬉しさのあまり一気に読んでしまったが、一日に一篇ずつ、寝酒と一緒にいただけば、幸せな夜を過ごせるに違いない。

天平冥所図会(55点)

2007年11月08日 | 読書2007
平城宮エイリアン
『天平冥所図会』(山之口洋/文藝春秋)

本書に興味を持ったのは週刊誌の書評欄で、著者がインタビューに答えた内容がきっかけだった。聖武天皇の七七忌に光明皇后が天皇遺愛の品を奉献したが、その際に作成された献物帳がまた大変なものであり、それを作った役人たちの苦労が偲ばれる、それを小説にしたら面白いんじゃないかと思った、というものだった。役人というのは、今も昔も同じような苦労を負っているのだ、と。

「三笠山」「正倉院」「瀬田大橋」「宇佐八幡」の4本の中篇で構成されているが、全編を通して一つの大きなストーリーを成している。詳しいことは著者のwebサイトの「作品紹介」を参照。登場人物がイラスト入りで紹介されている。

歴史的背景にそれほど詳しくなくても、本編を読めば平城宮を舞台にした政争などが理解できる構成だが、予備知識があるに越したことはない。一読しただけでは把握しきれなかった点もあったので、また一番面白かったのが「正倉院」だったこともあり、どうせなら正倉院展を見に行ってから再読しようと考えた。


昼過ぎに奈良公園に到着したが、博物館前にすごい行列ができおり、入場に1時間待ちということですっぱり諦めた。まあ、11月3日の文化の日ということもあり、団体客が多数押し寄せていたから仕方がなかったのだが。仕方がないので鹿せんべいを買い、鹿と戯れる。鹿に追いかけられるのは基本


肝心の書評だが、本書では亡霊が普通に登場し、魑魅魍魎が信じられている世界観であり、ジャパニーズ・ファンタジーである。ただし剣は出てきても魔法はなく、いたいけな少年ではなく役所のおっさんとその妻が主人公。しかし史実には基づいており、歴史小説と娯楽小説の間くらいの位置づけとなる。どっちつかずの感はあるが、天平時代を背景とした気軽に読める小説としては貴重だ。この時代に興味がある人にお薦めしたい。

(評価は100点満点です)


リベルタスの寓話(60点)

2007年11月02日 | 読書2007
『リベルタスの寓話』(島田荘司/講談社)
チトーは偉大だった

「リベルタスの寓話」と「クロアチア人の手」の中篇2本を収録。

「リベルタスの寓話」は、高度に民主化されたドゥブロブニクという交易都市で、攻め込んできた2万のオスマン・トルコ軍をリベルタスという金属製の人形が追い返したという法螺話をモチーフに起きた猟奇殺人を御手洗が解決する話。寓話では、その金属人形の体内に臓器と見なしたパーツを埋め込む。それが現代ではセルビア人の腹が割かれ、臓器が抜き取られた。代わりに埋め込まれていたのは電球やホース、マウスなど。そして抜き取られた臓器と切り取られた男性器はガラス瓶に入れられ、大学裏の草地に置かれていたのだった。

この事件と関係するのがRMT。島田荘司は流行りものを扱うのが好きなほうだと思うが、MMORPGやRMT、そしてセカンドライフまで登場するとは予想しなかった(セカンドライフの過疎っぷりは笑える。MMORPGのマニアがセカンドライフをするとは思いにくいが)。

突拍子もないグロテスクな事件の謎が理詰めで解明されていく過程は面白いが、『ネジ式ザゼツキー』など過去の作品に比べパワー・ダウンした感は否めない。

「クロアチア人の手」は、俳句を趣味にするセルビア人とクロアチア人の老人が日本に招かれ、二人とも死んでしまうという話。一人は密室で右手首と顔の一部をピラニアに食われて死に、もう一人は車と接触した直後に持っていたトランクが爆発、それが原因で死亡した。あり得ない事件に困った刑事が石岡君に連絡、電話で御手洗に助言を仰ぎつつ謎を解明していく。

ファンネルが開発されるらしいが、ジオングは既に実用可能なのだろうか?

2作で共通しているのはセルビア人とクロアチア人の確執。ユーゴ紛争ではまずセルビア人がクロアチア人を民族浄化して、その後にクロアチア人がモスレム人に対して同じことをしたわけだが、その時の遺恨は今も続いている。ユーゴ紛争自体10年以上も前の話だし、バルカン半島と日本の結びつきが弱いこともあって、当時、クロアチアで起きたことを知らない人も多いと思う。そこでは、本作で語られている通り、美しき愛国心が人を獣以下の存在に変えてしまったのだ。ミステリというエンターテイメントを通じて社会問題を取り上げるのが島田荘司のスタイルだが、今回はここがポイントのようだ。だからこそ、「リベルタスの寓話」の最後に本来なら蛇足と思われる老人の話があるのだろう。

(評価は100点満点です)


僕たちの終末(7/10)

2007年10月24日 | 読書2007
『神様のパズル』(機本伸司/角川春樹事務所)
バーナード星には風土病があるんじゃなかったっけ?

他人の評価は当てにならないと痛感した一冊。『神様のパズル』『メシアの処方箋』に続く機本伸司の「自分探しSF」第3弾。宇宙、救世主に続いて、今回は恒星間宇宙船を造るという話。

今から半世紀ほど未来では太陽暴風が強まっていて、日本でもオーロラが見られるほどになっていた。このままでは地球上の生物が死滅するのは避けられない。国レベルではスペース・コロニーや地下シェルターを建造しているが、それではとてもこの難局を乗り切れそうにない。人類滅亡のカウント・ダウンが始まる中、恒星間宇宙船を建造し、移住可能(そうな)バーナード星系を目指すという突飛なアイディアがweb上で公開され、乗船希望者の募集が始まった。人材派遣業を営む父親がこれに応募したにもかかわらず、問い合わせをしても何らリアクションがないことを不審に思った娘・那由は主催者に直談判を申し込む。そこで明らかになったのは、主催者は政府にも強力な力を持つ神崎工業の御曹司、神埼正であること、しかし本家とは絶縁状態であり、天文学に詳しいタダのプータローであること、そして正に詐欺の意志はないが、計画性も皆無だということだった。父親の提言もあり、夢見がちな正とは対照的に実務能力の高い那由は、なし崩し的に恒星間宇宙船の建造事業を任されることになる。

とまあ、無茶苦茶な展開だが、いかにして中小企業が金銭的、技術的、政治的、法的制約をくぐり抜けて宇宙船を建造するかというシミュレーションである。黙っていても終末が訪れるという前提なので、多少の無茶には目を瞑ろう。

本作で特に批判の対象になっているのが、女性キャラクターの造形である。ツンデレの那由、可愛い系のプリン、クール・ビューティーのベガ、妹キャラのミリと、それだけ聞かされると「太陽の異常活動で人類の移住先を決めると言ったら『ヤマトIII』だろう」と真っ先に思ってしまう中年男性が読むには二の足を踏んでしまうが、実際、それほど気にならない。本作においては、登場人物の行動はワイドショーで報じられる芸能ニュースみたいなもので、感情移入する類のものではなく、「ああ、そうですか」で軽く受け流すことができる。読者としては人類滅亡という現実が突きつけられた時、恒星間宇宙船で脱出するというオプションがどの程度実現可能なのか、可能であれば自分はどのような選択をするかということに重きを置くべきであろう。宇宙船建造においては主人公側とは別に対案が出されるが、両者のプレゼンが始まると、自分が乗るとすればどちらがいいか、真面目に検討したくなる。そうした思考実験が、ひいては本書のテーマへとつながるのだ。

宇宙船建造に関する記述は少ないため、エンジニア系の話を期待していると肩透かしだが、本作の焦点は前述の通り「自分探し」に当たっているので仕方がない。

webで始まる詐欺まがいの話から始まって、風呂敷はどんどん大きくなっていき、どうやって畳むのかと思ったら、読んでいるこちらが照れるような落ちには笑った。でも、まあ、そういう理屈に合わない話は嫌いではない。

おそらくは夢を(2/10)

2007年10月19日 | 読書2007
『おそらくは夢を』(ロバート・B・パーカー/ハヤカワ・ミステリ文庫)
お前は誰なんだ?

今年3月、村上春樹による新訳『ロング・グッドバイ』が出版され、レイモンド・チャンドラー・ファンは大いに喜んだ。清水俊二の訳の『長いお別れ』は省略があったと言われていて、村上訳は「完訳」となる。より原文に忠実な文章であり、あらためてチャンドラーの筆力を感じた。だからと言って清水訳が駄目というわけではなく、文章の切れではこちらのほうが上だろう。依然として輝きを失ってはいない。

『おそらくは夢を』(『夢を見るかもしれない』改題)は、スペンサー・シリーズをだらだらと続けているロバート・B・パーカーによる、チャンドラーの『大いなる眠り』の続編である。本人は自分のことをチャンドラーやハメットの後継者と考えているようで、チャンドラーの遺稿を引き継いで『プードル・スプリングス物語』というとんでもない作品を仕上げた経歴を持つ。残念ながら本国でも日本でも酷評されたが、完全な続編として書かれた本作はどうだろうか。

『おそらくは夢を』では、プロローグを含めて随所に『大いなる眠り』を引用しており、原作をリスペクトしているとも、世界観を崩さないように努力しているとも言えるが、どうも手抜きのように感じられた。ストーリーもいたって陳腐だ。『大いなる眠り』でマーロウが救った妹はサナトリウムに入れられるが、そこで行方不明となる。執事の依頼で捜索を開始するマーロウだが、背後には権力の壁で守られているおかしな性癖の悪人が蠢いていた。そんな話はスペンサー・シリーズでやってくれ

しかもその悪人がやっていることがセコい。セコい上に間抜けでもあり、明らかな殺意を持った上でマーロウを2度も自分の船上で拘禁したにもかかわらず、死体の始末が楽だからと、沖合いに出るまで殺そうとしない。殺してから沖で捨てればいいじゃんと、どうしても突っ込みたくなる。

どれだけオリジナルを引用しようと、またマーロウらしさを演出しようと、筆力の差がありすぎる。チャンドラーのような気の利いた台詞は、残念ながらパーカーからは生まれてこない。外見をマーロウに似せたところで、中身はスペンサーなのである。いや、スペンサーがスペンサーをやるぶんには全く問題ないし、スペンサー・シリーズにも好きな作品はあるのだが、スペンサー・ライクなマーロウを出されても困る。もちろん、スーザンやホークが登場していつものかけ合いをしてくれるわけでなし、パーカーのファンにとっても消化不良な内容である。

また、翻訳の問題もある。石田善彦が悪いとは言わないが、フィリップ・マーロウの語り口は清水俊二の日本語で刷り込まれている。山田康雄以外の声でクリント・イーストウッドが日本語を話すと違和感があるのと同じで、どうも調子が出ないのだ。

そんなわけで、チャンドラーのファンにとっても、パーカーのファンにとっても読むと不幸になるのは確実であり、両者のファンでなければグダグダな話に過ぎないので、ネタにするのでない限り生暖かく見守るのが無難だろう。

神様のパズル(8/10)

2007年10月17日 | 読書2007
『神様のパズル』(機本伸司/ハルキ文庫)
ゲーム化って「シムスペース」+恋愛シミュレーション?

出版順に読んでいたら、『メシアの処方箋』の評価はもう少し低くなったかもしれない。どうしても同じ作者の作品で比較してしまうので、本作に比べると第2作は明らかに見劣りするのだ。第3作『僕たちの終末』はさらに厳しい評価がされているが、これは近々読んでみたいと思う。

大筋は、落ちこぼれの大学生が16歳にして大学4回生の天才美少女と組んで、「宇宙を創造できるか?」を証明する、という話。それが主人公が通うゼミのディベートのテーマであり、ディベートに勝てるかどうかで卒業が決まるのだ。

前半の物理や宇宙に関する話は、物理やSFに関する知識に乏しい自分には辛いものがあったが、落ちこぼれ大学生の日記という形式で書かれているので文章が平易であり、またその彼に天才美少女が噛み砕いて解説してくれるので、本を投げ出さずに済む。何となくわかったような気にさせられる。

理論展開ではすごい話をしているのだが、主人公は片想いの女性に何とかお近づきになろうと無駄な努力をしたり、スーパーのバイトに励んだり、田植えを手伝ったりと、妙に生活観があってその落差が面白い。それでいて、一見無駄に見えるそれらの事柄が、最後には一つの主題に結びついていく。「宇宙は何か」という大きなテーマに向かうことで、結局は「自分とは何か」を考え、二人して成長していく過程が鮮やかに描かれているのだ。

『メシアの処方箋』同様、SFにさして興味がない人でも十分楽しめる内容だが、面白さ、完成度ともに本作のほうが上である。本作も『メシア~』も主題がかぶるところがある。悪くはないが、『メシア~』は取ってつけた感がないわけでもなく、それに比べると本作のほうがより自然に訴えかけてくる。その分、感動も大きい。

『神様のパズル』は映画化される予定だが、『蒼き狼 地果て海尽きるまで』の角川春樹事務所とエイベックス製作らしいので、不安で一杯だ。『時をかける少女』のように真面目にアニメーションで製作したほうが、うまくいく気がする。公開は2008年夏予定で、監督は三池崇史(「暴走すると伝わらないこともある」と認めながら三池を起用する角川春樹は薬が抜けてないのか?)、落ちこぼれ大学生は市原隼人、天才美少女は谷村美月。落ちこぼれがリーゼントにしていたり、双子の弟がいたり(どうもこの辺りは思いつきだけの改悪のような気がする)、谷村美月があんまり賢そうに見えなかったり、「SFラブコメ」なんて書かれていたりすると、不安は募るばかりだ。

【追記】

谷村美月って、海賊版撲滅キャンペーンで黒い涙を流していた娘だった。で、『時をかける少女』で声優をして、映画『リアル鬼ごっこ』に出演。ふーん。