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おっさんノングラータ

会社帰りに至福を求めて

お楽しみはこれからだ(3)

2007年12月01日 | 映画コラム
最近の映画で、印象に残った台詞をIMDbを参考にしつつ記憶を頼りに。

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今回はがっかり映画3連発。

モーテル』は離婚直前の夫婦が車の故障のため、山間のモーテルに宿泊せざるを得なくなったが、実はそのモーテルではスナッフ・ムービーが作られていた、という話。それにしてもあんなに汚いモーテルに泊まるくらいなら、車で一夜を明かしたほうが良かったんじゃないだろうか。

「服を着たまま寝るわ」
「僕は靴を履いて寝るよ」


あまりの汚さに辟易する二人。

関係ないが、公式サイトのゲームが無駄に良くできていた。クリアできないけど。

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お次は『マイティ・ハート』。映画の本筋とは離れるが、舞台となったカラチの街の様子が生々しく描かれていて、画面から妙に緊張感が伝わってきた。ダニエル・パール誘拐事件の容疑者2人を逮捕、拷問した後でのキャプテン(パキスタン警察)とベネット(アメリカ領事館外交保安問題担当官)との会話。

「(二人の男が拷問にかけられたのを見たベネットに)大丈夫か?」
「(引きつった笑いで)もちろん」
「よし、次の容疑者の許へ向かいましょう。次はアフガニスタンから来たジハード戦士。今は巡査をしています」
「いいね、この町は大好きだよ」


もちろん皮肉。

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最後は『ディスタービア』。期待値が低かったため、「思ったよりは面白かった」作品。IMDbのレーティングが7.0超なのは不思議だが。

サスペンスフルな後半に比べ、アメリカ版自宅警備員ライフを描く前半は退屈するかと思ったら、そうでもなかった。シャイア・ラブーフ(ケール)はどうでも良かったが、その友人のロニー(アーロン・ヨー)と隣家に引っ越してきたアシュリー(サラ・ローマー)が面白かった。

ケールは暇に飽かしてトウィンキーでタワーを作る。そこへロニーがやって来る。

「マジかよ、とうとうトウィンキーのタワーまで作っちゃって。ストーカー・ハンドブックはこの辺りにあんのか?」

ケールとロニーはご近所さんの覗きを開始する。この自宅警備会社にアシュリーも参加。

「で、コーヒーとドーナツは? コーヒーとドーナツなしで張り込みなんてできないでしょ」

日本なら牛乳にアンパンと言うところ。定番ギャグ。

隣人が連続殺人犯かも知れないと思い、3人は調査を開始する。インターネットを使って情報を収集するが、その過程で遺体の画像がモニターに映し出されていた。それを見たアシュリーは、

「この娘は頭と顔を鈍器で殴られて死んだのね。ひどい」

と顔を反らせてから、

「お腹空いた……ピザでも頼まない?」

笑わせどころなんだろうか、こういうネタは笑っていいのかどうか、困る。

この映画はおかしなことがたくさんあるが、その際たるものはケールが覗きを告白した後で、それが恋愛感情に発展すること。「ずっと君を見ていた」と全てを打ち明けるケールに対してアシュリーは、

「今まで聞いた中で一番キモい(creepiest)……じゃなくて気持ちのこもった(sweetest)台詞よ」

ここでは躊躇わず笑わせてもらった。

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第一次世界大戦を扱った映画

2007年11月24日 | 映画コラム
フライボーイズ』を観て思い出したのが、日本版『フライボーイズ』とも言える『青島要塞爆撃命令』。1963年の古い映画で、加山雄三が複葉機を駆って難攻不落のビスマルク要塞を爆撃する。「飛行機の可能性に賭ける若大将」というのが、現状を打開すべくヨーロッパへ渡ったアメリカの若者に似ていなくもない。

ヒューマン・ドラマとしては『バルトの楽園』が邦画にある。捕虜収容所における日本人とドイツ人の交流を描いた作品で、興味がなくもなかったが、『マイティ・ハート』的な理由で結局、観に行かなかった。

敵味方の兵士が交流する話と言えば、『戦場のアリア』だ。1914年のクリスマスに起きた嘘のような本当の話「クリスマス休戦」をベースにした映画で、ダイアン・クルーガー以外は良かった。最前線に女がしゃしゃり出てくるのは映画の嘘ということで許せるが、口パク丸わかりなのは何ともいただけない。

『戦場のアリア』公式サイト
IMDb(7.8/10)

クリスマス休戦は、人間の可能性を信じたくなるエピソードだ(もっとも、短期戦で終わると思った戦争の終わりが見えなくなり、最前線の兵士たちの厭戦気分が高まった結果とも言えなくもないが)。Wikipediaによると、1914年のクリスマスではドイツとイギリスの間で、翌15年にはドイツとフランスの間でそれぞれ休戦したらしい。映画では三軍の兵士が集まったが、フランス軍は冷ややかな目でイギリス軍とドイツ軍の交歓を見ていたようだ(第一次世界大戦)。自分たちの国が戦場になっているんだから、クリスマスどころではなかったのかも知れない。

ドイツ兵が塹壕にクリスマスの飾りつけをしてクリスマス・キャロル(特に「きよしこの夜」)をドイツ語で歌う。それを聞いたイギリス兵が負けじと英語でキャロルを歌った。そのまま無人地帯(ノー・マンズ・ランド)を挟んで歌合戦が続き、ついにプレゼントの交換でもしようやとどちらともなく言い出し、ウィスキーやジャム、煙草、チョコレートなどが交換された。また遺体の収容が行われ(通常は放置。回収しようとすると狙撃される)、敵味方の兵を一緒に埋葬して葬儀が行われた。このエピソードは映画でも描かれている。

さらに両軍の兵士はサッカーの試合を行った。

凍てついた大地でサッカーを始めたのは、英国兵とドイツ兵だった。後に新聞に掲載された手紙によると、ある英国兵はザクセン兵から「国王の健康を祝して」とワインを一本渡された。それからこの英国兵の連隊はザクセン連隊と試合をし、「3対2でザクセンが勝った!」という。この試合の記録は、第133ザクセン連隊の公式記録として残っている。──ナショナルジオグラフィック日本版

殆どの地域ではクリスマスの夜まで休戦したが、一部の地域では新年まで続いたという。

もちろん、軍の上層部が看過する筈もない。翌年からクリスマス・イブには、兵士たちの戦意を維持するために砲撃が行われるようになったし、敵兵に情が移る前に、最前線の兵士は別の戦場へと移動させられるようになった。この落ちも含めて、クリスマス休戦は実話あるいは実話とされるエピソードだけで物語性に富んでいるのだが、『戦場のアリア』は余計な要素を加えたために凡庸な作品になってしまった。また、普遍的な意味での「反戦」以上のメッセージは込められていない。八月の砲声が聞こえるや、どうして大勢の若者たちが志願したのか、そして何故あれほど大規模なクリスマス休戦へと発展したのか、といった考察が欲しかったところだ。

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お楽しみはこれからだ(2)

2007年11月23日 | 映画コラム
最近の映画で、印象に残った台詞をIMDbを参考にしつつ記憶を頼りに。

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前回からの流れで、まずは映画における黒人差別の描写。『フライボーイズ』はアメリカが参戦する前にフランスへ渡り、ラファイエット義勇飛行隊で活躍した青年の物語。その中の一人が黒人パイロットのユージーン・スキナー(アブダル・サリス)。彼はマルセイユでボクサーをしていたが、

「この国(フランス)は自分に良くしてくれた。そのお返しをしたいんだ」

と、志願して軍へ入った。しかしと言うか当然と言うか、他の白人パイロットによる差別があったが、平均寿命3~6週間という厳しい戦場に肌の色は関係ない。

「使用人と同室は勘弁して欲しい」

とユージーンを別の部屋に追い出したブリッグス・ロウリー(タイラー・ラビーン)は空中戦で彼に救われた後、父親から盗み出したコニャックを持ってユージーンの部屋へやってくる。

「あんたを助けたから来たのか?」
「いや、そうじゃない。この前ひどいことを言ったのを謝りたいんだ」


二人は言葉少なに酒を酌み交わす。良いシーンだ。

しかし現実は厳しく、アメリカ参戦後はラファイエット飛行中隊はアメリカ軍に吸収され、ユージーンは飛行を禁止されるのである。また、ブリッグスも律儀にも伏線を回収しつつ戦死した。その伏線とは、上官であるリード・キャシディ(マーティン・ヘンダーソン)が主人公ローリングス(ジェームス・フランコ)に拳銃の使い方を教える件。

「飛行機が燃え始めたら三つの選択肢しかない。一つ、飛行機と一緒に炎に包まれながら地上に激突する。二つ、数千フィート上空からダイブ。三つ目は、自ら手早く苦痛から逃れることだ。(拳銃を手渡す)それでは幸運を、飛行士諸君」

トルク』で見せた、「ライバルと殴り合った末に友情を育むという恥ずかしさを伴う男臭さ」が魅力のマーティン・ヘンダーソンだが、『フライボーイズ』でも臭い台詞を吐いている。

「いつか戦争は終わる。みんな家へ帰ってそれぞれの暮らしを始める。戦場も緑に戻るだろう。けれど戦死したパイロットにはどれも関係ないことだ」

『フライボーイズ』は悪くない映画だが、キャシディをもう少し巧く使えば、新米パイロットが成長していく様をきちんと描けたのではないかと思う。

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ナンバー23』はコメディにすべきネタを真面目に扱ったために残念な仕上がりになった作品。ジム・キャリー扮するウォルター・スパローは、映画の冒頭では至ってまともなことを言っていた。

「運命付けられていることなんてない。あるのは、選択の違いだけ。容易な選択もあれば困難な選択もある。人間だからこそ、この「選択」は重要なんだ」

ところが妻に『ナンバー23』と題された妄想小説をプレゼントされ、読み進めるうちに「23エニグマ」理論に支配されるようになる。世界中のあらゆる事象が「23」という数字に動かされていると妄信し始めるのだ。これが説得力を伴う理論なら観客も物語に没入できるのだが、どう考えてもトンデモ本の世界。ジム・キャリーが力説すればするほど、あんたの頭の中身がトンデモ本の世界なのねと、ありがちな落ちがスクリーンの向こうに透けて見える。

「僕は路上で死ぬこともできたけど、それは正義じゃない。少なくとも父親が息子に教えるような正義じゃない」

最後にようやく自分を取り戻してジ・エンド。うーん。

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お楽しみはこれからだ(1)

2007年11月22日 | 映画コラム
最近の映画で、印象に残った台詞をIMDbを参考にしつつ記憶を頼りに。

「女性の身体こそ、世の男にとって一番美しいものなんだ」

ヴィーナス』でのピーター・オトゥールの台詞。口説き文句のようだけど、『鏡の中のヴィーナス』をジョディ・ウィッテカーと一緒に鑑賞した時点では一般論として言ったのだろう。うんうん、全く同感。すかさず彼女が「じゃあ女の子にとって美しいものは? 知ってる?」と突っ込む。それに対する回答は、聞いた時は凡庸なものだと思ったけれど、映画の最後で考えさせられるものがあった。

ピーター・オトゥールはジョディ・ウィッテカーにベタ惚れするが、若い娘とつき合うには先立つものがいる。そこで昔の伝手を使い、映画に出演して日銭を稼ぐのだ。

「いや重要な役でね、物語の要なんだ。台詞だってある!」

そのピーター・オトゥールは『スターダスト』でストームホールドの国王を演じた。重要な役であり、物語の要であり、台詞もあった。ただし、すぐに死んでしまうが。

王亡き後、後継者争いが始まる。死の直前、王が放り投げたルビーを手にした者が次の王になれるのだ。そしてそのルビーにぶつかって地上に墜ちたのがイヴェイン(クレア・デインズ)だった。この世界では星はきれいな女性なのだ。

「星の仕事ってわかってる? 輝くことよ!」

なんてことを言う。「スター」と呼ぶには微妙なポジションの女優に、しかも謝罪はしたが、人種差別的発言で問題になった女優に言わせたのはネタなんだろうか。映画の中では一人では様にならず、それは主人公であるチャーリー・コックスも同じだが、二人合わせると妙な化学変化が起きてしまうのが不思議だ。チャーリー・コックスは片想いのヴィクトリア(シエンナ・ミラー)のため、星(つまりクレア・デインズ)を拾ってくると約束したが、いろいろあって二人は海賊船に捕らわれてしまう。

「あなたが好きなヴィクトリアのこと、話してよ」
「えーと……いや、特に言うことはないよ」
「『愛』についてはあまり知らないけど、絶対的なものよね。お金で買ったりできないもの」
「ちょっと待った! 君を連れて行くのと引き換えに彼女の愛を手に入れようなんてしていないから。彼女に対する僕の想いを証明するだけなんだ」
「ふーん、だったら彼女はどうやってあなたへの想いを証明するわけ?」
「うっ……イヴェイン、彼女に会えばきっとわかるさ。その前に海賊に殺されなかったらだけど」
「あーあ、海賊に殺されるのも、心臓を取り出されて食べられちゃうのも、ヴィクトリアに会うのも、どれもうんざり」


「愛についてあまり知らない」というのは実は嘘。星は、人間の営みを夜空から見つめていたのでよく知っているのだ。この後の、ネズミになったチャーリー・コックスへの告白は見物。

「心臓を取り出」して「食べ」ようとしているのが三人の魔女。そのうちミシェル・ファイファーがイヴェインを追いかけるが、魔法を使うたびに若さを失っていくのが恐い。シャロン・ストーンが『キャットウーマン』で見せた自虐ネタ再び。こういうネタは笑っていいんだか、困る。『ヘアスプレー』での彼女は、「きれいなお母さん」であるヴェルマを演じていた。ただし、クレア・デインズなど足元に及ばないバリバリのレイシスト役。自身がディレクターを務める番組に黒人が出演することに猛烈に反発。

「あの子たちはまだ子供なの、だから私たちがホワイトな方向に導いてやらなくちゃ」
「ん、ライトな(正しい)方向?」
「そう言ったつもりだけど」


言い間違いというのではなく、ホワイト=ライトという強烈な一言。字幕にしにくいが、ヴェルマの性格を強烈に印象づける台詞だった。

彼女の、と言うより60年代のアメリカにはびこっていたレイシズムを吹き飛ばしたのがトレイシー(ニッキー・ブロンスキー)のダンスだった。「コーニー・コリンズ・ショー」に初めて出演した日、彼女は無自覚でタブーに挑戦する。

「アメリカ初の女性大統領になりたいわ」
「大統領になったら、最初に何をする?」
「毎日をニグロ・デイにしちゃう!」


大統領になるまでもなく、彼女はその言葉を実現してしまった。まさにYou Can't Stop the Beatだったのだ。

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『月光の夏』と『俺は、君のためにこそ死ににいく』

2007年10月21日 | 映画コラム
NHKスペシャル
「学徒兵 許されざる帰還 ~陸軍特攻隊の悲劇~」
10月21日放送

今年、陸軍特攻隊を扱った映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』が公開されたが、機会がなく観に行くことができなかった。興行的には失敗だったそうだが、好意的な評価も多く、特攻をテーマにした映画としては珍しく、ウェットに過ぎることもなかったようである。

映画の舞台となった知覧からは、沖縄へ来寇したアメリカ艦隊に対し、特攻作戦が展開された。1943年の10月21日、学徒動員の壮行会が行われ、動員された大学生、専門学校生の多くは搭乗員として短期間の訓練を受け、そして特攻作戦に投じられた。特攻作戦はレイテ沖海戦で海軍が始めたものだが、番組では海軍を後追いした陸軍の特攻作戦に焦点を当てている。『俺は~』を観る上で、良質の参考映像になるだろう。

しかし、特攻出撃した全員が戦死したわけではなかった。主に整備不良により、出撃できなかった者、途中で引き返した者が少なくなかった。正確な数は記憶していないが、4割程度だろうか。だが、特攻作戦を指揮する者としては、戦死したはずの人間が生きていると具合が悪い。これから死地に赴く者の士気が下がるかもしれないのだ。そこで彼らは福岡の振武寮へ収容されることになる。振武寮における隊員の扱いは想像がつくが、一度死ぬ覚悟をつけた人間が生き延びてしまったこと、自分は生きて同僚は死んでしまったことが精神に与える影響は計り知れない。振武寮から三重の基地へ送られた隊員のうち、終戦の翌日に3人は自決、3人は敵艦のいない海面に突入したという。

これまで殆ど語られてこなかった振武寮を扱ったのが、『月光の夏』だった。公開された1993年当時は宮崎県都城市に暮らしており、舞台が佐賀県鳥栖市と近いこともあって劇場へ足を運んだ。

鳥栖小学校に、ドイツのフッペル社製の高価なピアノがあった。死ぬ前にこのピアノを弾きたいと、二人の特攻隊員が小学校を訪れる。一人はピアニストの卵、もう一人は音楽教師を志していた青年。ベートーベンのピアノソナタ「月光」を弾いた後、二人は隊に戻り、そして沖縄へと飛び立っていく。

10年以上前に観たきりなので、記憶違いがあるかもしれないが、映画はこのエピソードと、このエピソードを検証する「ノンフィクション」パートがあり、前者はなかなか感動的だったが、後者は「振武寮」というそれまでに取り上げられる機会が少なかったテーマを取り上げる目新しさはあったものの、やや冗長な内容だった。無理に引っ張るのではなく、NHK特集くらいの尺で十分である。全てを語らずとも、最小限の言葉でそこで何があったか、当事者はどう思ったのかある程度は想像がつくし、想像がつかない層はそもそもこのテーマに興味を持たないだろう。また当事者の思いを完全に伝えることは、どれだけ時間をかけても不可能である。

むしろ問題は、ノンフィクション・パートの何がノンフィクションなのかを明らかにしなかった手法である。「掴み」のエピソードが検証できていない以上、こうしたやり方は疑問が残る。いっそ、前半部分を完全なフィクションとして、一つの作品として仕上げたほうが良かったのではないかと思う。

「自分も必ず後を追うから、安心して特攻して欲しい」と若者を生還の見込みがない特攻作戦に送り出した、陸軍第6航空軍司令官の菅原道大中将は、その言葉を実行することなく昭和58年、95歳まで生きたとナレーションは伝える。一方で、「特攻帰り」の語り部は、戦死した戦友の遺族を訪ねて全国を旅している。番組はここで終わり、やりきれなさだけが残る。

恐らく、特攻というものを考えるには、責任を曖昧にしてしまったという批判もあるが、一応は同じような約束をして、切腹という形でその約束を果たした大西瀧治郎を抜きにすることはできないだろう。「特攻生みの親」と呼ばれる大西だが、航空作戦においては非常に優秀な人物であった。『俺は~』では伊武雅刀が演じた。

映像作品では『ああ決戦航空隊』が大西個人に焦点が当てられており、鶴田浩二が熱演している。玉音放送に激怒し、天皇に自決を迫る鶴田の叫びに、あらためて特攻とは何だったかを考えさせられる。NHK特集や『俺は~』で特攻に関心を抱いたなら、観ておいて損はない映画である。

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