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Overlap×∞

日々を楽しくおもいっきり!!

おそるべしアルゼンチーナサッカー、そして帰国しました~

2007年03月21日 17時41分16秒 | 南米の旅(2007・春)
3月16日 ボンボネーラ

今日はトヨタカップでも優勝し、世界一になった事があるボカジュニアースのホームスタジアム・ボンボネーラへ。

ここはスタジアムの一角が博物館になっており、チームの歴史や選手一覧、勝ち取ったトロフィーを展示。一軍で一試合でも試合に出場した選手は名前が書かれるので、2001-2002シーズンに所属していた高原の名前もしっかり書かれていて、なんか嬉しかった。

そしてここでもやっぱりマラドーナはリスペクトされている、一年しかボカに所属していなかったにもかかわらず、一人だけ銅像か立てられ、扱いが違っていた。

そしてスタジアムも見学、1996年に大改装したらしいが思ったよりもこじんまりとしていて、日本のスタジアムと比べて悪言い方をすると汚かったけれど、歴史を感じた。しかしサッカー専用スタジアムな為にここで試合を観戦したらものすごい迫力があるだろうなぁということが容易に想像出来た。

帰国の飛行機がある日曜に試合があるらしく、チケットは明日スタジアム前で売り出されるとの事だったので、もう一度明日来る事に。

サッカーだけでなく、ボカ地区というのはタンゴ発祥の地としても知られていたり、芸術家の卵が集まるという地域で、プラプラするだけでも面白い地域だった。





3月17日 おそるべしアルゼンチーナサッカー

朝はボカのチケットをとりにスタジアムへ、しかし人気が凄すぎて、ソシオといわれる会員しか買えないことを教えられる。チケット売り場に行っても門前払い(泣)

そんな感じで路頭に迷っていると、ラバジェ通りというところのスポーツ店でチケットが売っていることが判明、てかダフ屋ですが・・・、14ペソ(約560円)のところを40ペソ(1600円)で購入!日本で考えたらまだ安い!

サッカー好きとしては、ボカの試合をボンボネーラで観戦できるというのはなかなか幸せなこと。ホント運が良い!


昼からは宿のオーナーの旦那さん:通称サッカーオヤジに草サッカーに連れて行ってもらう。草サッカーといってもスポーツジムの中にある体育館みたいな所を友達たちと借りてやる感じで、ビックリした。結構本格的。

始まってみると、やっぱり上手い。多分20後半から30半ば位の人たちなんだけれど、日本人と比べるとドリブルが半端なく上手い。パスで崩すというよりも、一人でガンガン前に行く感じ。この辺が日本人に足りない部分かな~。

パスも結構いい加減でなかなかトラップしにくい球が飛んできたけれど、狙った所には大体来る感じ。

下手なプレーにはブーイング、点を決めたり良いプレーをしたらものすごい喜び方!おっちゃん達はかなりサッカーを心から楽しんでいる感じだった。アルゼンチンで日本のサッカーと違う事を肌で実感。楽しかった!


夜は宿から地下鉄と鉄道に乗り、ブエノスアイレス郊外へ。今日はインデペンデント対ルナスという8位と6位のチームのサッカーの試合を観戦。ここではなぜかチケットを2ペソぼったくられるというモヤモヤした事件が起きたが、なんとか22ペソ(880円)でスタジアムへ。

席は日本で言うとピッチ横の指定席の位置が、サポーター用の立見席になっていてそこでインデペンデントのサポーター達と観戦。

正直、この両チームはそこまで強くなかった。日本のチームの方が強いんじゃないかな~という感じ。でも見所は試合じゃなくって、サポーターだった!!

応援でスタジアムが揺れる位(構造上の問題?)ぴょんぴょん飛び跳ねるし、相手がミスをすると相手サポーターをトコトンやじるし、応援チームの選手がふがいないプレーをすると結構怒ってる様子だし、お母さんと息子の二人で見に来ていて、息子のために来ているのかと思いきや、そのお母さんが思い切り中指立ててやじってるし・・・とりあえずものすごい熱さだった。正直ちょっと引いてしまった。

日本のサッカー自体はこの先成長していって南米に追いつくことがあるかもしれないけれど、サポーターがこの熱さになる日は来るのだろうか・・・?まあここまでならなくてもいいとは思うけれど(笑)


結局インデペンデントが1-0で勝利。

試合が終わると、相手サポーターとの接触を避けさせる為に少しの間ゲートから出してもらえず、30分くらい待たされた。これも日本ではあり得ない事、こっとではサポーター同士の衝突は怪我で済めばいいものの、死亡事件にまでなるおそれがあるために警察が多く出動して待機。

サポーターの盛り上がりはスタジアム内だけでは済まなかった・・・

帰りの電車でサポーターと一緒になったのだけど、やつらは電車ただ乗りするし、電車の中で応援歌を歌うわ、飛び跳ねるわ、電車の車両をどんどん叩いて盛り上がるわでかなり怖かった。とりあえずサポーターのふりして一緒に軽く盛り上がっておきましたが(笑)

おそるべしアルゼンチンサッカー、というかサポーター熱。


この後宿で仲良くなった日本人の人達と、宿に長期滞在している中国人のシュンサンさんと一緒に夜の盛り場へ行き、帰ってきたのが朝6時・・・朝から晩、というか朝方までかなり密度の濃い一日だった。





3月18日 ボカジュニアース戦・そして帰国

今日は昼まで街中をぷらぷらし、夕方16時からボンボネーラでボカジュニアース対ヒムナシア戦。

ボカは言うまでも無く強豪チーム、ヒムナシアもトヨタカップの南米予選にあたるリベルタドーレス杯に出場しているチームなのでそこまで弱くない。

今日はゴール裏のサポーター席で、昨日以上に選手の動きがすごく良く見えた。昨日の試合に比べて、というかボカの選手はやっぱり上手い!パスがポンポンつながるし、一人一人がかなり能力が高かった。

ボカは魅せて勝てるサッカーを実践できる数少ないチームの一つでしょう。

今年スペインから帰ってきたリケルメは、やはり一人だけボールの持ち方が独特。パスのタイミングやボールタッチの仕方ひとつで観客を沸かせることが出来る本物のファンタジスタ。

そして背番号24番のボランチもすごく上手く、ゲームを作っていた。リケルメよりもよっぽど目立っていたように思う、そのうちヨーロッパに移籍しそう。

そんなボカが前半から4-0とゲームを支配。後半になって早々に選手を3人代えて試合に臨み、失点するものまた1点追加し、終わってみれは5-1の圧勝。

サポーターは昨日のインデペンデントに比べおとなしかった。ミスしてもチャレンジしたミスには大きな拍手を送っていたし、サッカーが分かるファンが多かったように思う。





そんな感じで南米の締め・ブエノスアイレスではサッカーをこれでもかという位楽しみ、今回の旅は終了。25時間のフライトを経て昨日つくばに帰ってきた。



最初は南米はとにかく治安が悪いんじゃないか?という偏見が頭にあったけれど、2、3回ぼったくられた位で特に危ない事はなかったし、いつものようなおっちょこちょいな失敗も無かった。それもこれも夜の一人歩きをしなかったり、スラムっぽいところは避けた為だと思うけれど・・・

日本の人も沢山いたし、現地の人も温かかった。沢山の出会いに助けられ、馬鹿なことも楽しい事もしたし、ものすご~く満喫できた旅だった。


今回も出会いに感謝!!!みんなありがと~!!


そんなわけで僕は4月から普通の大学院生活が始まります。うまいこと夏休みが取れたら「手ぶらでトルコ旅(仮)」しようと思います!

大都会*ブエノスアイレス

2007年03月19日 03時15分48秒 | 南米の旅(2007・春)
3月13日 アスンシオンは日本の地方都市みたい

今日も異常に蒸し暑かった。夜行でアルゼンチンとブラジルとの国境*シウダーデルエステまで行くため、昼間は引き続き街中をプラプラした。

ペルー、ボリビアと違うのは'スペールメルカド'という、いわゆるスーパーマーケットがあること。そこは日本と同じく、大量仕入れ薄利多売で勝負しているらしく、ペルー、ボリのような駄菓子屋系の小売店がバンバン店を閉めているようだった。特に大統領官邸などの重要な建物があるセントロではそれが顕著で、ちょっとしたさびれた日本の地方都市みたいな感じだった。

またペルーボリビアに比べて、自家用車率が高く、そのため郊外の道路沿いに大型ショッピングモールがいくつかあるのも特徴的だった。やはり割と経済状況がいいのかもしれない。

見どころもないと思っていたが、インフォメーションに行ったらJICAが作製したという結構立派なガイドブックがもらえて、それを頼りにセントロ周辺の美術館などへ。

パラグアイ、うわさ通りなかなか何もない所だった。。。ここを満喫できる人はなかなか強者でしょう。





3月14日 イグアスの滝

国境の街シウダーデルエステでバスを乗り換え、二日ぶりにアルゼンチンへ。ブラジルとアルゼンチンの国境にあるイグアスの滝へ。

うん、これはうわさ通りものすごかった。河もでかければ滝も必然的にでかくなるなぁ、滝好きの僕としてはなかなか見応えがあり、眺めの良いところで昼寝。

特に悪魔ののどぶえといわれる滝壷の迫力は、なかなか写真や口頭では言い表せない、だからムービー撮りました。音がものすごい。

そんな感じで夜行バスに乗り、最終目的地ブエノスアイレスへ。所要時間16時間、最後のヤマ場。





3月15日 大都会*ブエノスアイレス

なかなか寝付けずに、ブエノスについたのが午前11時。ここはスペイン系とイタリア系の白人の血を持つ人が97%もいるらしくて、もう全くインディヘナのおばちゃんとかを見かけない。みんな鼻が高いし、アンジェラアキとか沢尻エリカみたいな子だらけです。建物もヨーロッパみたいな感じ。

宿は中国系のオーナーさんが経営するHotel*caoca、シングル一泊30ペソ(1200円)と割と高めだけれど、テレビ付き、エアコン付とかなり環境が良い。

ここに長期滞在してる(住んでる?)メンツが面白い!

僕がスペイン語分からないって言ってるのに、スペイン語で話しかけまくってくるおばちゃん、中国から働きに来て5年になるロック大好きシュンサン(春山)さん、女オーナーの超サッカー好きなダンナさん。ここで18日の出発まで滞在することに決めた、最後の最後でなかなかいい宿にあたった。

今日はついてからすぐに3週間伸ばしてたヒゲをそった(イグアスで写真を撮ってもらった時に、なかなか気持ち悪かったため)、15歳は若返りました。そして街をぷらぷら、なんかマクドナルドとマラドーナグッズが異常に多いですこの街。

物価が高いと聞いてはいたものの、場所を選べばそこまで高くない、400円くらいで結構良いものが食べれます。






浮いてました、浮いてきました!現在パラグアイ

2007年03月14日 09時59分03秒 | 南米の旅(2007・春)
3月8日 浮いてました!

午前10時半からウユニ塩湖 のまんなかにあるホテル、塩のホテル*プラヤブランカにとまる一泊二日のツアーに参加。今日の昼から明日の昼までの4食と交通費、宿泊費込みで40ドル。

ツアーの車が来たのが11時過ぎ、街からリャマの群れがいる平原を抜けて塩湖へ。そこは湖の水平線と空との境目が分からない、不思議な世界!!

雨期に固まった塩の上に数十センチ雨水がたまり鏡のようになるために起こる現象で、この湖を数十分走ったところにあるのが塩のホテル。午後1時にホテル到着。

名前の通りイスもテーブルも床も壁も塩!!電気はなく、トイレも自分で水を流すスタイル。

今夜の宿泊客は日本人(男)4人だけ、塩のホテルですることが無いので塩湖の中にあるホテルから一番近そうな島へ歩いて行くことに。

よく見ると地面の塩はしっかりと結晶になっていて、ひとつひとつがきれいな正方形をしていました。それが数十m重なってできたのがこの塩湖。

裸足で歩いていたものの、時間が経過するにつれてかたい塩の結晶が足の裏へじわじわとダメージを。。。歩き始めて1時間、ホテルはだいぶ小さくなったものの、島に到着する様子はなし。結局1時間半歩いて諦めて帰りました(泣)後で知ったのは、ウユニ塩湖は秋田県と同じ大きさだということ。。。一体あの島まで何キロあったんだろうか。

でも昼過ぎは風がほとんど止み、完全に湖が鏡になっていました。雨季のウユニ、ヤバイ!

ホテルに戻ったのは6時半、足の裏はなかなかボロボロでした、マチュピチュ28kmよりきつかった。。。このころ丁度良く湖に沈む夕日が見れました。でもなんだか雲行きがあやしい、陸側では雷が落ちるのが見えるくらい天気が荒れていました。

ロウソクで夕食を食べていると、案の定雨が、しかも結構強い。。。夜空なんて見えるわけもなく、雨はどんどん強くなり、しまいにはヒョウが降ってました。屋根が塩じゃなくって良かった(笑)

増水して明日帰れないんじゃないか?という不安を胸に就寝。





3月9日 浮いてきました!

朝になると昨日の大雨がウソのよう、すっきりとした晴れ空に。

朝食を食べている時、宿泊していた一人の人が'死海はものすごく体が浮いたよー'という話をしていて、

'ウユニでは浮けるのか??'という話題に。

こうなったら確かめるしかありません!パンツ一丁になってちょっと深めの所へダイブ!!ちょっと腹筋を使ったけど、確かに浮きました!濃度的にはかなり濃い(飽和状態)湖なので、死海より浮くはず。ホテルのおっさんは僕を見て失笑してましたが、あまりやる人はいないらしい。。。

ウユニへ行ったら是非浮いてみてください!!!

そんなこんなでウユニツアーを満喫し、夜行の鉄道でウユニの街を出発。アルゼンチンとの国境の街、ビジャソンヘ。





3月10日 鉄道8時間遅れ、ラキアカで肉!!!

鉄道が遅延、なんと8時間も!朝7時に着くはずが、ビジャソンに着いたのは午後3時。。。ボリビアの交通機関おそるべし、全く計算出来ない。

国境の手続きもものすごーく時間がかかり、結局アルゼンチン側の街*ラキアカに着いたのは午後6時。国境で兵士が子供とボクシングごっこをしてました、アルゼンチンは平和らしい。。。

今夜の夜行便もなく、明日の朝8時のバスでサルタという街へ行くことに。

地球の歩き方にほとんど情報が乗っていないこの街で同じ境遇に陥った日本人が4人。明日同じバスということもあり、安宿を探し見つけたのがmerced*15ペソ(約600円)。1ペソ=約40円、大体ペルーと同じ。

アルゼンチンでは牛肉がバカみたいに安い*1キロ10ペソ、ということで宿のキッチンを借りて、ステーキ大会!普通にうまいステーキでした。





3月11日 ラキアカーサルタークロリンダ

今日は鬼移動日。

バスでラキアカを8時50分に出発、世界遺産のウマワカ渓谷を通り、アルゼンチン北部の主要都市サルタについたのが午後3時。昨日の宿で一緒になった二人とわかれ、一緒のルートのタジマさんと共に4時半のバスに乗り換え、パラグアイとの国境の街*クロリンダへ、到着時間明日の午前9時。

1日中ほとんど座って食ってたか、寝てました。ふとるー。。。






3月12日 アスンシオン1日目

予定通りパラグアイとの国境、クロリンダへ。そこからコレクティーボ(乗合バス)を乗り継ぎ、ここではパスポートコントロールがあっさり済んでパラグアイ入国。

またまたコレクティーボに1時間揺られ、パラグアイ川を越えて首都アスンシオンへ。

今まで3週間近く高地にいて涼しかったけれど、南米はやっぱり夏だった。リマを思い出すものすごい暑さ、しかもすごく湿気が多く、ジメジメした暑さ。皆街の人はマテ茶を入れた水筒を持ち歩いてます。

通過単位がややこしく、US1$=5000グアラニー。今までの国とケタが二つ違うのでちょっと混乱。地球の歩き方05ー06版には1$=6100グアラニーとなっていたので、なかなかドル安が進んでいる様子。

宿はエンバハドール*30000グアラニー(700円)。シャワートイレがついているけれど、なかなかのうす汚さ。

ここの街の代表的なメルカドは、メルカド4(クアトロ)。いつものようにサッカーユニフォームを探すも、パラグアイのチームのがあまり無い&カッコ悪い。。。結局オリンピアというチームのを30000グアラニーで購入。全然値切れなくってがっかり。

晩飯はメルカド近くの韓国料理屋で冷麺*15000グアラニー。

アスンシオンの夜は早い、6時になれば店が閉まり始め、8時9時にはセントロの人通りが少なくなる。なかなかさみしい街です。。。










ラパス出発、ウユニへ

2007年03月08日 22時09分23秒 | 南米の旅(2007・春)
3月7日 ラパス出発、ウユニへ

午前午後は次の目的地、ボリビア南部のウユニへ行く準備。

そして宿*サンタクルスで仲良くなったすぐる君あき君と出発間際にサンフランシスコ教会前の屋台へ。

かなり太いホットドッグ*2ボリ(30円)、目玉焼き入り牛肉バーガー*4ボリ、肉じゃがっぽいやつ*2ボリ、フルーツ屋台のジュース2杯*2ボリ、しめて10ボリ(150円)でたらふく飯を食べた。

フルーツ屋台は三日連続で行っていたので、おばちゃんが'またきなさいよ'みたいなことをいってくた(と思う)。美味かったし、ビタミンとれまくりでした。おかげで口内炎が治ったよ、ありがとうおばちゃん!


旅も中盤、ちょっと疲れ気味でおとずれたラパス。屋台と市場、そして宿での良い人たちとの出会いで元気回復。あーまたきたいなラパス、なかなか最高な街。

そんなわけで夜行バスに乗り込みウユニへ。

でもこのバスがちょっといわくつき。

まずちょこちょこ物をとられることがある路線らしく、直行バスと思いきや、何度か警察?みたいのに止められて荷物入れを検査されるわ、変に停車するわ。。。自分の荷物がとられないかヒヤヒヤしてました。

そういうのがなくなったと思ったら、ものすごいダートの道へ。物凄い揺れました、縦揺れ横揺れが3、4時間続く感じ、なんど横転するかと思ったことか。。。でも安いからしょうがない、12時間乗って70ボリ。

結局何事もなく無事に午前7時ウユニへ到着。これから塩湖ツアーへ行ってきます、US$40、やや高いが。。。

ボリビア入国

2007年03月07日 10時39分49秒 | 南米の旅(2007・春)
3月4日 ボリビア入国

朝泊めてもらったローリアさん一家とお別れし、タキーレ島に移動。この島は織物がすごく特徴的で、クスコやマチュピチュで売っていたものとは色合いもデザインも異なっていてすごく綺麗だった。伝統だけでなく、感性が豊かになるような環境があるんだろうなー。

そこから湖畔の街プーノに戻ったのが午後2時。そのまま長距離バスへ乗込み、ボリビアのラパスへ。

ツアー中は天気が悪かったけれど、湖沿いを走るこのバスの車中からは雲が近くて綺麗な青色をしたチチカカ湖を見ることができた。

そして初めての陸路での国境越え、ペルーに入国する時に書いた半券を見せてあっさり出国終了。もちろん国境では写真をとり(何故か地元のおじさんと一緒に写る)、ボリビア側で簡単な書類を書いて入国終了!

そこから真暗な走ること3時間、目の前にものすごい夜景が飛び込んできました。ボリビア最大の都市ラパスへ到着。

すりばち状の土地の底辺から斜面にかけてぎっしり建物が並ぶ様子は、日本でいうと長崎みたいな感じ。赤茶色に統一された外灯がよりいっそう夜景をきれいにしているようだった。

バスの中で出会ったオグチ君と適当な安宿を探し宿泊。一泊30ボリビアーノ、1ボリビ=15円なので大体450円。





3月5日 安宿サンタクルス

ボリビアの大体の物価は1ボリビアーノ=15円と考えて

水*4ボリ(60円)
コカ・コーラ*3.5〜4ボリ
ネットカフェ1時間*3ボリ
屋台のパン1個*0.5ボリ
日本への切手代*10.5ボリ
屋台のハンバーガー*3ボリ

ペットボトル飲料はそんなにペルーと変わらないけれど、屋台やメルカドで食事するとかなり安上がり。ボリビアの物価はやはり安いみたい。

やっぱり異常に坂が多くて、移動するのがちょっとしんどい。車も坂を登るのがけっこう大変なようで、真っ黒な真っ黒な廃棄ガスを吐き出してすごくクサイ。

同じ種類の店は一カ所に集まってる傾向があるみたい。宿の近くは床屋街で、十数件の床屋がある。あと日本人観光客がそこまで来ないのか、すごく`チーノ(中国人)`といわれる事が多い。

クスコの宿*八幡の宿帳に載っていた安宿サンタクルスに移動、一泊20ボリビで個室。日本人が経営しているわけではないけれど、おかみさんの人柄か日本人が多く利用している宿。

そこからメルカドネグロへ。ここは食品から日常品、衣類、家具、電化製品まで何でもそろう本当に大きな市場で、坂道にぎっしり露店が並ぶ。

そのなかでサッカーユニフォームの売っている店へ入りボリビアリーグのボリビアー、ストロンゲスト、ブルーミングサンタクルス、レアルポトシの4チームのを購入、全部で80ボリビ!しかも店のおっちゃんと仲良くなって、10ボリビで名前と背番号を入れてもらった!!

夜は宿で仲良くなった人達と夜景を見に高台へ行き、酒を飲み、久々にトランプの大貧民をやった!ボリビア人おかみ大貧民ものすごい強し。。。





3月6日 23

昨日夜遅くまでトランプ&話をしていたため、ちょっと遅めの起床。そこから宿の人らと土産物やメルカドをブラブラ。

たまたま3月生れが3人いて、ワリカンして誕生日ケーキを購入、35ボリ(約500円)でホールケーキが買えた!なんかちょっと日本のより背が高いケーキだったけれど、普通に美味かった!!

そんな感じでボリビアで23歳になりました。


明日の夜行バスで塩の湖があるウユニへ向かいます。

ウルルン滞在記みたいなinチチカカ湖

2007年03月06日 10時47分06秒 | 南米の旅(2007・春)
3月1日 クスコ対ボカ

マチュピチュから帰ってくる電車の座席が、4人のボックス席だったんですが、一緒になったのがカナダ人の老夫婦とノルウェー人の女の人で、かなーり早い英語で会話していて4時間形見の狭い思いをしました。やっぱ英語はなせたい!

クスコに帰ってきてたら街で一番大きな広場、アルマス広場に人だかり。今日はトヨタカップの南米予選、リベルタドーレス杯の予選でクスコのチームとアルゼンチンのボカジュニアースの試合が行われる日だったんです。広場に巨大スクリーンが設置されて応援してましたが、やはりボカのほうが1枚も2枚も上手で、0vs1でクスコの負け。。。
でもちょっと興奮しながらサッカーが見れてよかった!!アルゼンチンに行ったら絶対サッカー見に行かなくては!!!





3月2日 クスコの夜景

夜行でプーノに行くため、日中はプラプラ。何気にあまりクスコを観光してないことに気付き、足早で名所を見たり買い物したり。メルカド(市場)でリバーシブルのニットを購入、8ソル(320円)なり。

出発前に宿、ペンション八幡に泊まっていたカツとあさきさん達と街が一望できるサクサイワマンへ。昼行った時とはまた違うすごい夜景だった!そんな感じで夜行バスへ乗り込み、プーノまで7時間の移動。




3月3日 ウルルン滞在記みたいなinチチカカ湖 1日目

午前5時プーノ到着。ここは標高3980m、汽船が航行する湖としては最高地点にあるチチカカ湖の湖畔の街。
この湖にある島を一泊二日で巡るツアーに参加、ツアー料金をぼったくろうとする旅行会社とモメつつ、45ソル(1800円)で決着、でも宿泊代ご飯代船代ガイド代含めてこの値段だからちょっとびっくり。

まずはトトラという葦で作った島、ウロス島へ。

葦を何重にも重ねて作った島はホントに頑丈、というか普通の島となんにも遜色なし。

そこに住んでいる人はトトラや湖でとれるマス(トゥルチャ)やピラニアの小さいやつを食べて生活しているらしいが、その割にみんなかなり太っていた。。。実は観光収入で良いもの食べてたりするんでは??

その後、船で4時間移動。湖に浮かぶ島、アマンタニ島へ。

人口4000人のこの島で宿泊するのはホテルではなく、なんと民家!ツアーに参加していたなおき、きんこと3人でローリアさんさんのお宅へお世話になることに。

ローリアさんと旦那さんのサントスさん、そして娘さんが4人と息子さんがひとりの7人家族!ローリアさんは美人で、日本に行ったら井川はるかみたいな感じだから娘さんの器量がよい、特に多分8歳くらいのブレッダちゃんがちょっと恥ずかしがり屋な感じですごく可愛らしかった。

夜はフォルクローレの音楽に合わせてダンス、社交ダンスとはまた違うような。。。とにかくここは3980m、あり得ないくらい疲れた。物静かなローリアさんが人が変わったように踊っていてびっくりした。





マチュピチュまで28km歩く

2007年03月01日 12時13分28秒 | 南米の旅(2007・春)
2月25日クスコ到着

昨日の夜8時にナスカを出発し、夜行バスでクスコへ。所要時間14時間。。。
クスコは標高3400mで、途中おそらく4000m位の山を越えて来たけれど、ものすごく気持ち悪くなった、これって高山病??とりあえず自分でスーハースーハー深呼吸しまくって、吐かずにすんだけど。道中のごつごつとした山々の景色は物凄かった。

クスコについたのは昼の12時。ここは街が世界遺産になっているのもうなづける位、街並みがきれい。リマとナスカがゴチャゴチャしていただけに余計そう感じる。

そこから地球の歩き方にも載っている日本人宿:ペンション八幡へ。
晩飯は宿で知り合った、世界一周中の亮太さん、4月からお医者さんのやっくん 、今回でペルー3回目のななえちゃんとペルー料理を食べに行く。クスコのビールを飲んだけど、標高が高いと酔いが回るのが早いらしく,コップ2杯で気持ち悪くなった。





2月26日マチュピチュまで28km歩く

八幡の宿ノートに線路を歩いてマチュピチュの麓の村まで行く方法が載っていた。

普通はクスコから110キロの道程を鉄道でいくが、往復68USドルと激高。そのため途中までバスとかを乗り継いで、82キロ地点から線路を歩いていくと2ドル位でかなりかなり安上がり、しかし所要時間8時間。

八幡で会った亮太さんと意気投合して歩くことになった!!!二人とも鉄道のチケットを買ってたのに。。。かなりの悪ノリ。。。


16時にクスコを出て、18時にオリャンタイタンボという村へ。

そこから鉄道の82キロ地点、スペイン語でいうとオチェンタドスまで地元の人とコレクティーボ(乗合バス)で行く、着いたのは20時過ぎだった。道路はそこで行止りになる。

オチェンタドスには線路を歩く人がいないように見張りの警官がいるが、乗合バスの兄ちゃんが見つからないように先導してくれた、お礼に500円玉をあげる。そんな感じでものすごい星空の下、懐中電灯で足元を照らしながら歩き始めた。

オッサンふたりのスタンド・バイ・ミーがSTART。

枕木を歩いていった、石で枕木が隠れているところは結構足にきた。たわいもない会話を繰り広げながら道のりを進む。ちょうど半月だったので、明るくて懐中電灯なしでも充分歩けた。

22時に最大の難関、88キロ地点がやってきた。ここにも警官がいる、見つかったらオチェンタドスまで戻されてしまう。

警官がいるであろう小屋に近づく、するといきなり電気が消え、外に出てきた。見つかったのかと思い、隠れて様子をうかがう。しかしどうやら仕事を終えて家に帰るタイミングだったみたいで、無事に切り抜けることができた。

あとは22キロ歩くのみ!

ちょこちょこ休憩しながら進む。途中いくつか民家があって犬に吠えられたが、それ以上にいきなり線路に牛が出てきたのがビビった。

途中で雲行きがあやしくなり月も沈んでしまい、懐中電灯で歩く。しかし日付が変わった0時45分、97キロ地点で電池が切れた。。。しかたないからデジカメの液晶の明かりを頼りに歩いた。このせいでペースが落ちた。

1時半、100キロ地点で雨が降り出す。傘をさしながらあるいた。

2時過ぎ、ホタルを発見!!かなり癒された、しかし亮太さんいわく地元町田の方がすごいらしい。ビバ町田。

4時やっと灯りが見えた!やったーゴールだと思いきや、水力発電の明かり。。。ここはまだ107キロ地点、希望の数だけ失望が増えた。。。

こっからのこり3キロがきつかった、睡魔に襲われながらもなんとか頑張ろうとトトロの、歩こうー歩こうーわたしは元気、ってのを歌った。

そしてやっと5時半にマチュピチュ村到着。

枕木が28キロに70cm間隔で並んでいるとすると、40000個の枕木をあるいた計算になる。

片道34ドルでは買えないプライスレスな思い出ができた!!





2月27日マチュピチュに住みたーい

MANCO INKAという宿にはいる、一泊15ソル(約600円)。

亮太さんは疲れの為仮眠、僕一人でマチュピチュへ。バスで山を登って行くと初めてその建物が見える、ホントすごいところに造ったなあ。。。

徹夜歩きの疲れに負けることなく、ワイナピチュという山へ。40分くらいで山頂到着。マチュピチュの全景が見渡せてものすごいきれい。ここでリマで一緒だった吉田さんに偶然再開!!!合流して、一緒に回った。

朝のうちは天気が良かったが、昼になると物凄い雨に。しかしこれもそのうち止んで再びすっきり晴渡った。

高台に行くと風が涼しい、迷路みたいなこの建物で子供たちがわいわいかくれんぼしていた姿が目に浮かぶ。芝もきれいだし、ちょっと住みたくなってしまった。

クスコに帰る吉田さんを見送り、マチュピチュをだいたい2周して宿へ帰った。

宿にはやっくんを含む、八幡のメンバーがいた。向いの中華料理屋でチャーハンを頼んだらものすごく甘かった。

とにかく寝ずに42.195キロくらい歩いたんじゃないかな??この日は爆睡。





2月28日ペルーで温泉

亮太さんは朝の電車でクスコへ。僕は明日の電車のため、今日はのんびり。夜行移動が結構続いてたし。

足に筋肉痛は全く来ていない、自分の体力にビックリ。明日くるのかな??でも代わりになんか肩がすごい痛い。

昼にマチュピチュから帰ってきたやっくんと温泉へ。ペルーは結構温泉があるみたい、この村の雰囲気は日本の秋田あたりのひなびた温泉場な感じがする。

黄色く濁ったお湯で、ちょっとぬるいけど充分気持ちよかった。

そんな感じでまったーりのんびーり過した1日だった。




ナスカの地上絵で軽くぼったくられる

2007年02月25日 05時18分51秒 | 南米の旅(2007・春)
2月23日リマを一人歩き

吉田さんも飛行機でクスコへ行ってしまい、とうとう一人に。もともと一人出来てるくせに、出会った人と別れると寂しい。
今日の9時の夜行バスでナスカへ向かう。それまで会話本を頼りにリマ市内をプラプラ。

ちなみにリマ市内の物価は

水*1ソル(40円)
ペプシ*1.2ソル
コカ・コーラ*1.5ー2ソル
インカコーラ*約1ソル?
ネットカフェ1時間ー1ソル
屋台のサンドイッチー0.5ソル
バス路線内*1.2ソル

コカコーラのほうがペプシよりも強いらしい。

バスに乗ってミラフローレス地区に行ったり、ワカンプクヤーナという遺跡に行ったりした。

電化製品から洋服までそろう市場を見つけペルー国内のサッカーのクラブチームのユニフォームを買おうと色んな店で値段交渉。

どの店も最初の値段が35ソル位で、何とか値切ろうと"ムイカーロ、マスバラート!(高すぎる、もっと安くして)"と言うも店員さんはほとんど折れず。。。店員さんの食いつきが悪いと値切りがいが無い。

それでもナカータ、ナカムーラネタでちょっと盛り上がったお店で28ソルにしてもらい、アリゾナリマというチームのユニフォームを買った。

そんな感じでバスの時間、ナスカへ向け出発。



2月24日ナスカで軽くぼったくられる

リマを出発して約7時間,まだ真っ暗な朝4時にナスカ到着。当然のバスでは眠れた訳がなく、ちょっと寝惚けた状態でバスを降りる。

地球の歩き方に乗っている一番安い宿に行こうと思ったが、ちょっと距離があるため、タクシーで行こうかどうか悩んでいたら、客引きが英語で地上絵フライトの話を持ち掛けてきた。こういう客引きについて行くと大概ろくなことがない。

とりあえずナスカのみなら45ドルといわれ、これは地球の歩き方的には相場。さらにオプションでパルパの地上絵というのも見たかったので聞いてみると、85ドルだという。これも相場から外れていない。しかもフライトの時間まで宿でタダで寝て良いとのこと。

これから宿を探し、さらに明日の朝飛行機を手配することを考えるとかなり手間が省けるため、フライトの予約をする。

そんな感じでポサダグアダルペという宿に連れていってもらい、7時まで仮眠。

7時になりその客引きが迎えに来た。すると"タクシー代で10ドルかかるけどいいか?"と。この辺から雲行きが怪しくなってくる。でもいまさら断ることもないと思い、Okした。

そんな感じでセスナの飛行場まで向かう。タクシーの運ちゃんはやたらアミーゴを連呼してきてうさんくさかったけど、面白い人だった。

飛行場につくと、

"じゃあスズキ100ドルだ"

という感じで金を請求される。タクシーの10ドルは片道分なのかよ!と思いつつ、睡眠不足のせいか少し反抗するもいつものような粘り強さがなく、お金を払った。はーあ。

なにはともあれ4人乗りのセスナに乗り込む。正直小さく、頼りない感じがした。ドイツ人とイギリス人が同乗。

小さい管制塔の支持で、滑走路を走り出すセスナ。そして思いの外スムーズに離陸した。

そこから地上へのあるパルパ(草原)へ向かう。空からの景色はやはり気持ちが良い。

まず最初に三角形が見えてきて、その次にクジラ、宇宙人、サル、ハチドリはっきり見えた、デジカメにも撮れた!、真っすぐ飛んでいる分にはいいが、旋回するとものすごい無重力。

パルパでスターなどの地上絵をみて、大体1時間で着陸。もうちょい長かったらきっとリバースしていた。。。危ない危ない。ぼったくられたけど、良いものが見れた!!

そんなかんじで今は24日15時、今日の夜行バスに乗り、明日の昼前にはクスコへ到着する予定。





2月21日出発

2007年02月24日 10時46分27秒 | 南米の旅(2007・春)
Ajax IMEっていうソフトのおかげでペルーでも日本語入力ができます!すばらしい!!

2月21日出発
昨日の流れでバタバタしながらも、つくば出発。バイト仲間のピロリンに取手まで送ってもらい、JRと京急を乗り継ぎ成田へ到着。日本円をトラベラーズチェックに換金してちょっと早めの出国手続きをし、17時10分ペルーへの経由地アメリカのヒューストンへ向けて11時間の長旅スタート。

どうやって時間を潰そうか悩みまくっていたけれど、飛行機の隣の近藤さん(大学4年の女の子)もなんとペルーへ行くというミラクルが!!帰る日も僕と1日違い。でも陸路でアルゼンチンを目指す僕と違い、1ケ月かけてペルーをまわるとのこと。キシコに行った経験があって、トラベル会話程度ならスペイン語が話せるとのことで、ペルーに入ったら助けてもらう気満々。っていってもほとんど日程は合わないんだけど。

そんなこんなで話をしたり、地球の歩き方スペイン語会話を読んだりして、現地時間13時にヒューストン着。初アメリカ大陸上陸!そして16時の便でリマ行きへ乗換。ここでここで大勢いた日本人が極端に減った。6ー7時間かけてリマに到着。この時に二人できた長尾君、長谷部君とこれまた女の子一人旅の吉田さんに出会う、みんな大学4年で就職関係で早めに帰る長谷部君以外一ケ月の滞在。長尾君に限っては帰りヒューストンから同じ便。。。気持ち悪い位共通点が多かった。


22日レオに助けてもらう
そんな大学4年せい5人で朝まで空港で時間をつぶし、タクシーでペルー市内セントロへ。この時のタクシーでいきなりボッタくられる、普通20ソル(1ソルが約40円)が相場なのに45ソルもとられた。近藤さんは一人でイカという街へ。のこり4人はHotel Europeという安宿へ、一人12ソル。

ここで長尾君、長谷部君が今日中にクスコへ行くとのことで、長距離バスのターミナルをさがす、が見つからず。街の色んな人に聞いてもだめでスペイン語が分からない4人であたふたしていたところ、レオという自称ミュージシャンがターミナルまで30分も歩いて連れていってくれた!!ペルーにもいい人はいます!!グラシャス、レオ!


23日の分は書く時間がなくなりました、今は23日夜。これから一人で夜行バスに乗りナスカへ向かいます。とりあえずまだ無事でーす。ではアスタマニャーナー!!



旅ブログ更新不可?

2007年02月21日 02時17分02秒 | 南米の旅(2007・春)
今回はブログを毎日更新出来そうにありません。

去年スウェーデンではケータイメールで更新していたんですが、ペルーを始めとする南米の大半の国では、メールの送受信ができないらしいのです・・・だからネットが出来る環境でまとめて更新することになりそう。日本全国津々浦々の僕の旅ブログファンのみなさんすまみせん。。


今日はやっぱりバタバタでした。

朝研究室に出発の挨拶をしに行き、大学院の入学手続き書類を書き、旅に足りない物を買いに100円ショップへ行き、円をドルに替え、沖縄居酒屋バイトが思いのほか(20日で給料日だったから?)忙しく、今に至ります。

これから荷詰め。バタバタはリアルタイムで進行中・・・つくば出発は明日の昼12時。