じゃらじゃらフォトセラ

箕面の身近な光景、草木や花の造形、神戸・京都などのんびり散歩しています。ゆったりカフェ気分でフォトセラピー(^o^)

収穫

2005-11-14 | 【ぶらり撮り歩き】

大阪で過ごした時間が

もう、自分の人生の中で最も長いことになる

“田舎”っていう響きが妙に強く懐かしいのに
その田舎で過ごした人生よりも長いってこと。

ちょっと不思議

田舎に居る間は、まだ被扶養者の人間だった時代でもあるワケで
“まがりなりにも”自立してからの自分の時代と
分析してみれば
“田舎時代”の自分にとっての価値っていうのは・・・・

言ってみれば 「未熟」で「頼りない」
ワケのわからん時代だったにも関わらず

なぜか、濃い。

精神的な問題?

感受性の強さのせい?


望郷と懐古の入り混じった
現実逃避なのかな・・・・・・・・



感受性が田舎に居た頃より弱くなった・・・とは思わない。
むしろ、裾野が広がって、精神の留め金が弱くなって
感受性というのは脆くもあるが強くなっているように感じる

一方で、言いようによっては鋭敏さに欠けてはいるかな・・・
射すような鋭い、若いからこその感覚は薄れてきてるのかも・・・



散歩している時に、そんなことをあれこれ考えてるワケでもないんだけど

ふ、と思った。



そういえば、

こっちに来て、真っ先に感じたのが

秋の斜光線の中、稲の景色が違うなあ・・・ってことだった。


こっちの稲景色というのは
狭い水田が棚田状にならんでいて

それはそれで陽を受けて美しく光る

ああ、ここではこんな風に稲が光るんだ  って感動したのを覚えている


なにげなく過ごした田舎の時代・・・

小さな体で学校の帰り道、本当に道の草を食いながら帰ったっけ・・・

稲はどこまでも遠く続き

緑色の海のようだった


海が黄金色になった後、薄茶色の稲穂が
刈り取られた田の跡に高く干される

帰り道、かけてある稲から米粒をとって、むいて食べたっけ

栗を拾って、生でかじってみたり


いろいろな自然との関わりが今も記憶に残る

それが、自分にとっての“収穫”ということか・・・・


ユウト、ケンタロウのこの時代の記憶には
一体、どんなことが残るんだろう・・・・

しっかりと

その目と心で感じておきや・・・

この時代の収穫はずうっと長く心に残るものなんだから。。。。



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