差別とは“個々人を公正な判断に基づかず特定の集団に属するがゆえ不当に扱うことである”
アメリカの映画にはすごい底力があって、さすが、伝統のお国芸って感じる。
エンタテーイメントとしての娯楽バリバリ系ももちろんだけど
様々なジャンルの中で、お気に入りの一つに“裁判もの”がある。
陪審制度の国での裁判の仕方には、ある意味“真”があると思う。
ある事柄をジャッジ(判断)するわけだけど、
同じ証人に対し、違う結果を求める立場(弁護側と原告側)から質門がされ、
その質疑応答を見て、結果を出すのはそのどちらにもに属していない第三者。
つまり陪審員。
陪審員が必ずしも客観的とは思わないし、
弁護士たちの言い回しも、冷静とか公平・公正とか思うわけでもないが
(ある意味、演技的だったりハッタリぽかったりすること多々あるし)
しかし、少なくとも陪審員はそこで見聞きした中で正義と思えることを追求する。
人間の心理ってものすごく主観的なものだけど、
正義と真理について求めるものがあって、それが基本。
事実じゃなくて真理。
そのために必要な客観的視点。
こうした映画で、時に引用される、過去の判決事例の表現はすごくオモシロイ。
ある事柄について絞りに絞って、客観的に表現しているのが分る。
その客観性こそが、“公平”さに繋がっているんだなって思う。
これこそ醍醐味かな。的確で客観的な表現。
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この映画『フィラデルフィア』は以前から興味はあった。
だって、キャストがすごい。
トム・ハンクス に デンゼル・ワシントン
監督は『羊たちの沈黙』のジョナサン・デミ
すごいでしょ。これ。
*ちなみにトム・ハンクスはこれで第66回アカデミー主演賞を受賞
でも、題材が重そうで見てなかったんだな。
エイズを発病して解雇された弁護士が不当解雇を主張するんだけど弁護を頼む時点から難航。
偏見と差別の目は弁護するはずの弁護士にもしっかりと根付いているから。
そうした偏見を持つことを隠そうともしない弁護士(デンゼル・ワシントン)だったが、
法を愛する=真実の追究 という信念に、彼の弁護を引き受ける。
解雇された弁護士(トム・ハンクス)と、彼を弁護する弁護士(デンゼル・ワシントン)との会話のなかで引用されるのがこの冒頭に掲げた文。
これって・・・・
エイズに限らず、「差別」ということにものすごく的を射抜いた表現と思う。
人の中にある、“違うもの”に対する排他的な心理。
アメリカ社会は人種という目に見える異種が混在するからこそ、
人種の点でも“特定の集団”(少数派)に対する問題があって
こと「差別」ということに対する意識向けがあるんだろうな。
なかなか日本の社会の中では、こうもキッチリと定義づけできないんじゃないかなって。
しかし
トム・ハンクスの役者魂には驚く。
次第に痩せ衰えていく様子は迫真。
最後の方に、トム・ハンクス自身が証言台にあがり
質問するデンゼルに答えるシーン
このときの独白がこの映画の中の最もオススメするシーン・言葉です。
それはここには書かないでおきます。
ぜひ、一度見てみてください。
こちらまで来てもらって、ありがとうございます。映画の中にあるメッセージ、気付きながら楽しみながら、見ていきたいですよねー。また遊びに来てくださいね。
テーマサロンでこのお題を出した者です。
TB回答ありがとうございます。
深い②解説ですね。
とってもじっくりと読ませていただきました。
アメリカならではの定義づけができるとありましたが、
本当にそうですね。
そこまで私のような者では、気づくことが出来なかったでしょう。
映画の中にメッセージ性があるものって多いですが、
それがどんなものなのか気付ける人間になりたいです。
ではでは、失礼しました。
ottsoさんも起きてたんですね
日曜日はお休みかな?
音きこえなくても画像みてるだけでわかりそうな映画ばかり
でも、人から勧められたりすると気になる気になる
またまたレンタルしてこよかな。