20年来のアメリカの友人とのお別れ

2013-09-26 21:14:15 | Diary

■ 静かな別れ

最近、ちょっとしたお別れがありました。

付き合った期間より、友人だった期間が長かったデイビッド…サンフランシスコに私がいたのはもう20年も前ですから、その当時からの付き合いといえば長い付き合いです。

男性にとってパワフルすぎる父親というのは人生の破滅なんだなぁ…そう思えたデイビッド事件…

デイビッドとは20年来の付き合いでした。少し前にインターネットで出会った中国人と結婚し、相手がグリーンカードを取得したところで、破局…。気の毒ですけど、なんだか傍目にはそれは予定調和のような話でした… 私は山に居て相手はできなかったんですけど。

■ すごすぎる父親

彼の父親は超がつくエリートでした。軍隊上がりの叩きあげで大企業の幹部。誰もが知るアメリカの巨大企業でした。退職後もジュネーブ行っていましたから、かなり会社では上の方の役職にいたようです。4人の子供をもうけた最初の妻を生涯養いつつ、再婚し4男1女。住まいは誰もが知る高級住宅地。引っ越すたびに大きくなる家。

そんな父親のもとで、デイブは長男。実際、病弱に生まれてしまったようなのですが、私が出会ったころ、ぜんそくがあるも、それは誰しも付き合っていく持病のようなもので、そのために人生を狂わせるようなものではありませんでした。文学的・芸術的才能がそうさせるのか、常に自分を悲劇的に見る癖がある人でした。でもそれも人としてありがちなことで、特別大きな欠陥になるわけではありません。

手に職があり、本業はキャビネットメーカー。家具職人と訳されますが、あちらでキャビネットメーカーと言うと、作り付けの家具を作る人で日本では建具屋さんに近いです。精密なウッドワークが必要で、繊細さが必要な仕事です。実際、彼が作った家具は結構高価格でした。ウッドワーク好きを生かして、手作りのボートを作ったり、伝説のギタリストが使用したギターを作ったことで有名なギター職人に友人がいて、一緒に工房でギターを作っていたこともありました。

敬虔なクリスチャンで教会で仕事し、音楽を愛し、ジャズ奏者でした。ドラムスとギター。自然を愛し、というか、貴族的で男性的な趣味を持っていて、猟を趣味とし、ハンティングに時々出かけていく人でした。コレクションはアンティークガン。私が出会った時はひと財産築き終えた後で、成した財で大学に戻り、大学院で哲学を専攻中でした。

これだけの才能がありながら…彼は生涯、偉大なる父親の影響を免れ得ないのではないかしら…

私はと言えば、当時は学生。ベビーシッターをして英語を身に着けようとしていました。子供を抱く私は取り立てて家庭的に見えたのかもしれません…東洋の女性は受動的。そこがそもそもの大誤解の発端じゃないか?と思わないでもないですが…西洋人の男性が東洋の女性に魅かれるのは、男女同権が進んだ西洋で女性が今でいうところの肉食化しすぎ、一緒にやっていく相手ではないからかもしれません。もちろん、それは思い込みなので、大概が裏切られて終わりなのですが(笑)、東洋の女性の方が我慢強いというのは言えそうです。終るのも時間がかかる。

私とデイブは気楽な仲でした。というのは、私が日本人にしては、例外的に英文学に詳しかったのと、バレエやクラシック音楽を愛していて、シーズンともなれば、食事代をケチってまでも、シーズンチケットを買っては毎晩、劇場に出かけていくと価値観だったから。私はベビーシッターで働いていない日は、本で英語を勉強してカフェで過ごし、その辺の人たちと友人になって英会話を練習、というボヘミアン的ライフスタイルでしたが、彼も似たような生活でしたから。私は彼の授業にこっそり参加したりして、学生のような顔ができ、大学は庭でした。あちらは外国人留学生が多いので一人くらい混じっていても全然目立たないのです。

私にとっては、彼との暮らしはどこも無理に合わせる必要がなく、単純に楽だったのです。彼の方もそうだったようで帰国することになった時は、膝まづいてアメリカにとどまるように哀願されたくらいです。このせいで私は大阪行きの飛行機を5分も遅らせる羽目になり、乗客みんなに睨まれました。

当時デイブはまだ30代で、すでに悠々自適生活に入っていたので、それだけでも上出来なのではないかと今にして思いますが、彼にとって、上出来の人生は、彼の父親に認められる人生だったらしく、それは、当然のことながら、父親のジョージがたどった人生航路でした。ジョージが同じような道を息子に期待したとは私は思えませんが、息子の目にはそう見えたようです…

つまり家庭を持って子供を大勢と言わずも持つような生活ですね。

そう、今に話を戻すと、中国人の妻と離婚が成立した後、彼はひどい鬱を発病し、その精神の病は、医者が病名を発見できないくらいレアなモノだったそうです。 (ああ、でも前にも聞いたことがあるような話・・・)それゆえ、適切な処方もされず、日常生活が送れない。もう死にそうだ、というメールをもらいました。体重が10kgも減ってしまったそうで。

それは気の毒なので、色々相談に乗っていたわけなのですが、彼の論調には、常に父親から病気を無視するように躾けられたから、病弱な自分を受け入れられないんだ、という趣旨がありました。でも彼ももう50を超えているはずなんですよね。もう親のしつけ云々の年齢ではない。 

たしかに頑強で強い男性でした、ジョージは…。私は結構ジョージとも気が合ったので、デイブと別れてからも、ジョージは妻のジュディを伴って私がいる大阪に遊びに来たくらいです。でも退職してすっかり丸くなっていましたけど。私は父親を知らずにそだったのでジョージはちょっと父みたいでしたし、向こうもそもそも息子の彼女というのは、義理の娘候補なので私を娘のように扱ってくれました。

デイブはやっぱり父親への恨みつらみを父親の死後も手放すことができないんだなぁと思い、もうジョージのことは忘れて健康回復に専念したら、と言う私に彼の批判の矛先は、診断もできない医者に。

でも医者を責めたところで自分が良くなるか?というと、ならない。大体、精神的な病って、鬱などの重篤な状況に陥っている人には決して言うべきではありませんが、自分で自分を病気にしている面があります。この彼の場合、相当長いメールを書いてきましたから、実際に体力も精神力も衰えていない。本当に死にかけている人は、自分は死にかけているんだぞという恫喝に近いようなことさえできないです。これは周囲も相当手を焼いているんだろうな、と傍目には伺えるのでした。

実際、20年前に私が彼とお別れすることになった、直接の原因も、彼がアル中になったから、でした。それも、たった3か月で。日本に来てくれたんですよね、頼んでいないのに。私は学生が生活2年残っていたので、それを終えてから、またアメリカに戻る予定にしていました。ところがその2年が待てないというので、彼が日本に来てしまったのです。ところが、彼は環境の変化に適応できず、アル中になって、緊急帰国したのでした。たった3か月で、だよ?残ったのは大量のスミノフの空きボトル・・・

そのことがあり、私には、デイビッドの粘着質な性格が、精神の病を自ら招いているように思えたのです。繊細な精神って大変ですね。

でも一般に女性はそんな繊細な精神ではなく、生きるたくましさみたいなものに魅かれると思うんですよね…

そして、そうやって自分で自分を病気にしている男性なんて…母性に訴えかけるかしら?うーん。私には少なくともダメですね。
そういう女性もいるかもしれませんが。

妻が離れていったことに、私が離れていったことを重ねたようで、彼は「今回もうまく行かなかった。俺はダメ人間だ」と…

でもなぁ・・・うまく行かなかった過去に固執しても、今にも未来にも何にも役に立たないからなぁ・・。

それはAAAで立ち直った時に学ばなかったみたい。めんどくさいと思ったものの、父親のことも分かれた妻のことも忘れるべきだとアドバイス。でも、聞き入れないのです。いや正確には聞き入れるふりをして、また、父親や前の妻のことを書いてくるのです。文面の8割が過去の話の回想。

というわけで、それを指摘すると、今度は逆切れしてしまうし…。じゃ分かったから非生産的なやり取りはやめようと提案すると、今度は哀願…そして自分には友人は必要ないと強気がる。本当は孤独が恐ろしく堪らないのに…

男性は女性がいないと自分が生きる意味を見いだせない動物なのかも知れません。彼にとって欲しいのは一人の女性のために生きる、昔の騎士みたいな人生なんだなぁ…と思うのは、かれが一番幸せそうなのは、未来の花嫁を迎え入れるために、家の中に棚を作ったり、バスルームを作ったりしていた時だからです。

その頃は楽しくメール交換できたのですが、彼が作ったそれらのしつらえは、ちょっと花嫁自身の好みとは違ったようです…。(だから言ったのに…)

実際、彼と別かれた妻は何の文化的共通点がなく、趣味も全く違うのです。当然の帰結として、あっという間に離婚してしまい、相手の女性はグリーンカードをきっちりと取り中国脱出を果たし、今は別の中国人男性と暮らしているそうです。それでも、その女性に財を残そうとするなんて…バカ?

男性としての本能が何かおかしくなっているような気がします…が、単純に昔の彼女の気を引きたいだけかもしれず、私の結婚生活が円満で幸せであることをそれとなく伝えてみると、途端に、誰からも愛されないのだ、老後は一人だけで死ぬのだ、と自己憐憫に走るのでした…やっぱり孤独が怖いんじゃん。

でも、老後のために結婚するんじゃないしなぁ…。老後なんて今から心配しても仕方ない。そもそも老後なんて、あるほうが怖いものです。老後がないくらい真摯に生きることができれば、そのほうが長い老後を持つより現代では幸せです。

なんだか長年の友人の相談に乗ってあげようとしていたメールもエンドレスループになってきたので、私の方からメールをしなくなってしまいました…

大の日本好きと吹聴し卒論は日米論だったのになぁ。結局、彼にとっての日本好きは、おそらく西洋人より御しやすく自分なしでは生きられない(ビザその他の都合で)はずの東洋人の妻を得る手段だったのかもしれません… 

これで20年来の友人とのやり取りは終わりでしょう… 私にとっては、見ずに済むなら見ないで済ませた方が良かったなと思える別れでした。

 


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