さわやか!夏の霧ケ峰

2012-08-04 04:10:20 | 山、登ってきました☆
昨日は年の離れた山の友人と霧ケ峰に散策に出かけました☆

素晴らしい晴天!! 風は肌に心地よく冷たく、お天道様は朗らかで、暑過ぎることなく、寒すぎることなく、素晴らしい一日でした。


友人は山に住んでいる人でしたので、山に関する関心を共有することができ、よかった。

霧ケ峰は、高さとハードさを競う登山と言う世界からすると、なんてことはない山ですが、地平線を見たくなったら行きたい山です。起伏の緩やかな丘がワインディングロードで重なる光景は本当に心休まります。絵本の中にいるようです。

大きな空。緩やかな曲線。そして太陽。心地よく頬を撫でる風。揺れる花。湿原は風にたなびく草原を作り、低地にはこんもり木々が木立を作り、見晴らしが欲しいときは、ちょっと丘へ。

日陰と風除けが欲しいときは、涼しい谷間へ。

水が欲しくなれば、キラキラと光を反射して流れる小さな小川へ。

冷たい風を浴びたくなれば、湿原の後ろが最適です。何もさえぎるものの無い湿原の上を駆け抜けた風は強く冷たく、帽子も吹き飛ばされそう。夏の暑い日には爽快です。

これらすべて、高低差のきつくない、緩やかにくねった小道でつながれているので・・・歩いての移動も楽ですし、目にも変化に富んでいます。

■ 雨と風と日差しと・・・

私の好きなローラの物語で、200年ほど前のアメリカの開拓時代に、土地を申請する場面が出てきますが、父さんが見つけた素晴らしい土地とは…?当時の人にとって価値ある魅力ある土地とは?

それは大きな沢地につながる南側の丘陵地…一面の草原です。木が無いことは開墾が楽なことを意味するのです。そして家を建てるには木材が要りますから木立が近くにあることは家を建てられることを意味し、飲料水用のきれいな沢があれば無料の上水道、そして、湖水は狩猟のための動物が生息しているところ。

それはこんな土地ではなかったろうか?というような場所が霧ケ峰。

私の心を揺さぶるのは、こんな物語を愛する子供だったからかもしれません。

湿地というのはその昔、家畜にやるための草を刈るには無尽蔵と言える草が得れる場所だったのです。
それに鳥達が舞い降りる水辺からは、真冬の寒さから身を守るのに最適な羽毛、ダウンが取れます。ダウンなんて今でも現役の天然素材ですもんね…。
日当たりの良い丘は、耕作地に。
雨と風と日差しを和らげる木陰は動物だけでなく、人間の住処に最適な場所でもありました。

…ということで、人と動物は住まいに適した場所をめぐってむかーしから、テリトリー争いをしてきたんですね。

八島湿原と車山湿原を持つ霧ケ峰はこれらの条件にぴったりのところ。

そして花! 環境がこれだけ多彩であれば、乾燥を好む花も、湿潤を好む花も、日陰を好む花も日向を好む花もあります。だからこうした場所は人間の居住だけでなく、花にも住みやすい場所でした。

花があれば蜂がいて、蜂がいれば蜂蜜が取れますね。甘味が限られた時代に蜂蜜は大変貴重な甘味でした。

■ 辺縁=もっとも暮らしやすかった場所 

今読んでいる本によると、狩猟採取で始まった人間の生活は、もともと山の裾野がもっとも住みやすい場所だったのだそうです。 なぜなら…獲物が一杯いるからです。獲物=食料ですね。

たかだか200年前でしかない近世でも、父さんもローラもアメリカ東部の森は獲物がいなくなったために西部へと旅をすることになりました。

つまり狩猟圧が高すぎると人は、動物は森から平野へ追われ、それを追って人も森から平野へ移動する。

それは何も外国だけの話ではなく、日本でだってどこでだって同じなのでしょうね。

霧ケ峰も実は黒曜石の産地であり、縄文の頃の暮らしの痕跡、尖石遺跡が近所にあります。

やっぱりここは、人が自然と寄り添った暮らしをしなくては生きていけなかった時代、もっとも住みやすかった地なのでしょう。

そうした土地は…今では観光地。 けれども、やっぱり人はそこに行くと落ち着くのですね。

もし昔の人が夢見る究極の豊かな土地、パラダイス、があれば、それはこんな場所ではなかったでしょうか。

素晴らしいお天気にも恵まれ、のんびりした楽しい一日でした。

霧ケ峰は真冬もおススメです。

9月の高原トレッキング 霧が峰1
9月の高原トレッキング 霧ケ峰2

9月の高原トレッキング 霧が峰3

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