国際・国内政治経済とその文化を神道国学で読んで・・

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一般用語で解読する。神道教義として、 外道と内道

2014-03-09 19:52:28 | 政治経済と憲法九条
 一般用語で解読する。神道教義として、 外道と内道

ちょっと、「内道外道」と言うと奇異に感じられると思う。
 しかし、この外道と内道は、古典国学「神道国学二列二連伏字の法則」から引き出された「辭氣」である。

即ち、外道の一連と、内道の一連がある。この思考方法は歴史的な「源平」合戦の格言みたいに言われている。
 その格言的な「源平」は、実は古典国学から引用された単語である。その一連の流れに、源氏の系図、平家の卦図として継承されてきた。
 そして、家柄が立派と言う家柄が、源氏の性を継ぐ源頼朝・鎌倉将軍である。そして、平家は家柄は平民的に成っているが、経卦一門として、現在でも日本国の歴史として継承されている。
 この辭氣を二列と言う。そして、その系図の継承が「一連」の源氏系図に成っている。
処が、それに対して、平家の系図をむ継承する「一連」の平家系図の流れが有る。即ち、二連である。その源氏と平家の「二列」が世の進歩を促している。日本国の文化の振興は其の「二列二連」の関係で日本国は振興されていると検考ができる。ある人は「歴史の観察」とし観る人もある。

 しかし、現代社会において、あらゆる掲示板から情報を観察すると、どこの掲示板を観ても、社会的には騒然としているのである。源平合戦で言う「烏合の衆」の集団的な掲示板投稿記事であると言える。

 即ち、掲示板は情報の収集の場所ではないと言う事に成る。処が、情報の収集をするには適していると辭氣に遭遇するのである。
 その辭氣を分析すると、そこに「外道と内道」と言う辭氣が見いだせるのである。それを特に、外交問題に阿多はめると、実に面白い外交の恥部が観えて、外交の極点情報を得ることが可能になるのである。
 
 ここから先は、其の実証記録として情報を収集して分析する面白さが遺されてゆくと思う。

そこに、ヤスクニ神社と「従軍慰安婦」の諸問題の社会的分析の面白さが遺されている。

 そこで、面白いのは、神道に「外宮」「内宮」がある。本文の「表題」に「外道と内道」がある。この文字をよく見ると「外宮」「内宮」」がある。此れを甲骨龜甲因書で解読すると、双方ともに其の辭氣は一体に為る。
即ち、甲骨龜甲因書の神道教義の「一心Ⅰ体」の辭氣に成る。即ち、外道内道と外宮内宮は、辭氣に於いて、
「一心Ⅰ体」である。
 この神道の教義は、何を示して要るのか、と言う事に誘導される。それは「大鳥居」は「闕」の辭氣である。聖地と娑婆の堺である。即ち、内宮と外宮の堺には鳥居の「闕」があるのである。

 これは実に面白い。即ち、対人関係の交際の極意とも言える「辭氣」である。対人関係の対話に用いられるのである。相手の主張に対して、外道と想定し、その対応は内道の返答になる。神道の場合は、相手の主張に対して、内道を想定して答える。想定を外すと「内道」の辭氣が「氣」が伝わる。

 この対話は、微妙な外交手腕に成る。その一例を示す。
第二回は、『日本書紀』に記載されており、607年(推古15年)に小野妹子が大唐国に国書を持って派遣されたと記されている。
倭王から隋皇帝煬帝に宛てた国書が、『隋書』「東夷傳俀國傳」に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)と書き出されていた。これを見た煬帝は立腹し、外交担当官である鴻臚卿(こうろけい)に「蕃夷の書に無礼あらば、また以て聞するなかれ」(無礼な蕃夷の書は、今後自分に見せるな)と命じたという。 
この文書を甲骨龜甲因書で解読すると、・・・・・・・・

「日は、冂ケイガシラ 二心に封じる処の天子、「天皇」勅旨書 冂ケイガシラ 二心に封じる処の天子に致す」
漢字で読むと、「日本国の形と隋国は互いの天子に致す」この「勅旨」は勅旨書ではなく、朝廷語部制度の語りである。現在でも、勅旨は「摂政」の執事書である。天皇辭氣筆はない。

 即ち、史記にはないが、古典国学は解読する「日本国の形と隋国は互いの天子に致す」 と語ったのである。何故に断定するか、現在でも朝廷語部制度は「隋国王」にたいして「語部」を申したのである。

 このように「日本国の形・隋国は互いの天子」に致すとは、以後の遣唐使は「天子」と「天子」を以って遣唐使と致します。と語っているのである。従って、恐れおく申し出たのではない。対等の外交に成っている。

それを「外宮」「内宮」神道教義甲骨龜甲因書は「外道」「内道」の辭氣としての学問・古典国学に成っている。
 神道教義の「祝詞」は、かしこみ、かしこみ、申す。「恐しこみ恐しこみ申す」原文は「恐美恐美母白須」である。原文は古典国学甲骨龜甲因書で解読しなければ無理である。

 即ち、支那の「帝王」は、民と家臣は、帝王にたいして「恐れ申す」のである。
 処が、日本国の場合は「天之御中主神」に対して「恐美恐美母白須」のである。
 現代語「恐しこみ恐しこみ申す」のである。即ち「尊敬尊宗」の辭氣で顕される。
ここに現在の「中国は外道の一国一党の悪党国家」と「日本国戦略的」外交のもつれが有るのである。

 恐れ恐れ・中国は外道の一国一党の悪党国家帝王に申し上げます。
日本国では「かしこみ、かしこみ、申す」のである。恐しこみ恐しこみ申す。

古来から支那の文化と、日本国の文化は、相反して要るのである。これを「外道」「内道」の外交の「戦略的」と言う。従って「互恵」関係の辭氣は完全に無いのである。常に中国は外道の一国一党の悪党国家とは、戦略的な辭氣から逃げては通れないのである。

               古典国学者

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