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元寇の役の戦記に、当初は日本国倭寇の水軍の戦いが記録されている。

2010-12-01 01:30:36 | 国際政治経済
毛利細川家家老の筆頭森脇加賀守に、その後の事実を何度も聞き取り、上卿法度と鎖国令の強圧徳川政治に因り朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫 語部制度で古文書を継承する事に決定する。

 その重要な部分は、元寇の役の戦記に、当初は日本国倭寇の水軍の戦いが記録されている。当初の水軍の先頭から倭寇日本国水軍の戦記が記録されていない。

その理由があねる。あの元寇の巨大な船団では戦えない。そして一端 敵から離れて沖縄方面石垣島・尖閣諸島方面に姿を隠す。その理由が貿易に有る。即ち・南支那方面との貿易が盛んである。堺の豪商「紅屋」がその子孫である。そこに明水軍が顕れ黒潮潮流の海戦でことごとく壊滅させた。理由は明水軍は丘に上がった河童である。

黒潮の潮流を全く知らず。潮流に流されて船団はバラバラになる。そこを攻められて壊滅する。明水軍は海上の位置すら天空の星で観るすべを全く解らなかった。倭寇の海人には全く通用せず、戦闘以前に壊滅した。この朝廷の史記・黒潮の潮流の戦いは神道国学甲骨龜甲因書の因書の朝廷語部制度で現在まで明確に記録を遺す。

従って尖閣諸島は歴史的にも魏志倭人伝からの壮大な日本列島環境国家像として日本国が創建されたのである。それを神国と言う辭氣で明確に示されている。・・これ等の史記の記録は支那国には存在し無い。支那の尖閣諸島の領有権は侵略思想の支那十二支易学の妄想夢の世界観を以て、主権のない尖閣諸島の領有権を国際法を無視して主張して要るのである。 尖閣諸島は即ち魏志倭人伝より明確に倭寇日本国の主権である。

この様な日本国の領有権領海権を国家的に主張する権限は日本国政府総理大臣菅直人にはない。日本国の国家の主権は「萬世一系の天子之国体」の国家主権が日本国の国家主権である。

その起源は魏志倭人伝に始る。そして倭寇の海人・住吉海人・ここから明確に海洋国家が史記に遺され日本国の領有権領海権の国際主権の主張が正当に主張される。その記録の日本政府監理が朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫史記の記録である。その記録の特に重要な部分が朝廷語部制度の継承である。即ち・ここに日本国の正当な国家試験が萬世一系の国体。その史記と国家主張権が遺されて要るのである。

その重要な史記の記録が尖閣諸島方面の黒潮潮流の戦い。海戦の史記である。その史記は倭寇水軍・日本国水軍の勝利・支那明の水軍に対して日本列島を死守した海戦の記録が、尖閣諸島方面の倭寇日本国の実質領有権を現在まで維持している事実の実態を現在の日本政府は認識しなければならない。

その認識の根拠に萬世一系の天子の国体。その主権を熟視しなければならない。総理大臣管直人殿・内閣官房長官仙石氏等は、左翼思想で天皇制反対の思想体系を内示していると透視できるが、その思想は自由である。しかしながら、日本国の領土権領有権に対する国家の主権は好むと好まざるに日本国の萬世一系の天子の国体。その主権の主張を無視すれば、現在の尖閣諸島北方四島の国家主権の主張の国際正義の主張権を失う。

平成22年11月29日 月曜日

著者 朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫 幽斎

元寇役頃より尖閣諸島日本列島の領有権は明確に倭寇日本国である。

2010-12-01 01:13:58 | 国際政治経済
元寇役頃より尖閣諸島日本列島の領有権は明確に倭寇日本国である。
日本国は倭寇である事実を熟知する。
 その事実から元寇と「明・鄭和」の史記が虚偽捏造を指摘する。
元寇とは、日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)及びその
服属政権となった高麗王国によって二度にわたり行われた日本侵攻の、日本側の呼称であ
る。一度目を文永の役一二七四年、二度目を弘安の役一二八一年という。蒙古襲来とも。
現代中国語では、元日戦争といい、韓国では日本征伐と呼び、高麗・元の連合軍が日本を
撃退した日となっている。
右記の様に漢字を用いる国々、特に支那中国の漢文漢字の用い方には史記を偽造改竄捏造する手法が各所にみられる。
 しかし神道国学甲骨龜甲因書の因書での著書編纂解読では捏造等々は不可能な史記の広目天の記録手法に為る。
 その神道国学朝廷語部制度の甲骨龜甲因書の因書解読で正確に文書化復元できる。
その文書化した史記の記録を顕かに左記で示す。
黒潮潮流の戦い。
この記録は徳川家康により上卿法度。
鎖国令により神道国学「朝廷語部制度」と甲骨龜甲因書の因書により・・・
正確に一般用語を織りいれて古文書を正確に復元した。
結果は武将永楽帝水軍が倭寇水軍の戦略的海戦で敗走。
即ち、倭寇水軍が石垣島~尖閣諸島列島で勝利した記録である。
その後は現在の中国政府が尖閣諸島の領有権を主張するまで・・・
一三七一年~二○一○年まで「六三九年間」まで倭寇日本国が平穏に実効支配した。
即ち、領有権領海権制海権を支配した。
その史記を神道国学甲骨龜甲因書の因書解読で顕かに示した。
 その書状は朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫の史記の記録である。即ち日本朝廷府に於ける日本国家が世界に主張した公文書である。
 その書状「黒潮潮流の戦い」である。
その表題「元寇役頃より尖閣諸島日本列島の領有権は明確に倭寇日本国である」を添付する。

内閣総理大臣に建議する添付する。

日本国の主権の侵害が何故に発生するか、それを指摘する。即ち、万世一系の天子の国体
を忘却するから朝廷中務省史記を現在書いて指摘するようになる。本来なら既に書き示し
て置かなければならない日本国の主権の史記である。日本国の領有権・領海権。内容証明
原文を添付する。
これ等の外交的手腕は相手国を熟知する事である。
中国に於いては共産主義から実質支那古来の十二支二十四氣の易学が外交の各所で観られ
る。
即ち、日本国に於いては戦略的互恵の辭氣である。
戦略とは政経分離。経済に於いてのみ互恵関係を共有する。政治に於いては日中関係を
ヤクザに伏せる。従って尖閣諸島の中国領有権の主張は何らの違反違法行為は国際的
外交書簡契約は無いと中国はヤクザ辭氣で言い切る。要するに政治的な日中の関係は白紙
の状態を維持すればよい。其の吉凶は支那古来の易学で決定する。
 この手法は既にロシアへ伝えられ、北方四島に関する侵略は吉凶易学では日本国政府
は手も足も出ない。此処に易学辭氣の遁甲の手腕が生じているのである。
其れでは如何に対処するか。中日・日ソ関係は明確に国際政治が無視され、日本国独特の
経済優先。儲かればよいと言う経済思想。政治を無視するヤクザ経済が存在する。
 これに対処するには政治優先に外交を転換する事である。
 即ち「政治的互恵関係」の構築である。その為には相手国中国・ロシアを無視して日本
国独特の政治的互恵関係を推進する。これは日本国の国家体系計画である。これは日本国
の国家体系計画である。確実に中国は民主主義社会に為る。
      所在地・藤原之嚴 細川織部
      平成ニニ年十一月四日戊午三碧赤口なる角神よし
          神道国学では中務省を・チュウムショウと読む
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元寇役頃より尖閣諸島日本列島の領有権

2010-12-01 00:46:42 | 国際政治経済
元寇役頃より尖閣諸島日本列島の領有権
は明確に倭寇日本国である。
日本国は倭寇である事実を熟知する。
 その事実から元寇と「明・鄭和」の史記が
虚偽捏造を指摘する。
元寇とは、日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)及びその
服属政権となった高麗王国によって二度にわ
たり行われた日本侵攻の、日本側の呼称であ
る。一度目を文永の役一二七四年、二度目を弘安の役一二八一年という。蒙古襲来とも。
現代中国語では、元日戦争といい、韓国では
日本征伐と呼び、高麗・元の連合軍が日本を
撃退した日となっている。
右記の様に漢字を用いる国々、特に支那中国の漢文漢字の用い方には史記を偽造改竄捏造する手法が各所にみられる。
 しかし神道国学甲骨龜甲因書の因書での著書編纂解読では捏造等々は不可能な史記の広目天の記録手法に為る。
 その神道国学朝廷語部制度の甲骨龜甲因書の因書解読で正確に文書化復元できる。
その文書化した史記の記録を顕かに左記で示す。
黒潮潮流の戦い。
この記録は徳川家康により上卿法度。
鎖国令により神道国学「朝廷語部制度」と甲
骨龜甲因書の因書により・・・
正確に一般用語を織りいれて古文書を正確に
復元した。
結果は武将永楽帝水軍が倭寇水軍の戦略的海戦で敗走。
即ち、倭寇水軍が石垣島~尖閣諸島列島で勝
利した記録である。
その後は現在の中国政府が尖閣諸島の領有権
を主張するまで・・・
一三七一年~二○一○年まで「六三九年間」
まで倭寇日本国が平穏に実効支配した。
即ち、領有権領海権制海権を支配した。
その史記を神道国学甲骨龜甲因書の因書解読で顕かに示した。
 その書状は朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫の史記の記録である。即ち日本朝廷府に於ける日本国家が世界に主張した公文書である。
 その書状「黒潮潮流の戦い」である。
その表題「元寇役頃より尖閣諸島日本列島の領有権は明確に倭寇日本国である」を
添付する。
内閣総理大臣に建議する
添付する。
日本国の主権の侵害が何故に発生するか、そ
れを指摘する。即ち、万世一系の天子の国体
を忘却するから朝廷中務省史記を現在書いて
指摘するようになる。本来なら既に書き示し
て置かなければならない日本国の主権の史記
である。日本国の領有権・領海権。内容証明
原文を添付する。
これ等の外交的手腕は相手国を熟知する事で
ある。
中国に於いては共産主義から実質支那古来の
十二支二十四氣の易学が外交の各所で観られ
る。
即ち、日本国に於いては戦略的互恵の辭氣で
ある。
戦略とは政経分離。経済に於いてのみ互恵関
係を共有する。政治に於いては日中関係を
ヤクザに伏せる。従って尖閣諸島の中国領
有権の主張は何らの違反違法行為は国際的
外交書簡契約は無いと中国はヤクザ辭氣で言
い切る。要するに政治的な日中の関係は白紙
の状態を維持すればよい。其の吉凶は支那古
来の易学で決定する。
 この手法は既にロシアへ伝えられ、北方四
島に関する侵略は吉凶易学では日本国政府
は手も足も出ない。此処に易学辭氣の遁甲の
手腕が生じているのである。
其れでは如何に対処するか。中日・日ソ関係
は明確に国際政治が無視され、日本国独特の
経済優先。儲かればよいと言う経済思想。政
治を無視するヤクザ経済が存在する。
 これに対処するには政治優先に外交を転換
する事である。
 即ち「政治的互恵関係」の構築である。そ
の為には相手国中国・ロシアを無視して日本
国独特の政治的互恵関係を推進する。これは
日本国の国家体系計画である。これは日本国
の国家体系計画である。確実に中国は民主
主義社会に為る。
所在地・藤原之嚴 細川織部
平成ニニ年十一月四日戊午三碧赤口なる角神よし
神道国学では中務省を・チュウムショウ
と読む

元寇役頃より尖閣諸島日本列島の領有権は明確に倭寇日本国である。

2010-12-01 00:28:36 | 国際政治経済
元寇役頃より尖閣諸島日本列島の領有権は明確に倭寇日本国である。
日本国は倭寇である事実を熟知する。
       その事実から元寇と「明・鄭和」の史記が虚偽捏造を指摘する。
元寇(げんこう)とは、日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)及びその服属政権となった高麗王国によって二度にわたり行われた日本侵攻の、日本側の呼称である。一度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、二度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。蒙古襲来とも。現代中国語では、元日戦争といい、韓国では日本征伐と呼び、高麗・元の連合軍が日本を撃退した日となっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・現代中国語では、元日戦争といい、韓国では日本征伐と呼び、高麗・元の連合軍が日本を撃退した日となっている。モンゴル帝国(元)現代中国語では、元日戦争といい・服属政権となった高麗王国の史記は日本征伐と呼び、高麗・元の連合軍が日本を撃退した日として(簡単に嘘を言う)真実の史記を偽造改竄捏造する。日本国倭寇の真実は蒙古襲来。その侵略軍を風神と共に撃退する。日本国の真実の史記である。元来の日本語には神風の熟語は絶対に無い。正しい日本語は・・・・・・↓
「風神」である。即ち其の「風は神にしたがう」辭氣が正しい日本語である。神道国学甲骨龜甲因書解読より。
  1274年 - 元、日本に遠征し失敗。(文永の役)
• 1276年 - 元のバヤンにより南宋滅亡。
• 1277年 - 元、ンガサウンジャンの戦いでパガン王朝を破る。
• 1279年 - 崖山の戦い
• • 1281年 - 元、再び日本に遠征し失敗。(弘安の役)
• 蒙古来週は日本列島の防御強化に「海人倭寇」を仕営する。
• 防御地域は台湾~西表島~西表・九州まで・・尖閣諸島を含めて防御区域とした。
• 根拠は魏志倭人伝環境国家創建計画方位図より定められている領有権領海権制海権。
• その防御区域内に
• これに対して中国側からすれば、釣魚諸島は明の時代から中国領として、釣魚台あるいは釣魚嶼、黄尾嶼(日本名・久場島)、赤尾嶼(日本名・久米赤島、大正島)などの名で知られており、当時中国の沿岸を荒らし回っていた倭寇に対する海上の防衛区域に含まれ、沿海防衛のための地図にも記載されていた。

• 真実は倭寇日本国の元冠~明(鄭和)明代の武将永楽帝・に対する領海権の防備に当たる。
• そこへ武将永楽帝水軍が侵入侵略に入る。この戦いは神道国学甲骨龜甲因書の因書解読の古文書復元で明確に水軍の戦いの記録の史記がある。
• その戦略的作戦が黒潮潮流の領海権制海権を以て倭寇(日本国)を防御した倭寇水軍が有る。
• 此処で古文書記録が神道国学甲骨龜甲因書の因書解読が史記を明確に顕す。即ち甲骨龜甲因書の因々因が参尊参座参尊神の因々因が明確に確認されると絶対的な史記と為って顕れる。
• 即ち、この水軍の戦いは講である。朝廷語部制度の語部である。黒潮潮流を盾にした戦いである。
•              潮流図面。

• 黒潮潮流の戦い。・・黒潮潮流が石垣島から尖閣諸島列島を迂回して早く流れている。その潮流へ武将永楽帝水軍を誘い込む。
• 武将永楽帝水軍は海人では無く無知な航海である。従って簡単に潮流に乗り沖縄方面まで高速で水軍が流される。
• 集団であった船団が孤立バラバラ船団に為る。其の水軍であるから容易に拉致壊滅出来た。その為の武将永楽帝水軍が潮流に流されない区域を定める。従って、それより武将永楽帝水軍は倭寇の攻撃を中止してインド方面へと武将永楽帝水軍は流れて行く。倭寇水軍の勝利で終結する。その後は現在の中国政府が領有権を主張するまで倭寇領有権は魏志倭人伝の建国計画の方位図の通りに倭寇日本国の支配権が現在まで継続した。
• 元寇の史記が偽造改竄捏造の史記であるように、当時中国の沿岸を荒らし回っていた倭寇に対する海上の防衛区域に含まれ、沿海防衛のための地図にも記載されていた。続いた二列二連伏字の法則に因る改竄虚偽捏造の中国政府の領有権の主張が明確である。
事実は、黒潮潮流の戦い。明確に日本列島は倭寇水軍が領有権領海権制海権を実行支配した。
• 従って即ち、尖閣諸島列島は魏志倭人伝の因り日本国の領有権は明確過ぎるほどに明確である。

海人の協力者が「海人住吉」である。海人とは倭寇の海上生活者・海の専門家集団である。
それに引き替え武将永楽帝水軍は陸地沿岸の船乗りと言う事実である。従って「海人」の熟語因書は海洋国家の倭寇日本国にのみ観られる海の専門家集団である。一度変じると直ちに倭寇水軍に為った。日本近海瀬戸内海等々大会の太平洋東シナ海等々ルソンに及んでいる。即ち、ルソン助左衛門が其の海人の実態を顕し示して要るのである。
• • 1282年 - チャンパ王国、元に降伏。
• 1284年 - 元、再びチャンパ王国に遠征。その後、チャンパ、陳朝連合軍の抵抗により敗退。
• 1292年 - 元、シンガサリ王国に遠征。しかしシンガサリ王国はジャヤカトワンにより既に滅亡しており、元軍はジャヤカトワンを捕らえ撤退。
• 1351年 - 紅巾の乱
1363年 - 鄱陽湖の戦い

• 1368年 - 朱元璋が南京で大明を建てる。トゴン・テムルはモンゴル高原へ逃れ、元は北元として存続。

• 更に・鄭和(てい わ)一三七一年・一四三四年は中国明代の武将永楽帝に宦官として仕えるも軍功をあげて重用され南海への七度の大航海の指揮を委ねられた。本姓は馬、初名は三保で、宦官の最高位である太監だったことから、中国では三保太監あるいは三宝太監の通称で知られる。
• これに対して中国側からすれば、釣魚諸島は明の時代から中国領として、釣魚台あるいは釣魚嶼、黄尾嶼(日本名・久場島)、赤尾嶼(日本名・久米赤島、大正島)などの名で知られており、当時中国の沿岸を荒らし回っていた倭寇に対する海上の防衛区域に含まれ、沿海防衛のための地図にも記載されていた。
• 事実は、黒潮潮流の戦い。明確に日本列島は倭寇水軍が領有権領海権制海権を実行支配した。
• 1405年 - 第一次鄭和の西征。
• 1407年 - 『永楽大典』完成。
• 1421年 - 明、北京に遷都。
• 1449年 - 土木の変
• 1506年 - 王陽明、貴州へ追放。
• 1556年 - 華県地震
• 1592年 - 文禄の役
• 1598年 - 慶長の役
• 文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)は1592年(日本:文禄元年、明および朝鮮:万暦20年)から1598年(日本: 慶長3年、明および朝鮮:万暦26年)にかけて、日本と明との間で行われた戦争。日本の豊臣秀吉が主導する遠征軍と明および李氏朝鮮の軍との間で交渉を交えながら朝鮮半島を戦場にして戦われた。
• ルソン助左衛門の語部がある。後の森脇加賀守(太閤水軍総司令官)
• 日本国の史記は・朝鮮征伐と歴史は記録した。結果は太閤軍が朝鮮から撤退した。
• この日本国の朝鮮征伐は二列二連伏字の法則によれば国際的には正しいと断定できる。

• 此処で重大な国家の意思決定が有る。即ち、朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫は現在の総務省であり、終戦までは内務省である。1371年代は朝廷府の中務省(ちゅうむしょう・なかつかさ)の朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫である。其の朝廷語部制度の神道国学甲骨龜甲因書の因書解読書であり、国家意思決定の古文書書状である。

• 黒潮潮流の戦い。

• この記録は徳川家康により上卿法度。
• 鎖国令により神道国学「朝廷語部制度」と甲骨龜甲因書の因書により・・・
• 二列二連伏字の法則の甲骨龜甲因書を・・・・
• 正確に一般用語を織りいれて古文書を正確に復元した。

• 結果は武将永楽帝水軍が倭寇水軍の戦略的海戦で敗走。
• 即ち、倭寇水軍が石垣島~尖閣諸島列島で勝利した記録である。

• その後は現在の中国政府が尖閣諸島の領有権を主張するまで・・・
• 1371年~2010年までの「639年」間まで倭寇日本国が平穏に実効支配した。
• 即ち領有権領海権制海権を支配した。

• その史記を神道国学甲骨龜甲因書の因書解読で顕かに示した。


• 本文の日本国史記は朝廷語部制度と神道国学甲骨龜甲因書の因書解読に因る正確な古文書復元の記録が朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫(中務省)の正確な記録である。
著者  朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫 幽斎
神道国学者  一条力治
 毛利細川家家老の筆頭森脇加賀守に、その後の事実を何度も聞き取り、上卿法度と鎖国令の強圧徳川政治に因り朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫 語部制度で古文書を継承する事に決定する。
 その重要な部分は、元寇の役の戦記に、当初は日本国倭寇の水軍の戦いが記録されている。当初の水軍の先頭から倭寇日本国水軍の戦記が記録されていない。
その理由があねる。あの元寇の巨大な船団では戦えない。そして一端 敵から離れて沖縄方面石垣島・尖閣諸島方面に姿を隠す。その理由が貿易に有る。即ち・南支那方面との貿易が盛んである。堺の豪商「紅屋」がその子孫である。そこに明水軍が顕れ黒潮潮流の海戦でことごとく壊滅させた。理由は明水軍は丘に上がった河童である。
黒潮の潮流を全く知らず。潮流に流されて船団はバラバラになる。そこを攻められて壊滅する。明水軍は海上の位置すら天空の星で観るすべを全く解らなかった。倭寇の海人には全く通用せず、戦闘以前に壊滅した。この朝廷の史記・黒潮の潮流の戦いは神道国学甲骨龜甲因書の因書の朝廷語部制度で現在まで明確に記録を遺す。
従って尖閣諸島は歴史的にも魏志倭人伝からの壮大な日本列島環境国家像として日本国が創建されたのである。それを神国と言う辭氣で明確に示されている。・・これ等の史記の記録は支那国には存在し無い。支那の尖閣諸島の領有権は侵略思想の支那十二支易学の妄想夢の世界観を以て、主権のない尖閣諸島の領有権を国際法を無視して主張して要るのである。 尖閣諸島は即ち魏志倭人伝より明確に倭寇日本国の主権である。
この様な日本国の領有権領海権を国家的に主張する権限は日本国政府総理大臣菅直人にはない。日本国の国家の主権は「萬世一系の天子之国体」の国家主権が日本国の国家主権である。
その起源は魏志倭人伝に始る。そして倭寇の海人・住吉海人・ここから明確に海洋国家が史記に遺され日本国の領有権領海権の国際主権の主張が正当に主張される。その記録の日本政府監理が朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫史記の記録である。その記録の特に重要な部分が朝廷語部制度の継承である。即ち・ここに日本国の正当な国家試験が萬世一系の国体。その史記と国家主張権が遺されて要るのである。
その重要な史記の記録が尖閣諸島方面の黒潮潮流の戦い。海戦の史記である。その史記は倭寇水軍・日本国水軍の勝利・支那明の水軍に対して日本列島を死守した海戦の記録が、尖閣諸島方面の倭寇日本国の実質領有権を現在まで維持している事実の実態を現在の日本政府は認識しなければならない。
その認識の根拠に萬世一系の天子の国体。その主権を熟視しなければならない。総理大臣管直人殿・内閣官房長官仙石氏等は、左翼思想で天皇制反対の思想体系を内示していると透視できるが、その思想は自由である。しかしながら、日本国の領土権領有権に対する国家の主権は好むと好まざるに日本国の萬世一系の天子の国体。その主権の主張を無視すれば、現在の尖閣諸島北方四島の国家主権の主張の国際正義の主張権を失う。
平成22年11月29日 月曜日
著者 朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫 幽斎
神道国学者 一条力治