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天皇命 之 日本史”!

2012-10-22 10:34:29 | 神道国学
 西暦 201年 應神元年 辛巳 から 以前の天皇は一心神の万世一系の千代万の神々が其の天皇甲骨亀甲因書の因書で顕されている。現在支那・中国の最古の宮城は「夏・二里頭」と先日NHK・総合テレビで紹介された。「仲夏・中華・二里頭」は日本語の神道国学甲骨亀甲因書の因書で著書編纂されているのである。そして甲骨亀甲因書の創氣は中東方面で草稿されて要る。
二里頭→「股」股は二里頭の因々因→周皇帝~倭国・倭寇・倭人・奴国~国造りの甲骨亀甲因書の神々~「天地創造の甲骨亀甲因書」へと続く。!

漢文読みでは、魏志倭人伝が「故事・日本語の甲骨亀甲因書」で有るから、解読は不可能である。
この神道国学甲骨亀甲因書の因書解読から吉野ヶ里が、日本国の国造り「大国主神」を示す。高千穂の天孫降臨は、常に現在「天之御中主神」は降臨されていない。天皇「礼拝神」と祭祀と対話を賜っている。
天孫降臨は其の神を日本国に降臨されたと言う明らかな辞気神「天照大御神」である。

ここで、其の日本史は「神道国学甲骨亀甲因書」の因書は中国最古と言われる支那「夏・仲夏・中華」その国は「二里頭・宮城」である。この読み方は完全に日本語である。更に「竹島・独島」「尖閣諸島」等々は完全に日本語である。日本語の領海権・領土権は完全に日本国の全主権の及ぶ日本国である。
古代の「倭国・倭寇」「倭人・奴国」等々は完全に神道国学甲骨亀甲因書の因書に因る顕かな「日本語である。竹島・独島・尖閣諸島も同様に神道国学甲骨亀甲因書の明確な日本語である。領海権領有権は言うまでもなく日本語の日本国の絶対主権領土領有権である。

これ等の史記を顕かに示しているのが・大斗乃弁神である。この神の・甲骨亀甲因書は顕かに支那大陸を民族大移動している甲骨亀甲因書の因書が顕かに示している。即ち、日本人は民族を大移動した高度の文化を内示する民族である。
その民族は千島列島~北米・南米・南極へ方面まで大移動している。その文献は神道国学甲骨亀甲因書で示されているので、その遺跡が顕かにされたら「因書」・理解される時代が訪れるであらう。
現在、その民族大移動の経路は「万里の長城の「東側」を・ウラジオストック当たりへ移動している。それは吉野ヶ里の日本国創造の領海領土を神道易学方位図で顕かに示し続けているのである。
神道国学甲骨亀甲因書の因書を解読すれば、支那「漢民族」より高度な文化を有する「倭寇」王の冠を頂いた民族である。その倭寇に委任された民族を「倭人」と神道国学甲骨亀甲因書の因書は顕かに示し続けてるのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・朝廷中務省正四位 上卿神主祝詞太夫幽斉嗣子
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・神道国学者 一条力治 印

この古代史・甲骨亀甲因書の古代史・現在も調査研究中である。「朝廷中務省正四位 上卿神主祝詞太夫幽斉嗣子・神道国学者 一条力治印」参考資料が有れば情報提供の御願いをします。御協力のほど、宜しく御願いします。
http://www.k4.dion.ne.jp/~oribee29/newpage41.htm  十九代の神々から~「天皇」

『唐會要』
   宋  王溥 撰  (日本語である・朝鮮日本府の編纂)

卷九十九
倭國
   古倭奴國也。古倭奴国は支那奥地の国で、在新羅東南・居大海之中。明確に民族移動を示している。在新羅東南、居大海之中。世與中國通。其王姓阿毎氏。設官十二等。俗有文字。敬佛法。椎髻、無冠帶。隋煬帝賜之衣冠。今以錦綵爲冠飾。衣服之制、頗類新羅。腰佩金花、長八寸、左右各數枚、以明貴賤等級。

">「賤」・甲骨亀甲因書である。因書解読。
賤・・冂ケイガシラ ヲ 三心 二 封じ 乙別分 ハ 乙 二 シタガイ 戈 ト 戈 二 シタガウ。
一般用語では、政治経済貨幣 ヲ 参尊参座 ハ 万物の生成 ヲ 更に 乙別分 ト 乙にシタガウ。乙別分 ト 乙とは経済の交流を示す因書である。
・・・以て明らかな貴方は、政治経済貨幣 ヲ 参尊参座 ハ 万物の生成 ヲ 更に 乙別分 ト 乙 二 シタガウ。乙別分 ト 乙とは経済の交流を示す。は 等級である。
賤しい「銭」に振り替えて賤しい因書を造語にした。犯人は神道国学者の弟子であった藤井徳佐衛門である。   
貞觀十五年十一月使至。太宗矜其路遠、遣高表仁持節撫之。表仁浮海數月方至。【自云路經地獄之門。親見其上氣色蓊鬱。又聞呼叫鎚鍛之聲。甚可畏懼也。】表仁無綏遠之才、與王爭禮、不宣朝命而還。由是復絶。
   永徽五年十二月、遣使獻琥珀瑪瑙。琥珀大如斗、瑪瑙大如五升器。高宗降書慰撫之仍云「王國與新羅接近。新羅素爲高麗,百濟所侵。若有危急、王宜遣兵救之。」倭國東海嶼中野人、有耶古,波耶,多尼三國、皆附庸於倭。北限大海、西北接百濟、正北抵新羅、南與越州相接。頗有絲緜、出瑪瑙。有黄白二色。其琥珀好者、云海中湧出。
   咸亨元年三月、遣使賀平高麗。爾後継來朝貢。則天時、自言「其國近日所出、故號日本國。」蓋惡其名不雅而改之。
   大歴十二年、遣大使朝楫寧,副使總達來朝貢。
   開成四年正月、遣使薜原朝常嗣等來朝貢。
卷一百
蝦夷國
   蝦夷海島中小國也。其使至鬚長四尺。尤善弓箭、插於首、令人戴瓢而立、數十歩射之無不中者。顯慶四年十月隨倭國使至入朝。
哥羅舎分國
   哥羅舎分在南海之南、接墮和羅國。其王名蒲越摩伽。精兵二萬人。其使以顯慶五年發本國、至龍朔二年五月到京。
日本國
   日本、倭國之別種。以其國在日邊、故以日本國爲名。或以倭國自惡其名不雅、改爲日本。或云「日本舊小國、呑併倭國之地。」其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。
   長安三年、遣其大臣朝臣眞人來朝、貢方物。朝臣眞人者、猶中國戸部尚書。冠進徳冠、其頂爲花、分而四散、身服紫袍、以帛爲腰帶。好讀經史、解屬文、容止閑雅可人。宴之麟徳殿、授司膳卿而還。
   開元初、又遣使來朝、因請士授經、詔四門助教趙元黙就鴻臚教之、乃遣元黙闊幅布、以爲束脩之禮、題云「白龜元年調布」。人亦疑其僞爲題。所得錫賚、盡市史籍、泛海而還。其偏使朝臣仲滿、慕中國之風、因留不去、改姓名爲朝衡、歴仕左補闕、終右常侍,安南都護。

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http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/alex-x@ceres.dti.ne.jp

              錦織部。



天皇命 之 日本史”!
西暦 201年 應神元年 辛巳 から 聖武 20年 戊子 西暦 748年 までの 天皇命因書解読。”!この天皇名に、日本史が甲骨亀甲因書で編纂著書されて要るのである。”!
天皇命 摂政  功>紀元 天皇命>應神・・覆仲・反正・・充恭・・安康・・雄略・清寧・顯宗・仁賢・・武烈・継体・安閑・宣化・欽明・敏達・・用明・・崇峻・・推古・舒明・・以下省略皇極・孝徳・・斎明・天智・弘文・・天武・・持統・・文武・・元明・元正・・聖武・・孝謙・・淳仁・稱徳・光仁・・桓武・>
「應神」西暦 201年 312年・
(應)あたる當 うく受 は 推定の辭 「まさに」とよみて返して「すべし」しよむ。こたふ こたへ答 は 天子おはします宮城 に したがふ順。
あたる敵 に たふ任 は とのいす直 に ならぶ偶 は かなふ適 は つかさどる主 は むかふ對 に あふ遭 は おほふ蔽 に あたひす値 を つたふ傳 を きく聴 に つぐ継 は いる容 に もる盛 先ず「まさに」と読みて「すべし」と反して読む。そこ底 に しちいれ ひきあて抵質 に 天子の宮城 は したがふ順。
かみ 天上の主催者 あまつかみ 宴冥 裏に存在して人間以上の霊力あるもの 又はいつきまつれるもの たましい精魂 精氣 こころ心 霊妙なること 測り知るべからざること 謚法の一 諡法の一。

> 「つかさどる主 は むかふ對 に あふ遇 は おほふ蔽 に あたひす値」の因書は、筑紫耶馬台国の バウ月 の 因書に因々因が伏字で結合して要る。そしてとは、鳥居の創建されていた門前の関 闕 を有し、を祀れる因々が吉野里にある。更に奈良の吉野の地名は、筑紫の吉野里の吉野の因々である語部である。(因々因の結合因書より解読)と宮城の同居の地 吉野里と一致する。
 そして吉野里には敵はいない。其処で敵の因々因に結合する伏字とは、神々の因書解読書より、西暦 208年 應神八年の赤い壁の戦いに通じる。此の赤い壁事変が最大の敵の因々であり、因々因解読書より業督中空座氣の業で視ると、此の事変意外には因々が伏字で結合しない。したがって、應神は、赤い壁と筑紫吉野里の府歴を顕わす因書である。
 (因々因の因書の結合は甲骨亀甲因書の解読より生じる)
 しかし、西暦 200年 應神元年 前年頃 倭国大乱(後漢書倭伝)が敵の因書としてある。205年 應神5年 朝鮮に帯方郡を設置 一見日本から朝鮮出兵と思われるが、さにあらず 宮城は旧満州国のウスリークス辺りと神々の因書に編纂されて要る。
 220年 應神20年 三国時代となる(後漢滅ぶ)。 後漢より宮城を蔽う因書が、「つかさどる主 は かふ對 に あふ遇 は おほふ蔽」である。
 239年 應神39年 耶馬台国女王卑弥呼を共立。(魏志倭人伝)同年耶馬台国卑弥・・魏に・・・・遣使。”!
 243年 應神43年 卑弥呼魏王に物を贈る。(魏志倭人傳)
これらの因書は、「いる容 に もる盛 先ず「まさに」と読みて「すべし」と反して読む そこ底 に しちいれ ひきあて抵質 に 天子の宮城 は したがふ順」である。
               「仁徳天皇」へ 続く”!53.htm
この記録は「朝廷中務省正四位 上卿神主祝詞太夫」の記録で、応仁乱から安芸国佐伯庄毛保一条邸に中務省の公文書を疎開していた古文書である。
特に「天皇命 摂政  功>紀元 天皇命>應神・・即ち、応神天皇の房前は「摂政 せっしょう) 功は神命から応神天皇と天皇名が史記として顕れるのである。
以下・万世一系の神々が天皇名の前房である。以下 其の神々との神々 命 を 房前神々を甲骨亀甲因書として示す。

天照大御神 の 由来”!「天皇名因書」

天皇名は神道国学甲骨亀甲因書の因書に因って著書編纂されている。簡易に説明すれば甲骨亀甲因書の古代史記の文字を調査すると、顕かに中東当たりで甲骨亀甲因書が用いられている。
最近の文字と言葉のルーツ・史記はイスラエルの文字に日本語のカタカナに似た神道国学甲骨亀甲因書と同類に観察される文字がインターネットで公開された。
その史記の歴代から創氣された神道国学甲骨亀甲因書の神々が「天之御中主神」以下の通りの倭国日本国の万世一系の神々である。
 天之御中主神(股・周皇帝以前の甲骨亀甲因書)  高御産巣日神 神産巣日神
恩金神 宇摩志阿斯詞備比古遅神 少名田ヒ古邦神 天之常立神 国之常立神 豊雲野神 須比智迩神
宇比地迩神  活找神  角找神  大斗乃弁神 意富斗能地神 阿夜詞志古泥神 於母陀流神 伊郁那美神
        天照大御神
甲骨亀甲因書解読”!十九代 天照大御神・・・
大いなる一心  は  大いなる一体に従い
一心一体 の 流れ の 亂れ を  断切る  大いなる一体別分に従ふ。
      天照大御神は顕かに「応神天皇」に万世一系に為っている。因書
 神話の神様で、天之巌戸”! を開かれた天照大神です。この甲骨亀甲因書が応神天皇である。
応神天皇とは何に対して「応じた」が、その名は「天照大御神」である。
天照大御神を解り易く顕わされた神様で、神道の辭氣では天照大御神と同辭氣の神様です。”!

             朝廷中務省正四位 上卿神主祝詞太夫幽斉嗣子
                      神道国学者 一条力治 

西暦 201年 應神元年 辛巳 から 魏志倭人傳

倭人在り帯方の東南大海の中依別分一体の衣の山烏(烏巣)の山の為に国邑「甲骨亀甲因書・示は亶?百々食余アマル」
国は水の方位は漢「歴の時・有「一心を断ち切る別分の舟月」に朝を見る者今の使い譯の所を通る参拾国を従え郡に到るは倭循海「取巻く海岸」水行歴韓国乍南東に到る其の北岸狗邪「いやしい」
韓国より千「一心一体の流れ 大いなる乙 一心一体に従う」食余アマル里。
邪馬壹国。「国家の因書」

食料「稲作」も九州から食余る「稲作」が伝わる豊かな日本国から韓国へ伝える明確な因書が示されて要る。
詳細に解読すると、邪馬壹国は喰う事には「余る」十分な食料があり、倭族の先導で邪馬壹国に民族が移動した。
水の方位は「漢・歴の時とは?・大々的に倭族民族が移動した歴・と言う辞気である。
「一心を断ち切る別分の舟月」・・・今の使い譯(韓国)の所を通る・・・・

神道国学の甲骨亀甲因書で「邪馬壹国」の解読書と完全に一致して要る。


魏志倭人伝は神道易学者の祖が執事した文書である。従って全編に渉って神道易学の甲骨亀甲因書で著書編纂されて要る。
特に注意して解読しなくては為らない場所は「十日」とか「二十日」「一月」の文書である。
この文書は日にち日数が書かれて要るのではない。明確に日数の認識は無く、甲骨亀甲因書に因る語部で伝える「語部因書」に為っている。
更に「一月」は第二次長州征伐で藤井徳佐衛門に略奪されて偽造されたのである。従って正しくは「一バウ月」である。

始め度(渡) 一海千「大いなる乙・一心一体に従う」食余る里。至る
對海国 其の大官曰く・卑狗副曰く・卑奴母離れ所居・絶烏山
の方可・四方百々食余る里。土地山険しく・多くは森深く林の道路如何に・?鹿径(獣道)有り・千「大いなる乙・一心一体に従う」食余る里は無し。良い田・食海物は自活・乗船南北市は雑日。

決まった定期的な市は無く・自活した生活と言って要る。
 
又南に渡る 一海千「大いなる乙・一心一体に従う」食余る里の名曰く・満る海に至る・一大国の官・亦曰く・卑狗奴副曰く・卑狗母離れ方可へ参百々里。多くの竹木業林有り・参千「大いなる乙・一心一体に従う」許す家差有り・田地耕す田猶に不足・食亦南北市は雑。

定まる定期的な市は開かれていない。
 
又渡る一海千「大いなる乙・一心一体に従う」食余る里に至る。末盧国有り・四方千「大いなる乙・一心一体に従う」食余る里の戸は・濱山海に居・草木茂盛し行くは不・見る前の人・好きな捕魚鰒・水無し深い浅いは皆沈没して取る・之東南陸行く五「一心一体の冂は大いなる一体に従う」百々の里に到る。伊る都の国の官曰く爾・支える副曰く・シ丗漠魚爪柄は梁魚爪有り・千「大いなる乙・一心一体に従う」食余る戸は丗有り・(魚は舟の因書)・王は皆を統属の女王の国の郡の使いが往来して常駐所である。
海人「水軍」の伊の都の所在地の因書である。


東南に到る・奴国は百々の里の官曰く・?馬(狗奴二国を包み込む心)魚爪の副曰く・卑奴(陸軍)母は離れて有り・弐萬食余る戸・東行くに至る。不「一心別分一体の乙」の弓は爾に従う国は百々の里の官曰く・多く模型副曰く・卑奴母離れて有り・千「大いなる乙・一心一体に従う」食余る家は南に至るは投馬(投矢壷)邪馬壹国の水行(易学方位)廿は日く・(一心の二体を二心に伏字)の官曰く・(狗奴)二国の彌彌の副曰く・彌彌邦の禾二分に断ち切る可。五(一心一体の冂は一心に従う)萬食余る戸。

狗奴(くな)二国は「狗」水軍・「奴」陸軍。萬食を別ち南の投馬(投矢の壷)邪馬壹国の吉野ヶ里。卑弥呼の御所を・・・!!?


南に至る邪馬壹国女王之所の都・水行十(易学方位)「一心一体」曰く・陸行(一月は藤井徳佐衛門の偽造・真実は→) 一月バウ官有り・伊支馬(十二支易学者)次曰く・彌馬升(易学に通じる者)次曰く・彌馬獲支(易学を獲る者)次曰く・奴佳?可(兵)七「一心一体の流れ」萬食余る戸。自ら女王国以って北其の戸屋敷の道の里。可得る略載(秘密)其の食余る傍の国は遠く絶。詳しく得るは不可。


次に有る斯く馬国・・神道国学の甲骨亀甲因書の継承者を馬「丙午」と言う。
左記の国々の名は神道易学に因り付せられて要る。従って其の因々の因書地名は現場で因々を発見しないと明確な国々と其の区域と地名の割り出しは困難である。
ただ・蘇奴国は筑紫盤井乱の蘇我氏の因書は明確に断定できる。即ち「蘇我」の甲骨亀甲因書の解読の因々が史実と一致する。


其の南に有り・狗奴国男子為王・其の官有り・狗は古智の卑狗は不属・女王自ら郡に至る。女王の国は萬弐千「大いなる乙・一心一体に従う」食余る里。

男子無・大小皆鯨(舟は京都に従う)面顔・丈身は自ら古以って来・其の使勅旨・中国皆自称太夫・夏皇后少康之子・對に於ける會・?断髪丈身以って避蛟龍之害・今倭の水人好んで沈没捕魚蛤・丈身亦以って大魚水?後稍以って為に飾り諸国丈身・各々異或る・左或る・右或る・大或る・小尊卑有り・差計其の道の里。當在會・稽古は東を治め之の東。
狗の海人を沈没捕魚蛤の水泳術で以って治めた因書である。因って女王自らの捕魚蛤に私傷が無く安泰して海人を治。

倭地温暖冬夏の食生活・野菜を皆徒足先に有り・屋室父母兄弟貝ト息異處以って朱丹塗り・其の身體の如く・中国用粉也。食歌用辺旦手食・其の死有り・棺無く・椰子對土作(壷塚)で死を停止喪「十」「一心一体に従う」食余る日まで・當時は不食肉・喪主哭泣く・他人就歌舞飲酒・己は葬儀挙げ詣・水中の梁。(禊)




其の行来・渡海詣で中国恒使う一人は不梳頭・不去虫幾蠹・衣服垢汚・不食肉・不近婦人・如く喪人名之為に持つ衰・若い行く者・吉善共に題す・其の生口(生は口構えに従う)財物若く有り・疾病遭暴害便欲殺之謂・其の持つ衰・不謹出・真珠斉王・其の山に有り・丹・其の木有り・棚杼豫・樟椽櫪・投橿烏號・楓香り・其の竹篠幹桃支え有り・薔薇橘椒衰の荷・不知を以って為すは滋味。

BC219 [中] 斉の方士だった徐福が秦の始皇帝に倭国行きを求める

其の俗挙げる事行き来有り・所為に椰灼骨・而してトを以って占い吉凶先告所ト其の辞気の如く會龜法視火圻占い・兆・其の會同坐起こす父子男女無く・別人嗜酒其の垂黽俗略は不・曰く・「春知り耕すは正に秋嵐収四方為節年但し紀計」見大人所敬う但し壊手以って當跪拝其の人壽考・或る百年或る八九年・其の俗国大人皆四五婦・下戸・或る二三婦婦人・不淫・不妬心・不盗竊少訴訟其の犯法軽者没・其の妻子童者没・真門戸及び宗族尊卑各々有り・差序足相臣服収租賦棄邸閣国々有り・市交易有り・無い使いは大倭監之。


自ら女王国以って・北特に位置・一大率検察諸国・畏憚之常に治め伊都国於いて国中有るが如く刺史王遣使詣で京都帯方都諸韓国及び郡使倭国皆臨津捜露傳送文書賜遣之物詣で・女王不得・差錯・下戸・興す大人相逢う道路遂巡入り草傳辞気訟事・或る蹲・或る跪・両手據地為に之恭敬對應声曰く・噫比如く然諾。

韓国はこの時代より日本国に対して刺史・歴史認識と言う誤った政治圧力を加え続けて要る。


其の国本亦以って男子為に王住む七八十年倭国亂れ相攻伐歴年乃共立一女子為・王名曰く・卑弥呼事「鬼道」ノ無い「鬼」鬼道→政経道辞気と読む。能感衆己を長大無夫壻有り・男弟佐治国自らの為王・以来少有見者・以って婢「乙一心一体」人・自らの侍唯有り・男子一人給飲食傳辞気出入り・居処宮室楼・観城棚嚴設常有人・侍兵守衛

    後の「建速須佐之男命」である。!


女王国・東渡海千「大いなる一心一体に従う」食余る里・「彳亠ロ夊」(交ざる)有り・国皆倭種又有り・侏儒国在り・其の南人・長三四尺去る・女王四方千「大いなる一心一体に従う」食余る里又有り・裸国黒歯国(交ざる)在其の東南船行壱(輪廻比較)年可至る牙問倭地絶・在海中洲烏山之上・或る絶・或る連周旋可・五千「一心一体冂大いなる一心に従い・大いなる乙一心一体に従う」食余る里

   邪馬壹国の所在地を明らかにせず伏せて要る因書である。


景初二年六月倭女王遺す太夫難升「乙一体別分は大いなる一心一体は乙に従う」米等詣!「言亠日」で郡求め詣で天子朝献太夫守劇夏遣使将送り詣で京都・其の年十二月詔書報じ倭女王曰く・制詔親魏倭王卑弥呼帯方太夫守劇夏遣使送る汝太夫難升米次ぐ使い都市牛利奉ず汝所献上男生口四人女生口六人班布二匹二丈以って到る汝在所踰遠乃遣使貢献是汝之忠孝我甚だ衰汝今以って汝の為親魏倭王假金印紫綬装封付す帯方太夫守假授・汝其の綬撫種人勉為す孝順。

  献上男生口四人女生口六人・は・人質の因書。


汝来使難升「乙一体別分は大いなる一心一体は乙に従う」米牛利渉遠道路勤労今以って難升米為す薬善中郎将牛利を為す薬善校尉假銀印青綬引見労賜う遣還今以って降地交龍錦五匹・「以臣を為す松地之此應字為す不総體漢非丈魏帝朝著之白十衣則諸傳之写弋者授誤是也」降地?栗罰十張?降五十匹紺青五十匹草合汝所貢献直ちに又特に賜う汝紺地句丈錦三匹細班華罰五張白絹五十匹金八両五尺刀ニ口銅鏡百枚真珠丹各五十斤皆装封付き難升「乙一体別分は大いなる一心一体は乙に従う」米牛利還到る録受悉く可以って示す汝国中人・使知国家衰・汝故鄭重に賜う汝好物也。

  
           (ハ)ハ(丼に従うと簡易に解読・鳥居の因書)
       (丼・鳥居の因書)

  元始元年太夫守弓遵したがう遣建中校尉梯惟凹 等 奉詔書印綬詣!「言亠日」
倭国拝假倭王「(ハ井書)ハ鳥居の甲骨亀甲因書である」
 齋(齋殿の因書)詔賜う金帛錦罰刀鏡釆物倭王因使上表草合謝
  詔恩其の四年倭王復遣使太夫伊聲老口掖邪拘等
  八人上献生口倭錦縫う青練緜衣帛布丹木附短弓
  矢掖わきはさむ邪拘等壹「壱且」拝楽善中郎将印
綬其の六年詔賜う倭難升「乙一体別分 は 大いなる 一心一体は乙 に 従う」米黄憧付郡假授其の八年太夫守王順
  到る官倭・女王甼彌呼興す「ちょうてい・いよいよ・よび・おこす」狗奴(くな)国男王甼彌弓呼素不和・遺・倭載斯
  烏越え等詣で郡訟相攻撃状遺塞・曹掾史張等因 
  齋詔書(齋殿)・黄憧拝假難升、「乙 一体別分 は 大いなる 一心一体 は 乙 に 従う」米為す・?
きょう告喩さとす。
「言亠日」:言は乙大いなる一心に従うは 日に従う。
日本国の「日」の名称の初期日本の日の辞気が明確に甲骨亀甲因書解読に因る断定因々が明らかに視られる。

卑彌呼以って死・大作家径百々食余る歩徇葬者はしため百々食余る人・更立男王国中不服更に相誅殺ちゅうさつ當時殺千「大いなる乙一心一体に従う」食余る人・
復立甼彌呼「ちょうてい・いよいよ・よび・おこす」宗女壹與年十三為り・王国中遂定政等以って?きょう告喩さとす・壹與遺倭太夫楽善中郎将掖邪狗等に十人送政等還因詣!「言亠日」壹献上男女生口三十人貢白数珠五千「一心一体 冂は 大いなる一心に従い・大いなる乙一心一体に従う」孔青大句数珠二枚異丈雑錦二十匹。
(生口は人質の因々)

「鬼」甲骨亀甲因書は・・以下
   「田」「ノ」「L」「ム」=「鬼」
簡易解読・・・
「田」・・当時の「田」は資産財産の因書で喰う生活財。
「ノ」・・上記とは「一体別分」の因書。
「L」・・一体屈曲の流れの乱れ・因書
「ム」・・某 の 因書

簡易解読・・資産財産の生活財は・・?
      一体の別分「交換交際の因書」は・・
    其の屈曲の流れの一心の亂・・・・は・・
      某に従う。(神道易学)占い。
一言で纏めると・・政経の資産財産土地海・統括権の因書。
「鬼道」・・統括権の道(道とは神道の因書)
後の「鬼退治」の鬼の因書ではない。五島列島に遺る鬼は「良い鬼」で遺る
魏志倭人伝の鬼を現在の鬼・漢文読みの鬼ではない。
          神道国学者
阿夜詞志古泥神アヤカシコネノカミ
卑弥呼・以って死す。大作家径・百々食余る歩殉葬者奴卑(陸護)百々
  死後の総称「阿夜詞志古泥神」

          卑弥呼・&・魏志倭人伝は日本語読みで
漢字の上から順番に読んで下さい。
漢文読みでは魏志倭人伝は解読出来ません。
                       朝廷中務省正四位上卿神主祝師
                                神道易学・末裔
     質問お問い合わせ

                               本文の終り・!!

             吉野ヶ里が「邪馬壹国」である。

 以下の記録は全てが神道国学の甲骨亀甲因書で著書編纂されている。
従って甲骨亀甲因書の解読が真実の歴史の記録として顕れます。

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これまで調べた資料を総合すると(ひとつの考え方として)

 それどころか、例えば日本人は日本語を生み出すのに「中国から漢字を借りてきた」ような言われ方をしたりしますが、実はそれは「斉語」などのように「最初から倭族の言葉」であり「倭人の言葉の一部」なのです。

それが日本列島で話されていたツングース語・モンゴル語と出会って融合し、後に漢語や朝鮮語、さらにはポルトガル語や英語も混じって現在の日本語ができるわけです。

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非常に大切で重要な言語の分析をされました。私は最初に仏教の経文が読めるはず。と思って取り組みました。
しかし読めませんでした。

処がある日、私の遠縁で友人と話して居た時、其の学問の話が出ました。そしてどんな学問かを思い浮かべて其の学問を調べる事にしました。
そして因書は知って居ましたが其の奥に甲骨亀甲因書が存在する事を見つけたのです。とは言っても薄々は知って居た事ですが、明確に判断できる処までは達して居ませんでした。しかし達したのです。
其の神道国学の甲骨亀甲因書で漢字を読むと、全ての漢字が甲骨亀甲因書に因り構成されて要る事実を熟知したのです。
即ち、漢字は明確に「周」時代に倭人一門が創気した事実を甲骨亀甲因書の解読により熟知したのです。
従って、漢字が偽造改竄されても甲骨亀甲因書の因書を解読すれば如何なる漢字の偽造も復元が出来るのです。
即ち、甲骨亀甲因書で解読すれば偽造改竄する事は不可能であります。更に偽造改竄された漢字により歴史を偽っても其の因々の因書の継続性で解読すれば虚偽の漢字と言葉が顕れます。即ち、甲骨亀甲因書を用いれば改竄の文書は悉く顕れるのです。
その甲骨亀甲因書を歴史に適合すれば真実のみが明確に継続性として現れます。
今日は此処までにして措きます。この神道国学の甲骨亀甲因書の話は際限が無く続きます。語部として話すと一年は継続して語る語部に為ります。
この語りを朝廷語部制度の「語部」と言います。
今日はこれで失礼をします。又々気が向いた時には大切な因書を記録して置きます。


BC473 [中] 春秋時代 越が呉を滅ぼす
BC111 [中] 春秋時代 越が滅びる
BC256 [中] 楚が魯を滅ぼす
BC221 [中] 斉が滅び秦の始皇帝が全土を統一する
BC219 [中] 斉の方士だった徐福が秦の始皇帝に倭国行きを求める
BC206 [中] 奏が滅び前漢が興る
紀元前後[日]倭人は百余国に分かれてその中の何国かは前漢の楽浪郡に朝献
 8年 [中] 前漢が滅び新が興る
25年 [中] 漢(後漢)が再興する
57年 [日] 奴国王が後漢に入貢、「漢委奴國王」の蛇紐金印を授かる
107年 [日] 倭国王 師升、生口160人献上
   この時代・角木戈神の時代はムータンヤン・ウラジホ付近「倭族国」である。
三公の臺(同属の因書)は・支那三国の因々で、 後漢の六臺 は 五組に続く倭国
   神道継承者の一組の因々である。此等は倭国亂の因々である。
178~184年[日] 倭国の大乱の辞気→  [夫余] [高句驪] [東沃沮] [韓] [倭]
「應神」西暦 201年 312年・倭国大乱は国外が明確である。
204年 [朝] 遼東の公孫康が帯方郡を置く
220年 [中] 後漢が滅び魏が興る
230年 [中] 呉の孫権が台湾・日本の探索艦隊を派遣する
238年 [朝] 魏が公孫氏を滅ぼし帯方郡を支配する
233年 [朝] 新羅に倭人が来攻
239年 [日] 卑弥呼、魏に遣使、銅鏡、「親魏倭王」金印を授かる
243年 [日] 倭王、魏に大夫を送り生口・倭錦などを献じ、魏の少帝の使者に印綬を授かる。
245年 [日] 魏の少帝、倭の大夫に黄幢を授け、帯方郡を通じて伝授させることとする
247年 [日] 倭の女王卑弥呼、狗奴国王卑弥弓呼と対立し、使者を帯方郡に派遣し狗奴国との交戦を告げる。魏は使者を倭に派遣し、詔書・黄幢を難升米に与え檄をつくって告喩する。
248年 [日] 卑弥呼死ぬ。径100余歩の冢をつくり奴100余人を殉葬する。
男王を立てるが国中服さず誅殺しあい1000余人が殺された。
卑弥呼の宗女、壱与{いよ(又は台与・とよ)}が女王となり国中治まる。
262年 [日] 大倭が魏に遣使
魏の使者は、檄をもって壱与に告喩する。
266年 [日] 台与が倭の大夫ら20人に魏の使者を送らせ、生口30人白珠5000孔などを            献じる。
280年 [中] 西普に呉が滅ぼされる
                 「應神」西暦 201年 312年・倭国大乱は国外。
313年 [中] 西普が滅ぶ
346年 [朝] 百済が近肖古王に統一される
356年 [朝] 新羅が奈物王に統一される
391年 [朝] 高句麗に広開土王が即位する
391~393年 [朝] 新羅・百済(・加羅)に倭軍が渡海して来攻する
399~400年 [朝] 高句麗が倭軍と交戦する
404年 [朝] 高句麗が倭軍を敗退させる
413年 [日] 倭王「賛」が東普に遣使朝貢する
475年 [朝] 高句麗に百済は一度滅ぼされ王族・有力豪族等数万人が倭国に亡命
477年 [朝] 雄略天皇が百済を再興させる
527年 [日] 磐井の乱によって加羅(任那)救出の渡海できず
562年 [朝] 加羅(任那)が新羅に併合され多くが倭族に逃れる


                                本文の終り・!!

 魏志倭人伝は朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫が当時「魏」との交わりで著書編纂され、応仁乱まで京都一条邸の蔵書であった。応仁乱で金印が消失し、遺された記録を安芸国佐伯庄毛保 一条邸 に疎開した。
 そして慶応二年第二次長州征伐により、勝海舟と西郷隆盛が嚴島大願時境内寺社奉行所一条邸中座敷で 西郷隆盛 勝海舟 朝廷中務省正四位細川義部立合い。和議が整う。其の後数日後に広島藩自称筆頭家老藤井徳佐衛門が毛保一条邸に細川義部殿を誘致。理由も無く切腹と虚偽惨殺する。計八名。そして・・・・・・・・
一条邸は藤井徳佐衛門により焼討ちに合う。
 疎開した朝廷中務省正四位の蔵庫品の全てが藤井徳佐衛門に因り略奪焼却遺棄された。その失った貴重な遺品が戦後各所から発見されたのである。その発見された遺品の一部が「魏志倭人伝」である。当時支邦「魏」で編纂と朝廷語部制度の語部で継承する。
 従って、魏志倭人伝は神道国学の甲骨亀甲因書で著書編纂されて要るので、一般的な「誤字」の漢字が純粋な神道国学の甲骨亀甲因書の漢字である。即ち、魏志倭人伝は神道国学の甲骨亀甲因書の解読でないと正確に解読する事は不可能である。
 其処で、本書に於いて、神道国学一子相伝(霊元天皇)一条力治殿・魏志倭人伝を解読著書編纂書を此処に「公開」する。
その貴重な解読書であるから皆々様は大切に保存されて熟読を切にお願いする。

2006年2月3日 0:52:30
               著書編纂者 朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫 幽斎 嗣
                               神道国学者 一条力治 
お問い合わせ

 現在までの魏志倭人伝の解読書は漢文読みで日本語で読んでいません。即ち、魏志倭人伝は虚偽文書として
日本国の歴史として普及してしまいました。
 その虚偽解読の魏志倭人伝のサンプルを公開します。真実の魏志倭人伝との解読の極端な差を熟知して下さい。


漢文読みの一般的な「魏志倭人伝」の解読書を紹介します。全く其の歴史の真実は国益の命と歴史の命に通じるのです。

漢文読みの魏志倭人伝が如何に日本史を曲解したかを熟知して下さい。

                              神道国学者

       甲骨亀甲因書の著書編纂と解読の古文書を紹介する。
後醍醐天皇の「アヒル」文字・・此のアヒル文字が、神道国学甲骨亀甲因書である。
嚴島神社舞楽は「四天王寺」から一条が応仁の乱で

舞楽の一部失い其の舞楽を復元す。

其の継承者の絶対因として嚴島神社に「ミイケ御囲家」を遺す。!
                             

縄文時代と神道国学の関連の辞気が「語部」で継承する。其の語部を以下に紹介する。
其の語部の第一義は図柄の辞気の継承である。しんし、実に簡単明瞭であるから数千年の継承力を維持して現在に至るを信じているのである。
 其処で其の継承の語部の内容を公開する。即ち、「○文字・丸の渦巻き」これ等の図柄が古墳等に絵が書かれて要る。
 其の辞気は、神道国学の「輪廻」の法則の信教が示されて要るのである。従って「○文様・渦巻き文様」これ等の図柄が存在する古墳壁画・土器等の出土品に記されて要ると「倭族」属種の移動と認識せよとの「語部」である。
その語部が照合する考古学「縄文時代」の出土品・以下に付いて評価・参考にして下さい。
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堂平遺跡 縄文中期王冠型土器(初期) 火焔型土器の面影が少し見られる。王冠型土器はどのように火焔型土器と使い分けられたのだろう?  
この土器の○渦巻き図である。神道国学の輪廻の継承は縄文時代の「倭族」の移動民の辞気が認められるのである。其の土器を紹介する。

参照・リンク・火焔土器ギャラリー
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津南町で発掘された火焔土器をご覧ください。
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魏志倭人伝は日本国創造の領海領土を明確に示しています。

2012-10-15 11:52:51 | 神道国学


魏志倭人伝は神道国学に因って日本国「倭寇」の国策と国引き国家の領土領海を顕かに世界に発信しているのである。
処が、徳川家康に因って「上卿法度」の制定で神道国学は日本社会の表から裏に入る。即ち「二列二連伏字の法則」を用いたために外交上の重大な損失を招いているのだある。

この日本国国家環境建設計画が、神道易学の甲骨亀甲因書で計画書が明確に書き示されているのである。
第二次長州征伐で浅野藩自称筆頭家老と言う藤井徳佐衛門が安芸国佐伯庄毛保一条邸で八名の惨殺と共に朝廷中務省 上卿神主祝詞太夫の中務省記録を証拠煙滅する。明確に記録が残っているが、神道国学は其の文献より朝廷語部制度」の語りが神道国学甲骨亀甲因書として顕かに遺されているのである。

・・・・・・・・朝廷中務省 上卿神主祝詞太夫幽斉嗣子
・・・・・・・・・・・・・・神道国学者 一条力治 印

魏志倭人伝の鳥居の甲骨亀甲因書の因書画・吉野ヶ里に鳥居の存在を明確に示す。

2012-10-13 00:12:38 | 神道国学


この文書は神道国学の甲骨亀甲因書の因書で著書編纂されているので、読むのは難解だと思いますが、徳川家康の上卿法度(くげはっと)・の為に日本語が読めなくなって要る貴重な甲骨亀甲因書である。

著者 朝廷中務省正四位 上卿神主祝詞太夫幽斉嗣子
・・・・・・・・・・・・神道国学者 一条力治 印

神道国学甲骨龜甲因書の因書で著書編纂されて要る魏志倭人伝を簡単な漢文読みの捏造解読書なっている事実を指摘する。
従って、本文の捏造改竄偽造された部分を訂正して追記する。
神道国学者 一条力治 
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魏志倭人伝は神道国学甲骨亀甲因書の因書に因って編纂著書しているので、漢文読みでは其の意味(辞気)は伝わらない。
従って、漢文読みの多くの魏志倭人伝の現代解読書が有るが、全てが錯誤と捏造と改竄と偽造文書に為っている。
日本国の本来の国語で読まなければ為らない。何時?の学者が「一条兼良殿」古典学者と捏造しているので、其の神道国学甲骨亀甲因書の因書解読が全く理解されて居ないままに、現在の魏志倭人伝を
錯誤して解読している。従って、日本国の本来の史記は支那の中国と朝鮮半島から歴史認識の問題を強要されるのである。


魏志倭人伝
倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。旧百余國。漢の時朝見する者あり、今、使訳通ずる所三十國。
郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓國をへて、あるいは、南しあるいは東し、その北岸狗邪韓國に至る七千余里。

始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る。その大官を卑狗と日い、副を卑奴母離と日う。居る所絶島にして、方四百余里ばかり。土地は険しく深林多く、道路はきんろくのこみちの如し。千余戸有り。良田無く、海物を食いて自活し、船に乗りて南北に市てきす。

又南に一海を渡ること千余里、命けてかん海と日う。一大國に至る。官は亦卑狗と日い、副を卑奴母離と日う。方三百里ばかり。竹木そう林多く、三千ばかりの家有り。やや田地有り、田を耕せどなお食足らず、亦南北に市てきす。

又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。四千余戸有り。山海にそいて居る。草木茂盛して行くに前人を見ず。好んで魚ふくを捕うるに、水、深浅と無く、皆沈没して之を取る。 東南のかた陸行五百里にして、伊都國に至る。官を爾支と日い、副を泄謨觚・柄渠觚と日う。千余戸有り。世王有るも皆女王國に統属す。郡の使の往来して常に駐る所なり。

東南のかた奴國に至ること百里。官をシ馬觚と日い、副を卑奴母離と日う。二萬余戸有り。 東行して不彌國に至ること百里。官を多模と日い、副を卑奴母離と日う。千余の家有り。 南のかた投馬國に至る。水行二十日。官を彌彌と日い、副を彌彌那利と日う。五萬余戸ばかり有り。

南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、次を奴佳テと日う。七萬余戸ばかり有り。女王國より以北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず。

次に斯馬國有り。次に己百支國有り。次に伊邪國有り。次に郡支國有り。次に彌奴國有り。次に好古都國有り。次に不呼國有り。次に姐奴國有り。次に対蘇國あり。次に蘇奴國有り。次に呼邑國有り。次に華奴蘇奴國有り。次に鬼國有り。次に為吾國有り。次に鬼奴國有り。次に邪馬國有り。 次に躬臣國有り。次に巴利國有り。次に支惟國有り。次に烏奴國有り。次に奴國有り。此れ女王の境界の尽くる所なり。

その南に狗奴國有り。男子を王となす。その官に狗古智卑狗有り。女王に属せず。郡より女王國に至ること萬二千余里。

男子は大小と無く、皆黥面文身す。古よりこのかた、その使の中國に詣るや、皆自ら大夫と称す。夏后小康の子、会稽に封ぜらるるや、断髪文身して以て蛟龍の害を避く。 今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う。文身は亦以て大魚・水禽を厭う。後やや以て飾りとなす。諸国の文身各々異なり、あるいは左にしあるいは右にし、あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。その道里を計るに、当に会稽の東治の東にあるべし。

その風俗は淫らならず。男子は皆露かいし、木綿を以て頭に招け、その衣は横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うことなし。 婦人は被髪屈かいし、衣を作ること単被の如く、その中央を穿ち、頭を貫きてこれを衣る。 禾稲・紵麻を種え、蚕桑緝績し、細紵・ケンメンを出だす。 その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし。 兵には矛・盾・木弓を用う。木弓は下を短く上を長くし、竹箭はあるいは鉄鏃、あるいは骨鏃なり。有無する所、タン耳・朱崖と同じ。

倭の地は温暖にして、冬・夏生菜を食す。皆徒跣なり。 屋室有り。父母兄弟の臥息処を異にす。朱丹を以てその身体に塗る、中國の粉を用うるごとし。食飲にはヘン豆を用い、手もて食う。 その死するや棺有れども槨無く、土を封じてツカを作る。始めて死するや、停喪すること十余日なり。時に当たりて肉を食わず。喪主コツ泣し、他人就いて歌舞し飲酒す。已に葬るや、家をあげて水中にいたりてソウ浴し、以て練沐の如くす。

その行来して海を渡り、中國にいたるには、恒に一人をして頭をくしけらせず、キシツを去らせず、衣服コ汚し、肉を食わせず、婦人を近づけず、喪人の如くせしむ。これを名づけて持衰と為す。もし行く者吉善なれば、共にその生口・財物を顧し、若し疾病有り、暴害に遭わば便ち之を殺さんと欲す。その持衰謹まずといえばなり。 真珠・青玉を出す。その山には丹あり。その木にはダン杼・豫樟・ホウ・櫪・投・僵・烏号・楓香あり。その竹には篠・カン・桃支。薑・橘・椒・ジョウ荷あるも、以て滋味となすを知らず。ジ猿・黒雉あり。

その俗挙事行来に、云為する所あれば、輒ち骨を灼きて卜し、以て吉凶を占い、先ず卜する所を告ぐ。その辞は令亀の法の如く、火タクを観て兆を占う。 その会同・坐起には、父子男女別なし。人性酒を嗜む。大人の敬する所を見れば、ただ手を摶ち以て跪拝に当つ。その人寿考、あるいは百年、あるいは八、九十年。その俗、国の大人は皆四、五婦、下戸もあるいは二、三婦。婦人淫せず、妬忌せず、盗窃せず、諍訟少なし。その法を犯すや、軽き者はその妻子を没し、重き者はその門戸および宗族を没す。尊卑各々差序あり、相臣服するに足る。租賦を収む、邸閣あり、國國市あり。有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。
←この傷跡は在日が魏志倭人伝を解読して投稿メールへ間違いを指摘すると傷になって私議のホームページに帰る。
その後は十年間私議のホームページの破壊に狙われた。今後も私議のホームページは危険にさらされている。
そして更に・本文を熟読すると、肝心な部分の解読は放置したままに為っている。
それを知らない日本国の国学者を憂う。日本国国学者は存在しなかったと憂いながら決断するしか方法が無いのが現在の日本文化・その国学文化は破壊しつくされている。
残念でならない。 神道国学者 一条力治 禁制

女王國より以北には、特に一大率を置き、諸國を検察せしむ。諸國これを畏憚す。常に伊都國に治す。國中において刺史の 如きあり。王、使を遣わして京都・帯方郡・諸韓國に詣り、おろび郡の倭國に使するや、皆津に臨みて捜露し、文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らしめ、差錯するを得ず。 下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡して草に入り、辞を伝え事を説くには、あるいは蹲りあるいは跪き、両手は地に拠り、これが恭敬を為す。対応の声を噫という、比するに然諾の如し。

その國、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。倭國乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。名付けて卑弥呼という。鬼道に事え、能く衆を惑わす。年已に長大なるも、夫婿なく、男弟あり、佐けて國を治む。王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す。宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。 

女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり、また侏儒國あり、その南にあり。人の長三、四尺、女王を去る四千余里。また裸國・黒歯國あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし。 倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり。

景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣り、天子に詣りて朝献せんことを求む。太守劉夏、使を遣わし、将って送りて京都に詣らしむ。 その年十二月、詔書して倭の女王に報じていわく、「親魏倭王卑弥呼に制詔す。帯方の太守劉夏、使を遣わし汝の大夫難升米・次使都市牛利を送り、汝献ずる所の男生口四人・女生口六人・班布二匹二丈を奉り以て到る。汝がある所遥かに遠きも、乃ち使を遣わし貢献す。これ汝の忠孝、我れ甚だ汝を哀れむ。今汝を以て親魏倭王となし、金印紫綬を仮し、装封して帯方の太守に付し仮綬せしむ。汝、それ種人を綏撫し、勉めて孝順をなせ。

汝が来使難升米・牛利、遠きを渉り、道路勤労す。今、難升米を以て率善中郎将となし、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を仮し、引見労賜し遣わし還す。今、絳地交竜錦五匹・絳地スウ粟ケイ十張・セン絳五十匹・紺青五十匹を以て汝が献ずる所の貢直に答う。また、特に汝に紺地句文錦三匹・細班華ケイ五張・白絹五十匹.金八両・五尺刀二口・銅鏡百牧・真珠・鉛丹各々五十斤を賜い、皆装封して難升米・牛利に付す。還り到らば録受し、悉く以て汝が國中の人に示し、國家汝を哀れむを知らしむべし。故に鄭重に汝に好物を賜うなり」と。

正始元年、太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、詣書・印綬を奉じて、倭國に詣り、倭王に拝仮し、ならびに詣を齎し、金帛・錦ケイ・刀・鏡・サイ物を賜う。倭王、使に因って上表し、詣恩を答謝す。

その四年、倭王、また使大夫伊声耆・掖邪狗等八人を遣わし、生口・倭錦・絳青ケン・緜衣・帛布・丹・木? ・短弓矢を上献す。掖邪狗等、率善中郎将の印綬を壱拝す。その6年、詔して倭の難升米に黄幢を賜い、 郡に付して仮授せしむ。

その8年、太守王キ官に到る。倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王卑弥弓呼と素より和せず。倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。塞曹エン史張政等を遣わし、因って詔書・黄幢をもたらし、難升米に拝仮せしめ、檄をつくりてこれを告喩す。

  卑弥呼以て死す。大いにチョウを作る。径百余歩、徇葬する者、百余人。更に男王を立てしも、國中服せず。

更更相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑弥呼の宗女壱与年十三なるを立てて王となし、國中遂に定まる。政等、檄を以て壱与を告喩す。

壱与、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送らしむ。因って台に詣り、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔・青大勾珠二牧・異文雑錦二十匹を貢す。




三種神器之巻物一巻に天皇聖職が記録されて要る。

2012-10-12 20:54:53 | 政治経済と憲法九条
三種神器之巻物一巻に天皇聖職が記録されて要る。
    著者 中御門 殿
 解読の説明を希望される方々には、其の朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫 幽斎 嗣子 朝廷語部制度の【語部】で詳細に語ります。

「天皇」

 天乙白心如久一心一体之聖就乃大嘗緒示治尊為

「三種神器巻物一巻より辞気文を引用」

朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫 幽斎 嗣子
神道国学者 一条力治 著書編纂

神道国学と夫余と倭族の共通性。!神主なり

神道国学と夫余と倭族の共通性。!

「歌を唱って舞う」この因書は「歌とは、のりと祝詞」「舞とは舞楽」の因書に解読できる。
「倭」・別分一体の「委任者」が倭人の因書であるから「夫余は神官」の因書。
即ち、「夫が余る」現在の神社神職の因々で一般社会から「餘・食余る」石扶持で「給料」で生 活する者の因書である。
其の集団の国が「夫余」の因書である。従って「倭族」と「夫余」は同一民族である。
即ち神道国学の「二列二連伏字の法則」に合致した辞気を示して要る。
 そして後の「道教」は神道国学から分離した倭族である。
座ったり・立ったり・歌ったり・舞ったり・。全く現在の神社の神職の作法と完全に一致する。

・・(大乙・武丁・祖甲・康丁・帝辛)・現在も用いる神道易学の卦である。
即ち「神道易学」は「神道国学」により創気されたので「股国」創建以前に確立されたと検考でき、其の思想的辞気が「天之御中主神」である。でなければ古文書の記録と合致しない。其の同位性を認めると・・・・
 天之御中主神は聖職官であるから・夫余「神官」その委任者「倭族」で・・・
共通の民族を因書は示している。
 従って、日本人の先祖は昭和天皇が三度「周付近から」渡来した天皇。との
お言葉とも完全に一致する。
日本人・日本民族のルーツは支邦古代より古い民族は実証されるであらう。
なお・夫余と倭族の共通の門。魏志倭人伝の因書「草ハ井」平面に鳥居を書き示す。鳥の如く飛びて居る場所」鳥居の止まり木である。
鳥居の甲骨亀甲因書のルーツは「股国」時代にまで及んで要ると甲骨亀甲因書は示す。

 支邦の呼び名は「十二支易学」にあり、股国より古い「国の呼び名」支邦と甲骨亀甲因書の因書解読で検考できるのである。
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        甲骨亀甲因書は「前一六〇〇頃 大乙 」以前と検考される。
大乙・・神道国学甲骨亀甲因書の因書の辞気が示されている。
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      殷~周・より。http://www1.interq.or.jp/~t-shiro/data/year/syuu.html

前一六〇〇頃 大乙 大乙が殷王朝を開き,亳に都をおく

上記の事・・神道国学の「大いなる乙」語源の事。同位を視る。
   従って「天之御中主神」は其の以前の漢字の創気と語られる。
其の事は「股時代」より前に創気された漢字で有ると思う。

甲骨亀甲因書は「前一六〇〇頃 大乙 」以前に用いられたと言える。

大乙 大乙が殷王朝を開き,亳に都をおく
前一四〇〇頃 仲丁 殷遷都。王位継承の争いが起こり殷は衰える
前一三〇〇頃 盤庚 殷再び遷都。殷はまた盛んになる
武丁 西北へ進出し,殷の最盛期となる
祖甲 内政の整備に努め,祭祀制度を一新
康丁 祭祀制度を復古。山西で住民移動がおき,周の古公亶父も岐山に移る。
帝辛
・・(大乙・武丁・祖甲・康丁・帝辛)・現在も用いる神道易学の卦である。

即ち、神道易学は「前一六〇〇頃 大乙 」以前に創気された記録の実証である。
更に現在でも其の易を用いると人の生命まで易する事になる。それ程に現実の実用の
神道易学である。良ければ「易」を透視しましょうか。?当ります。

  朝廷中務省 上卿神主祝詞太夫幽斉嗣子
              神道国学者 一条力治 印

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漢書地理 http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/kan-tiri1.html
後漢東夷 http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/gokan-toui.html

三国志魏書 東夷伝 http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/gisi-toi.html
『魏志倭人伝』原文(意訳) http://www.johokan.net/history/Rekishi/earlyjapan/Yamatai/gi-original.html
http://www7a.biglobe.ne.jp/~oribee/newpage570.htm
魏志東夷 http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/gi-toui.html

晋書 巻十四 志第四 地理上 平州 http://sangoku.lib.net/apl/kanseki/03-14-009.shtml
『晉書』地理志上 平州 http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/sin-tiri.html
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日本国には神主家は存在しない。

2012-10-11 09:13:58 | 神道国学
・・・・・・・・日本国には神主家は存在しない。・・・・・・・・
日本国には厳島神主家は正当な系譜及び宮内庁に登録の無い改竄捏造・偽造の官職名である。 [編集]
神主家が捏造改竄・偽造された理由は歴史に精通している人々には直ちに理解される。 その理由は徳川家康の「上卿法度」である。徳川家康が目的とした上卿法度の相手は何の朝廷の組織であるか。その組織を側近の曹道宗の僧侶から導き出して上卿法度を制定する。 その上卿法度の朝廷組織は朝廷中務省正四位 上卿神主祝詞太夫の政経活動の封じである。その組織は朝廷の学問である神道国学甲骨亀甲因書の因書に因る著書編纂を封じる事である。 即ち、天皇即位大嘗祭の祭司長を務める官位である。その官位は代々藤原家の相伝である。寝所まで大嘗祭業事は継承されるのである。 そして、此の組織の総括は皇太子殿下で、中務省の上に有らせられる。その名を「上人」と呼称される。そして皇太子殿下は中務省で修行・内容は神道国学甲骨亀甲因書の因書に因る著書編纂の業を為されて、其の極致に対する朝廷評価に因って辞気の天皇即位を迎えられる。 その朝廷官職官位が「朝廷中務省正四位 上卿神主祝詞太夫」である。この神主祝師の「神主」を以て簡易に神主と呼称する様になる。その神主の辞気は霊験天皇から「一子相伝」を賜る安芸国佐伯庄毛保一条邸有る一条敬春殿である。 即ち、神主家は藤原之九条家近衛家土佐一条から安芸国佐伯庄毛保一条邸の一条敬春殿。当時の官位は朝廷中務省正四位 上卿神主祝詞太夫である。霊験天皇から一子相伝の儀は大名では不可能である。徳川家康であっても天皇から一子相伝を賜る事態は不可能である。可能なのは朝廷藤原家一門以外には勅使「一子相伝」を賜ることは不可能である。 この霊験天皇から一子相伝「神道国学甲骨亀甲因書」の伝承は私議が絶やす事無く其の朝廷文化を継承している。最近天皇家について宮家とか男性天皇とか・様々な様相を呈しているが、神道国学甲骨亀甲因書で制定されている天皇は三種の神器・巻物一環に定められている。其の書体こそが、天皇を定める神道国学甲骨亀甲因書の因書文である。但し、現在では私議安芸国佐伯庄毛保一条邸厳島在住神道国学者 一条力治以外には、残念ではあるが天皇甲骨亀甲因書を解読できるものは居ないのである。 上卿法度が神主家と言う単語を捏造改竄・偽造する結果に為っている。日本文化の世界的な価値の高い文化は厳守されなければ為らないと思う。現在の嚴島神社野坂宮司は、毛利家横浜方面海防の任に就いた時に「幕府天領地・上下町」其の歌舞伎役者を嚴島神社棚杜として影武者名・誹謗を遂げる因書で「野坂」と銘打ちて、嚴島神社へ置いたのであって神官ではない。それが現在では神官を捏造して名乗っている。 今にして思えば、徳川家康は日本国の文化を破壊して支那の儒教の支那思想を輸入してい待った。そのその結果が現在の中国の十二支易学・遁甲に因る諜報活動を日本国政府が許してしまっているのである。
 そのために佐伯氏と言う捏造改竄・偽造の名前を藤井徳佐衛門が用いることになる。安芸国佐伯庄毛保一条邸の八名を第二次長州征伐を利用して、罪状の無い細川家を惨殺する。そして佐伯氏が事実は「地名佐伯」を知る者が惨殺で居ないと確信して佐伯氏と呼称せしめた。
従って真実は佐伯は出雲から旧佐伯郡までの地域を佐伯と言う。そして佐伯鞍職は、其の佐伯の地名を収めた朝廷藤原家・その朝廷での官位は「朝廷中務省正四位 上卿神主祝詞太夫」である。その上卿祝師太夫の鞍職。それを佐伯鞍職と言う朝廷中務省正四位の執事職鞍職である。総称して佐伯鞍職と言う。
明治期末までは、その佐伯鞍職は「佐伯庄毛保一条邸・佐伯鞍職横関又七郎尉」である。従って佐伯影弘は、当時の地頭「大江氏」であるから、佐伯鞍職大江景弘である。これから大江と朝廷の関係が深まってゆく。
 この様に系譜は地頭・大名・朝廷に所属し、所領石扶持が其の所領朝廷より、神社運営の政経資産財産を付与される。その関係で神社では「棚杜」現在では宮司と言う。
日本国の場合は、神道神社は朝廷中務省 上卿神主祝詞太夫の管轄する処で、その管轄者が日本国唯一の上卿祝師「神主」である。即ち、日本国には朝廷中務省 上卿神主祝詞太夫「神主」の以外には日本国の正統を継承する神主は存在しない。即ち「神主」は存在するが・「神主家」は日本国の国家体系では存在したなし、神主家は有っては為らない神道の教義がある。
平成24年10月10日 水曜日
天皇・起源は「周皇帝」起源以前の数千年・中東の甲骨亀甲因書に繋がる甲骨亀甲因書の因書創氣に始まる。 http://www.k4.dion.ne.jp/~oribee29/newpage69.htm
その甲骨亀甲因書の解読に因る周皇帝の皇帝宣言「大乙」が甲骨亀甲因書の因書である。
この甲骨亀甲因書の因書の解読が「神道国学甲骨亀甲因書」の因書解読で・・・・・・・・
「霊験天皇より一子相伝」を賜った安芸国佐伯庄毛保一条邸・・・
・・・・・・・・・・・・・・・朝廷中務省 上卿神主祝詞太夫・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・神道国学者 一条力治 印

厳島神主家は存在はない。更に野坂宮司の系譜は捏造改竄・偽造の系譜で、此の者は毛利家横浜方面の海防に出兵するとき「毛利上卿祝師家老細川義久」が、嚴島神社棚杜の影武者として天領地の上下町の歌舞伎役者を森脇加賀守子孫が嚴島神社へ同道させて来て「朝廷中務省正四位 上卿神主祝詞細川義弘太夫に面接。時に野坂の因書で「誹謗を遂げる」と甲骨亀甲因書で影武者を明確に示して嚴島神社に座る影武者野坂神官とした。
即ち、神道国学甲骨亀甲因書の因書で「野坂」と銘打ちされたので永遠に野坂影武者の汚名は消し去ることは不可能である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・神道国学者 一条力治 印
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