

兵庫県は主に五つの国(摂津の一部・丹波の一部・但馬・播磨・淡路)から成ります。県を構成する旧国の一つ、播磨国に相当する播磨地方は、兵庫県の南側の大半を占める地域です。播磨灘に流入する河川のうち主要な5つを播磨五川と呼び、西から千種川、揖保川、夢前川、市川、加古川となっています。
川は古来から、田畑を潤し、産業を支え、交通の要でした。また、一つの川を見ても、下流、中流、上流とで環境も異なります。というわけで、川とそれが織りなしてきた歴史に触れるために、播磨五川を河口から出発して源流を見るポタリングに行ってきました。
一応、地形図で表記された本流の源流を目的地に設定していますが、源流の碑がある場合はそちらを優先しています。また、地形図で河川表記が切れるより上流に進んだ場合は、現地で適当に選択しています。
【揖保川】
宍粟市一宮町の藤無山を源流として、引原川、林田川など大きな支流と合流しつつ、たつの市をまたぎ姫路市網干区で播磨灘に注ぐ延長約70km、流域面積約810km^2の一級河川。上流域には豊かな森が育まれ古くから林業が盛んであり、中流域では龍野の醬油、手延素麺や皮革など伝統産業が有名である。筏や高瀬舟による舟運によって山間部と瀬戸内海を結び、下流域は播磨工業地帯の一角を占めるとともに、材木の流通の為の貯木場がつくられている。
~下流域~

揖保川河口に架かる網干臨海大橋より播磨灘を望む
埋立地には、化学プラントが立ち並ぶ。

今昔マップon the webより(1974-78年の航空写真)
揖保川と中川の間の三角州を埋め立てて昭和40年に完成した材木港。
写真では大量の材木が貯木されているが、現在は・・・・

船渡八幡神社
境内にある常夜灯はかつてこの辺りが船着き場であった頃、川の中ほどに位置し、遠く一の宮・山崎より降る高瀬舟、筏の夜の目印として役立っていたという。
揖保川の下流から中流域・林田川沿いには、皮革工場が多い。
なめし工程には大量の水が必要であり、揖保川の豊かな水源は皮革産業に欠かせないものだった。

千鳥ケ浜河川敷公園

今昔マップon the webより、上記公園と同じ個所(1974-78年の航空写真)
河川敷は革の乾燥場として利用された(色とりどりの点が革か?)。
~中流域~
龍野橋を過ぎると直ぐ、左岸にレンガ調のヒガシマル醤油本社工場が見えてくる。揖保川の伏流水は鉄分の少ない良質な軟水で、うすくち醤油を作るのに適しているとの事。また、対岸へ渡れば龍野城跡、白壁の土蔵や古い町並みが残っている。

ヒガシマル工場と畳堤(たたみてい)
畳提は正確にはパラペット窓抜き工法といい、普段は向こう側を見渡せられ、圧迫・閉塞感を大幅に減らす事が出来る。洪水時には、支柱の両サイドの溝に畳を横にしてはめ込む。岐阜の長良川が良く知られるが、発祥は延岡の五ヶ瀬川である。

大楠と白壁屋敷(堀家住居)

龍野城跡付近、旧カネヰ醤油工場跡と醤油の自販機
周辺は城下町の風情が残る。
~上流域~
宍粟市の市街地を過ぎ、田井と与位の境に至ると与位の洞門がある。

元々は崖に桟橋を掛けて渡っていた交通の難所(歩危)であった。荒天の度に桟橋が落ちるので、明治36年頃に村民が二年かかりで隧道を掘った。昭和43年に大型自動車が通行できるよう改修された。

川側には桟橋を掛けた四角い穴の跡が残る。

与位と清野の境、神野発電所の放水口付近にも桟橋を掛けた穴が有り、石仏が祀られていた。
この辺も昔は難所だったのだろう。
播磨国一宮・伊和神社の北側、安積で支流・引原川と合流する。
揖保川本流をさらにさかのぼり、最上流である倉床川の源流を目指した。

以前、支流の福知川上流で釣ったアマゴ。
上流域にはアマゴ(ヒラベとも言う)が生息する。
支流の引原川源流域で岩魚を釣ったことが有るが、、、昔はいなかったと聞いたことが有る。

最上流の冨土野集落
江戸時代初期には銀・銅の採掘が盛んだったという。
~源流域~

大路集落跡
冨土野を過ぎると、小さな石垣が残る廃村・大路集落がある。廃村跡の傍を通り、沢沿いの峠道を登って行く。

源流の碑(倉床川)
瀬戸内海まで約68kmと記されている。

碑のすぐ上にある大路峠。
峠の向こう側は、但馬地域。
~支流・引原川~
宍粟市波賀町を流れる、揖保川最大の支流。
川沿いには、姫路~鳥取間を繋ぐ国道29号線が通る。
波賀町の面積の約93%が森林で、そのうち約43%が国有林を占める。広い国有林から伐りだされた木材は上野貯木場に集積され、阪神間へと運ばれた。かつては川流しによって木材を下流まで運んでいたが、損傷が多く効率が悪い為、上流より順次木馬道を改修、軌条を敷設して森林鉄道化された。引原川沿いに作られた波賀森林鉄道・基幹線(上野~音水間, 大正13~昭和33)と、幾つかの支線からなる森林鉄道は総延長44kmに達した。しかし、昭和33年には基幹線のうち上野~日ノ原間が廃止、支線も次々と林道化されトラック輸送へと置き換わっていった。昭和43年には最後まで残った支線・中音水線が廃止された。

サイクリングロード化された基幹線

最後まで残った中音水線の奥にある橋(高橋)。

揖保川源流 引原川支流 中音水川 源流地点
瀬戸内海まで約66kmと記されている。
【参考】
BanCul 2003年夏 揖保川ものがたり
波賀森林鉄道ものがたり
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