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【源流見学】兵庫・播磨五川の源流探訪ポタ / ③夢前川

2024年06月14日 | ポタリング



兵庫県は主に五つの国(摂津の一部・丹波の一部・但馬・播磨・淡路)から成ります。県を構成する旧国の一つ、播磨国に相当する播磨地方は、兵庫県の南側の大半を占める地域です。播磨灘に流入する河川のうち主要な5つを播磨五川と呼び、西から千種川、揖保川、夢前川、市川、加古川となっています。
川は古来から、田畑を潤し、産業を支え、交通の要でした。また、一つの川を見ても、下流、中流、上流とで環境も異なります。というわけで、川とそれが織りなしてきた歴史に触れるために、播磨五川を河口から出発して源流を見るポタリングに行ってきました。
一応、地形図で表記された本流の源流を目的地に設定していますが、源流の碑がある場合はそちらを優先しています。また、地形図で河川表記が切れるより上流に進んだ場合は、現地で適当に選択しています。


【夢前川】
姫路市夢前町北端の雪彦山を源流として市西部を流れ、広畑付近で播磨灘に注ぐ延長約40km、流域面積約266km^2の二級河川。上流から中流域にかけては山間部を流れる清流、姫路市青山付近で支流の菅生川と合流し、市街地西部を南下する。


~下流域~
住宅地を流れ河川敷も良く整備され都市河川の様相が色濃い下流部、河口付近には工業地帯が広がる。


夢前川の河口付近
右岸に見える工場群は、日本製鉄広畑製鉄所。


市街部の川沿いは桜並木があり、市民の憩いの場となっている。


英賀神社
神社の北側には英賀城の土塁跡がある。東は水尾川、西は夢前川、北部は湿田に堀をめぐらし、南部は内海を利用して港とする「水城」であった。1580年、秀吉率いる織田勢によって落城、城下町としての英賀は消滅した。
別所氏の三木城、小寺氏の御着城とならび播磨三大城と称されている(wikiソース)。


横関交差点から望む書写山
山上一帯は「西の比叡山」と呼ばれる書寫山圓教寺の境内になっている。


~中流域~
横関の交差点に架かる書写橋を過ぎると、川沿いは長閑な田園風景となる。
夢前川中流~上流に位置する夢前町には江戸時代から賑わう塩田温泉郷があり、姫路の奥座敷と呼ばれる。


ヤマサ蒲鉾
夢前川の伏流水を使用した工場。


川底がなめらかな岩盤となる。


佐野邸
18世紀初期頃に建築された、木造平屋・入母屋造茅葺の家屋。


~上流域~
佐野邸を過ぎると、左右から山が迫り平地が狭まる。
僅かな平地に集落が点在している。


上流部最奥の集落、熊部


集落の奥
夢前川沿いの道はこれ以上遡れず。


丸太で作られた橋
兵庫県道67号が、山を越えて神河町宮野まで続く。


~源流域~
地形図をみると夢前川の源流は、姫路市、宍粟市、神河町の境界である三辻山付近と思われる。
山の中腹に伸びる森林基幹道 雪彦・峰山線を利用して源流に接近する為、一旦支流の寺河内川を遡った。


雪彦山
福岡県の英彦山、新潟県の弥彦山とともに日本三彦山の一つで、垂直に切り立った岩壁がロッククライミングの名所になっている。また、播磨の大峰山とも呼ばれ、修験道の行場や山岳修行者ゆかりの痕跡が多い。


賀野神社
別名加野権現と呼ばれ、農耕牧畜の神として信仰されている。


雪彦・峰山線
林道を進みつつ沢の水量を見比べ、源流候補の沢を検討する。


ここが一番多そうなので、今日の夢前川源流の沢に決定。
源流を目指して登って行く。


途中、小さな滝が二つ並んでいた。


時間も遅いし沢も急なので、少し離れた安全な箇所を登っていく。

三辻山の西側稜線にでた。
源流は山頂を挟んで反対、東側の直下と思われる。


三辻山頂上まで登って終わりにした。


【参考】
BanCul 2006年夏 夢前川ものがたり


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