
【点線県道】兵庫県道xトxジテンシャ
地形図上の県道破線区間を、自転車と共に通過した記録。ダイジェスト版@西播磨地域④
r521, 522, 523, 524, 546
【注意】地図上の赤・紫の破線は、地形図の県道破線、県道を結ぶと予想される破線の区間をマニュアルでなぞったものです。正確なルートや、実際に通行したルートを示している訳では有りません。通行される際には、事前にご自分でよく調べて、適した装備で自己責任で楽しんでください。また、峠や地名等に間違いが有りましたら御指摘ください。
【r521】
兵庫県道521号 道谷三方線
H27区間設定図によると宍粟市波賀町道谷~一宮町公文小原に破線区間あり。

区間設定図より緑の破線を記入。国有林案内図より林道名称を記入。

崩落箇所を上部道から
現在の地形図では、全区間が1車線以上(3m~)の立派な車道表記です。また、web上でも車、バイクの通行報告が幾つも有ります。なので私の興味範囲外なのですが、H27区間設定図では破線区間(4t車通行不能)の表示が有りますので、念のため訪問しました。
一宮町三方町から北上しました(終点)。志倉の分岐までは、公文川沿いに伸びる1~2車線の舗装路です。道沿いには●●塚と刻まれた大きな石碑が幾つか有りました。また、"千年水"と言う湧水が有名な様で、2Lのペットボトルに何十本も汲んでいる人達が居ました。業務用でしょうか、迷惑な話です。湧水の先に有る分岐には、"左ひきハら 右たじま ミち"の道標が有りました。古い地図には溝谷を経由して山を越え、引原へ抜ける破線道が表記されて居ます。右へ進むと谷間に小原の集落が現れますが、これより先、道谷へ出るまで、県道沿いに集落は有りません。小原の先には大規模な地滑り跡が見え、治山工事が始まって居ました。"以ぼ水"と刻まれた石碑の隣に、小さな湧水も有りました。
志倉との分岐には、"これより先未改修(悪路のため) 通行不能"の表示が有り、少し進むと樅木口橋と廃屋が有りました。県道は区間設定図では破線区間に入りましたが、まだ舗装された車道が沢沿いに伸びています。沢は美しい渓流で、"禁漁区 これより上流、源流まで年間を通じて原種保護のため、すべての魚類の釣りを禁止します。"とあり、渓流魚の聖域(サンクチュアリと読む)と成って居ます。道上に、"梵字+覚樹"と刻まれた小さい石碑が置かれて居ましたが、どういう意味が有るのでしょうか?この辺りは阿舎利国有林で、杉の植林が広がって居ました。案内図には、"樅木沼谷林道 7.5km(県道道谷三方線と併用)"と在ります。小さな祠が有り、道中の安全をお祈りしました。錆びた古い"警笛"や"重量制限○t"の標識が、良い味を出しています。道自体の傾斜は緩く、幅も十分有り、場所によっては落石が散らばっていますが、藪などは一切有りませんでした。苔むした石垣の擁壁が数十メートルも続いていました。
樅木林道支線への分岐には、古い墓地が有りました。隣に木柱が有り、黒い文字で何かが書かれていますが、全く読めません。古い地形図を見ても、付近に集落は見当たりません。地図にも載らない位の昔に消滅した、木地師の集落が有ったのかもしれません。九十九折れ区間の入口にも苔むした長い石垣が有りました。道は峠へ向かって、徐々に高度を上げていきます。僅かですが、路面にコンクリ舗装の残骸が見られました。このまま問題無く通過できそうだなぁと思った時、目の前の道がいきなり消滅しました。この箇所はヘアピンカーブで高度を稼いでいますが、上下の路盤が山肌ごとごっそり崩れていました。崩落箇所をトラバースした場合、上の道も崩れている様なので、二度危険な箇所を通る必要が有ります。それよりはと、崩落の端を登って上部の道へと移動しました。崩落したのはそれほど昔では無さそうで、地面は安定しておらず、登降はお勧めしません。
崩落箇所を過ぎれば、峠まで良い未舗装路が通っています。藤無峠もこれと言って感想を書くほどでは無く、"一番高いところに来ました、はい下ります。"という感じです。道谷へ下る途中、遠くに氷ノ山の山頂が望めました。全体的に見て、道谷側の路面は小原側よりも良かったです。r48との交点には、"左ハたぢま 右ハやま みち"の道標が有りました(起点)。確かに山道でしたが、ざっくり過ぎるやろ。折角なので、近くの若杉峠まで登り、折り返して道谷を抜けR29で南下し、音水湖と林鉄跡のサイクリングコースを通って帰りました。
破線道に比べれば非常に物足りない道ですが、道沿いの渓流の美しさを考慮すれば、まずまずでしょうか。言い換えれば、九十九折れて沢から離れてしまうと、その良さが無くなり無味乾燥な感じです。
私がバイクに乗って居た頃に使っていた"関西2輪車ツーリングマップ('95)"を紐解けば、志倉分岐より道谷までを志倉道谷林道と明記しており、"路面変化が大きく楽しい"と有ります。ツーリングマップル('12)だと、石が多く荒れた路面 アップダウンが激しいダート 7.2km"だそうです。林道名が案内図と違う事は気にしないとして、最新版ではどの様に紹介されているのでしょう?道消失により、オフ車通行不能とかでしょうか。そもそも今後、修復されるのでしょうか?放置プレイでうん十年後には、あの林道絵本線の様になってしまうのか。皆さんは無理して、ログアウトしないように。
●元レポ: 無し
【r522】
兵庫県道522号 名坂宍粟線
姫路市安富町名坂~宍粟市山崎町三谷の破線区間。

県道の破線区間を示す

峠横の鉄塔より
r430を北上し、名坂からr522へ入りました(起点)。下河の道沿いには、"三谷峠越えの人馬安全祈願"の石仏が祀られ、また"右 三谷"の道標も有りました。道は砂防ダムを過ぎ、植林の山中へと伸びています。一車線の車道には、白い大きめの砂利が敷き詰められ、そこをダンプカーが下って来ました。地形図の破線道は峠を目指して直登していますが、砂利道は大きくカーブして明後日の方向へ伸びていました。砂利道にもう用は無いので周囲を見渡せば、左側の急斜面へ入る踏み跡を見つけました。自転車を担いで、踏み跡を辿り植林の谷を登って行くと、三谷峠に到着しました。倒木に腰を掛け、パンとコーヒーで休憩しました。峠の周囲を散策してみましたが、特に何もなく、山を迂回して来た作業道が有るだけでした。作業道状態の県道を下り、三谷側へ出ました。三谷の集落手前にも道標が有りました。
殆どが作業道状態で、それを登ったとて大して面白くも有りません。谷を登る踏み跡が、昔の峠道の姿を僅かに留めているのみです。姫路から宍粟に行くショートカットにもなりません。それでも敢えて行く、それが破線"道"です。
●元レポ: 兵庫県道522号xトxジテンシャ
【r523】
兵庫県道523号 塩田一宮線(1)
宍粟市山崎町大谷~山崎町梯の破線区間。

県道の破線区間を示す(東側)

与位-梯 間の峠
一宮町の田園を伸びる直線道路を南下し、揖保川を清姫橋で渡り山崎町清野(せいの)へ入りました。南の与位(よい)との間には崖沿いの道があり、昔は通行の難所だった様で、崖の窪みに石仏が安置されて居ました。また、四角い穴が岩に穿たれている事から、昔は桟道が付けられて居た様です。与位に入り、與位神社で道中の安全を祈りました。神社に隣接する道が今回の目的、r523です。
山に入る手前の害獣柵付近で、作業をしていたおじさんに挨拶をして道の状況を訪ねると、「歩きなら越えられるけど、自転車だと分解して担がないと無理やなぁ、まあ行って見たら」と教えて貰いました。柵を抜けると分岐があり、"通行不能"の看板と、"←シカキ谷 →コボキニシ山"と白い木の道標が倒れていました。県道は左側なので、シカキ谷側へ進みました。舗装路が終わると、複数の作業道が山中へと伸びています。見上げれば、作業道は傾斜を増し、峠直前まで伸びていました。しかし、GPSで道を確認すると、峠へ至る破線道はこの道では無く、右側の小さな枯沢を示していました。
最初は枯沢を直登しましたが足元が滑るので、途中から斜め上へ自転車を木に掛けつつ登ると、予想外の方向から古道が伸びていました。この古道を進むと、苦労せずに峠へ至りました。さすが、昔の人の道設定は理に適っています。峠は細い稜線上にあり、特に石仏や標識は見当たりませんでした。
梯(かけはし)へ下る古道は最初、九十九折れて湿った沢を横切ります。この辺は滑り易い上に、山ビルが寄ってきました。その後は沢沿いを下り、梯へ出ました。途中、石を円形に組んだ窯跡や、田畑と沢を区切る古そうな石垣が有りました。時間が無かった為、その日は五十波(いかば)を抜けR29へ出ました。
(2)に続く。
【r523】
兵庫県道523号 塩田一宮線(2)
山崎町梯~山崎町与位の破線区間。
地形図によると、宍粟市山崎町塩田~上牧谷に破線区間あり。

県道の破線区間を示す(西側)

梯-大谷 間の峠
後日、前回の続きで梯から県道へ入りました。梯には岩上神社が有り、立派な銀杏の木が左右に生えています。境内には、"愛のかけはし"と看板が有りましたが、道中の安全だけ祈っておきました。
山へ入るコンクリ舗装の道が県道と推定しました。奥には作業小屋があり、そこから道が二本でていました。地形図の点線表示に従って一方の道を進み、ボロボロの橋を渡りましたが直ぐに道が無くなりました。もう一方が正しい道で、古道に繋がって居ました。
古道は二股に分かれ、右側は地面がよく踏まれ窪んだ古道ですが、左側が推定県道と考え進みました。道は沢沿いに伸びていましたが、途中で消滅しました。仕方ないので、空身で様子を見に沢を登り、途中で尾根へ移動すると、そこに古道が有りました。前回の与位からの登りと同じ展開ですやん。古道を下り、自転車を回収しました。案の定、窪んだ古道がこれでした。と言うわけで、この古道を登って行くと、無事峠へたどり着きました。
峠は歩き易い稜線上にあり、"NHKケーブル埋設"の白い杭が転がって居ました。新緑で気持ちの良い峠で、遅い昼食を取りました。大谷へ下る峠道も明瞭で、ある程度下ると全体が植林の緩い斜面になりました。地形図の破線道はほぼ直線で下っていますが、実際の古道は破線より少し膨らんで集落まで伸びていました。
舗装路を下り福祉施設を過ぎると、r429と交差します。そのまま西進し、次の破線区間である上牧谷の奥へと向かいました。道は砂利道となり、害獣柵を抜けて沢沿いを進みます。地形図では破線表記ですが、実際は車道幅の作業道でした。作業道のヘアピンカーブを曲がらず直進する狭い道が有り、破線区間と一致しました。道は沢沿いを伸びる古道となり、上り詰めると九鬼峠へ至りました。峠は作業道の十字路になって開削されており、新しいお堂には乢地蔵(愛称:男前地蔵)が安置されて居ました。下りの作業道は破線区間とほぼ一致しており、塩田でr433と合流しました(起点)。
地形図の破線道は当てになりません。隠れた古道を探しましょう。
●元レポ: 兵庫県道523号xトxジテンシャ
【r524】
兵庫県道524号 才金宗行線
地形図によると、佐用町大塚~宗行に破線区間あり。

県道の破線区間を示す

峠のお堂
上月からr124を北上し、金子で右折してr524へ入りました(起点)。棚田が綺麗な桜山や大木谷を通り、江川川を越えるとr240と交差するT字路に出ます。
県道は大塚の集落奥、家の裏手の細い道になります。道には害獣避けの電気柵、地面にはイガ栗。これは有刺鉄線電流爆破デスマッチかと、大仁多厚的要素を感じつつ進みました。県道は畦道と成り、ほどなく舗装路に合流しました。道は谷間の田畑の中を縫い、害獣柵手前で終わりました。柵を抜ければ、峠までの短い距離を峠道が伸びていました。
峠には立派なお堂があり、三体の石像が台の上に設置されていました。其々お顔が異なる個性のある石像です。お堂は綺麗に掃除されており、大切にされて居る事が良く判ります。此処までの道は良く管理されて居たのですが、宗行側は少し荒れていました。更に、谷沿いの道はススキで埋め尽くされて居ました。ススキの藪を掻き分け進めば、谷間には巨大な砂防ダム(峠谷川えん堤)が横たわっていました。コンクリ舗装の急な道を下り、宗行へと出ました(終点)。
有名な乙大木谷以外に、田和や桜山、樺山にも素晴らしい棚田が広がっています。またR373沿いには宿場町の街並みが残る平福が有ります。この破線区間を利用すれば、両者をショートカット可能ですが、時間的には損すること請け合いです。
●元レポ: 播磨の峠 - 46. 寺坂峠 xトxジテンシャ
【r546】
兵庫県道546号上ノ波賀線
宍粟市山崎町上ノ~宍粟市波賀町小野の破線区間。

県道の破線区間を示す

小野の大トチノキ
引原川沿いをR29で北上し、波賀町小野からr546に入りました(終点)。小野川に沿って舗装路を登り、深山橋で川を越えてすぐ左手の未舗装路が県道の破線区間になります。少し入ると、"散策路" "車通行止"と書かれた標識が立っていました。
新緑が綺麗な沢沿いを、石垣が残る古道が伸びています。僅かに道が開けると、大きなトチノキが二本立っていました。近くには、"県指定文化財 小野の大トチノキ"の説明板が立っており、今なお集落の方々に大切にされているとの事です。大トチノキを過ぎ、コンクリートで簡易舗装された急坂を登れば、深山林道と合流しました。出合いから更に登ると、道の先にススキで覆われた山が見えて来ました。その手前に分岐があり、県道は右に伸びています。沢沿いのススキ地帯を抜けると、再び石垣の古道が現れ、小野越に到着しましたが、作業道が峠を分断しており、残念な姿でした。
野々隅原側は全体的に傾斜が緩い地形が広がっています。周辺にはタタラ製鉄址が有り、道には鉄滓が落ちています。野々隅原手前には牧場ゲートが有り、その先はアスファルト舗装で、快適に下る事が出来ました。上ノ下の集落の小屋の屋根には、何故か自転車が立てられていました(見出し画像)。そこを過ぎれば直ぐに、r429と合流です(起点)。
私は押し担ぎで登る方が好きですが、普通の人は登りが舗装路の起点側から入る方が良いでしょう。
●元レポ: 兵庫県道546号xトxジテンシャ
西播磨地域の点線県道は以上です。
地形図上の県道破線区間を、自転車と共に通過した記録。ダイジェスト版@西播磨地域④
r521, 522, 523, 524, 546
【注意】地図上の赤・紫の破線は、地形図の県道破線、県道を結ぶと予想される破線の区間をマニュアルでなぞったものです。正確なルートや、実際に通行したルートを示している訳では有りません。通行される際には、事前にご自分でよく調べて、適した装備で自己責任で楽しんでください。また、峠や地名等に間違いが有りましたら御指摘ください。
【r521】
兵庫県道521号 道谷三方線
H27区間設定図によると宍粟市波賀町道谷~一宮町公文小原に破線区間あり。

区間設定図より緑の破線を記入。国有林案内図より林道名称を記入。

崩落箇所を上部道から
現在の地形図では、全区間が1車線以上(3m~)の立派な車道表記です。また、web上でも車、バイクの通行報告が幾つも有ります。なので私の興味範囲外なのですが、H27区間設定図では破線区間(4t車通行不能)の表示が有りますので、念のため訪問しました。
一宮町三方町から北上しました(終点)。志倉の分岐までは、公文川沿いに伸びる1~2車線の舗装路です。道沿いには●●塚と刻まれた大きな石碑が幾つか有りました。また、"千年水"と言う湧水が有名な様で、2Lのペットボトルに何十本も汲んでいる人達が居ました。業務用でしょうか、迷惑な話です。湧水の先に有る分岐には、"左ひきハら 右たじま ミち"の道標が有りました。古い地図には溝谷を経由して山を越え、引原へ抜ける破線道が表記されて居ます。右へ進むと谷間に小原の集落が現れますが、これより先、道谷へ出るまで、県道沿いに集落は有りません。小原の先には大規模な地滑り跡が見え、治山工事が始まって居ました。"以ぼ水"と刻まれた石碑の隣に、小さな湧水も有りました。
志倉との分岐には、"これより先未改修(悪路のため) 通行不能"の表示が有り、少し進むと樅木口橋と廃屋が有りました。県道は区間設定図では破線区間に入りましたが、まだ舗装された車道が沢沿いに伸びています。沢は美しい渓流で、"禁漁区 これより上流、源流まで年間を通じて原種保護のため、すべての魚類の釣りを禁止します。"とあり、渓流魚の聖域(サンクチュアリと読む)と成って居ます。道上に、"梵字+覚樹"と刻まれた小さい石碑が置かれて居ましたが、どういう意味が有るのでしょうか?この辺りは阿舎利国有林で、杉の植林が広がって居ました。案内図には、"樅木沼谷林道 7.5km(県道道谷三方線と併用)"と在ります。小さな祠が有り、道中の安全をお祈りしました。錆びた古い"警笛"や"重量制限○t"の標識が、良い味を出しています。道自体の傾斜は緩く、幅も十分有り、場所によっては落石が散らばっていますが、藪などは一切有りませんでした。苔むした石垣の擁壁が数十メートルも続いていました。
樅木林道支線への分岐には、古い墓地が有りました。隣に木柱が有り、黒い文字で何かが書かれていますが、全く読めません。古い地形図を見ても、付近に集落は見当たりません。地図にも載らない位の昔に消滅した、木地師の集落が有ったのかもしれません。九十九折れ区間の入口にも苔むした長い石垣が有りました。道は峠へ向かって、徐々に高度を上げていきます。僅かですが、路面にコンクリ舗装の残骸が見られました。このまま問題無く通過できそうだなぁと思った時、目の前の道がいきなり消滅しました。この箇所はヘアピンカーブで高度を稼いでいますが、上下の路盤が山肌ごとごっそり崩れていました。崩落箇所をトラバースした場合、上の道も崩れている様なので、二度危険な箇所を通る必要が有ります。それよりはと、崩落の端を登って上部の道へと移動しました。崩落したのはそれほど昔では無さそうで、地面は安定しておらず、登降はお勧めしません。
崩落箇所を過ぎれば、峠まで良い未舗装路が通っています。藤無峠もこれと言って感想を書くほどでは無く、"一番高いところに来ました、はい下ります。"という感じです。道谷へ下る途中、遠くに氷ノ山の山頂が望めました。全体的に見て、道谷側の路面は小原側よりも良かったです。r48との交点には、"左ハたぢま 右ハやま みち"の道標が有りました(起点)。確かに山道でしたが、ざっくり過ぎるやろ。折角なので、近くの若杉峠まで登り、折り返して道谷を抜けR29で南下し、音水湖と林鉄跡のサイクリングコースを通って帰りました。
破線道に比べれば非常に物足りない道ですが、道沿いの渓流の美しさを考慮すれば、まずまずでしょうか。言い換えれば、九十九折れて沢から離れてしまうと、その良さが無くなり無味乾燥な感じです。
私がバイクに乗って居た頃に使っていた"関西2輪車ツーリングマップ('95)"を紐解けば、志倉分岐より道谷までを志倉道谷林道と明記しており、"路面変化が大きく楽しい"と有ります。ツーリングマップル('12)だと、石が多く荒れた路面 アップダウンが激しいダート 7.2km"だそうです。林道名が案内図と違う事は気にしないとして、最新版ではどの様に紹介されているのでしょう?道消失により、オフ車通行不能とかでしょうか。そもそも今後、修復されるのでしょうか?放置プレイでうん十年後には、あの林道絵本線の様になってしまうのか。皆さんは無理して、ログアウトしないように。
●元レポ: 無し
【r522】
兵庫県道522号 名坂宍粟線
姫路市安富町名坂~宍粟市山崎町三谷の破線区間。

県道の破線区間を示す

峠横の鉄塔より
r430を北上し、名坂からr522へ入りました(起点)。下河の道沿いには、"三谷峠越えの人馬安全祈願"の石仏が祀られ、また"右 三谷"の道標も有りました。道は砂防ダムを過ぎ、植林の山中へと伸びています。一車線の車道には、白い大きめの砂利が敷き詰められ、そこをダンプカーが下って来ました。地形図の破線道は峠を目指して直登していますが、砂利道は大きくカーブして明後日の方向へ伸びていました。砂利道にもう用は無いので周囲を見渡せば、左側の急斜面へ入る踏み跡を見つけました。自転車を担いで、踏み跡を辿り植林の谷を登って行くと、三谷峠に到着しました。倒木に腰を掛け、パンとコーヒーで休憩しました。峠の周囲を散策してみましたが、特に何もなく、山を迂回して来た作業道が有るだけでした。作業道状態の県道を下り、三谷側へ出ました。三谷の集落手前にも道標が有りました。
殆どが作業道状態で、それを登ったとて大して面白くも有りません。谷を登る踏み跡が、昔の峠道の姿を僅かに留めているのみです。姫路から宍粟に行くショートカットにもなりません。それでも敢えて行く、それが破線"道"です。
●元レポ: 兵庫県道522号xトxジテンシャ
【r523】
兵庫県道523号 塩田一宮線(1)
宍粟市山崎町大谷~山崎町梯の破線区間。

県道の破線区間を示す(東側)

与位-梯 間の峠
一宮町の田園を伸びる直線道路を南下し、揖保川を清姫橋で渡り山崎町清野(せいの)へ入りました。南の与位(よい)との間には崖沿いの道があり、昔は通行の難所だった様で、崖の窪みに石仏が安置されて居ました。また、四角い穴が岩に穿たれている事から、昔は桟道が付けられて居た様です。与位に入り、與位神社で道中の安全を祈りました。神社に隣接する道が今回の目的、r523です。
山に入る手前の害獣柵付近で、作業をしていたおじさんに挨拶をして道の状況を訪ねると、「歩きなら越えられるけど、自転車だと分解して担がないと無理やなぁ、まあ行って見たら」と教えて貰いました。柵を抜けると分岐があり、"通行不能"の看板と、"←シカキ谷 →コボキニシ山"と白い木の道標が倒れていました。県道は左側なので、シカキ谷側へ進みました。舗装路が終わると、複数の作業道が山中へと伸びています。見上げれば、作業道は傾斜を増し、峠直前まで伸びていました。しかし、GPSで道を確認すると、峠へ至る破線道はこの道では無く、右側の小さな枯沢を示していました。
最初は枯沢を直登しましたが足元が滑るので、途中から斜め上へ自転車を木に掛けつつ登ると、予想外の方向から古道が伸びていました。この古道を進むと、苦労せずに峠へ至りました。さすが、昔の人の道設定は理に適っています。峠は細い稜線上にあり、特に石仏や標識は見当たりませんでした。
梯(かけはし)へ下る古道は最初、九十九折れて湿った沢を横切ります。この辺は滑り易い上に、山ビルが寄ってきました。その後は沢沿いを下り、梯へ出ました。途中、石を円形に組んだ窯跡や、田畑と沢を区切る古そうな石垣が有りました。時間が無かった為、その日は五十波(いかば)を抜けR29へ出ました。
(2)に続く。
【r523】
兵庫県道523号 塩田一宮線(2)
山崎町梯~山崎町与位の破線区間。
地形図によると、宍粟市山崎町塩田~上牧谷に破線区間あり。

県道の破線区間を示す(西側)

梯-大谷 間の峠
後日、前回の続きで梯から県道へ入りました。梯には岩上神社が有り、立派な銀杏の木が左右に生えています。境内には、"愛のかけはし"と看板が有りましたが、道中の安全だけ祈っておきました。
山へ入るコンクリ舗装の道が県道と推定しました。奥には作業小屋があり、そこから道が二本でていました。地形図の点線表示に従って一方の道を進み、ボロボロの橋を渡りましたが直ぐに道が無くなりました。もう一方が正しい道で、古道に繋がって居ました。
古道は二股に分かれ、右側は地面がよく踏まれ窪んだ古道ですが、左側が推定県道と考え進みました。道は沢沿いに伸びていましたが、途中で消滅しました。仕方ないので、空身で様子を見に沢を登り、途中で尾根へ移動すると、そこに古道が有りました。前回の与位からの登りと同じ展開ですやん。古道を下り、自転車を回収しました。案の定、窪んだ古道がこれでした。と言うわけで、この古道を登って行くと、無事峠へたどり着きました。
峠は歩き易い稜線上にあり、"NHKケーブル埋設"の白い杭が転がって居ました。新緑で気持ちの良い峠で、遅い昼食を取りました。大谷へ下る峠道も明瞭で、ある程度下ると全体が植林の緩い斜面になりました。地形図の破線道はほぼ直線で下っていますが、実際の古道は破線より少し膨らんで集落まで伸びていました。
舗装路を下り福祉施設を過ぎると、r429と交差します。そのまま西進し、次の破線区間である上牧谷の奥へと向かいました。道は砂利道となり、害獣柵を抜けて沢沿いを進みます。地形図では破線表記ですが、実際は車道幅の作業道でした。作業道のヘアピンカーブを曲がらず直進する狭い道が有り、破線区間と一致しました。道は沢沿いを伸びる古道となり、上り詰めると九鬼峠へ至りました。峠は作業道の十字路になって開削されており、新しいお堂には乢地蔵(愛称:男前地蔵)が安置されて居ました。下りの作業道は破線区間とほぼ一致しており、塩田でr433と合流しました(起点)。
地形図の破線道は当てになりません。隠れた古道を探しましょう。
●元レポ: 兵庫県道523号xトxジテンシャ
【r524】
兵庫県道524号 才金宗行線
地形図によると、佐用町大塚~宗行に破線区間あり。

県道の破線区間を示す

峠のお堂
上月からr124を北上し、金子で右折してr524へ入りました(起点)。棚田が綺麗な桜山や大木谷を通り、江川川を越えるとr240と交差するT字路に出ます。
県道は大塚の集落奥、家の裏手の細い道になります。道には害獣避けの電気柵、地面にはイガ栗。これは有刺鉄線電流爆破デスマッチかと、大仁多厚的要素を感じつつ進みました。県道は畦道と成り、ほどなく舗装路に合流しました。道は谷間の田畑の中を縫い、害獣柵手前で終わりました。柵を抜ければ、峠までの短い距離を峠道が伸びていました。
峠には立派なお堂があり、三体の石像が台の上に設置されていました。其々お顔が異なる個性のある石像です。お堂は綺麗に掃除されており、大切にされて居る事が良く判ります。此処までの道は良く管理されて居たのですが、宗行側は少し荒れていました。更に、谷沿いの道はススキで埋め尽くされて居ました。ススキの藪を掻き分け進めば、谷間には巨大な砂防ダム(峠谷川えん堤)が横たわっていました。コンクリ舗装の急な道を下り、宗行へと出ました(終点)。
有名な乙大木谷以外に、田和や桜山、樺山にも素晴らしい棚田が広がっています。またR373沿いには宿場町の街並みが残る平福が有ります。この破線区間を利用すれば、両者をショートカット可能ですが、時間的には損すること請け合いです。
●元レポ: 播磨の峠 - 46. 寺坂峠 xトxジテンシャ
【r546】
兵庫県道546号上ノ波賀線
宍粟市山崎町上ノ~宍粟市波賀町小野の破線区間。

県道の破線区間を示す

小野の大トチノキ
引原川沿いをR29で北上し、波賀町小野からr546に入りました(終点)。小野川に沿って舗装路を登り、深山橋で川を越えてすぐ左手の未舗装路が県道の破線区間になります。少し入ると、"散策路" "車通行止"と書かれた標識が立っていました。
新緑が綺麗な沢沿いを、石垣が残る古道が伸びています。僅かに道が開けると、大きなトチノキが二本立っていました。近くには、"県指定文化財 小野の大トチノキ"の説明板が立っており、今なお集落の方々に大切にされているとの事です。大トチノキを過ぎ、コンクリートで簡易舗装された急坂を登れば、深山林道と合流しました。出合いから更に登ると、道の先にススキで覆われた山が見えて来ました。その手前に分岐があり、県道は右に伸びています。沢沿いのススキ地帯を抜けると、再び石垣の古道が現れ、小野越に到着しましたが、作業道が峠を分断しており、残念な姿でした。
野々隅原側は全体的に傾斜が緩い地形が広がっています。周辺にはタタラ製鉄址が有り、道には鉄滓が落ちています。野々隅原手前には牧場ゲートが有り、その先はアスファルト舗装で、快適に下る事が出来ました。上ノ下の集落の小屋の屋根には、何故か自転車が立てられていました(見出し画像)。そこを過ぎれば直ぐに、r429と合流です(起点)。
私は押し担ぎで登る方が好きですが、普通の人は登りが舗装路の起点側から入る方が良いでしょう。
●元レポ: 兵庫県道546号xトxジテンシャ
西播磨地域の点線県道は以上です。
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