
【点線県道】兵庫県道xトxジテンシャ
地形図上の県道破線区間を、自転車と共に通過した記録。ダイジェスト版@淡路島
r481, 534, 535
【注意】地図上の赤・紫の破線は、地形図の県道破線、県道を結ぶと予想される破線の区間をマニュアルでなぞったものです。正確なルートや、実際に通行したルートを示している訳では有りません。通行される際には、事前にご自分でよく調べて、適した装備で自己責任で楽しんでください。また、峠や地名等に間違いが有りましたら御指摘ください。

淡路島の南側には、北東から南西にかけて長さ約20kmの諭鶴羽山地が横たわっています。山地の南側は急傾斜の海岸線が海に落ち込む断層海岸を形成しており、僅かな平地や斜面に集落や農地が点在しています。海岸線には主要地方道のr76、別名「南淡路水仙ライン」が通っており、集落間の連絡に欠かせない道です。対して、集落から諭鶴羽山地を越えて北側の淡路平野へ連絡する3桁県道(r481, 534, 535)が有りますが、いずれも車での通り抜けは不能です。もはや、日常的に使われておらず、廃道と化している可能性が高いですが、徒歩で移動していた時代には重宝されていた筈です。今回は、これら南北に延びる県道の破線区間を通ってみたいと思います。
【r481】
兵庫県道481号 相川下清水線
洲本市相川組~洲本市千種丙に破線区間あり。

県道の分断・破線区間を示す

沢沿いの迂回路
諭鶴羽山からの下山後、r535とr76の交点である灘山本から東へ10kmほど進むと、相川組という集落に至りました。集落へ入る道がr481、今回通過する県道です(始点)。急な坂道を登り崖の上へ出ると、学校跡、上灘出張所、簡易郵便局がありました。崖上の学校跡の入口付近には「広い海 豊かな心」と刻まれた石碑が立てられていました。学校からは太平洋へと繋がる紀伊水道が一望でき、まさにぴったりの標語です。家屋の周囲は石垣で囲まれており、集落内は石垣の隙間を縫うように細い道が入り組んでいます。携帯で地形図を確認しながら、集落内の県道を辿りました。集落を抜けると、県道は相川がつくる谷にそって諭鶴羽山地奥へと伸びて行きます。集落自体の標高が高い事もあってか、道は相川より数十mの高さを、山腹を横切る様に付けられています。路面は落石が多くガレており、時折崩れて寸断されていました。しかし、車道幅くらいの箇所も多く、場所によっては二車線ほどありました。
途中には農地か集落跡でしょうか、林の中に立派な石垣が築かれていました。まるでジャングルに埋もれた古代の遺跡の様です。農地だとすると、立派な石垣は害獣除けとして築かれたのかもしれません。また、コンクリ橋、重量制限と思しき標識(兵庫県と書かれたポール)やガードレール、オート三輪(農民車?)の残骸などもありました。
川と道の比高は進むと共に縮まり、砂防ダムを越えると土砂が溜まった広い河原沿いを歩く事となりました。やがて川は沢となり、小さな滝などが見られました。やがて沢の本流と支流の二股に至りました。本流沿いを進めば、牧場跡の実線の道に繋がると思われます。しかし、事前のweb調査では、千種丙側の牧場跡入口にはゲートが有り、封鎖されているそうです。地図には、右手の支流沿いに破線道が記されているので、この道を通って迂回し、ゲートの向こう側へ出る事にしました。問題は、その破線道が存在するかですが、、、、道など見当たらず、沢を登り詰めて千種丙側の県道に到達出来ました。情報のとおり、ゲートはピンクテープがいっぱい結びつけられたチェーンで封鎖されていました。
昔の航空写真('60~'70年代)では、砂防ダムの少し下流まで、川沿いに田畑が広がっていた様です。集落から田畑に至る道も確認できます。また、牧場から砂防ダムまでの道も確認できます(砂防ダム工事用?)。昔は、相川組から牧場を通過して千種丙へと車で抜けられたのでしょうか、気になりますね。
●元レポ: 無し
【r534】
兵庫県道534号畑田組栄町線
洲本市畑田組~洲本市鮎屋に破線区間あり。

県道の分断・破線区間を示す

A.SANROKAI峠
r481と同様、海岸線の道であるr76から畑田組の集落へ入る道がr534です。立地も相川組とよく似ており、集落は海からいきなり坂道を登った崖の上の平地に有ります。石垣が多用されている所も良く似ています。県道は集落の奥、高台にある水道施設まで続いていました。施設奥から水平に伸びる地道が有りますが、これは地形図にも記載されている破線道で、県道の続きでは無く作業道の様です。集落に戻る別の徒歩道があったので、自転車を置いて進んでみると、お寺の裏側に繋がっていました。そこから尾根上に登ってみると、「宝暦二壬申九月祀 内院大明神」と書かれた小さな祠がありました。周囲を調べていると、古そうな道を見つけました。その道を辿っていくと、水道施設奥まで戻ってきました。どうやらこの尾根道が県道の続きでしょう(推定県道)。実際、古い地形図では尾根上に破線道が記されており、現在の地形図で示される破線区間に繋がります。
県道の続き(推定県道)がはっきりしたので、自転車を回収して尾根道を進みました。山道ですが、長い年月歩かれて窪んだ歩きやすい古道でした。途中、入口に石柱が二本立っている広場がありました。石柱には「昭和十一年 〇田●吉」とあり、どうやら門だったようです。〇田家から少し進むと、見晴らしの良い所に浴槽が置かれていました。尾根道は基本緩やかなのですが、凄い急な斜面が現れました。頑張って押し登ると、二体の石仏がおわしました。コンクリートの台には、昭和五十二年八月竣工と刻まれていました。道中の安全をお祈りして、先を急ぎます。やがて、大きな沢の様な谷に出会いました。上から覗き込むと、ピンクテープで降り口と登り口が示されており、容易に道の繋がりが分かり助かりました。急斜面を担ぎ上げて、慎重に谷を抜けました。斜面の上に細い道が続いており、辿ってゆくと緩やかな峠に着きました。峠には、木の板にA.SANROKAI縦走路と書かれた古い標識が落ちていました。峠で昼食をとり、下って行くと直ぐに地形図の破線区間に合流しました。その先には小さな溜池があり、池から流れ出る沢に沿って下って行くと、大きな溜池に出会いました。溜池の堤体には木が生えており、藪をかき分け沢に降りました。道は不明瞭なので、沢沿いやガレた沢の中を進んで行きます。やがて砂防ダムが見えてきて、それを高巻きするような道を見つけました。一部に木製の階段が見えたので、信じて登って行きました。その巻き道は、砂防ダムより相当高いところまで続いてました。そのうち道は不明瞭となり、適当に斜面をトラバースして、何とかダムを越えました。あの道は、砂防ダム関係なかったのかも、、、。再び沢まで降りて、地形図に従って沢沿いの藪を進んでゆくと対岸に道を見つけました。地形図を信じれば、その道は県道ではないので、無視して下って行くとコンクリの車道と出会いました。無事に破線区間を抜けた様です。ただ、この車道もあらゆる箇所で破壊されていました。この道沿いには、高さは2~3mの滝が幾つか有りました。道が機能していた頃は、ちょっとした景勝地だったのではないでしょうか。そして、ついにガードレールの道が現れ一安心、と思ったのですが、まだまだ道は崩壊しまくっていました。ひたすら川沿いの道とその痕跡を辿り、ついに走れる車道となりました。何とか明るいうちに、大城池までたどり着けました。
現在の地形図に記載されている県道の破線区間(峠以北の沢沿いの道)より、未表記の尾根道の古道の方がしっかり道が残っていて、はるかに通りやすかったです。
沢沿いの道は、流されやすく直ぐ駄目に成るってはっきり分かるんだね。
●元レポ: 無し
【r535】
兵庫県道535号灘市線
南あわじ市灘惣川~南あわじ市神代浦壁に破線区間あり。

県道の分断・破線区間を示す

立石の道標
円行寺交差点(終点)から三原川沿いに伸びるr535を南下して行くと、諭鶴羽ダムに至ります。ダムを渡ると山側に「諭鶴羽古道(裏参道)」という標識が有り、それが指し示す階段が県道の続きです。自転車を担いで急坂を登り尾根上に至ると、立派な立石の道標が立っていました。尾根上からは緩やかな道になります。参道兼県道を、自転車を押しながら進みます。途中、小さなお社の神倉神社(かんのくら)が有ったので、道中の安全を祈りました。やがて左手に、中途半端な石積みの壁が現れました。どうやらここが県道と参道の分岐のようです。県道は一部崩れて狭まったり、落石や倒木なども有りましたが、全体としてはしっかりとした良い道です。道は諭鶴羽山の東側を巻いて、出来るだけ緩やかに海側へと抜けるよう付けられています。おかげで、大きな苦労も無く破線区間を抜ける事が出来ました。安全かつ労力が最小限になる様作られた、生活の道ですね。舗装路に出て、少し下れば諭鶴羽神社です。神社からは九十九折れながら、海まで一気にダウンヒルして、r78に合流しました(灘山本、始点)。途中には、つばめ号遭難慰霊碑や住吉神社がありました。右手に広がる海を眺めつつ、r76を通って東へと漕ぎ進み次の目的地である相川組へ向かいました。
特に見どころも、アトラクション要素も無い普通の道です。
でも、こういうのでいいんだよ。
●元レポ: 無し
地形図上の県道破線区間を、自転車と共に通過した記録。ダイジェスト版@淡路島
r481, 534, 535
【注意】地図上の赤・紫の破線は、地形図の県道破線、県道を結ぶと予想される破線の区間をマニュアルでなぞったものです。正確なルートや、実際に通行したルートを示している訳では有りません。通行される際には、事前にご自分でよく調べて、適した装備で自己責任で楽しんでください。また、峠や地名等に間違いが有りましたら御指摘ください。

淡路島の南側には、北東から南西にかけて長さ約20kmの諭鶴羽山地が横たわっています。山地の南側は急傾斜の海岸線が海に落ち込む断層海岸を形成しており、僅かな平地や斜面に集落や農地が点在しています。海岸線には主要地方道のr76、別名「南淡路水仙ライン」が通っており、集落間の連絡に欠かせない道です。対して、集落から諭鶴羽山地を越えて北側の淡路平野へ連絡する3桁県道(r481, 534, 535)が有りますが、いずれも車での通り抜けは不能です。もはや、日常的に使われておらず、廃道と化している可能性が高いですが、徒歩で移動していた時代には重宝されていた筈です。今回は、これら南北に延びる県道の破線区間を通ってみたいと思います。
【r481】
兵庫県道481号 相川下清水線
洲本市相川組~洲本市千種丙に破線区間あり。

県道の分断・破線区間を示す

沢沿いの迂回路
諭鶴羽山からの下山後、r535とr76の交点である灘山本から東へ10kmほど進むと、相川組という集落に至りました。集落へ入る道がr481、今回通過する県道です(始点)。急な坂道を登り崖の上へ出ると、学校跡、上灘出張所、簡易郵便局がありました。崖上の学校跡の入口付近には「広い海 豊かな心」と刻まれた石碑が立てられていました。学校からは太平洋へと繋がる紀伊水道が一望でき、まさにぴったりの標語です。家屋の周囲は石垣で囲まれており、集落内は石垣の隙間を縫うように細い道が入り組んでいます。携帯で地形図を確認しながら、集落内の県道を辿りました。集落を抜けると、県道は相川がつくる谷にそって諭鶴羽山地奥へと伸びて行きます。集落自体の標高が高い事もあってか、道は相川より数十mの高さを、山腹を横切る様に付けられています。路面は落石が多くガレており、時折崩れて寸断されていました。しかし、車道幅くらいの箇所も多く、場所によっては二車線ほどありました。
途中には農地か集落跡でしょうか、林の中に立派な石垣が築かれていました。まるでジャングルに埋もれた古代の遺跡の様です。農地だとすると、立派な石垣は害獣除けとして築かれたのかもしれません。また、コンクリ橋、重量制限と思しき標識(兵庫県と書かれたポール)やガードレール、オート三輪(農民車?)の残骸などもありました。
川と道の比高は進むと共に縮まり、砂防ダムを越えると土砂が溜まった広い河原沿いを歩く事となりました。やがて川は沢となり、小さな滝などが見られました。やがて沢の本流と支流の二股に至りました。本流沿いを進めば、牧場跡の実線の道に繋がると思われます。しかし、事前のweb調査では、千種丙側の牧場跡入口にはゲートが有り、封鎖されているそうです。地図には、右手の支流沿いに破線道が記されているので、この道を通って迂回し、ゲートの向こう側へ出る事にしました。問題は、その破線道が存在するかですが、、、、道など見当たらず、沢を登り詰めて千種丙側の県道に到達出来ました。情報のとおり、ゲートはピンクテープがいっぱい結びつけられたチェーンで封鎖されていました。
昔の航空写真('60~'70年代)では、砂防ダムの少し下流まで、川沿いに田畑が広がっていた様です。集落から田畑に至る道も確認できます。また、牧場から砂防ダムまでの道も確認できます(砂防ダム工事用?)。昔は、相川組から牧場を通過して千種丙へと車で抜けられたのでしょうか、気になりますね。
●元レポ: 無し
【r534】
兵庫県道534号畑田組栄町線
洲本市畑田組~洲本市鮎屋に破線区間あり。

県道の分断・破線区間を示す

A.SANROKAI峠
r481と同様、海岸線の道であるr76から畑田組の集落へ入る道がr534です。立地も相川組とよく似ており、集落は海からいきなり坂道を登った崖の上の平地に有ります。石垣が多用されている所も良く似ています。県道は集落の奥、高台にある水道施設まで続いていました。施設奥から水平に伸びる地道が有りますが、これは地形図にも記載されている破線道で、県道の続きでは無く作業道の様です。集落に戻る別の徒歩道があったので、自転車を置いて進んでみると、お寺の裏側に繋がっていました。そこから尾根上に登ってみると、「宝暦二壬申九月祀 内院大明神」と書かれた小さな祠がありました。周囲を調べていると、古そうな道を見つけました。その道を辿っていくと、水道施設奥まで戻ってきました。どうやらこの尾根道が県道の続きでしょう(推定県道)。実際、古い地形図では尾根上に破線道が記されており、現在の地形図で示される破線区間に繋がります。
県道の続き(推定県道)がはっきりしたので、自転車を回収して尾根道を進みました。山道ですが、長い年月歩かれて窪んだ歩きやすい古道でした。途中、入口に石柱が二本立っている広場がありました。石柱には「昭和十一年 〇田●吉」とあり、どうやら門だったようです。〇田家から少し進むと、見晴らしの良い所に浴槽が置かれていました。尾根道は基本緩やかなのですが、凄い急な斜面が現れました。頑張って押し登ると、二体の石仏がおわしました。コンクリートの台には、昭和五十二年八月竣工と刻まれていました。道中の安全をお祈りして、先を急ぎます。やがて、大きな沢の様な谷に出会いました。上から覗き込むと、ピンクテープで降り口と登り口が示されており、容易に道の繋がりが分かり助かりました。急斜面を担ぎ上げて、慎重に谷を抜けました。斜面の上に細い道が続いており、辿ってゆくと緩やかな峠に着きました。峠には、木の板にA.SANROKAI縦走路と書かれた古い標識が落ちていました。峠で昼食をとり、下って行くと直ぐに地形図の破線区間に合流しました。その先には小さな溜池があり、池から流れ出る沢に沿って下って行くと、大きな溜池に出会いました。溜池の堤体には木が生えており、藪をかき分け沢に降りました。道は不明瞭なので、沢沿いやガレた沢の中を進んで行きます。やがて砂防ダムが見えてきて、それを高巻きするような道を見つけました。一部に木製の階段が見えたので、信じて登って行きました。その巻き道は、砂防ダムより相当高いところまで続いてました。そのうち道は不明瞭となり、適当に斜面をトラバースして、何とかダムを越えました。あの道は、砂防ダム関係なかったのかも、、、。再び沢まで降りて、地形図に従って沢沿いの藪を進んでゆくと対岸に道を見つけました。地形図を信じれば、その道は県道ではないので、無視して下って行くとコンクリの車道と出会いました。無事に破線区間を抜けた様です。ただ、この車道もあらゆる箇所で破壊されていました。この道沿いには、高さは2~3mの滝が幾つか有りました。道が機能していた頃は、ちょっとした景勝地だったのではないでしょうか。そして、ついにガードレールの道が現れ一安心、と思ったのですが、まだまだ道は崩壊しまくっていました。ひたすら川沿いの道とその痕跡を辿り、ついに走れる車道となりました。何とか明るいうちに、大城池までたどり着けました。
現在の地形図に記載されている県道の破線区間(峠以北の沢沿いの道)より、未表記の尾根道の古道の方がしっかり道が残っていて、はるかに通りやすかったです。
沢沿いの道は、流されやすく直ぐ駄目に成るってはっきり分かるんだね。
●元レポ: 無し
【r535】
兵庫県道535号灘市線
南あわじ市灘惣川~南あわじ市神代浦壁に破線区間あり。

県道の分断・破線区間を示す

立石の道標
円行寺交差点(終点)から三原川沿いに伸びるr535を南下して行くと、諭鶴羽ダムに至ります。ダムを渡ると山側に「諭鶴羽古道(裏参道)」という標識が有り、それが指し示す階段が県道の続きです。自転車を担いで急坂を登り尾根上に至ると、立派な立石の道標が立っていました。尾根上からは緩やかな道になります。参道兼県道を、自転車を押しながら進みます。途中、小さなお社の神倉神社(かんのくら)が有ったので、道中の安全を祈りました。やがて左手に、中途半端な石積みの壁が現れました。どうやらここが県道と参道の分岐のようです。県道は一部崩れて狭まったり、落石や倒木なども有りましたが、全体としてはしっかりとした良い道です。道は諭鶴羽山の東側を巻いて、出来るだけ緩やかに海側へと抜けるよう付けられています。おかげで、大きな苦労も無く破線区間を抜ける事が出来ました。安全かつ労力が最小限になる様作られた、生活の道ですね。舗装路に出て、少し下れば諭鶴羽神社です。神社からは九十九折れながら、海まで一気にダウンヒルして、r78に合流しました(灘山本、始点)。途中には、つばめ号遭難慰霊碑や住吉神社がありました。右手に広がる海を眺めつつ、r76を通って東へと漕ぎ進み次の目的地である相川組へ向かいました。
特に見どころも、アトラクション要素も無い普通の道です。
でも、こういうのでいいんだよ。
●元レポ: 無し
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